千戦負酷
「別に、大した話じゃあないですよ」
「えー、大した話じゃあないんなら言っても問題はないわよね」
「衣隠さんの耳に入れるようなことでもないですし」
「それは私が決めることだよ?」
そのまま、ずいっと距離を詰められて思わず言葉に詰まる。
僕たちは講義室を出たあとに、近くの空き教室へ入っていた。先ほどまでいた大講義室とは違って、ここは普通の高校のような教室である。むしろ部屋の大きさ自体はこちらの方が小さいくらいで、机の数も、長いのがいくつかあるだけだ。
「はぁ、わかりましたよ。ただ本当に大したことはなかったんです、残念ながら、今回は衣隠さんの出番もなさそうですね」
そうは言ってみても、衣隠さんのニヤニヤはおさまらなかった、何がそんなに楽しいんだか。
「ふふん、普段は姿さえ見せることがないあのじいさんが、わざわざ自分から何かを言いに来たんだ。それだけでその何かを聞く価値があると、私は思うね」
最後に軽くウインクをしてき(やがっ)た。僕は色香に迷うことはないけれど、しかしそれでも、ちくしょう可愛いじゃないですか。
そして最後にもう一度溜息をついてから、僕は話し始めたのだった。
それは今から一週間前のこと、天狗の事件が解決を迎えてすぐだった。
帰路につく僕を待ち構えていたかのように、その人は姿を現した。
その人。
龍の末裔が一人、蜃の名を冠する御土家の長男、御土楼である。
御年六十六歳。衣隠さんの言う通り、なかなかその姿を見ることはない。いわゆる世捨て人というやつだ。
そんなおじいさんに、僕は住んでいるアパートの駐車場で遭遇した。そしてその場で問われたのだ。
「スサノオノミコトという存在を知っておるか?」
と。
その問いにどう答えたかと言えば、なんともぱっとしない回答であったが。
「まぁ、名前くらいは」
である。
これは別にとぼけたわけじゃあない。もちろん、かの英雄がした偉業については、一般的な知識くらいは入っている。
しかしそれだけだ。嫌な予感はするが。
「スサノオノミコト。伝説の化物であるヤマタノオロチを狩った英雄じゃな。そしてヤマタノオロチとは、言うまでもなく蛇じゃ。そうしてもって、蛇と我らが龍にも、浅からぬ因縁がある」
なんだか連想ゲームのように言葉を繋げていくけれど、この場合は決して無視できないことだった。
「まぁ、そのあたりはいいじゃろう。問題はそこではない。我々の成り立ちなど、過去の産物よ。……それより見るべきは今じゃ」
最後のセリフを少し強めに言って、僕にその今の問題を突き付けた。
「現れたぞ、スサノオが」
「スサノオ、ね」
どうだろう。最近のゲームなんかでは、こういった神話の人物がキャラクターとしてよく登場しているけれど、実際に現実として現れた時、人々はどんな反応をするのだろう。
やはりそういったゲームを嗜む若者たちは、すぐに慣れ親しんで、するするとその者たちに溶け込んでしまうのだろうか。
溶け込み。
適応して。
順応するのだろうか。
現実はゲームや漫画ほど綺麗には出来ていないし、ましてや綺麗に終わることなんてないというのに。
もっと凄惨で、もっとも残酷だ。
天狗の時が珍しかっただけである。
「それで、そいつを伝えて僕にどうしろと。言っておくけれど、その英雄退治は僕には荷が重い気がする、そういったことは衣隠さんに頼んでくださいな」
「ほほ、そんなことわかっておるわ。なあにスサノオなどと大げさに言ってみたものの、ここに現れたのはまだガキも同然。お前さんと大して変わらん歳の若輩者じゃ」
「だからって」
「じゃから慌てるな。そもそもお前さんに退治を頼みに来たわけではない、これはただの注意じゃ」
「ほほう」
少し話が変わってきた。またバトルパートに入るのかと身構えていたのだが。
「注意というのもまた違うかのう。なんせ今回狙われておるのは、あの蛇沢嬢じゃから」
なるほど、そういうことか。ならば確かに僕が対峙するまでもない、あの人ならば、大丈夫だ。しかし龍の末裔の中でも、蛇か。当然と言えば当然すぎて、疑いの余地もない。
当然も当然。かつて英雄が殺してみせたのが、その伝説級の蛇なのだから。現代に至ってもその血は争えまい。
「うむ、そこはいいじゃろう。……ただその中身は少し変わっておる」
中身?
