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天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第一章 兎攫いの狗
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 ドサッ、と鳴鹿がその場に落とされた。意識を失っているのか、何一つ反応を示さない。

 見るからに、殴られた跡がある。

 僕と別れた後か、天狗に見つかってしまったのだろう。

 悔しさと不甲斐なさが体中を覆う。女の子二人がこんな目に合っていて、自分だけ未だ無傷だなんて。ぶるぶると手が震えるのは決して恐れからくるものなんかではない。

 さっきあいつに与えられた恐怖は、既にどこかへ吹き飛んだ。

 後悔も忸怩も、生まれたと思ったらあっという間に消えた。

 今ある感情は、怒りだけだ。

 と、考えることを出来たのはそこまでだった。思考を巡らす余裕も、一緒になって消えた。

 隣にいるはずの一兎の姿も、床に倒れているであろう鳴鹿の姿も、一切合切全部視界からいなくなった。

「――――――――っ‼」

声にならない叫びを上げる。身体のどこから出ているのかもわからない。

 もはや声なんてものではなく、ただの音を発しながら、唯一瞳に映る天狗をめがけて走り出す。

 天狗が右手を振り上げる。それを視認してもなお速度を落とすことはない。むしろ加速するばかりだ。

 しかしすぐに、その唯一も見えなくなった。

 目の前が真っ赤に染まる。


 

 遡ること少し前。頼れる先輩こと鷹宮衣隠は迷子になっていた。

「あるえ、おっかしーなぁ」

 一兎如月の母、躍如からの緊急連絡を受け、猛スピード(九鬼が大学からここまでかかった時間の約半分)で神鳴山へと到着した鷹宮は、山の近くで九鬼のバイクを見つけ、そのまま彼らと同じように、同じ入り口をくぐってきた。 

 がしかし彼女は、軽く迷子になっていたのである。山で迷子なのだから、それはもう遭難ということになるのか。

「きっさらっぎちゃーん。どーこでーすかー」

 敵地ということがわかっていないのか、はたまたわかったうえで大声を出しているのか、それは定かではないけれど、しかし一貫して楽観的な女性である。

 赤縁の眼鏡を、慣れた様子で整える。

「しまったなぁ、ことくんのバイクにはGPSの発信器を付けていたのに、本人にはつけてなかったか……」

 サラッと本人には言えないようなことを漏らしながら、木々の間を歩く。

「最初は道っぽいところを歩いていたはずなのに、いつの間にか外れちゃったみたいだし」

 サラサラの金髪を手で整えながら、それでも軽快に足を進める。

「いつの間にっていうなら、私が兎を追いかけている間に、か」

 この場合の兎というのは、比喩的に一兎のことを指しているのではなく、本物の兎である。山に入るや否や、視界の端に映った兎を追いかけてこんなところまで来てしまったのだ。

「私が探しているのはもっと可愛い兎さんなんだけどなぁ」

足元にある小石を蹴り上げた。飛ばされた小石は近くの木に当たり、軽い音をたてる。

 すると、そこに潜んでいたのか隠れていたのか、一匹の兎が飛び出してきた。

「あら、さっきの子」

 突然の襲撃を受けた兎は、ぴょんぴょんと跳ねて走って山を登っていく。

 それにつられて、兎が向かう先を目で追うとうっすらと何かが見えた。

 目を凝らさずにその何かを確認しようとする。

「……山小屋?」

眼鏡をかけてはいるが、これは正真正銘の伊達だ。真面目に測ったことはないが、視力は両目とも二・〇以上あると思う。

 遠くに見える小さな建物も、くっきりはっきり捉えることができていた。

「ふうむ。これは発見しちゃったんじゃないですか?」

口元を緩めながら、小屋を目指して歩いていく。自然とその足取りも軽くなっていた。

「これはさっきの兎ちゃんが教えてくれたのかしら。あとで捕まえてお礼をしなきゃねっ」

目の前を遮る枝も軽く素手で払う。

「野生の兎すら味方に付けちゃう私さすが!」

そんな中でも自分を褒めることは忘れない。

「こんなことだから、慕われちゃうし頼られちゃうんだよね! いやぁ、困った困った」

 まったくもって困った顔をしない鷹宮は、こんな軽口を叩きながらも内心焦っていた。

 ということは、勿論これっぽっちもない。

 まず九鬼と鳴鹿がこの山に来ているということは間違いないと考えているし。

 さらにその二人も、一兎も、全員無事であることは心の底から信じている。

 彼らのうち、誰か一人でも命を落とすようなことはありえない。

 なんなら既に事件は解決されているくらいに思っていた。

 それほどに彼らの、仲間のことは信頼していて、評価していて、好いていた。

 それが鷹宮衣隠という人間であり、そうでなくては鷹宮衣隠という人外ではないのだった。

 彼らは自分の自慢であり誇りであり大切な存在なのだと、常々思う必要がないくらい身体に染みついていた。

 だからこそ、彼女はこの後爆発するのだ。

 その誇りを踏みにじられたから。

「もーすこし、――っと? あれはなんじゃらほい」

 軽々と地面に埋まっている岩を飛び越えて進み、小屋の手前まで来たところで、彼女の目が捉えたものは。

 その決して衰えることのない視力で見た人は。

 たくましい男の後ろ姿と、引きずられる女。


 一瞬にして、鷹宮の笑顔は形を変えた。

 

