風漂被害
しっかし、このままじゃあ埒があかないよね。きくちゃんも大丈夫なんだろうけれど、一応病院には連れて行きたいし。何より、如月ちゃんのお母さんを安心させないと。
ひょいひょいと身体を動かしながら、頭は全く別のことを考えていた。というより、この後の展開の心積りをしていた。
今夜の晩ご飯は何にしようかしら。せっかくだからこと君と一杯酌み交わすのも悪くないかもねぇ。助けてあげたことを口実にすれば断ることもできないでしょうに。
ま、この子ならそんなこと言わなくてもついてきてくれるんだった。だったら普通に誘っておいて、お会計の時にこの話を持ち出そうっと。後輩にたかるのかって? 当然だよ。
場所は……いつものところでいいか。あそこなら多少安くしてくれるしね、こと君の懐も寒くならずに済むでしょう。まったく、良い先輩を持ったものだよねん。私にも私みたいな先輩がいればよかったなぁ。
あー、こんなこと考えてたらお酒飲みたくなってきちゃった。さっさと終わらせよっか。もうこれ以上遊んでても何も起こらなそうだし。っと、今如月ちゃんの方を狙おうとしたでしょ。だめだめそんなことはさせないよん。
にしても体力あるなぁこの天狗さん。さっきから結構な量を撃ってるのに、数も速度も衰えないなんて。一発も当たってないけれど。
このまま続けても無駄なことは、彼が一番分かっているはずなのに。なぁにが目的なんだか。当たってないどころか、かすりもしてないし。あ、最初の前髪の件はカットで。オフレコで。ノータッチノーコメント。
あれは私のせいじゃないもん。あっちの天狗が悪い。今頃クレームの電話が飛び交ってるよ。「なんであの天狗は、先輩後輩の仲良し談義を中断するようなことしたんだ」「もっとほのぼのした場面を見せろ」「衣隠先輩マジカッケー」って。最後の子はハグしてあげる。もっと褒めろ。
冗談はさておいて。
私を通り過ぎた風だって、小屋の壁にこそ当たりはするけれど、可愛い後輩ちゃんたちには当たってないわけだし。
そこでふと気になって、後方をチラ見する。
そしてすぐ気が付いて、天狗に向きなおる。
相手はニヤリと笑っていた。
その笑い方は私のものだ! じゃなくて。
「やばっ」
しかしもう遅かった。天狗は最後の一手を繰り出す。
「――――六甲斬」
一瞬のうちに六つの斬撃が身体目がけて飛んでくるが、少し動揺したせいでこちらも力を使って相殺させることは敵わない。覚悟したうえでそれをかわす。そして叫んだ。
「みんな小屋から逃げて‼」
今まで通り、鷹宮の身体をかすめることなく進んだ風の刃であったが、その後の展開は今まで通りとはいかなかった。
最後に放たれた六つの斬撃は、それぞれがそれぞれに小屋の角の柱部分を切断した。これまで散々傷つけらてきた壁は既にボロボロで、柱なくしてはその自重に耐えることなどできないのは一目瞭然。
つまりこれから起こるのは、崩壊である。
鷹宮はとっさに、降ってくる天井を吹き飛ばそうとするが、そこまでの威力を瞬時に出すのは厳しかった。鳴鹿に至っては、気絶中なので無防備この上ない。九鬼は鳴鹿を庇うことはできるかもしれないが、一兎までの距離があまりにも遠い。
天狗は自分の思惑通りに事が進み、予定通りにすぐさま入り口から飛び出す。身体は正面にいる鷹宮の方を向いたまま、後ろに向かって飛んだ。
鷹宮はどうするべきなのか迷ってしまった。誰の何を最優先させるのか逡巡して身体が硬直する。その少しの躊躇が命取りになる場面で、だ。
次の瞬間、強い衝撃が柔らかな肉体を襲う。
そして小屋は完全に崩れ落ちた。
天狗は後ろ向きのまま小屋を出た後、そのまま空に顔を向けて舞い上がった。高さはそれほどでもなく、小屋の屋根のあたり。今現在その屋根は跡形もなく壊れていて地面とほぼ同じ高さになっているのだが。
上空(とは言えない高さ)から見下ろして、文字通り高みの見物をしている。もちろんこれで終わったとは言わないが、ここからなら優位に戦闘を進めることができるだろう。
