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天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第二章 伝説殺しの英雄
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急転直下

 雲一つない青空を視界に入れながら、私は言葉と別れ帰路につく。もちろんくだんの和菓子屋に寄ることは忘れずに、だ。彼との遭遇は予想外というか予定外だったけれど、しかし話せてよかったと思う。あの年頃は悩みも多かろう、その悩みの種の一つになっていないことを祈るが。

 力になれるとは言わない。そんなに単純な話でもなかろう。ただリフレッシュでもしてくれればと思う。

 そして私に関して言えば、あの若さを見ていると、こちらも少し若返ったような気分になれるのだ。その分、別れた後の現実感もひとしおだが。

 現実感なんて言葉を遣うのもどうなのだろう。はた目から見れば、私たちのいる世界に現実など感じ取れないかもしれない。

 昨今のフィクションよろしく、異能力をもってして、きったはったの大騒ぎをしているのだから。そこだけ見れば、切り取ればそうかもしれないが、しかし、私にも普通の生活はあるのだ。

 魔法少女が、正体を隠して日常を送るように。

 ただ、魔法少女のように、普通の生活に憧れることはなかった。憧れを持たずとも、私は普通の幸せを手に入れているのだから。

「ただいま」

 玄関を開けてそう言ったものの、しかし中からの返答はなかった。父娘そろって昼寝でもしているのだろうか、だとしたら是非私もまぜてほしいところである。

 そんな想像は、そんな平凡な幸せは、リビングへ通ずる扉を開けたと同時に脆くも瓦解した。

 確かに夫はリビングの絨毯の上で伏せていた。娘もその隣で目を閉じていた。

 絨毯の上で。

 真っ赤に染まった絨毯の上で。

「――っ」

 床を踏み割らんばかりの勢いで駆け寄る。絨毯の上に広がる赤は、夫の胸あたりから出ているようだった。うつ伏せになった彼を抱き起し、声をかけるも反応がない。

 力なく垂れ下がった腕と、血の気が失せて真っ白になった夫の顔を、泣きそうになりながら、それでも目を離せない。

 瞬間、全身の血が沸騰したかのように体中が熱を帯び、食いしばった歯が唇を容易く裂く。ブチ切れそうになるこの感情を、それでも心の奥底に叩きつけるようにして抑え込む。

 今はそうじゃない。その時じゃない。

 落ち着け、冷静に。冷静にだ。

 何度も何度も言い聞かせ、優先事項を頭の中で組み立てる。手順を間違えるな。すべきことをはき違えるな。

 何を置いても家族の命が優先される。

サッと顔を上げれば、リビングの南側、庭に面している方角の窓ガラスが派手に割られていた。それこそ素足で踏み込めば、ただでは済まないほどの惨状。

 玄関から入る時は気付かなかったが、どうやら犯人はここから侵入したようだ。そして再びそこを通り、外界へと逃げた。

 こんなことになれば、相当な音が響いただろう。夫も叫び声を上げたかもしれない。そうなれば、近隣の住民が通報している可能性だってある。しかしそれでもサイレンが近づいている気配はなかった。帰宅している途中でも、目の端にも映らなかった。

 何かおかしい。

 普通じゃない。

 ただ、二人を見つけたときはわからなかったが、どうやら娘の方に外傷はないようだ。夫の流した血の海に横たわっていたので、近くで確認しないことには判断できなかった。

 ただそれでも事態は急を要する。

 血まみれになった手をポケットの中に突っ込み、震える指でスマホを操作する。画面が赤く染まるのもお構いなしに。

 まずは救急車。

 彼を救わなければ。

 努めて冷静に、端的に情報を伝え、すぐさま通話を終える。

 こんな時に彼女がいてくれたらと、そんな考えがよぎるけれど、しかしないものねだりをしている暇などない。今私にできる最善を尽くさなければ。

 彼の左肩から右の脇腹にかけて、一直線に走る傷口。

 切り口に迷いはなく、知識のない私が見ても、振るわれたそれが名刀だと思わせる。

 まぎれもなく、表の世界の人間の手口ではなかった。そして確実に、私を標的に定めたやり方。脳裏に英雄の青年の顔が浮かぶ。

 決めつけることは出来ないが、しかしそれ以外に思い当たるふしもない。

 唯一、先日出遭ったときには彼は武器の類など持っていなかったことだけが、疑問として残る。あの敗戦をきっかけに手にしたとするならば、なんて安直なと思わずにはいられない。

