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天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第一章 兎攫いの狗
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沈殿

 明くる日、十月十五日、木曜日。

 本日も快晴で雲一つない青空である。こんな日は何か良いことがありそうで心が浮き沈みする。

「……沈みはしないか」

 木曜日の講義は二時限目からなので、いつもより遅起きであるが身体はどこか重い。寝すぎるというのもやはりよくないようだ。

 僕は大学進学と共に一人暮らしを始めたので、起こしてくれる人も朝ごはんを作ってくれる人もいない。いやまぁ高校時代から誰かに頼って朝を迎えたことはないし、朝食に至ってはここ数年食べた記憶がないのだが。

 窓を開き、少し肌寒い風を部屋に取り込む。

「そういえば快晴の定義は雲量が一以下なんだっけ」

たしか中学校の理科の授業で学んだ気がする。そして二から八が晴れで九以上が曇りなんだとか。一体いつ誰が決めたことなのかは知りようもないけれど、雲の量が八割であってもそれを晴れだと言い張るなんて、なかなかどうして良い性格をしているではないか。

 なんて益体も無いことを、寝起きの頭でぽけーっと考えながら準備を終わらせる。準備と言っても教科書や何やらは昨日のうちに鞄に詰めてあるので、歯を磨いて顔を洗って髪の毛(男にしては若干長め)を整えて服を着替えるだけ。この時間約十分ほどである。

「よし、行きますか」

時刻は九時五十五分。二時限目には余裕で間に合うだろう。住んでいるマンションからは、のんびり歩いても五分ほどで大学へと到着する。たとえ忘れ物をしても走って取りに帰ることのできる距離で、大変重宝しているのだ。ただし近いということは、その分友人たちの溜まり場になりやすいということでもあるので、自分としてはそれを避けるのに気を遣っている。

 僕はあまり部屋に人を招き入れないタイプの人間であるので、如何にして来訪を拒否するか、それも友人関係を崩さずに。今はまだ大学生活を半年しか送っていないが、これから先のことを考えると一度も部屋にあげないというのは難しいことではある。

 自分の部屋。まさにプライベートルームに他者の介入を許すというのは、その人をある程度まで信頼しているということだ。そして来客を拒否するというのは、その人の人間性を拒否しているのに近しいものがある。

 と思う。

だからこそ拒絶の言葉には気を遣うし、神経を遣う。

「信頼……ね。僕には難しいことだ」

既に通学通勤の時間は過ぎており、人のいない道をてくてくと歩いて大学へ向かう僕の言葉は、風に流されて消えていった。


 この日の最初の講義は物理学である。場所は昨日の数学と同じ大講義室。席も昨日と同じで後ろから一つ前、まだ講義が始まるまでには時間があるので人はあまりいないようだ。ちなみに僕の学部は工学部である。理由はいろいろあるけれど、今まで知らなかった分野に触れるというのは楽しいもので今のところ勉強が苦というわけではない。ただし進んでやっていこうという気にはならないので、昨日のように鳴鹿からのお説教を食らうことになるのだが。

 その彼女は、僕よりも早く登校していたようでまたしても最前列の席に座っていた。別にこちらから話しかけるよな間柄でもないので、一瞥しただけですぐに意識の外へと追いやる。

 しばらくして授業開始の十分前になると、ぞくぞくと学生たちが集まり始めて、各々席へと座る。みんな仲の良い友人たちと話をしたりレポートの見せ合いをしたりと、ほのぼのした空気を作り出している。

「おう、相変わらず早いな」

いつものように高い位置から他の学生の様子を見物していると、後ろから眠そうな声が聞こえた。

「おはよ、英」

目をこすりながら授業のギリギリに来るのもこいつにとっての相変わらずってやつだ。

「また夜更かししていたのか?」

「まあな。昨日お前に教えてもらったアニメを見てて、そのままパソコンをいじっていたら外が明るくなってた」

英は遅刻の常習犯で、毎日のように夜遅くまで起きては次の日の講義に遅刻する。今日は二時限目からなのでなんとか間に合ったようだが、朝イチの講義の出席率は壊滅的だ。

 さらに酷いときは、一時限目は寝過ごし二時限目が三十分過ぎたあたりで起床。そしてその講義は諦めて二度寝をする。さらにお昼過ぎに起きるのだが寝すぎてだるくなったのか、午後の講義も全てすっぽかすという、自主的全講義休講なるものを編み出したのだ。一年生の時からこんなことでいいのかと不安な気持ちにさせられるが、それでも前期の単位は落としてない。