何のことだろうか。
「スサノオの元祖、いわゆる初代スサノオノミコトじゃな。彼がやったことは、簡単に言えば人助けということになるのかのう。かの地を荒らすヤマタノオロチを、自らの力でもって討つ。まさに英雄、じゃ」
確かにその通りだ。前後の彼の生き方はどうであれ、こと対ヤマタノオロチに限れば英雄と呼ばれるにふさわしい勇猛果敢さである。
大地を荒し、人々を食い荒らし、恐怖と忌避の対象となった怪物を退けたのだ。しかしそれは今から見れば、はるか昔の出来事。
じゃあ今はどうなっているのだろうか。
「その今が、我々にも影響を及ぼしておる」
じいさんの次の言葉を、黙って待つ。もう日は完全に沈んでいて、僕たちを照らすのはくすんだ光を放つ街灯だけになった。
「初代スサノオノミコトが大蛇と戦った理由は、動機は、人助け。では殺された側は一体どうなったのじゃろうか」
殺された側も何も、殺されたらそれでおしまいだろうに。
「そうではない、現に我らの祖先である伝説の龍も、死んではいるがこうしてお前さんやわしはおるじゃろう」
それと同じじゃよ、と流浪人のじいさんはそう言った。同じということは、それはつまり、
「うむ。あの大蛇にも子孫がいたのじゃ」
てっきり初代スサノオに狩られて、それでおしまいかと思っていたのだが、しかし言われてみれば不思議なことでもなかった。知ってしまえば、何を今さら、という感じである。
「先祖を殺されたとあっては当然黙っていない。それからこの二つの一族は戦いを続けてきた。大蛇の一族は、復讐のために」
では、英雄の一族は何のために?
「そこが問題じゃ。大蛇の一族は仇を討とうと次々に戦いを仕掛ける、それに対して英雄の一族は――何もなかった。もちろん自衛のために迎え撃ちはするが、戦いに目的を見いだせないでいた」
それも仕方のないことなのか。初代が行ったことはあくまでも人助けであって、それはヤマタノオロチが人々を襲っていたから成立したのだ。しかし今やその襲われる相手が自分たちになってしまった。自分で自分を助けるなど、かつての様なモチベーションには繋がらない。
あまりに当たり前のことすぎて。
「二族の争いは、大蛇の優勢で始まった。それも当然のことじゃな。一方は理由と信念を持ち戦い、一方は自分たちが何のために戦っているのかもわからない。言うなれば、先祖の尻拭いをしているようなものか。ならばそんなもの、結果は見えていた」
しかし、ことはそれで終わらない。
「理由を持たない一族は、それを探し始めた。模索し、探索し、捜索した。そして最後には、自らの中に作り出したのじゃ」
捜索ではなく、創作。
心の中に生み出した。
「それは憎しみと呼ばれるものじゃった。それまでの戦いで英雄側とて少なくない犠牲を払っていたのじゃ。このままではいかんと思ったのじゃろう」
理由なき者が弱いというのなら、それを得るしかなかったのだろう。
たとえそれが、圧倒的に負の感情であっても。
「そこからの戦は見るに耐えんものじゃ、いや、この話も伝え聞いたものじゃから、聞くに耐えんもの、かの」
双方が憎しみだけをもって争うなど、どんな悲惨な出来事が起こるかわかったものじゃない。血が血を呼んで、洗うことも出来ない。
……ん、あれ。そういえばじいさんはさっき何と言った。
子孫が、いた?
もしもそれが単なる言葉として、何の意味も持たないのであればいいのだが。しかし話を聞いているうちにそんなことはないように思えた。彼は意図して過去形にしたのだ。
「何かを察したか? 概ね想像通りじゃろうな。スサノオの末裔たちはここ最近になってその動きをより活発にさせてきた。否、動きと言うよりも、感情じゃろうか。かつての初代の戦いから始まり、今まで大蛇の一族と何度も何度も戦ってきた。それが、幾千と続いた戦いが、ついに終わったのじゃ」
街灯に照らされてできた影が、より暗さを増したような気がする。こんなにも深い闇だっただろうか。
「もともと、英雄対大蛇では英雄が勝っていたのじゃからな。一時的に優位に立ったものの、両者が同じ想いで戦えば、同じような結果となる」
そこで言葉を区切って、じいさんは空を仰いだ。そこに広がるのも、暗い世界。はて、闇夜に浮かぶへび座は、どんな形だったかな。
「――――大蛇の一族は、先日全滅した。子孫を残す余裕もなく、じゃ」
そうそう、胴体をぶつ切りにされていたんだっけ。




