無糖蜂蜜
それは余りにも唐突だった。日曜の午前10時頃。彼氏から急に話があると呼び出され、駅前の時計台に向かっていた。そろそろ結婚の話とかかなぁ~それともなんだろうなぁ~と浮かれていた。
しかし、そんな淡い期待を描いていた10分前の私をぶん殴りたくなるような告白がそこには待ち受けていたのだった。
「別れよう」
私は耳を疑った。またいつもの軽い冗談でしょ?と信じたかったし願ってはいた。けれどそこにあったのは、いつになく真面目でまっすぐな、誠実な目をした私の恋人、いや、もはや恋人"だった"彼の顔があった。
「どうして?」
すると彼はばつの悪そうな表情をして答えてくれた。
「他に好きな人ができたんだ」
その言葉を聞いて私はふ~んとしか言えなかった。そして彼との最後の会話はあっさりと、そして唐突にふってきた。
「じゃあな。まこ」
家に帰った私はベットに顔を埋めて精一杯叫んでやった。どうして今さらなの?もうすぐ5年目だよ!二十歳に付き合いはじめてここまで順調に来たのにどうして!?そりゃ喧嘩もあったけれど、なんとか乗り切ってきたじゃない‼そもそもこの歳で振るなんて酷くない!?お互い職場にも慣れ始めてきて、そろそろ結婚とかしたいなぁ~とか思ってたのに私のライフプランどうしてくれるのよ!?子ども産む時期だって遅らせないといけないじゃん!
彼の前では驚きの方が勝っていたせいで吐き出せなかった心の底を思い切り吐いてやった。
"これで三人目。長くは続くんだけどもう一歩進みたいのに進めない。そんな恋を繰り返してきた。私は彼と釣り合わなかったのだろうか……"
なんて恋をしてきた訳じゃない。そんな少女マンガとかシンデレラみたいな展開を望まずに、ちゃんと地に足のついた現実的な恋をしていた。相手の顔はそこそこで妥協したし、年収だって、私が稼げばいいと割りきって性格のよい一途な人を選んだ。
「なのにこんな結果ってなんなのよ…… 」
私は心のうちをベットに吐き出した後、いつもの美容院に行って長かった髪をバッサリと切り(ついでにいつもしてもらう人に一通り愚痴をこぼし)、お酒とおつまみを帰りに買い占めた。ついでに短い髪に合うような可愛いヘアピンもあったからついでに買った。
再び家に帰ってきたとき私は一人でいることを思い出した。部屋には彼とのツーショットや彼からのプレゼントがあり、それを見るたびに私は元彼のことを思い出さずにはいられなかった。
そんな感傷にしばらく浸っていたけれど、だからといって別れてしまった彼が帰ってくるわけでもないと気付き、私は買ってきたお酒とおつまみをあけた。
気が付いたら辺りは暗くなり、夜になっていた。そうとう飲んだらしい。テーブルの上には空き缶が積み上げられていた。おつまみもなん袋か空になっていて、カロリーのことを思ったらゾッとしたが、今日ばかりは仕方がない、と勝手に開き直っていた。
私はカーテンをしめた。もう一度飲み直そうか、片付けてベットで寝ようか迷っていたら、ふとヘアピン目があった。そういえば買ったんだったなぁと思い出し、せっかくなのでつけてみることにした。うん。思いの外似合ってるじゃないか。中学の頃からずっと長い髪をシュシュで束ねるスタイルだったから久しぶりのショートだったぶん、ヘアピンも新鮮に思えた。
「さて、やっぱり一度片付けるか」
と思って立ち上がり、ふぅと息を吐いたときだった。ヘアピンが熱を帯び、光を放ち始めたのだ。正確には正面にあった鏡を見たら、ヘアピンの部分が光っていたのだ。あまりの突然の出来事で私は戸惑い何もすることが出来ず、ただただ鏡を眺めていた。光はどんどん強くなり、目を開けられないほどになり思わず私は目をつむった。
"ストン"
何かがテーブルの上に落ちた。私は恐る恐る目を開き、そこにいた何かを認識し、同時にその落ちたものから話しかけられた。
