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侵略者  作者: 京衛武百十
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マリーベル

新星雲歴729年。マリーベル・エルシャントは孤独だった。僅か五歳にして、人生に絶望していた。誰もが自分を疎み、恐れ、避けようとしている。保育園からは追い出され、近所の人間は自分を遠巻きに見てひそひそと陰口を叩く。しかも、向こうは聞こえないように言っているつもりかもしれないが、彼女には筒抜けだった。


『見た目は可愛いのにねえ』


『怪物には見えないわよね』


『でも、先週も野良犬を絞め殺したらしいわよ』


『ああ、恐ろしい…』


それを聞きたくなくて、彼女は耳を塞いで足早に通り過ぎた。


彼女の精神は、五歳にしては早熟だった。知能も高く、既に初等部卒業程度の知能はあるとみられていた。しかし、彼女は特に勉強家だという訳ではない。彼女の両親も飛び抜けて教育熱心という訳ではなく、ごく普通の平凡な人物だっただろう。それ故に、彼女は両親からさえ気味悪がられていた。


『まるで人の心が読めるみたい』


彼女の母親が呟いた言葉である。だが、それもあながち的外れではないのかもしれない。実際に心を読んでいる訳ではないにしても、彼女は非常に聡く、勘が鋭く、まるで何者かが彼女の頭に直接情報を送りこんでいるかのようにあらゆることが閃いた。他人の思考を容易く推察し、先読みし、言い当てる。


それだけではない。彼女は、力も異常なほどに強かった。大人でも力比べで彼女には勝てなかった。野良犬を絞め殺したというのも実は本当だった。彼女に襲い掛かった野良犬から身を守ろうとして押さえつけたら死んでしまったのだ。彼女の倍ほどの大きさのある大型犬だったというのに。


そんな彼女を周囲は怖れて疎み、マリーベルは自分の居場所がどこにもないと感じていたのだった。




その頃、世間ではある連続殺人犯の話題で持ちきりだった。同一犯と思しき殺人は既に七件。今月に入ってからももう三件が報告されている。遺体が発見されて発覚したのがそれだけだから、もしかするとまだ発見されていない遺体があるのではとさえ噂されていた。


そんなことがあり、マリーベルの周囲でも、口さがない人間は彼女が犯人ではないかと何の根拠もなく口にする者さえいる始末だった。事件が起こったのはこの町から百キロも離れた町である。五歳の彼女が百キロも離れた町まで行ってそんなことをするなど常識的に考えれば有り得ない。ましてや彼女には完璧なアリバイがある。事件が起こっていた時には彼女はまだ保育園に通っていたのだ。毎日。


にも拘らずそういうことを言ってしまう人間が出るほど、彼女の存在は異質であったとも言えるだろう。


家にも彼女の居場所はなく、殆ど毎日のように、日が暮れるまで町の外れの廃プレハブで一人で過ごしていた。食事も自分で確保した。鳥やネズミ(に似た小動物)を自分で捕まえ、焚火で焼いて食べた。不思議と鳥やネズミをそうやって食べることに嫌悪感はなかった。捕まえることにも苦労しなかった。石を投げれば百発百中。三メートルくらいの距離なら一瞬で飛び掛かって手で捕らえることさえできた。もはや彼女自身が野生の肉食獣のようでさえあった。


しかし、彼女も生まれつきそうだった訳ではない。実は二歳の頃にある事件があって、それ以降、彼女は劇的な変化を見せるようになったのだ。


それは、彼女が両親に連れられてキャンプに行った時だった。その辺りにはブロブはいないということで安全と思われていたキャンプ地にブロブが現れ、彼女も襲われたのである。両親の目の前で呑まれ、幼い彼女を助ける方法は既になかった筈だった。


だがその時、キャンプ場に電気を供給する為の大型の発電機にそのブロブが触れ、激しい火花を散らしながら感電した。するとそのブロブは呑み込んでたマリーベルを吐き出して逃げていったのだ。


その時点では心肺停止状態だった彼女は、狼狽える両親が救護活動もできないままでおろおろしている前で勝手に蘇生し、大きな声で泣き出したのだった。


それからである。彼女が異常な能力を見せ始めたのは。


教えてもいない言葉を話し出し、癇癪を起して三輪車のフレームを捻じ曲げ、大人顔負けの弁舌で相手をやり込めた。それに両親も驚き病院で精密検査も受けたが、血中の酸素濃度が平均よりも高いのと白血球数が若干多いことを除けばこれといって異常もなく、健康そのものであったという。ただ確かに、筋力が異様に高まっていたのは病院でも確認された。


とは言え、原因も判然とせずしかも健康であるとなれば病院でできることもない。力の加減を学ばせてあげて欲しいと諭されただけでその日のうちに帰された。が、彼女の能力は両親の手には負えず、殆ど何もしなくても彼女は勝手に成長していった。そして現在に至るという訳だ。


