人間気味
人間。
その言葉を聞くと、つい考えてしまうことがある。
果たして僕らもその中に入れていいのか。人類という枠組みの中に、僕たち龍の末裔は、属しているのか。
いるのかと問われたら、おそらく僕の答えはノーだろう。
何をもってして、人が人足りえているのかはおよそ二十年しか生きていない僕にはわからないけれど、しかし身体の構造から異なる僕たちは、きっと人類の枠からはみ出していることだろう。いや、構造なんて言ってみたけれど、正確にはどういうつくりなのかは自分でもよくわかっていない。しかし、普通のそれとは違うことくらい理解しているつもりだ。
こういうことを衣隠さんに聞かれでもしたら、きっと一蹴されることだろう。
比喩でなく蹴られるかもしれない。
何をバカなこと考えてるんだと、そう言われるだろう。
そう言って、くれるだろう。
彼女にとってみれば、そんなことは些細な悩みかもしれない。否、悩みとさえ捉えない。そんな次元だ。
しかし僕は考える。
この場においては、思考する。
かつて、大蛇を退けた英雄。その末裔が、ただの人間であるという、その可能性について。
「それは、本当のことなんですか」
僕は必要以上に慎重になりながら聞いたけれど、しかし未朽さんはそんな空気とは裏腹にあっけらかんとしていた。
「断言はできないって、だからさ。ただ私がそう感じたってだけの話さね」
そう言われてしまうと、取り付く島もないのだけれど。
「だからこれは、どちらかというと雑談の部類に入るのかしらね。雑談というか、脇道というか」
とりあえず、続けるね。
そう仕切り直してから、未朽さんは話し始める。
「さっきのただの人間っていうのは、頭の隅にでも置いておいてちょうだいな。――それでまあ、戦闘が始まっちゃったわけよ。道のど真ん中でね。たぶん誰にも見られてないとは思う、確信は持てないけどさ」
その時のことを思い出すようにしながら、それでもスラスラと、一つの物語を朗読するかのように話し続ける。
「いかな私でも、さすがに目の前で殺意むき出しにして襲い掛かってくる若者を相手にしながら、オーディエンスがいるかどうかまで気を配ることはできないさ」
さっきはいきなり殴りかかってきたその若者を軽々と避けたなんて言っていたくせに。実際はちゃんと周りも見えていただろう。しかし大体が、民間人をオーディエンスと言わないでほしい。それだとむしろ、見られたがっているように聞こえるではないか。
ただ、本当に誰にも見られていないのかは気になるところではある。あくまでも一般人として生活している以上、面倒ごとは避けたいし。それに、御土のじいさんのように俗世を離れてはおらず、ましてや家族がいる身となれば人間一人に見られるだけでも大変な事態だろう。今の時代、どんな媒体に記録されるかわかったものではない。
僕らは、結界なんて便利な能力を持っていないのだから。
普通に視界に入るし、記憶に残る。
そんなわけで、街中での戦闘は必要以上に敏感にならざるを得ないわけだ。
街中の戦闘というか、戦闘自体、そんなにないけれど。
「きっと大丈夫よ。一般人には見られていないはず、それに衣隠みたいに炎が出るわけでもなし。はた目から見たら、暴漢を返り討ちにする主婦としか捉えられないさ」
それはそれでニュースにでも取り上げられそうな事案だが。
「それでまぁ、始まったは始まったんだけど。でもやっぱり、今考えてもその子はただの人間としか思えない。特別な力があるとも感じなかった。隠している様子も、ましてや手を抜いている素振りもなかったね」
殺意をむき出しに、と言っていたのだから、確かにそれで手を抜くとも考えられない。大体手加減する理由がない。
向こうはこちらを殺したいだけなのだから。
「普通の人間、しかも男とは言え若いヤツなら、そりゃあ未朽さんが負けるとは思えないですね……」
「でしょ。だから適当にあしらって、心折って返したんだけど」
だから不思議なのさ、と未朽さんは続ける。
「いくら憎しみに駆られていると言っても、だからといってあの子を差し向ける理由が、利点があるとは思えないのさね。私みたいな奴が相手じゃなきゃ、きっと容赦なく殺されていた。そんな子」
「英雄の一族は、何か考えがあったのでしょうか」
「どうだろうねぇ。彼らは本当に、あの若者で十分だと思ったのか、それとも」
「それとも……?」
「――あの若者が邪魔だったのか」
言って、静かに息を吐く。
僕は息を呑んだ。
それはつまり、死なせるために送り込んだということなのか。能力のない若者を、戦力にならない子供を、ただ殺すために。
殺させるために。
「だとすると、このままで終わりそうもないわね」
「それは、どういうことですか」
「捨て石には捨て石なりの役目があるのよ」
憶測の域を出ないにも関わらず、捨て石と言い切ってしまう未朽さんに、少しビビる。
しかし、捨て石の役目。ただ殺されるのを待つ、サンドバッグのような存在に、意味を持たせるなら。
「偵察してたやつが、いるんですかね」
「そう思ってた方がいいかもしれないね。なにせ一族にしてみれば彼は死ぬ予定だったんだ。死人に口なし。そいつが情報を持って帰れないと考えていたのなら、別に見張っておく必要がある」
オーディエンス、がいたのかね。
まさに聴衆だ。聴取と言った方がいいかもしれないが。この場合は、聞いたんじゃなくて見ていたんだろうけれど。いや、聴取というならば、その言葉こそ当たりかもしれない。
なにせ今回の場合、戦った本人が生きているのだ。未朽さんの情報を得たいのならば、その若者から聞き出すのが手っ取り早いだろう。未朽さんのご厚意で生かされた、英雄の若者に。
「だとしたら、やっぱり生かさないでおくのが正しかったのかしらね」
もし偵察していたやつがいるのであればどのみち情報は得られてしまっているが、しかし若者をここで消しておけば、少なくとも体験談を聞かせることはできなくなる。
だとしても。
「言葉なら、どうする?」
未朽さんは真っ直ぐな目で僕を見ていた。濁りなきその瞳に、思わず黙り込んでしまう。この場合、どう答えるのが正解かなんてわからないし、さらに言えば、自分の中で何が本音なのかもまだ決まっていなかった。
あとあとのことを考えるならば、やはり生かさないでおくのが正解なのかもしれない。少なくとも、そういうことができる者である、という印象だけは与えられる。甘さを持たず、然るべき対処のできる者だと。
それは理屈ではわかる。でも、後味がいいとは決して言えない。繰り返していけば、いずれ慣れるかもしれないけれど、そんなことに慣れたくはなかった。
「僕は、殺せないと、思います」
そう、結論付けた。
「ふぅん。殺せない……ね」
いいと思うよ、人間味があって。
そう言って、未朽さんは微笑んだ。
殺さないではなく、殺せない。
本音かどうかはさておいて、これは事実だろう。僕にはその覚悟がない。
「未朽さんはどうなんですか。もし、このことがわかっていたら。その英雄を、殺していましたか……?」
この質問はもしかしたらするべきではなかったかもしれない。でも聞かずにはいられなかった。同じ末裔として、同じ異端として。
そして何より、命を生んだ、母として。
「私は――」




