予兆
怒るつもりだった。まだ調べ続けようとする茜を止めたくて。それなのに、出た声は弱々しい声。睨んだ瞳は力なく光っている。
しくじったと、蓮は思った。こんな声を出すつもりはなかったし、どんな顔をしているかなんて自分では分からないが、きっと情けない顔をしていることは容易に理解できた。だからあの時、ごめんと聞こえたことが信じられなかった。あんな情けない姿を見せたのに。怒れなかったのに。なにより、茜でさへ意味が理解できていないのにかかわらず、その言葉が出てきていることが、信じられない。
でも一番信じられないのは、
目が合った瞬間の、自分の熱。
きっとこの熱は午前中に浴びた日の光のせいだ。そうに違いない。今日はいつもよりも暑かった。だから夜でもまだ暑いんだ。そうだ。そうに違いない。
・・・・・・いや、そんなわけないだろ。いまは秋だ。いくら暑かろうと、夜まで熱が残るはずがない。この熱はそんなところから来るモノじゃない。でわ、この熱はなんだ。
と、そんな自問自答を何度か繰り返しながら蓮はベットに身体を沈めた。手は未だ熱を離していない。
「あついな・・・・」
腕で視界を覆う。窓から入るすきま風が心地いい。月の光で照らされる自室が気持ちを落ち着かせていく。今日は満月だ。茜もこの月を眺めているのだろうか、ふとそんなことを考える。
考えて。また熱が温度を上げた気がした。
「やっべ、風邪かな。熱かもしんねーし、もう寝るか。」
明日もまだ暑かったらどうするか。薄れていく思考のなかで蓮は思う。
そんな懸念は無意味に終わる。
茜の予想通り、噂は一晩のうちに広まった。昨日の西階段の踊り場で見掛けた先輩が原因だろう。たった一日で幽霊説だけになった。正直、驚きだ。さすがの茜もここまでは想像できなかったのだろう。顔が呆れている。
怪談の話しが広まるにつれて、もう一つ噂が流れた。川嶋涼子は霊に呪われて殺されたと、そんな噂が。そのせいでか、いまは西階段を使う者は少なくなった。
そんななか、茜と蓮の二人は怪談について調べていた。学校に広まったおかげか、そのせいでか、情報は昨日とは違いすぐに集まっていく。少しずつ異なる怪談の内容。可笑しなずれ。共通点。最後に行き着いたのが、七不思議。これが怪談の出発点であり、蓮がお兄さんに聞いた話の根源にあたる。
「七不思議なんてこの学校にあったの?」
学校の歴史が詰まった資料室の中。茜が一冊の資料本を手にして蓮にも見えるように少しずらす。十年そこらの資料本。七不思議について調べた資料。
「これ、学生が調べてたんか。あー、兄貴が話してたのもこれかもな。」
昔兄貴が教えてくれた。鏡と少女の怪談。いじめられた少女が、傷ついた自分の身体を鏡に映し続けた話。忘れることを許さない、少女の怪談。
「ここに載ってるのってさ、いままで聞いてきたのとまた違うね。」
「俺が知ってるのはこれと同じだ。」
いままで聞いてきた怪談。それは、死人や少女が鏡に映ると言った話しから、鏡に映った人は死ぬ、呪われるなどがあった。
「つまりこれが本来の怪談。これから、少しずつズレていったのかな。」
「それで?なに考えてんだよ。本当に幽霊の仕業なんて思ってもないんだろ。」
蓮に言われて茜はまた、あの笑顔で笑った。怖いぐらいの、興奮した笑顔。違うのは自分の感情だけ。
あの日。日常が日常でなくなった日。あのとき感じてたのは"心配"だった。今あるのは、
心配ではない、たしかな"喜び"の感情だった。