 口元の笑みは残ったままなのに、それが与える印象はまるで別物である。

 口角は今まで以上に上がり、綺麗な歯を惜しげもなく晒しているが、瞳だけは、奥どころか表面でさえ笑ってはいなかった。

 のんびりと歩いていた姿からは想像もできないような速度で、山を駆け上がり、捉えた者のところを目指す。

 すぐにあれが今回の犯人で、もう一人が鳴鹿であるということは勘付いていた。

 奴が天狗か。

 アレが犯人か。

 その天狗が鳴鹿を床に落とすのを見て、雑に扱うのを見て、彼女の勢いは増す。

 天狗の背中をはっきりと認識したところで、走りながら左の掌を大きく開き、後ろに構える。

 小屋の中から声が、叫び声が聞こえた。

 それが途切れる前に引いていた左手を前に突き出す。

 そして彼女の瞳は赤色に染まった。



 一体何が起きたのか、全くわからない。

 未だ小屋の奥でおびえている一兎も、床に倒れた九鬼も、全てに見切りをつけようとしていた天狗でさえも、ことを理解している者はいなかった。

 ただ一人を除いて。

「やっ、待ちくたびれたかい?」

 ニヤッと笑って入り口に立つ女性。

 まごうことなき、鷹の女であった。

「なっ、い……お、さん」

「おいおい少年よ、このうら若き女性を捕まえておっさん呼ばわりするとは何事じゃ」

「別におっさんとは言ってないじゃないですか」

こんな状況にも関わらず、一兎が攫われ、鳴鹿が嬲られているにも関わらず、いつも通りの衣隠さんにこちらまで引っ張られてしまう。

 床に倒れる僕を見下ろしながらも、笑顔を崩すことはない。というかこれは笑顔というより嘲笑に近い気もするけれど。

 ニヤッ、よりも、ニヤニヤといった感じだ。

 その態度に、まるで大学構内ですれ違ったかのような普通の扱いに、自分も冷静さを取り戻す。

 そして先ほどの無謀な特攻を思い出して、そんな自分を恥じた。

「ま、見たところこと君は大丈夫っぽいね」

 彼女が現れてから一度も目を離すことなく睨み続けている天狗を、完全に無視して倒れている鳴鹿を抱きかかえる。

 そのままこちらに向かって歩き、僕の横に鳴鹿をそっと寝かせた。そして一兎の方に顔を向けて笑う。

「如月ちゃんも無事みたいだねん。後でこの情けない鬼さんにお礼を言っておきな」

そう声をかけ僕の頭を乱暴に叩く。

「おい、貴様」

彼女があまりにも自然体でいるせいなのか、イライラした口調で天狗が声を発した。が

「きくちゃんは気絶してるだけみたいだから、このまま安静にさせといてね」

天狗の言葉など聞こえていないかのように、その場にしゃがんで、座っている僕に話しかける。

「……おい」

「いやあ、それにしてもごめんね遅れちゃって」

「貴様、どこの者だ」

「ちょっと道に迷っちゃってさぁ」

「聞いているのか!」

「それにこと君、電話くれたでしょあの時はまだ寝てたもんだからさ」

「…………」

「でもそのあと私も電話したんだよ? それなのに出ないんだもん」

「……っ」

「あのね、誰かに電話をして繋がらなかったら、折り返しがいつ来てもいいように準備してなきゃダメなんだよん」

「きさまぁ‼」

 ついに我慢が出来なくなったのか、今までにないような声を張り上げてこちらへ一歩踏み出した。

「さっきから俺のことを無視してどういうつもりだ。貴様は誰なのかと聞いている」

「――――うるっせぇなぁ」

ゆらりと立ち上がって天狗に背中を向けながら言葉を発する。そうしてそのままゆっくりと振り向いた。

「黙ってろ、空気読めねぇのか。今は仲間同士で再会を喜び合っているところだろ。それを横から後ろからグチグチグチグチ口出ししてきやがって。てめぇの話はあとで聞いてやっから、とりあえずその汚ねぇ口を閉じてろよ。もっかい言うぞ、――綴じてろよ」

 これが衣隠さんだ。

 九鬼にはこうなることがなんとなくわかっていたが、それでもこの空気は嫌なものである。

 それに何が怖いって、彼女はこのセリフを満面の笑みで言っているところだろうか。

 その笑顔を正面から浴びせられた天狗は、初めて少したじろいだ様子を見せる。

「それでなんだっけ? 私が誰なのか? ……はぁ、近頃の人は勉強不足だね。大人もゆとりゆとりって年下の子をバカにしてちゃぁいけないよ」

 彼女はそこで何一つ隠すことなく。

 歯に衣着せることなく。

 堂々と胸を張って言った。

「教えてやるよ。一度と言わず何度でも言ってやっから、もし忘れたらまた聞きな。――――私は龍の末裔が一人、鷹宮家次女。鷹宮衣隠。そして今からお前の鼻を、へし折る女さ」

 勿論、極上の笑みで。


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