一挙に四人もの数を仕留められるとは幸先が良い。しかもあの鷹宮家の娘まで。あの女はこのまま放っておくと厄介だ。出張ってきたときには大物だと思っていたし、今もそう感じてはいるが、その力はこちらの想像を上回っていた。
言いたくはないが手玉に取られていたことは否定できない。
しかしここまでくればこちらのものだ。自由自在に空を移動できるこの俺と、お荷物を三つも抱えたあの娘、さすがにこの広い空間で全てを守りながら戦うのは厳しかろう。
重荷を繋がれた鷹など、もう飛ぶことはできまい。
あの瓦礫(がれ木?)のなかで動く気配を感じたら、容赦なくこの刃を打ち込んでやる。
それで終いだ。
「あちらさん、だいぶ上機嫌みたいですね。あんなにニヤニヤしちゃって、今にも高笑いに発展しそうじゃないですか。ねぇ?」
「あんにゃろう、だからその人を小ばかにしたような笑い方は私んだって言ってるだろ。今すぐ燃やし尽くしちゃろか」
「別に衣隠さんのものでもないし、やっぱりアレ、表情通りにばかにしてたんですね。内心は心配してました、みたいなこともないのか」
こそこそと木の陰から天狗を見やる影が四つある。言うまでもなく、さっきまで小屋の中にいた四人だ。
実際に天狗を見ているのはその中でも三人なのだが。
鳴鹿だけは未だに気絶中である。
「にしても、ありがとね如月ちゃん。おかげで四人とも無事に脱出できました!」
「い、いえいえ。あたしは出来ることをやっただけですし、衣隠さんのあの叫び声のおかげでもあります」
「あらそう? やっぱり私のおかげかぁ。そうだと思ってたよ」
これ以上ない社交辞令に口元をほころばせる先輩を一瞥してから、鬼と兎は顔を見合わせて少し笑う。
しかし、今こうやって全員が無事でいられるのは、まぎれもなく一兎如月のおかげであった。
小屋が崩壊する寸前。
鷹宮の叫び声をきいてハッとなった一兎はすぐに顔を九鬼の方へと向けた。一瞬目が合っただけだが、それで十分。
言葉さんになら通じているはず。
あたしたちは『眼』だけで事足りる。
そうして小さく呟いた。
「脱兎ノ如」
スゥっと自分の目が赤くなる。
そしてクラウチングスタートの姿勢から一気に足を踏み出した。
一歩目からトップスピードに加速した身体を何とか操って、左手でラリアット気味に衣隠さんを捕まえ、右手で言葉さんを捉える。
そして今は姿が見えなくなった天狗が、先ほどまでいた入り口をすり抜けて、そのまま木々の中へと突っ込む。その出来事は、常人では見ることのできない速度で行われていた。
正面に大きな木が迫っているのを見て、ギリギリのところでブレーキをかける。それでも速度を完全に落とすことはできず、顔面から激突してしまった。いたい。
あたりに衝撃音が響くが、それをかき消すかのように、背後で小屋が崩壊する音が聞こえた。どうやら間に合ったみたい。
小屋がどうなったのかを確認する前に、自分の右手を見るとそこにはぐったりとしている言葉さんと、菊秋さんがいた。
よかった。しっかりと掴んでくれてた。
言葉さんの両手は、彼女を抱きしめるようにギュっと包んでいた。その姿に少し心がざわつくのを感じる。
「わぁ、なんかイイ感じね。腹立つからさっさと起こしましょ」
あたしのそんな心中を知ってか知らずか、左側から声が飛んできた。
衣隠さんは黒い笑みを浮かべながらそう言うと、何の躊躇いもなく言葉さんの頭を叩く。
「こら、いつまで寝てんの。早く目を覚まさないと髪の毛チリチリにするわよ」
あ、この人ならやりかねない。
言葉さん逃げて!
そうして言葉さんは(衣隠さんの指に火が灯る寸前で)目を覚ました。頭をふるふると振って意識を覚醒させてから、抱きかかえたままの菊秋さんをそっと地面に横たえる。
全員無事であることに胸を撫で下ろし、一安心していたが、すぐにまだ戦いは終わっていないことを思い出す。衣隠さんと言葉さんは既に天狗の姿を捉えているようだ。
でも、これであたしも少しは役に立てたよね。




