表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第二章 伝説殺しの英雄
40/61

随順歩行

 自分よりも一回り以上小柄な少女の背中を見ながら、睨みながら歩く。決して遅くはない速度のはずなのだが、どうしたってイラついてしまう。何なら走ってもらいたい気持ちすらある。

 言葉に夫と娘を託し――正確には救急隊員と言葉にだが――家を後にした直後から、ずっとこのペースだ。

 最初はいくつか質問をした。いや、もはや質問というよりは、詰問に近い剣幕だったかもしれないが。

 しかし少女からの返事はない。

 空気に話しかけているのかと思ったほどである。

 いっそ手を出すことも考えた。

 その場に組み伏せ、脅し、青年の居場所を聞き出そうと、そんな考えが頭をよぎった。しかしそれを実行に移す前に、少女が唐突に振り向き抑揚のない声で言ったのだ。いくら問いかけても反応しなかったのに。

「私に拷問は、意味が、ないですよ」

 心を読まれたようなタイミング。

 グッと息が詰まる。

「そうなれば、私は、潔く、死を選ぶ」

 そのとき困るのは、貴方ですよ――と、そう締めて前を向いた。

 見た目でしか判断はできないが、およそ言葉よりも年下だろうその年齢で、何を言っているのか。そう思いかけた。

 しかし彼女の口から出ていた音には、変わらず確かな何かを感じる。そう気づいてしまえば、冗談とは取れなかった。

 やがて歩き出した彼女に続き、私はまた歩を進める。

 

 先の少女の発言から少し時間が経った。

 未だに目的地に着く様子はない。

「どこに向かっているのかくらいは、教えてほしいものだけどね」

 ぼそっと、どこか嫌みのようになってしまった言葉が口をついて出る。言い終わってから、そう自覚した。

 怒涛の展開に我ながら動揺しているのかもしれないし、身内が傷つけられたことで脳が平静を保てていないのかもしれない。

 それはもちろん、何の心構えもなくあんな現場を目の当たりにしてしまえば、気が動転してしまったとしても責められないだろう。

 ただ、あの場での対応が間違っていたとは思わない。出来る限りのことはしたつもりだ。

 しかし普段は飄々としているつもりでも、彼ら彼女らに大人ぶっていても、こうなってしまうのかと、自分に嫌気がさす。

 言葉にあんな表情も見せてしまった。

 あれでは、今頃不安に思っていることだろう。人生の先輩としては、少しばかり情けないだろうか。

 それならば、無事に家に帰ってあげることが何よりかもしれない。もちろんこれは自分の家族にだって言えることであって、五体満足で帰り、そして二人を抱きしてあげたい。

 そして夫とは、またきちんと話をしなければならないのだ。結婚に至る前、私の家のことや立場、どういう人生なのかは説明をしてある。彼も納得したうえでの婚約だった。

 しかしだからと言って、今回のことが良しとはならない。

 私は説明するだけでなく、それらを踏まえて、守るという責任もあったのだから。

 こんな世界に巻き込んでしまった、責任が。

 ちゃんと謝ろう。

 きっと彼は優しく微笑んで、大丈夫だよと言ってくれるかもしれない。でもそうじゃない、そういうことではない。許すとか許されないとかではなく、謝罪はしなければ。

 なあなあの関係ではないのだ。

 私たちは大人なのだから。

 そうやってかわいい若者のことや、愛すべき家族のことを考えるようにして、僅かながら冷静になれた。

 そう、僅かに。

 ふつふつと、今にも噴き出しそうなこの怒りをどうにか抑え込んでいるという現状に、変わりはない。

 落ちかけている太陽の赤さが、どうにも染みる。普段夕焼けなど気にすることなんてないのに、何故こんな時ばかり視界に入ってくるのだろう。少しばかり目が眩む。

 その色味だけで、あのリビングの惨状を思い出してしまう。

 忘れようという想いと、忘れてはいけないという怒りがせめぎあって、ぐちゃぐちゃと頭の中をかき回していく。

 それでも決して褪せない憤怒だけが、心のど真ん中に鎮座していた。

 家を出てどれくらい歩いただろうか。正確な体内時計など持ち合わせていないが、もう二十分ほどは経っていると思う。つまりそれだけの時間、歩き続けているのだ。

 既に見知った街並みはなく、むしろ市街地とは逆方向へと進んでいる。普段の生活の中ではあまり立ち寄らない場所であり、家の数も心なしか減っているように感じる。

 そういう場所なのか、出歩いている人も見かけない。

 一人も。

 そんなことがあるだろうか?

