終息
「とはいえ今ここで君たちと事を構えようなどとは思っていないさ。今回はスーパーバイザーとしてこちら側に立っているだけ、下手な詮索もしないでくれよ」
言いながら、少年は地面に倒れ伏した青年と少女を軽々と抱きかかえる。勿論、英雄の一族の秘宝である、天羽々斬も忘れずにだ。
「そのまま、この町からでていってくれるとうれしいのだけど」
「ははっ、つれないこと言うなよ、近々また遊びにくるからさ。それより、そこのおねーさんをどうにかしたら? 血の流しすぎで死んじゃうよ」
フードの奥にあるであろう瞳を向けられ、背筋がざわつく。つられて少女――断乃狛が私の方を一瞬だけ見た。
それで十分だったようだ。
再び顔を前に戻した時には、もう少年の姿はなかった。霧か、夢のように掻き消えて、痕跡一つ残っていない。もし夢だとしたら、とんだ悪夢のような存在だったが。
とはいえ、危機は去ったと見ていいだろう。
同時に、この戦闘も終了を迎えた。
結果だけ見れば私は敗北に等しい。
しかしそれでも生きている。ならば、やることをやらなければならないだろう。何故なら、まだ戦っている人がいるのだから。
「みくさん?」
掛けられた声は慈愛に満ちていて、見上げれば年相応の、しかし私を安心させるような柔和な表情が覗いていた。
しかし私に認識できたのはそこまでだった。
肉体を切り刻まれ、流れ出た血液が私の意識を刈り取る。
狛への感謝も、問いかけも出来ぬまま、私は再びアスファルトへ身を投げることとなった。
次に目を覚ますと、そこは見知らぬ天井――ではなかった。知っている天井だ。自宅ではないが、何度か来た覚えがある。
そうして横になったまま、自分の体の状態を確かめる。少し違和感があり、ダルさを感じるものの、想像していた痛みはなかった。
ゆっくりと慎重に上体を起こし、ぺたぺたと全身を触る。そのまま両の腕を見てみるも、どこにも傷はなかった。大小問わず、あれだけ全身に刻まれた刀傷は、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
そういえば、着ている服も変わっている。ぼろぼろにされた普段着ではなく、簡素な浴衣のようだ。その服装に合うように、現在私が寝かされていた部屋も和室だった。
十畳ほどの広さの、畳敷きの部屋に布団が一つ。私の前と後ろ、対面した二方は壁になっていて、片側には床の間と達筆な文字の掛け軸が掛かっている。左側は襖になっており、更に部屋が続いているようだ。その反対側は障子貼りの引き戸、うっすらと見える向こう側には廊下がある。
時刻は夕方だろうか。
本来であれば目に刺さるような鮮やかなオレンジ色は、障子の白と混ざりあって私の身体を優しく染め上げる。
そのままぼんやりと淡い光を眺めながら、気を失う寸前の記憶を探る。
脳裏に浮かんだのは、案内人の少女の体越しに突き刺された鈍色の刀身。英雄の青年の歪んだ笑顔。戦う意思とは裏腹に言うことを聞かない身体。数多の傷を受けても立ち上がると決めた覚悟に、それでも打ちのめされた現実。
やがて降り出す雨と、そして幼い少女の背中。
そして唐突に時間は巻き戻り、瞑った瞼の裏側には真っ赤な世界が広がっていた。
自分の血ではない。
夫の、愛する人の血が、部屋を染め上げている。
その情景が頭の中に鮮明に蘇り、落ち着きかけていた精神が再び暴れだしそうになるのを自覚していた。自覚はしていたが、到底抑えられるものではない。
実際、自らの意思とは関係なく、気付けばその場に立ち上がろうとしていた。しかしすんでのところで留まる。というよりも、足の踏ん張りがきかず立ち上がれなかったのだ。
カクンと膝の力が抜けバランスを崩すも、布団に手をつく形でなんとか倒れるのだけは堪えることができた。
「――無理をしては駄目ですよ」
その静穏な声音は、私の左側、襖があった方から聞こえてきた。布団の上に座り込んだまま顔だけをそちらに向けると、いつの間にか襖は開かれていて、和装の女性が畳の上に正座をしていた。
いくら感情に揺さぶられてたとはいえ、しかし声を掛けられるまで全く気付かなかったのには驚いた。
我ながら周りが見えてなさすぎる。
敷居のこちら側に座りながら、ゆっくりと襖を閉める姿をじっと見やる。落ち着いた雰囲気と、無駄のない所作、楚々とした仕草は見ているこちらの気持ちをも穏やかにさせるものがあった。
「驚かせないでくださいな、紅葉さん」
布団に座り直し、和装の女性がこちらに向き直るのを確認して声をかける。
見知った顔だ。
以前この家に来た時も、この女性――紅葉さんが相手をしてくれたのを覚えている。
それは彼女も同じなようで、
「お久しぶりです、未朽様。このような形での再会となってしまったことは、大変心苦しく思っておりますが」
そう言葉を返してくれる。
「いいえ、自業自得ですからね。……それより」
「事情は把握しております。事の顛末も」
熱くなりかけた私の言葉を遮り、紅葉さんは落ち着けるように、ゆっくりと一つひとつの言葉を噛みしめながら伝えようとしてくれるのが感じ取れた。
その声音からなんとなくの答えは想像できるけれど、それでも逸る思いは堪えられない。
無意識のうちに前のめりになる私を微笑で受け止め、彼女は静かに話し始めた。