町を取り囲む、ブロブの浸入を防ぐ為の爆砕槽を備えた高さ五メートルの堅牢な塀の上まで、表面の僅かな凹凸に指と爪先を掛けただけでよじ登り、夕焼けがすべてを赤く染める中、彼女は眼前に広がる森林を見詰めていた。


しばらくぼんやりと眺めていると、彼女の視線の先にうねうねと波打つものが見えた。ブロブだった。なのに彼女は動じることもなくそれを見下ろしている。もう何度も見かけたからだ。そのせいか、むしろ愛着さえ感じていたかもしれない。


そして彼女は思った。


『もしかしたら私の生きる場所はこっちかもしれない……』


確かに、彼女の能力があればブロブからも余裕で逃げ切れるだろう。整備されたライフラインなどなくても生きていけるかも知れない。いや、むしろその為の能力だとさえ思える。


それでも、このまま塀を飛び降りて町を捨ててしまいたくなる欲求を敢えて抑え付け、彼女は家に帰ったのだった。自分を待ってなどいない両親のいる家に。




だがその夜、マリーベルの住む町に異変が起こった。酒場が並ぶ狭い通りで客の値踏みを行っていた女が一人姿を消し、翌朝、他殺体で発見されたのである。しかもその手口を見た者は口々に言った。


「これって、例の連続殺人犯のそれじゃないのか…?」


そう。女は全身を滅多刺しにされた上でとどめとして心臓を一突きされていたのである。心臓に届くそれ以外の傷は致命傷にならないように急所を避けつつだ。模倣犯にしては見事すぎる手口に、警察はついにこの町にあの連続殺人犯が来たのだと色めき立った。


さりとてマリーベルにはそんなことは関係がなかった。大人も子供も突然現れたおぞましい殺人犯に怯えて家に閉じこもったが、彼女は気にすることもなくそれまで通り出歩いていた。両親も彼女を止めることなく好きにさせた。


『いっそ、殺人犯に掴まって……』


そんなことすら考えながら。


その両親の願いは、思った以上に早く叶いそうだった。いつもと同じように一人で歩いて町はずれの廃プレハブに向かうマリーベルの後ろを、一人の男がついて歩いていた。なのに、彼女はそれに気付いていなかった。普段の彼女なら、息を殺して隠れている人間の気配すら捉まえるというのに。恐ろしいほどのストーキング能力だった。この男であれば、視界に捉えられていても存在に気付かれることはないかも知れない。それほどまでに完璧に気配を殺しているのだ。明らかに人間業ではない。


だがそれは、男の方も感じていたようだった。マリーベルを一目見かけた時から普通の人間でないことを見抜いていた。


『あいつ……俺と同じ……』


同じとはどういうことなのか?


それについては程なく判明することになった。


マリーベルが廃プレハブに着いた時、男が動いた。ナイフを手に、音もなく彼女に迫る。しかしあと数歩でナイフが届くという位置に来た時、彼女が振り向いた。振り向いて男の姿を確認した瞬間、弾かれるように地面を蹴ってその小さな体が優に三メートルは浮き上がった。そのまま廃プレハブの屋根に降り立ち、男を見下ろす。


「なによ、あんた!?」


とても五歳の少女のそれとは思えない堂に入った発声だった。相手を気迫で打ちのめそうとするそれだった。その彼女の目の前に、男が迫る。男もまた優に三メートルは飛び上がり、ナイフを突き出してきたのだ。すると彼女は、さらに逃げようとするどころかナイフを握った男の手を取って凄まじい力で引き寄せ、廃プレハブの屋根にそのまま叩き付けたのである。


まるで紙細工のように屋根が抜け、男の体が室内に消える。だが次の瞬間、マリーベルが足を着いていた部分に何かが閃いた。男がナイフで屋根を切り裂いたのだ。それも躱し、彼女は地面に降り立っていた。すると今度は障子紙でも破るかのようにプレハブの壁が引き裂かれ、中から男が姿を現す。


『俺と同じ』


男がそう呟いたのは、こういうことだった。この男もまた、マリーベルと同じく人間離れした能力を持っていたのである。


自分同様の異常な力を持った者が現れたにも拘らず、彼女はまるで動揺していなかった。彼女には予感があったのだ。自分以外にもそういう能力を持った者がいるということを。何故かは分からないが、そう察していたのだった。


同じように地面に立つと、彼女の身長は男の腰までくらいしかなかった。だから男にとっては上半身をかなり屈めなければならず、その分、間合いも遠かった。逆にマリーベルからは男の腹や急所が目の前にあってそこを狙えばよかった。男のナイフを躱し、腹に容赦のない一撃を加える。男が蹴ろうとすればその下をくぐられて軸足にまたも容赦のないローキックが入る。彼女の動きが素早くて的も小さく、リーチの差を活かそうにも逆に懐に入り込まれて距離が掴めない。


