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天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第二章 伝説殺しの英雄
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小夜時雨

 青年はもったいぶるかのごとく、私の周りを円を描くように歩く。いつでも殺せると言わんばかりの余裕の表れか。

 だが、それをはねのけられるほどの力が残っていないのもまた確かだった。蓄積された疲労や痛みが、全身を襲っているのがわかる。

 自覚してしまっている。

 自覚はしているものの、しかし納得はしない。

 諦めはしない。

 動けと念じる、身体を叱咤する。

 動け、動け動け動け。

 あっという間に土砂降りとなった空。地面を打つ雨が、流れ出た血と混ざって溶けていく。視界が歪んでいるのは、傷のせいか、雨のせいか、それとも。

 青年は小さく笑っていた。しかしその声は届かない。

 言葉による反撃も、恐らく適わないだろう。だがそれがなんだ。それならば、この拳でわからせるまで。

 そう思う意思とは別に、肉体の方はまったくもって反応を示さないという状況に、どうしても焦りを感じてしまう。心と体を繋ぐ糸が、バッサリと断ち切られてしまったかのようだ。

 焦れば焦るほど、戦況は悪い方へ転がっていく。それはわかっている。可能な限り、余裕を保って臨んでこそ、戦闘に幅が出るのだろうと、そう思っていた。


 それは油断じゃないのかい?


 声が聞こえる。

 土砂降りの中、聞こえるはずのない声が。

 誰だと問うも、私の口からは掠れた空気だけが吐かれて消えた。


 冷静に現実を見ろ、ここから何ができる。


 私は冷静だよ。

 だからこそ、反撃の手を探しているんだ。

 探そうという、考えが残っている。


 違うね。


 何が違うってんだい。

 諦めさえしなければ、活路は見出せる。

 そう信じている。


 違う。あんたは諦めていないフリをしているだけさ。心の奥ではわかっているくせに、それを隠しているだけ。


 ……。

 …………。


 図星なんだろう?


 そんなことはない。

 そんなはずはない。

 私は。

 私は――。

 


 目の前に立たれるまで、その存在を認識することができなかった。それほどまでに、自己の精神との問答が、葛藤が、心を埋め尽くしていたということなのだろうか。

 怒りは、憎しみは、もはや抑えられるものではなく、体中から溢れ出してしまいそうなのに。

 それとは対照的に、肉体は静かで冷たいままだった。

 指先一つ、動かない。

 眼前で振り上げられた英雄の一族の秘剣、天羽々斬は、それだけは降りしきる雨の中でもはっきりと見て取れた。

 あと数秒でその鋒が、刀身が、私の肉体の中をやすやすと通り過ぎ、そして命の糸を容赦なく断ち切るだろう。

 だとしても。

 たとえそうだとしても。

 最後まで足掻いてやろうじゃないか。

 目に宿っている光は決して消さない。

 焼けるような心の炎は絶えない。

 ありとあらゆる感情をその視線に乗せて、青年を睨みつける。

 そして――――。

 空に小さな声が灯った。

 二人には決して聞き取れない距離から、しかし確かな意思と力を持った声。


「――――」


 瞬間、降り続いていた雨が意思を持ったかのようにうねり、動き出し、未朽の目の前で集まり始めた。

 瞬く間に薄い膜と化した雨粒の集合体は、今まさに振り下ろされた天羽々斬の一撃を難なく受け止めたのだった。

 ともすれば紙よりも薄く、手でなぞるだけでも弾けてしまいそうなほど、脆くやわそうな見た目とは裏腹に、青年の手には思いもよらない衝撃が走る。

 本能が、これは破れないと、そう言っているかのようだ。

「っんだぁ!」

 突如現れた正体不明の盾に、動揺を隠せず、声が出てしまう青年。

 眼前に座り込む、満身創痍の蛇が、こんな芸当をやってのけるはずもない。そもそも、彼女の能力はこの刀が封じていて、そこに疑いの余地はないはずだ。

 彼女自身、青年と同様に驚きの表情を浮かべていることからも、能力封印の効果が切れていないと示している。

 だとするならば。

 真っ先に考え付くのは、第三者の介入だ。

 そんなわけはないと、疑惑を捨てられないまま、周囲を見渡す。

 しかし夜闇の中、僅かな街灯を頼りに視界に入るのは、未だ倒れ伏したままの櫛田少女だけだ。

 それ以外に人がいる気配は感じられない。

「だれだぁ! どこにいやがる!」

 誰かがいる、ということを決めつけ、そう怒鳴り散らす青年を、しかし蛇沢未朽はもはや見ていなかった。

 彼女の視線の先は、眼前の青年でも、数メートル先の少女でもなかった。

 空だ。

 降り注ぐ雨などもはや気にならないほど、上空に佇むその存在に目を奪われていた。

「そんな……どうしてなんだい」

 思わず口をついて出たその言葉には、驚きと、少しの安堵と、そして隠し切れない焦燥の色が含まれていた。

 もちろんその人物の顔までは見えない。そんな距離にはいない。

 上空数百メートルに浮かんでいて、何とか、人の形をしているというくらいの認識しか持てないけれど、しかしそれが確かにあの子であると、そう思い至ることはできた。

 そんな呟きをを目の前で聞いた青年も、つられて上を見上げる。

 肉眼では豆粒くらいの大きさにしか捉えられない者に対し、この蛇は何故こんなにも感情を露わにしているのか。もはや、この刀のことを知った時以上の驚きを、その顔に浮かべている。

 しかしある意味ではチャンスだ。

 己の傷すらも忘れたかのように呆けた彼女を屠ることなど、これ以上なく容易いはず。そう思って再び刀を振るうも、やはり雨の塊は難なく受け止める。

 二撃三撃と続けて繰り出した攻撃すら、彼女に刃が届くことはなかった。

 それならばと一歩飛びのき、刀身を顔の高さまであげて、地面と平行になるように構える。

 ようやく相手が意識を取り戻してこちらに視線を戻す前に、地面を強く蹴った。その勢いに乗せて、引かれた腕を前に押し出す。

 渾身の突きが敵の脳天を貫くと、そう確信した。

 だが、次の瞬間。地面から勢いよくせり上がった水が、より鋭く、早く、青年の刀を弾く。目の前の雨の盾を凝視していたせいもあり、予想外の角度からの迎撃を受けて体勢を崩した。

 刀を手放さなかったことだけは、せめてもの抵抗だろう。

 自身の攻撃を事も無げに打ち捨てられ、青年は再び視線を上空に向ける。

 相手の反応を見るに、これはあいつの仕業だと、そう思っての行動だ。

 しかし手出しはできない。

 物理的に、不可能だ。

 青年は無意識的に感じていた。

 誰に教えられたわけでもなく、もちろん異能の力でもなく、一戦士の本能として。

 地を這う蛇を見守る――空を舞う龍の視線を。


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