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僕が勇者になった理由  作者: そめみ
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第1章 閉じ込められた碧の記憶(5)

 シルキの住む世界のことや学校であったことを話していると、あっという間に時が過ぎてしまうのはいつものことだ。買ってきたチョコレートが包み紙だけになり、コーラも飲み切ってペットボトルが空になってしまったところで、夕方の五時を知らせる鐘の音が響いた。

 奏多は慌てて立ち上がると、シルキに別れを告げ公園を後にした。来た時と同じように自転車に跨る。来た時と違うのは、帰りは下り坂だからペダルを漕がなくていいことだ。

 下り坂でスピードを上げた勢いのまま、夕食の材料を買うためにスーパーを目指した。

 白石家の夕食は、奏多が作っている。

 母と子の二人暮らしで、昼間は仕事で忙しく日によっては残業で帰りが遅くなる理彩の手助けになればと思って料理を始めてみたのだが、やってみると予想外に面白かった。

 一方、自分でやり始めてみたら、理彩の作る料理が大雑把なものであることに気付いてしまった。奏多だって、食べるなら美味しいものを食べたい。そういうわけで、夕食は奏多が作ることを理彩に申し出たのは一年前のことだ。

 夕方のスーパーは買い物客で混み合っていた。駐輪場は自転車で溢れ、レジの前には長蛇の列ができていた。奏多は手に持ったかごに必要な食材を放り込んでいった。

 普段の買い物は週末に理彩がまとめ買いしてくれているのだが、週の半ばになると足りない食材が出始めるため、そういう時は今日のように奏多が買い物に来ている。

 精肉コーナーで特売品の豚肉を見ていると、同級生の母親と思われる女性に声をかけられた。長話しに付き合わされそうになり、曖昧に笑って答えると奏多は早々に退散した。

 買い物袋を自転車のかごに入れ、ペダルを漕ぎ、家路を急ぐ。自転車を漕ぎながら、スーパーで話しかけてきた女性が誰の母親なのかを思い出して、明日学校に行ったら文句言ってやると心に決めた。

 家に着き、買い物袋をキッチンに置く。出かける前に洗っておいた食器を片づけ、冷蔵庫と買い物袋から必要な野菜を取り出して洗った。時計を見ると既に六時近くになっている。いつもより遅くなってしまったが、ここ数日は理彩も残業が続いて帰りが遅いので、のんびり作っていても大丈夫だろう。

 そう高を括って食事の支度をしていると、予想していたよりもずっと早い時間に玄関の鍵が開く音が聞こえた。驚いた奏多が玄関を覗くと、理彩がパンプスを脱いでいる。

「おかえり。今日早くない?」

「ただいま。ようやく一区切りついたからね。あ、良い匂い。煮物かな」

 理彩は言いながらリビングまで来ると、カウンターキッチンの中を覗いた。肩にかけていた鞄を下ろすと、理彩は奏多を振り返った。

「まだ作ってる途中?手伝うことある?」

「いや、もうすぐ出来るしいいよ。着替えてくれば?」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 理彩はにこりと笑うと、下ろした鞄を持ち上げてリビングを横切り、自室へと向かった。

 長い栗色の髪をまとめる髪飾りが、リビングの照明を受けてきらきらと光る。黒のベースに理彩の好きな色である青いラインストーンがグラデーションを作って並ぶ髪止めは、理彩の今一番のお気に入りであり、先月の母の日に奏多が贈ったものである。

 贈ったものを喜んで使ってもらえるのは嬉しいが、同時に照れくさくもあり、奏多は髪止めから視線を逸らした。

 炊飯器が電子音を鳴らし、米が炊き上がったことを知らせる。鍋の中の煮物もちょうどいい具合に仕上がった。奏多が食器を取り出し、料理をよそっていると部屋着に着替えた理彩が戻ってきた。

 二人で食卓に向かい合わせに座り、奏多の学校でのことを話しながら夕食を摂った。ただし奏多は若菜とのことは話さなかった。理彩の性格を考えれば、昼間のシルキと同じようにからかってくることは容易に想像できたからだ。

 夕食後は久しぶりに理彩が早く帰ってきたこともあって、二人でレースゲームをして遊んだ。ゲームが得意な奏多に、不器用な理彩が勝てるはずもないのだが、理彩が大人気なくむきになって挑んでくるので二人で何戦もしてはしゃいだ。

 真剣な眼差しでテレビ画面を睨む理彩は、夕方のスーパーで会った同級生の母親よりも一回りは若い。実際の年齢自体が小学生の子供がいるにしては年若いのだが、顔立ちも年齢より若く見られることが多いため、奏多と二人で出かけると年の離れた姉弟によく間違われる。

 白石家に父親はいない。奏多と理彩の二人だけだ。父親のことを奏多は何も知らない。小さい頃は父親がいないことで、からかわれることもあったし、それが原因で同級生らと喧嘩をしたことも数えきれないほどある。

 理彩に訊ねてみたことも、もちろんある。自分の父親は何故いないのかと。しかし奏多に父親のことを訊ねられた理彩は、悲しそうな笑顔を浮かべるだけで何も答えをくれなかった。

 その理由を奏多が知ったのは、小学生になってからだ。理彩は奏多の質問に答えなかったのではなく、答えられなかったのだ。理彩自身も奏多の父親が誰か知らなかったからである。理彩は奏多を産んだ頃の約一年間の記憶を失っているのだった。

 奏多はちらりと隣に座る理彩の横顔を見遣った。テレビ画面を真剣な顔で睨みつけるように見つめる理彩の横顔は楽しげだ。

 二人きりの生活の中で、理彩が笑顔を絶やさないようにしてきたことを奏多は知っている。それが奏多のためであることも知っている。そして若い母親が一人で子供を育てることが大変なことだということを知らないほど、もう子供じゃない。

 だからこそ奏多は、ずっと心に決めていたことがあった。

 理彩の助けとなり、理彩の笑顔を守ること。そして、そのために強くなること。

 まだ幼い頃にやり方を誤ってしまったこともあったし、今の自分も未熟であることは十分に承知している。だけど想いが揺らいだことは決してなかった。

「奏多、どうかした?」

 声を掛けられて、物思いに耽っていたことに気付いた。テレビ画面を見ると、奏多の操るカートはコースから脱線して止まったままで、理彩の操るカートがゴールゲートをくぐっていた。

「遅くなっちゃったし、そろそろお風呂沸かそうか」

 理彩は笑って奏多の頭を軽く叩くように撫でると、立ちあがってリビングから出ようとした。

「母さん」

 奏多が呼び止めると理彩は振り返り、問いかけるように小首を傾げた。

「あー……今のなかったことにして、もう一回!」

 人差し指を立ててねだる奏多に理彩は「しょうがないな」と言って苦笑した。踵を返し戻ってくると、ソファに座り直して再びコントローラーを握る。

「あと一回だけよ。遅くまで遊んで、また明日寝坊しちゃっても知らないからね」

 奏多は今度こそは集中しようとコントローラーを握り直した。テレビの画面上で、カウントダウンの数字がゼロになった。

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