自信家嬢
「す、少しなら」
「え、いいの! ありがとっ」
更に上機嫌になって僕の食べかけの和菓子に手を伸ばす。向かいの席から器用に切り分けて上品に口に運んだ。
「こっちも美味しいのね! いやぁ言葉はセンスあるな」
「それほどでもないです、よ」
「もう一口もーらいっ」
いっそのことお皿ごと渡してしまおうかとも思ったけれど、なんかペースにのまれるのが嫌だったので未朽さんが口に入れた隙に僕も手を付ける。
「もう本題に入りたいんですが」
「まったく、人がその硬さをほぐそうとしてたのに、真面目なんだから」
「そういうのは衣隠さんだけでいいですってば」
「あー、衣隠か。あの子は確かにこういうことしそうだわね。軽いって言うか、ゆる……くはないか」
「いずれにしろ、後輩って立場だと困らされることも多いですよ」
今までのありとあらゆる思い出、それも苦い思い出ばかりが頭の中を巡る。はて、苦くないものなどあっただろうか。
「あの子なら、たとえ先輩後輩じゃなくとも色々と迷惑をかけそうよね。言葉には」
「やめてくださいよ、そうなっちゃったら本当に大変なことになります……」
さらっと恐ろしいことを言わないでほしい。しかしこんな会話をしていることが本人に知れたらどうなるか分かったもんじゃないな。こわいこわい。
「じゃ、話して」
「はい?」
「いやいや、本題」
「切り替えが急すぎますよ…………」
「はっはっは。その方がいいんだろ?」
「まぁそうですが。んん、では」
「はい」
「先日、御土のじいさんがうちに来まして――――」
そこから少し真面目な話が続いた。前の木曜日、自宅アパート前の駐車場でじいさんに聞いた話を出来るだけ事細かく、臨場感が伝わるように。
僕のこの内に秘めるかすかな不安も、伝わるように。
未朽さんは終始静かに聞いていてくれて、たまに質問を投げかけるくらいだった。久散さんにも聞こえていただろうが、彼は口を挟むことなく最後までこちらには背を向けていた。それは龍の末裔に関することに、おいそれと手を出せないということだろうか。
蛇沢家の長女はあくまでも未朽さんであって久散さんは婿として迎え入れられたのだ。もちろん最低限の知識と、負うべきリスクは知らされているだろう。しかし実際的な問題に対しては簡単に入り込むことは出来ない。
こちとら人外なのだから。
「なるほど、ね」
一通り話を聞き終えた未朽さんは少し考え込むような姿勢と顔をしてそう言った。何か思うところがあるのだろうか。僕の一抹の不安が、話に余計な肉付けをしてしまったのかもしれない。出来るだけ客観的に話そうとは心掛けていたのだが、それでも話が進むにつれて自分なりの考えとか、思いとかが上乗せされた可能性はあるだろうな。
なので本人に聞いてみる。
「どう思いましたか」
「ん? どうって、何がさ」
僕の問いに対して、パッと顔をあげてそう聞き返してきた。
「いや、感想というか、仮にも未朽さんは狙われているわけですし」
「ふふっ、仮ってわけじゃあないみたいだけれどね。でもそうね……」
そこでまた何かを考えるように顎に手を当てる。思っていたよりも反応は薄く、もう少し何かリアクションがあるものと想像していた。慌てふためく未朽さんを見られるとは勿論思っていなかったけれど、しかしそれにしても薄い。やっぱり僕の想像が悪すぎただけで、今回の話はそこまで危機感を覚えるようなことではないのかもしれない。
「確かにその英雄の一族は脅威だと思う。楼さんが言うんだから、大蛇側が全滅させられたということも事実だろうね」
未朽さんは静かに口を開くとそう切り出した。その言葉には感情を滲ませず、ただ単にあったことだけを淡々と述べているようでもある。僕はそれを黙って聞く。
「あの人のことだ、私たちに渡す情報に嘘偽りを混ぜてくるとも考えられないしね。十中の十で言葉が聞いた情報は正しいとみていいだろうさ」
「そこは、はい。特に疑っていません」
「そして問題の若者か。何かそいつに関することは聞いていないの? 例えば容姿とか、特徴みたいな」
