侵入
薄暗い小屋の中、頬を伝う涙を拭うことも出来ずに、ただただ身体を震わせる少女の姿が目の前にあった。いくらその存在の根源が、伝説の龍であっても、見た目も中身もただの子供ということか。
そう結論付けると、少し指を動かした。それだけで、窓も締めきってあるはずの部屋に小さな風が吹く。
その風を肌で感じた少女は、一瞬身体をビクつかせて、更に一滴の涙を落とした。しゃくりあげる声が部屋の中に響く。
彼女をここに連れてきてから、もう十五時間近く経っている。その間、一切拘束を緩めることなく、食事を与えることもなかった。初めは、何か食べさせた方が良いかとも考えた。しかし何故そこまでする必要がある。
俺にとってこいつはただのエサなんだ。いちいちエサにエサを与えることもあるまい。
人間、多少食事を抜いたくらいでは死なないだろう。それにどうせ、食べ物なんて喉を通らない。
ん、こいつらは人間ではなかったか? まぁそんなことはどうでもいい。
あとは待つだけ。
獲物がエサに食いつくのを。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
それとも、両方か。
目の前にそびえるは、閉ざされた鉄の門。鎖と南京錠で完全に封鎖されたそれは、来る者を当たり前のように拒絶していた。
ここが、山への入り口だった場所だ。ここまでは少し階段を上ってくる必要があったので、バイクは下に停めてきてある。
しかし、この先に進もうにも当然門の鍵なんてものは持っていないし、別の場所から入ろうにも、生い茂る草木が行く手を阻む。
「九鬼くん、ここからどうするつもり?」
「どうしますか……」
門の上には、有刺鉄線が張り巡らされていて、無理にでもよじ登ったら、ただでは済まないだろう。
「こんな時こそ衣隠さんが必要なんだが」
肝心な時に使えない人だ。やはり、すこし寄り道してでも拾っていった方が良かったかな。
「でも、もし予想通りにお酒飲んでいたら、まだアルコール抜けてないわよね。」
どちらにしろ駄目だったのか。バイクに三人は乗れないし。この事件が無事に解決したら、あの人には禁酒をさせようと心に決める。
なんて、いない人の愚痴を言うのは程々にしておこう。そうでなくとも急がなくてはならないのだから。
こうなったら、強行突破でいくか。それが手っ取り早いし、他の策を考える時間もない。
顎に手を当てて考えている鳴鹿を尻目に、一度バイクまで戻ってソレを取ってくる。
階段を駆け上がり、門の前まで帰ってきた途端怒られた。
「ちょっと九鬼くん! 急に消えないでよ!」
いくら考え事をしていたからって、人が離れていくことに気づかないのはどうかと思うがな。別に忍び足で移動したわけでもないし、空を飛んだわけでもない。
というか、そんなに怒らなくても。なんだ、沸点が低くなったか?