すると男は腰を落とし腕を広げ、マリーベルを抱き締めようとするかのように迫った。それに対し、彼女は飛び上がって刺すように男の鼻っ柱に膝を叩き込んだ。が、男は敢えてそれを受け留め、ついに彼女を捕らえる。


少女の小さな体を捕らえたままで男はプレハブの壁を突き破って彼女ごと部屋に転がり込んだ。そしてマリーベルの体を押さえ付け、男の二の腕ほどの太さしかない左の太腿にナイフを突き立てた。


「あーっっっ!!」


これにはさすがの彼女も顔を歪めて悲鳴を上げた。焼けつくような痛みが小さな体を奔り抜け、脳を焼く。それでも彼女は反対側の脚で男の顔を蹴り、弾き飛ばした。


だが男は怯まない。左足を庇って動きの鈍ったマリーベルに迫り、ナイフで切り付けてくる、彼女も辛うじてそれを受け流すが、体の切れに精彩を欠き、完全には躱しきれない。見る間に傷だらけになっていく幼い少女の姿に、男は唇の端を釣り上げておぞましい笑みを浮かべていた。


そんな男の顔を踏み付け、屋根に空いた穴からマリーベルは空中高く跳び上がった。これまでで最も高く。優に五メートルを超える高さまで。そして塀の上に着地する。


けれどそれは、彼女の最後の力を振り絞ったものだった。血に染まった彼女の体にはもう抵抗する力は残されていなかった。体中の傷もそうだが、やはり太腿の傷からの出血が彼女から力を奪い、小さな体は塀の上にくずおれた。


『ああ……私、死ぬんだ……』


マリーベルはぼんやりとそんなことを思った。物心ついた頃には既に両親にさえ怯えた目を向けられ、疎まれ、恐れられ、誰からも受け入れてはもらえなかった。自分は何の為に生まれてきたのかと何度も考えた。何とか周囲に受け入れてもらおうと普通を装うとしたが無駄だった。


誰も自分を必要とはしていない……ならもう、このまま終わらせた方がいい気がする……


彼女と同じように空中に飛び上がり、ナイフを振りかざした男の姿を確認して、五歳の少女はこの理不尽な世界との決別を覚悟した。いや、彼女自身が世界を見捨てたのだろう。瞼を閉じ、その瞬間をただ待った。


なのに、それなのに、覚悟して受け入れようとした結末は訪れなかった。いつまで経っても訪れなかった。


「……?」


時間にすればほんの数秒だっただろう。だが彼女にとっては数分にさえ感じられる時間だった。しびれを切らし何気なく目を開けた彼女の眼前にあったのは、異様な光景だった。透明な触手のようなものに巻き付かれ、男の首が有り得ないほどに長く伸びていた。触手に捕らえられた男の体が、ちょうど首を吊ったかのように力なくぶら下がっていたのだ。


その触手は、塀の外から伸びていた。振り返った彼女が見たものは、塀の下から体の一部を触手のように伸ばして男を捕らえているブロブであった。


それを見た瞬間、彼女は察した。何の根拠もなかったが、何故か分かってしまった。


「やっぱりあんた、あの時のやつだね…?」


『あの時のやつ』。マリーベルがそう言ったのは、まだ二歳だった彼女を呑み込んで命を奪いかけたブロブのことであった。あの時のブロブが、今度は彼女を助けるかのように男を絞め殺したのだ。単に絞めているだけでなく、男の首の骨が完全に折れていた。その所為で、普通に首を吊った時のそれ以上に伸びていたのだった。


ブロブが男の首を捕らえていた触手を緩めると、その体は人形のように地面へと落ちた。それはもはやただの肉の塊だった。


男の亡骸を見下ろしたマリーベルは悟った。


「ああこれ、私が殺したことになるやつだ……そっか、私、殺人犯になるんだ……じゃあもう、ここにはいられないな……」


彼女はそう呟きながらゆっくりと立ち上がり、とん、と塀を蹴って外側へと身を躍らせた。人間社会を見捨てたのだ。


そんな彼女を、ブロブが受け止めていた。傷だらけで血まみれの彼女の体を包み込むが、何故か呑み込もうとはしなかった。


「あんたに名前を付けたげる。あんたの名前はヌラッカよ……どっかの少数民族の言葉で<悪魔>っていう意味。私をこんなにしたあんたには相応しい名前でしょ……」


目を瞑ったまま語り掛けるマリーベルを乗せたまま、ブロブは森の中へと消えていったのだった。



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