天羽々斬
『天羽々斬』
十握剣と、そう称されることもある。
知らないわけではない。むしろ今回の相手が、かの英雄スサノオノミコトであることを知らされた段階で、いずれその名を聞くだろうとは思っていた。
伝承におけるこの刀の説明は至って簡単だ。
遥か昔、初代スサノオノミコトがヤマタノオロチと相対したときに使っていた刀。
八つ首の大蛇の化け物を、斬り殺した刀である。
そういう認知はしていた。
但し、それが戦闘に用いられる可能性は、そこまで高くないと踏んでいたのだ。言ってしまえば、対蛇特化の刀である。後世に語り継がれるような伝説の宝具だろうことを想像すれば、一若者がおいそれと手出しできるようなものではない、そう思っていた。
事実、初めて遭遇した時には持っていなかったはずだし、それについて何か明言していたわけでもない。
やはりあの角待ちの奇襲が効いた。
精神的にも、肉体的にも、能力的にも。
最初から刀を持った青年と相対していれば、ある程度の予測のもと戦闘を始めることができたはずだなんて、そんな言い訳はどうしようもなく意味がないし、卑怯だ。
家を出た時点で、罠の可能性も十分に認識していたのだ。それを踏まえたうえでここに来た。
油断の二字が脳内に浮かぶ。……勿論それもあるだろう、それに加えて、相手の策が嵌った。
そもそも夫の状態を鑑みれば、青年が刀かもしくは、それに類する武器を持っているであろうことは想像ができていた。しかしそれを天羽々斬と完全に結びつけるには、些か強引ではないかと、そう思っていたのも事実。
一度敗北を喫した青年に、力の差をありありと見せつけられた『人間』に、一族の秘宝を与えるとはどうしても思えなかった。
しかしいくら想像を重ねたところで現状が変わるわけでもない。
あの刀がただの刀であろうと、秘宝であろうと、どちらにしても初撃を躱すことはできなかった。
そして結果として、私の能力は封じられている。
それが実情であり、覆らない出来事である。
ならば、それに応じた戦い方をするまでだ。
いつまでも迷わず悩まず、切り替えるべきである。ないものはない、そう思ってやるしかないのだから。
「おーおー、やる気に満ちた目ぇしてやがんな。その顔も、いつまでできるかぁ見ものってもんだぜ」
「私を、私たちを、能力にかまけた怠け者だと思わないことさね」
「はっはぁ、別にんなこと思っちゃいねぇよ。ただ、勘違いしてんなら申し訳ねぇからよ」
勘違い?
一体何についての勘違いだというのだろうか。可能性があるとすれば、それはやはりあの刀に関することなのだろうか。
「せっかくこうして、一族の秘宝をお披露目してやってんだ、なかなか見れるもんじゃねぇんだぜ」
再び刀身を抜き放ち、鞘は腰へと掛ける。無造作に振り上げて肩に担がれたそれは、改めて見ると妖しい雰囲気を醸し出していた。
やがてゆっくりを青年は歩き出す。
私との距離を詰めるでもなく、しかし離れることなく、私を中点として円を描くように回る。
「このまま終わらせちまってもいいんだがよぉ、それじゃぁあまりにもあんたが可哀そうだからな」
「まるで自分が勝つことがわかってるみたいな言い方だね。およそ一度負けた人間のセリフとは思えないよ」
「だからそう言ってんだよ、オレが勝つってな!」
反時計回りに歩いていた青年が唐突に角度を変えて迫ってくる。
彼の足元で何かが弾けるような音が音がしたと思った瞬間、数メートルの距離があっけなく潰された。
(速い!)
これまでの――先日のものも含めて――戦闘では見せなかった速度に面を喰らってしまう。時間にしてコンマ何秒という硬直。瞬きの合間。しかしこと戦闘においては、それが命取りとなる。
姿勢を低く保ったまま迫ってくる高速の物体は、紛れもない殺意と威圧感をその身に纏っている。さらに地面すれすれに構えられているであろう刀は、しかし被せられた体によって捉えることができない。
瞬間の硬直ののち、脳が判断を行う。
回避か、迎撃か。
そんな判断をしている時点で更に出遅れていることに気付き、思わず半歩下がった。決して気が抜けていたわけではない、これ以上油断のしようもない、しかし私の足は言うことを聞かなかった。
左足を後ろに下げたとき、誰かに突かれたかのように膝が折れたのだ。不意に体勢が崩れ、左手を伸ばして転倒を回避しようとする。が、当然相手はそのチャンスを逃すまいと、より一層殺気を込めて向かってきた。容赦など微塵もない凶刃が迫る。
生死を賭けた戦いの最中で足をもつれさせるなど普段ならあり得ない。あってはならない。
混乱と疑念。
それでも、かろうじて体は自然と動いてくれた。今度こそ言うことは聞いてくれそうだ。
それとも、これまでの人生で培われた経験が、無意識化で肉体を動かしたのか。
回避と迎撃、それを同時にして見せる。
後ろに倒れこもうとする力に抗わず、むしろそのままの勢いを利用して体を反らせる。後方に左手をつけて、そこを支点として地面を蹴り上げるために、一瞬の硬直。その寸前で、青年の握っていた刀が横に薙ぐように襲い掛かってくるのを捉えた。
ぎりぎりで、間に合うか。
その場で片手でのバク転をするように、綺麗な弧を描くようイメージして、
「ぉお……らぁっ!」
直前まで低い姿勢を保っていた相手、その更に低い位置から蹴りを炸裂させる。
顎を狙って、私のつま先がうなりを上げる。
「っぐぁ!」
狙いを違わず直撃、脳が縦に揺れて相手の意識を奪うだろうと確信したその時だった。
鋭い痛みが足に走る。
振り払われていた刀は、持ち主が攻撃を受けてもなお勢いを緩めることなく、そのまま私の足を掠めたのだった。
しかしかすり傷。そう思って着地を決めたはずなのに、またしても足に力が入らない。立つことはできず、膝をついてしまう。
「どうしてだい……」
確かに胸へのダメージは軽くはない。他にも、ところどころ掠めはしたものの、直撃は避けたはずだ。
「どぉした! やけに疲れてんじゃねぇか!」
「――っ」
そして、どうして私の攻撃がクリーンヒットしたはずの相手は、こうも平気でいられる。
どうして、と誰にでもなく問いかける中、ふとつい先ほどの彼の言葉が頭に浮かぶ。
勘違い。
天羽々斬によって封じられた能力。
蛇断ちの刀。
それが意味することは――つまり。
「ようやく気付いたか! だがもうおせぇ!」
僅かな思考の合間に、青年は眼前にまで迫っていた。
彼の言う通り、既に手遅れ。
回避も迎撃も間に合わず、左肩から斜めに切り裂かれる。それは奇しくも、夫と全く同じ斬られ方。
「はぁー、はぁー」
もはや息が上がっていることも隠せない。
疲労とダメージ、そして何より、あの刀。
「もうわかったよなぁ、こいつの力が」
相変わらずの笑みを浮かべて、刀を左右に振る。纏っていた赤が飛び散り、血が地面に花を咲かせた。
「これは単に能力を封じるだけの刀じゃぁない。斬りつけた蛇の、身体能力すらも削ぎ落とす」