とは言わずに一応謝る。
「はいはい、わるぅござんした」
「またそうやって適当に……って、それ何?」
よかった、危うく説教が始まるところで、意識を逸らすことができた。
鳴鹿が反応したのは、僕が手に持っているもの。バイクから取ってきたものだ。
「別に、大したものじゃないよ。――ただの棒」
「ぼう……?」
「棒」
見た目は、どこかの廃工場に落ちていそうな鉄製の普通の棒であり、中身も普通の棒だ。
長さは七十センチほどで、太さは直径四センチくらいか。中は空洞になっている。
普通の棒とは、そのままの意味であり、先端が細くなっているわけでもないし、中から何かが飛び出る仕掛けもない。
「そんなもの、どこから持ってきたのよ」
「バイクに常備してんだよ。いざって時のためにな」
そう。これは乗ってきたバイクのサイドに取り付けておいたもので、素人目には部品の一部に見えるようになっている。
「また物騒なものを持ち歩いているのね」
「別にこれを持って歩いているわけじゃないぞ。走ってるんだ」
「そういう余計なことはいいから。それで、そんなものを持ち出してどうするつもり?」
やれやれ、相変わらず簡単にあしらってくれるよ。
鳴鹿の僕へ対する扱いに嘆息しながら、門の前まで行って棒を振りかぶる。そしてそのまま、
「まさ「ガキィィン!」」
鳴鹿が何かを言い終える前に振り下ろした。
何の躊躇いもなく。
「ちょっと! まっ!」
もう一度。もう一度。もう何度も。
「ストップよ‼」
後ろから肩を掴まれるまで、ただひたすらに破壊作業を繰り返した。
「何考えているの!」
鎖に取り付けられていた南京錠は、すっかり壊れていて、手でガチャガチャといじると簡単に外すことができた。支えを失った鎖が、音を立てて地面へと落ちる。
門に手をかけて少し力を入れると、なにごともなく開いた。
「ほら」
「ほらじゃないっ。貴方がしているのは、器物損壊よ」
「お前は本当に堅い奴だな。今はそんなことを言っている場合じゃないだろうに」
「それでもいきなりすることないでしょ! なんなのよもう。突然消えたと思ったら、変なもの持ってくるし、錠は壊すし」
少しイライラし始めているようだ。
「どうせ言ったところで、止められるのは目に見えていたんだ。そうなったら黙ってやるしかないだろ」
周りを見渡して、誰もいないことを確認しながらそう言う。さすがに、ここまでのことを静かに行うことはできないので、注意を払わなければ。奴にでも気づかれたら面倒である。
返事がないことを不思議に思ってというか、何も言い返してこないので不安に感じて振り返ると。
ものすごく睨まれていた。
オーラが出てるよお姉さん。
「わかったわかった悪かった。次にこういうことする時は一声かけるから。それとこの鍵をやったのも、うまいこと天狗のせいにするから」
これ以上ここで足止めをされるわけにはいかない。しかも味方に。無理やりにでも会話を終わらせて先へ進もう。
彼女はまだジト目で僕を見てくる。
「ちゃんとなすりつけなさいよね」
それはいいんだ。
眼前に迫る枝を、右腕の一振り、棒を左右に振る動きだけで払いのける。この動作を一体何度繰り返したことか。
山の中に入った僕たちは、思っていたよりも手間取っていた。入口よりも多くの草木が生えていて、かつて道だった場所はすっかり埋もれてしまっている。
背の高い木に生い茂る葉っぱが、太陽からの光を少しさえぎる。今はまだ午前中だから心配はいらないけれど、このまま陽が落ち始めたら、歩くのも困難になるだろう。
そして、さっきまで大学にいて、山へ行くなんて考えもしなかったのだから当然なのだが、いかんせん服が軽装過ぎる。別に、登山なんて大それたことをしているわけではないのだから、大丈夫だろうと舐めていた。
しかし普段と違う道を歩くのは、道とは言えないような、強いて言うなら獣道を歩くのは、なかなか大変なものがある。
僕たちはその出生上、普通の人よりも身体能力は高めであるのだが、それでもこんなところをぴょんぴょんと飛び回るようなことはできないのだ。
歩きづらい獣道を歩けば、それは疲れる。
靴だって普通のスニーカーだし。
さらにもう一つ、なかなか捜索を進められない原因があった。それは、
「く、九鬼くん。今そこで音がしなかった?」
左腕にくっついているコイツである。
「知らん、気のせいだ」
鳴鹿のやつ、こんなキャラじゃなかっただろ。もっと一貫性を持たせろよ。
彼女は門が開いた後も、さっきの調子でなんやかんやと言いがかりをつけてきた。僕としてはさっさと行きたかったし、その気持ちは彼女も持っていたようである。
ただ、準備をしたかったそうだ。
だからあの場で話をしようとしてきた。
準備。心の準備。
要するに、彼女は怖かったのだ。
この山が。