「やぁ。こんばんは。まお」
喋った。テーブルの上に落ちてきた"それ"は私に話しかけた。"それ"は猫のような見た目で魔法使いのような姿で、、、けっこう可愛かった。
私はとりあえずその猫に尋ねた。
「あなたは誰?」
すると猫はあっさりと答えてくれた。
「僕かい?妖精だけどどうかした?」
何が「どうかした?」だ。普通どうかするだろう。だっていきなり妖精と言われても信じる訳がない。
「じゃあ魔法とか使ってみてよ」
「やだよ~めんどくさい。それにこっちの世界で使うのは原則禁止なんだ」
めんどくさいってなによ!と言いたかったが、そもそも喋っている猫である時点で別世界から来たんだろうなぁということに気付き、それ以上追求しなかった。
「ところで何をしに来たの?」
「君の願いを叶えるために来たんだよ~だってあんまりにも不憫だったから」
最後の一言余分ではないだろうか。私はそんなことを思いつつ、前半の一言にスゴく食いついていた。
「どんな願いでも叶えてくれるの?」
「うーんそういう訳ではないけど」
「けど?」
「君を妖精の世界につれていくことはできるよ」
「行くわ」
即決だった。単純に他のことにのめり込んで今日現実であったことから逃れたかったのだ。
「やっぱりね。振られた直後だから異世界にでも現実逃避したいよね」
「なんで別れたこと知ってるの!?」
「逆に聞くけど僕が知らないと思った?妖精の僕が」
「うう……」
そう言われると弱い。
「さて。説明も終わったし行こうか。まお」
「ずっと言いたかったけど私は"まこ"ですから!」
そんな説明をし終えたらいなや、私と妖精は光に包み込まれた。
ガタガタガタガタ……
揺れに気づいて目を開くと、私は座っていて、周りは真っ暗であることに気付いた。まもなくして目が暗闇に慣れてくると、私は馬車に乗っていて、目の前には何故かスーツ姿のイケメンがいた。
「やぁやっと目を覚ましたかい?」
「失礼ですが、どなたですか?後、ここはどこですか?」
「やだなぁ~僕だよ僕。妖精だよ。それでここは僕の世界。君からすると異世界ってやつだね」
しれっと、さも当然かのように言ってきた。まぁ私が行くことを望んだのだが。
「この後私達はどうなるの?」
「王宮に行くよー。君にはそこで司書の見習いをやってもらう。その代わりに、王宮での衣食住は保証されるよ」
王宮!なんという心地よき響きだろう。大学時代一人でフランス旅行に行ったが、まさかあの時憧れていた生活を自分が体験出来るなんて。異世界に来て良かった‼
「それじゃあもうしばらくしたら王宮に着くから、その時起こしてあげるからそれまで眠ってていいよ~」
私はその言葉に甘えて、もう一度瞳を閉じ、暗闇に潜っていった。
再び目が覚めたとき、私は目の前の光景を見て感動した。
10人が両手を広げても届かないだろうほどの広い門。綺麗に整えられ、100メートルはありそうな建物までの道。そして何より、いつの日か少女マンガで見たような真っ白なお城。異世界に来て正解だった‼と、一目見ただけで思えるほど立派な宮殿だった。
「じゃあここからは司書の先生に任せるね。」
「うん」
「あ、ただしひとつだけ注意点があるよ。絶対にここの人に寝ている姿をみられてはいけないから。絶対だよ」
「ハイハイ」
まだ宮殿に感動していた私は、忠告をテキトーに返事をした。
妖精がいなくなった後私は司書の仕事をみっちり叩き込まれた。しかし、思ったほど悪い仕事ではなく、むしろ前にいた世界の仕事と比べればとても面白いものだった。流石異世界と言ったところだろうか、魔法についての専門書などが盛りだくさんでついつい仕事をすっぽかして読みふけってしまい何度か上司に怒られたこともあった。
そんな生活をしているうちに段々仕事に慣れてきて、一年が経った。そして私はついに見習いから正式な司書となった。そして正式な司書としての初仕事は意外な内容だった。