 しかし事実として、目の前の惨状があるのも確かである。

 もしこれが私への精神的な攻撃とするならば、それはある種の正解だと思うし、そして不適切であるとも思う。

 効果はあった。しかしそれは逆効果とも言える。

 リビングの戸棚にあった救急箱をひっくり返し、多少手荒ながらも、止血を施す。その間も、夫の意識が戻る様子はなく、自分の額に汗が滲むのを感じた。いくら力があろうとも、敵を倒せたとしても、目の前の命を救うことすらかなわないかもしれないのは、どうしたって心にくるものがある。

 命を刈り取ることは容易くとも、その逆は歯がゆいほどに難しい。

 しかし迂闊にもほどがあった。


 一兎のときの反省を何も活かせていない


 あとは一刻も早く救急隊員が来るのを待つばかり。

 とは、ならない。

 再びスマートフォンを手に取り、目当ての人物へ声を繋ぐ。

 彼は期待を裏切ることなく、二コール目でその落ち着いた声音を返してくれた。

「もしもし。どうしました、未朽さん」

「言葉。お願い。今すぐに家に来て」


 ここで末裔最強の衣隠でもなく、この場にいたらその能力をいかんなく発揮するであろう菊秋でもなく、まして他の末裔たちでもなく、彼に電話をしたのに、そこまで重大な理由があるわけではない。

 さっき会ったから。

 これに尽きるが、今はこれが最良であった。

 まして御土のおじいさんなんてもってのほかである。

 まずは、ここに来てくれること。それが条件。

 その点、先に会っている彼は、少なからず居場所が把握できていた。どこか遠くに行っているかもしれない、何か用事あるかもしれない、そういった懸念を抱かずに済む、ロスを省いて呼ぶことが出来るからこその、人選だった。

 街中での別れ際、彼はそのまま帰ると言っていた。それが嘘でないのなら、きっとすぐに繋がるだろうと思った。

 そしてそれは間違っていなかった。

 他の面々には彼から発信してもらえばいい。

 電話での口調が思いのほかきつくなっていたせいか、詳細を語らずとも言葉はその緊急性を感じ取ってくれたようだ。

「すぐに行きます」

 それだけを言いきり、通話が途切れたのは、こちらとしてもありがたかった。一から十まで説明している余裕はない。

 時間的にも、精神的にも。

 けたたましいバイクのエンジン音が家の前で止まるまで、私は夫に声をかけ続けた。あれから娘も目を覚ますことはなく、もしやと思って改めて検分したものだが、やはり何かされた形跡はなかった。彼らに子供を気遣う心などあるはずもないと思うのだが。

「未朽さんっ」

 開けっ放しになっていた扉から、汗で頬を湿らす言葉が入り込んできた。よもや救急車よりも早く来るとは思っていなかったが、二輪の方が小回りが利くのだろうか。

 しかしありがたい。

 これでようやく奴を追える。

 彼はリビングの光景を、絶望に足る光景を目の当たりにして、息を呑んだかと思うと、一瞬で頭を切り替えたようだ。

 そして私の顔を見る。

 目と目が合う。

 きっと私は普段見せたことのないような形相をしていたのだろう。少しだけ彼の表情が固まった。

 しかし言わんとすることは伝わったようだ。

 私の決意。

 覚悟。

 言葉にせずとも、心は伝わる。

 たとえそれが負の感情でも。

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