 日も落ちかけた土曜日の夕刻。買い物帰りの主婦や、散歩をしている人がいても何らおかしくない。

 そういえばこの子と歩き始めてから、誰かとすれ違っただろうか。それどころか、この目で見ただろうか。

 感情的になって視野が狭くなっていたことは認める。それはあるだろう。

 だが、それでも……。

 ささやかな疑問点から、何か重要な事柄へと繋がるその一歩手前、しかしすんでのところで私の思考は遮られた。

「蛇沢、未朽さん。貴方は、彼のこと、恨んでいるでしょうか」

 あまりにも唐突な質問。

 こちらからいくら問いかけても何一つ反応しなかった少女が、前触れなく言葉を投げかけてくる。そのささやかな衝撃に、私の疑問は脳の片隅で緩やかに消失していった。

 そして内容もさることながら、ここで彼女の言った「彼」という代名詞が、あの英雄の青年を指しているのは間違いないだろう。

 私とこの少女との接点など、それ以外にないのだから。

 それはつまり、今回の事件の犯人があの青年であることは、確定事項なわけだ。

 いやさ、元からそうだと思っていたからこそ付いてきたわけだが、しかしそんなことを言っても百パーセント決まってはいなかった。

 もちろん、事ここに至ってもそうであるとは言えないにしろ、しかし決定的ではある。躊躇わずに済む。

 わずかな動揺から立ち直った私は、少し間をおいて返す。

「恨んでいるさ。……ここで奇を衒った返しができるほど、私は冷静じゃあいられないね」

 正直に、応える。

 全て本心だ。

 恨んでいるし、殺したいほど憎んでいる。

 殺すためにここにいる。

 そしてその気持ちを隠せるほど、落ち着いてもいられない。言葉にしようとすればするほど、この感情が溢れ出してしまいそうだった。

「だったら、どうだって言うんだい」

 せっかく向こうから会話を切り出してくれたのだ。チャンスではある。どういう心境の変化にしろ、今まで黙りこくっていた彼女が話をしてくれるというのであれば、解消しておきたい疑問はいくつもある。

 まず手始めに、先ほどの質問の意図を問う。

 もちろん、返答しないという可能性も、半分くらいは考えているが。

 しかし少女――櫛田否穂は、意外にもすぐに応えた。

「いえ。ただの、確認です」

 確認?

 何の確認だというのだろうか。

 私の意思だとでも言うのか。

 質問をしたはずなのに、返事が返ってきたのに、むしろ疑問点は増えた。

 応えはされたが、答えは得られなかった。

 この期に及んで私がどう思っているのかを知る必要などないだろうに。

 彼にも事情があるのだから、どうか許してくれませんか――と続けてくれれば、展開としてはわかる。

 たとえ言われたところで、現時点では許すつもりなど毛頭ないが。しかし話は繋がる。

 どうしたってこの少女の考えていることがわからない、意図が見えない。いつも触れ合っている若い子たち――言葉や菊秋――と比べてみても、年はそう離れていないはずなのに、この子とはどこか噛み合わない。

 いや、会って二言三言の会話しかしていないこの少女の何を知っているのかと言われればそれまでだが、しかし、ここまで通じ合わないのか。

 考えがわからないどころではない。

 心が通じない。

 意思はあるはずのに、それが何かは、伝わらない。

 怒りで埋め尽くされた私の中に、僅かな困惑の色が重なった。

 

 普段の蛇沢未朽という人間であれば、このような少女相手にもめげずに接しただろう。コミュニケーションを図っただろう。

 しかし今、この場においては、彼女は普段の精神状態ではなかったし、少女もただの少女ではなかった。

 家族を傷つけた明確な敵が目の前にいる。

 それなのに手を出すことはできない。

 恐らく少女を殺すことは容易いだろう。

 しかしそうしてしまえば、主犯へと辿る道しるべを失うことになりかねない。

 零れそうな激憤を抑えるだけでも精いっぱいなのに。いっぱいいっぱいなのに。

 そうした感情の乱れ、苛立ちは更なる怒りに変貌し彼女を内側から侵す。もはや冷静ではないことなど、本人でも気づいているだろう。しかし、正気を保てているかどうかまでは、わからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