 それはただ落としていないだけであって、評価は最低ラインだ。うちの大学は単位の取得に際して『秀・優・良・可・不可』のランクが設けられている。不可というのが単位を取得できなかった場合で、いわゆる落単と呼ばれるものだ。そして英はほとんどが可、たまに良といった具合である。それはまぁ当然の結果というか、この生活態度でもしも僕より成績が良かったとするなら友人関係を解消するまではいかないが、一発殴っても許されると思う。というか殴る。

 ちなみにこの成績の付け方だが、秀と優で何故秀の方が上位なのかと真面目に考えた時期があった。優秀という熟語では優の方が上にあるのに何故なのか。正直、語感が気持ち悪いので逆にしてほしいと思う。

“秀でる”と“優れる”では、確かに秀でるの方がなんとなくではあるが、頭一つ飛び出している感じがあるけれど。とその時は自分を納得させた。しかし確たる証拠があるわけでもないので今度調べようかなと思う。もしも覚えていたらの話ではあるが。

 なんてことを考えていたら教授が入ってきたのでようやく教科書とノートを取り出す。英も隣に座りスマホを取り出す。

「お前なぁ、少しは勉強するという気が起きないのか?」

「クッキーだって昨日は絵を描いてただろ」

「僕のはアレだよ。必要なところは真面目に聞いて、いらないところは省いているだけだ」

よく英にはサボっているだの言われるが、要領がいいと言ってほしい。

「俺だってそうだよ。ただ自分にとっていらない部分が多すぎるだけ。もっと興味のわくような講義をしてほしいもんだよな、教授サンには」

「やかましいわ」

一瞬同意しかけたが、ここでコイツと意思を統一させては今後の大学生活に影響が出てしまう。一度楽を覚えてしまうと、這い上がってくるのが非常に大変だからな。

「あ、ごめんクッキー。席替わってくんない?」

「なんでだよ」

「昨日充電し忘れてさ、ちょっちピンチ」

大学の講義室の壁には何ヶ所かコンセントがついていて、パソコンやスマートフォンの充電ができるようになっている。コイツはたまにこうやって席の移動を要求してくるのだ。

「充電がないなら勉強しようって発想には至らないのか……」

大体、バックの中に充電器を常備させているのもどうかと思う。

「パンがないならケーキを食べろってか?甘いな。ケーキのように甘いぜ。ショートケーキに砂糖とハチミツをかけたくらい甘い。パンがないならパンを作ればいいんだよ」

その言葉の遣い方が間違っている、があえて指摘はしない。

そして食べ物を粗末にするな。

そんなものは食べたくない。

「ほれほれ、早くせんか」

英が急かしてくるので、のんびりと席を交代する。正直一つとなりにずれただけで、講義に支障が出るわけでもないので問題はない。

充電器をつけた途端に画面に集中しだしたクズは放っておいて、意識を黒板へ向ける。教授は既に説明を始めており、慌ててペンを握ろうとした時、前の方で突然席を立った学生がいた。

というか鳴鹿だった。

大学では、教授にもよるが無断で講義室から出ても咎められることはない。いちいちトイレに行ってきますなどと報告してから行くようなことはないのだ。だから鳴鹿が席を立っても悪くはないのだが、不思議ではあった。彼女は普段から途中で抜けるような真似はしないし、何より本人がそういったことを嫌っている。よって彼女がその行動をしたということは、何かしらの問題が発生したということで、直感的にそれは僕にも無関係ではないだろうと思った。

そして事実、鳴鹿は階段を早足で上り僕の肩を軽く叩いて外へ出るように促したのだ。嫌な予感が頭の中を駆け巡り、背中に汗が滲む。英に一声かけてから鳴鹿の後に続いて、講義室の後ろの扉から廊下へと出ると、深刻そうな顔で彼女がこう言った。

「……やられた。如月さんが攫われたわ」

絞り出すような声が耳に届く。

「相手は」

不安な気持ちが伝わらないように、必死に冷静さを保ちながら問う。

「――――天狗よ」

今朝の言葉は撤回させてもらおう。

やはり心は沈んでしまった。



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