「よし。じゃあ新人さんの教育係は貴女に任せるわ」
そう。新しい見習い司書の教育係だったのだ。
私としては何をすればいいのか分からず、とりあえず優しそうな人だといいなぁ~とひたすら願っていた。
月日はそう長く私を待ってはくれず、見習いさんと出会うときがやってきた。
見習いさんの初見印象はカッコいい。だった。やったぜ‼
話してみると物腰も柔らかで話しやすかった。趣味や好きな音楽など共通することも多く、打ち解けるのに時間は要しなかった。そうして仕事だけでなくプライベートでも仲良くなっていき、私はその見習いさんと付き合うことになり、とんとん拍子で話は進み、結婚の話もしだした。その時の私は彼に完全に心を許し、また逆もそうだろうと、何があってもそうだろうと思っていた。
しかし
唐突に
別れはやってきたのだ。
私はつい、
妖精との約束を破り、
彼と一緒に寝てしまったのだ。
「ま、魔女だったのか。騙していたのか」
目が覚めると隣で寝ていたはずの彼は私から遠ざかり、顔面蒼白で、まるで悪魔を見ているような表情となった。
私は何がなんだかわからず、彼にこう尋ねた。
「私のこと好きよね?」
「ふざけるな…貴様など貴様など、消え去ってしまえ」
そう言って彼は部屋から立ち去ってしまった。
私はまだ現実を、彼の言葉を、彼の私を見る目を信じられず、恐る恐る鏡をみた。
するとそこには、いかにも性格の悪そうな、老けた、醜い魔女の顔があった。絶望した私は髪をかきむしり、ベットの上で暴れ転げ回った。その時ヘアピンが落ちた。元はと言えば、このヘアピンなんて買わなければ……
そしてどこからか声が聞こえてきた。
「やぁ、見事に約束を破ってくれたようだね。約束を破るとどうなるかは、まぁ、見ての通りだ。君は醜い魔女の姿となり、この世界から迫害される。」
そこから先はあまり覚えていない。容赦なく罵声が浴びせられ、逃げるのに手一杯で、そして、彼ともう一度会うことはなく私は元の世界に帰った。
月日はあっという間に過ぎた。あの時の非日常と比べれば、余りにも退屈な日々だった。
ある日会社でおかしな噂を聞いた。
「ねぇ知ってる?近くの公園で毎日ヘアピンの持ち主を探しているおじさんがいるんだって。警察にも届けずにあくまで自分で見つけたいらしいよ。後ね、すんごいその人ブサイクなんだって」
私はそんなにブサイクというのならどれ程のものだろうと思って見に行った。
噂通りそこには醜い男がいた。
しかし。
その姿は彼の本来の姿ではないと思った。何故だろう。わかりはしない。けれども……
私は気付くとそのヘアピンを自分でつけてみた。すると男はこういった。
「君はあの時の魔女かい?」
私は驚いた。なぜその事を知っているのか。そしてなぜ私だとわかったのか。
「そうよ」
「私はあの時のことをずっと謝りたかった。容姿に気をとられ、肝心なことを忘れていた。僕は君が好きだった。いや、好きだ。例えどんな姿になっても君は君なのだから。私はは後悔していたんだ。そしてなんとしてでもこの気持ちを伝えようとこちらの世界に来る方法をずっと探していた。まぁお陰で方法が見つかったときには年老いてしまってみたままなのだがな」
次の瞬間私は彼に抱きついていた。公園に人がいることもお構いなしに、恥ずかしげもなく、、、それは彼への気持ちの現れなのだから。
「んーー」
醜い姿の私を見てもなお愛してくれる彼を、どうして醜くなっただけで嫌いに慣れるだろうか。私は強く強く抱きしめ祈った。
彼と一緒にいたい、と。
するとヘアピンが、私を異世界に届けてくれた、彼の届けてくれた、そして何より彼と会わせてくれた、ぎゅうっと思い出の詰まったヘアピンが暖かな光を放ち、私達を包み込んだ。
蜂蜜色の夢の中。




