【考古学】〝ピラミッド〟建設の理由
世界四大文明の一つ、
それがナイル川周辺に生まれた「エジプト文明」です。
このエジプト文明の象徴とも言える建造物が、
「ピラミッド」です。
石材で精緻に築かれた
巨大な三角形の物体は、
川から少し離れた高台に、いくつも連なって鎮座しています。
一体、誰が、何のために造ったのでしょうか。
この疑問はこれまで、
「王が民を奴隷として扱い、自分の墓を建てさせたのだ」
という、ヘロドトスの説をもって信じられてきました。
しかし、新たな発見により、
今や、それは完全に覆されたといっていいでしょう。
なんと、王の墓の傍から、
多くの労働者を埋葬した墓が見つかったのです。
これは、民を奴隷化していたなら、破格の扱いであり、
まず有り得ないことです。
さらに、その他にも、
葬儀を取り仕切っていたとされる神官、「カイ」が記した碑文には、
このような文面が残されていました。
『人々(ひとびと)にビールとパンを支払い、彼らを喜ばすことを保証する』
これは最早、奴隷に対する扱いではなく、
労働者が、ピラミッド建設に対して自発的に契約関係を結び、
確固たる保障のもと、働いていたことを意味します。
この他にも、ピラミッド製作が強制的なものでなかった理由を指し示す証拠品が
多数発掘されています。
とはいっても、ピラミッドを建築することは、誰の目から見ても容易なことではありません。
予想を超えた何千何万という人数を必要としたはずです。
なぜ、そこまでして人々は集い、ピラミッドを造り上げる必要があったのでしょうか。
それは、この地の気候が深く関係していました。
ナイル川付近に根を張る、この文明は、
普段は川の恩恵により、農作物を育てて生計を立てていましたが、
エジプトは、雨季と乾季の差が激しいため、
大雨で川が氾濫し、
農地を巻き込む大洪水が、度々(たびたび)起こっていたのです。
そのため、多くの民が、この時期、一気に職を失い、行き場を失くしてしまう事態に陥っていたに違いありません。
ピラミッド建設は、その解決策として、編み出された、
いわば、国が溢れた人員の生活を保障する「公共事業」だったのではないかと推測されているのです。
これは、ピラミッドが当初、王の墓という目的だけで造られたわけではない、という事も当時に暗示します。
それを裏付けるかのように、
「スネフェル」という名の王が5つもピラミッドを持っていたなど、
一人の王に対し、複数のピラミッドが建てられていた例があることもまた、立証されています。