「それはわかりません……単に僕が聞きそびれたっていうのもあるんでしょうけれど、向こうがそれを開示してこなかったのは、じいさんもその人に関して詳しいことまでは知らないからだと思います」
「ま、そういうことだわね。しかしそうなると私たちが持っている情報は、どこかの、この場合は英雄の一族の、誰かがこの私を狙っているということ」
「だけ、ですか」
それしか知らないということは、何も知らない状況よりは確かにマシなのだろうけれど、ほとんど手の打ちようがない。相手がどんな性格で、能力で、姿かたちをしているのか、それを知って対策がうてるのだ。
こうなると一抹だった不安が少しその量を大きくする。領土を広げる。
「ふふ、どうしたの言葉、いやに不安そうな顔をするじゃないの」
「そんなに顔に出ていましたか?」
「ええ、書いてあったわね。このままではやばいんじゃないかって」
そんなに心の内を表情に出すようなタイプではないと思っていたんだが、そこはそれ、自分の思う姿と他人の感じる姿は違うということだろうか。それとも未朽さんが変化に敏感なだけかも。
「そんな顔しなさんな、私を誰だと思ってるんだい」
「誰でしょう」
「誰だと思う?」
その質問は僕に対して投げられたものではなく、彼女の後ろに立った愛する人への問いかけだった。
「龍の末裔が一人、蛇の名を冠する蛇沢家の長女、蛇沢未朽。そして俺の大事な奥さんで、この子のたった一人の母親さ」
久散さんは未朽さんの肩に手を置いて、柔らかい声でそう言った。未朽さんはなおもこちらを向いたまま、にっこりと笑う。
「情報の数が一と零では、取れる対応が全く違う。私たちは英雄の一族の誰かに狙われている、と知っているんだ。ならばそこから推測を重ねることは可能だわね」
久散さんは何か用があると言って家を出ていってしまった。リビングの絨毯に小さい布団をしいて、そこに無朽ちゃんを寝かせ、毛布を掛けた後、リビングを後にした。
「さらに言えば、まあこれは楼さんの情報の取り方にもよるだろうけれど、あの人ならばヘマはしないでしょう」
先ほども御土のじいさんの名前を出したけれど、やはり龍の末裔たちにとってあの人の情報網は、十分信頼に足るものらしい。当然僕もそう思っている。
「つまり、私たちが知っているということを、相手は知らないだろうということ」
向こうは、奇襲とは言わないまでも、いきなり襲い掛かってくると考えられる。憎悪に駆られた若者一人が、緻密な策を練り上げてこちらを陥れるとは思いにくい。思わないわけではないが、可能性の問題として低いだろう。
だからこそ、相手にも油断や、隙や、慢心がある。つけ入るところがある。
「そしてもう一つ。私たちは、相手が誰かは知らないけれど、どんな人たちかは知っている。どんな一族か、知っている」
どんな一族。
それは英雄の一族。
大蛇を退け、民を救い、歴史に名を残した。
「相手がスサノオノミコトだと言うのであれば、こちらはそれを元にして、戦い方や、能力を絞ることが出来る。勿論正解に辿り着く必要はないよ、一つ一つ、正解らしきものを挙げる。そしてそれら全てに対応策を設ければ問題ない」
すらすらと、まるで朗読でもするかのように言葉を重ねる未朽さん。そこには少しの不安も見受けられず、どころか楽しげですらあった。衣隠さんのように、あからさまに笑顔になることはないけれど、その温かみのある顔はこちらを安心させてもくれる。
「言葉が不安を拭いきれないのもわかる。ただ忘れちゃあいけない。――私は龍の末裔が一人、蛇沢未朽さ、君は?」
「僕は……龍の末裔が一人、九鬼言葉です」
普段はあまり名乗ることのないこの僕も、未朽さんの流れるような振りに対して思わず声を出してしまった。しかしそれを聞いて未朽さんは、わかっているじゃないかとばかりににこっと笑った。
「そう。君も龍の末裔。向こうが英雄だろうと何だろうと知ったこっちゃないさね、私たちは、伝説だ」




