矛盾の答え
いじめられた少女は鏡を見る。傷だらけの自分の身体。
次の日少女は消えてしまった。忘れるな。一言の書き置き残して。
二日後少女は鏡に映る。帰ってきたと教師は安堵した。
三日後少女は鏡に映る。未だ家に帰らない。
四日後少女は鏡に映る。変わらない表情。消えない傷跡。
五日後少女は遺体で発見された。
六日後少女は鏡で嗤う。
川嶋涼子が鏡に映った。彼女がそう語ってくれた。蓮が鏡を調べても、何もない。彼女を校門まで送る。
「どう思う?」
遠ざかる背中を見ながら蓮が言う。茜は何も答えない。背中が完全に見えなくなったところで、茜が口を開いた。
「戻るよ。」
一言だけ。
説明はしなかった。一言だけで全て伝わることを茜は知っている。蓮も何も聞かない。その言葉にどれだけの内容が含まれていても、汲み取る自信があったから。人はこれを"信頼"と名付けた。
校舎に戻ってから、再び残っている人に聞き込んだ。偶然か必然か。話が聞けなかったのが嘘かのように、目撃情報を集めることが出来た。
一つを除いて、話の内容はどれも似たり寄ったりだ。鏡に映ったのを見たという人。階段の踊り場ですれ違った気がする人。様々だったが、共通して西階段でみかけていた。二人が駆けつけた場所も西階段だった。
空は日が落ち、赤くなる。
血に染まった空は皮肉にも、とても綺麗な色をしていた。
「本当だと思うか。さっきの話し。」
「どうだろうね。私は初めて聞いた。」
さっきの話し。目撃情報とは異なった、新しい情報。馬鹿げた、興味深い話し。
「俺は・・・少しだけあるな」
どこにでもあるようでない
「兄貴が昔、話してくれた。」
怪談話。
「そっか、蓮のお兄さんここのOBだったね。」
「ああ。それで似たような話を聞いた覚えがある。」
蓮のお兄さんがこの学校に居たのは六年前。きっとその頃は怖い話しなどが流行っていたのだ。今とは違い、みんなが知り、伝えられていった。しかし、それは次第に薄れていく。知る人は減り、伝えられなくなった。
それがいまに至る。知る人はごく僅か。信じるだけのものもない。だから話しは広まらず、自分は知らないのだと茜は思った。
「本当に幽霊の仕業ってことはないよな。知ってる人だって・・・・・」
「いない?でもさっきの人は知っていた。それに矛盾した目撃情報まである。」
人に語られなくなったモノは身を潜める。消えはしない。潜めるだけだ。そうして残っていく。だからこそ、知っている人は僅かだろうといまもいる。
それが矛盾の始まりだった。
霊となって、と言い出した人は詳しくはなくてもこの怪談を知っていたのだろう。生きている、と語った人は知らなかった人だ。そう考えれば矛盾も説明がつく。そうして矛盾は消えて、一つになる。
「矛盾の理由は分かった。けど、このままいくと幽霊説だけになるね。」
「信じるのか?」
「そういうわけじゃない。でも、こういった話しはすぐに広まる。視た人がいるとなるとなおのことね。」
そう言いながら、波紋のようだと茜は思った。池に石を落とせばそこを中心に波が立つように。学校という池に、怪談という名の石が落とされ、波が立つ。それは三年生を中心に、池全体に広がっていく。二つの石が落とされたなら、より大きな石の波が小さい石の波をかき消して、一つになる。
波は広がり続ける。少しずつ、確実に。いまこの瞬間も、広がっている。
「暗くなってきたし、今日はここまでにしてそろそろ帰るか。」
蓮の言葉で空をみた。闇が赤を浸食しはじめている。逢魔時と呼ばれる時間。
「怪談話にちょうどいい時間だね。」
「まだ、調べるのか。」
「・・・・・・・・いや、帰ろう。さっきの怪談についても明日、一応だけど調べてみようか。」
なるべく笑顔で茜は答えた。
間があったのは迷ったからじゃない。蓮の声が、視線が、茜は怖かった。怒気の含まれた声だったわけでも、射貫くように睨む視線だったわけでもない。むしろ、声は辛そうで、視線から感じ取れたのは苦しみと・・・哀れみだった。それが茜は理由もなく怖かった。
「ごめんね。」
謝った理由はやっぱり分からなかった。それでも、自然と口からこぼれ落ちた。蓮は何も言わない。怖くて見られなかった顔を、勇気を出して茜は見る。目が合う。永遠の数秒が流れた。心臓が早くなる。茜の顔はさっきの夕日と同じ色をしていた。
それからは一言も話さなかった。顔の熱はまだ冷めない。