天狗対峙
森の中にひっそりとたたずむ小屋が、いま目の前にある。既に使われなくなったもののようで、あちこちがボロボロになっていた。この山への入山規制がいつ行われたのかはよく知らないけれど、だいぶ昔のことなのだろう。
鳴鹿菊秋は、二手に分かれた地点から大きく迂回して小屋の裏側へと回り込んでいた。
彼が立てた作戦は非常にシンプルなもので、少数精鋭をさらに分断することだった。
確かに、得体のしれない相手に一塊になって突っ込んでいくのもバカなので、当然のことなのだが。彼が正面から小屋に乗り込んで、中の状況を確認。それによって鳴鹿がどう動くかは変わってくる。
なるべく音を立てないように注意を払いながら木々を割って進んでいく。小屋の周囲にはあまり木が生えてなく、小屋を囲むように円形の原っぱになっているようだった。
あまり近づかないように、大きな木の陰に隠れて息をひそめる。
一兎如月が攫われてから既に何時間も経っている。焦ってはいけないとわかっていても、無意識のうちに頭は冷静さを欠いていた。
加えてこの山だ。彼にあんなことを言ってはいたが、実際に怖いものは怖い。それはバレていたみたいだけれど。
今すぐにでもあの子を助け出してこの山から去りたい。
九鬼家の力で、天狗の居場所はわかった。こんな山に何個もこういった小屋があるとは考えにくい。大丈夫だ、あの子はここにいる。いざとなったら私も出ていけばいい。
それで二対一。
うまいこと如月さんを助け出せば三対一だ。
私と九鬼くんの力はあまり戦闘向けではないけれど、あの子の力があれば逃げることくらいは可能だろう。
大学生二人が中学生の女の子に頼るなんて、なんとも情けない話ではあるが。
大丈夫。大丈夫だ。
何度も何度も自分に言い聞かせる。
ハッとなって顔を上げた。いけない、また周りが見えなくなっていたみたいだ。ここへ来る途中にも九鬼くんに言われたことだ。今はしっかりしないと。
目を凝らして、小屋の周りを見る。
「誰もいない、よね」
もしかしたら天狗にも仲間がいるかもしれないので、注意を怠ってはダメだ。
少し顔を出してきょろきょろと見回す。
彼と分かれてもう十分以上は経っているはずだ。そろそろ何かあってもいいころだろう。
その時、急に背筋が寒くなった。
反射的に後ろを振り返る。首を左右に振って自身の安全を確認していく。危なかった。小屋に夢中になって、自分のことを忘れていた。
いくら天狗の痕跡がここで途絶えているからと言って、中にいるとは限らないのだ。
こんなことだから彼に注意を受けてしまうのよね。
音に気を付けながら、深く深呼吸をする。一回では足りず、もう一度。
背後にも気を配りながら、視線を前に戻す。
しかし彼女は忘れていた。いや、忘れていたわけではないが、やはり注意が足りなかったのだ。
大学で普通に講義を受けているところに、突然の連絡。そこからの移動でこの山へ。あまりに急展開で仕方のないことではあるのだがしかし、彼女はもっと考えるべきだった。
相手は天狗なのだと。
天狗はどうやってここまで来たのかを。
「そういえば、さっきの寒気何だったんだろう……?」
背後の方で物音がした。
背後の木の上で、物音がした。
瞬間。
視界が闇に包まれた。
「ぬるい」
呆れるような声が聞こえた。
九鬼言葉は小屋の前方にある木々の中に潜んでいた。目の前には、ボロい小屋と、それを取り囲む原っぱ。
ソレ自体はそんなに広くなく、一・五メートルくらいだろうか。今頃鳴鹿も小屋の裏側、僕の反対側にいることだろう。ここからでは姿を確認することはできないけれど。
小屋の周りを見て何もいないことを確かめる。しかしどうしようもなく目に入るのは、小屋の扉の目の前に突き立つ赤い線。
さすがにそろそろ消えるようで、光は弱く、細くなっていた。さすがにこの至近距離であんなおぞましいものを見るのは勘弁したい。
右手の鉄の棒をぎゅっと握り締めて、心を落ち着かせる。
小屋を見つけてから既に十五分くらいは経っているだろうか。
目的は、一兎の安全を確保することだ。それが最優先事項。
奴の目的とか動機とかはこの際どうでもいい。できることなら出会わずに去りたいし、その後のことは無事に解決してから考えよう。
あれもこれもと欲張ってはいけない。目的は一つ、それを明確にする。そうすることで行動に迷いをなくすのだ。
額に浮き出た汗を拭って、木の陰から飛び出す。草を蹴ってすぐに扉の前へとたどり着いた。
ドアノブを持ち思い切り引く。鍵はかかっておらず、何の抵抗もなく扉は開いた。
中へと足を踏み入れる。天狗の奴がいるか、いないか。
外から見てもわかったことだが、小屋の中は広くなく、すぐに彼女の姿を捉えることができた。
「生きていたか。一兎」
彼女は縄でその小さい身体を縛られていて、うつむいていた。
僕の言葉に顔をバッと上げて、その瞳にはあっという間に涙が溜まる。
「言葉さんっ‼」
震えた声を精一杯張り上げて、自身の無事を証明した。
中に天狗の姿はなく、どうやら一兎をここへ縛った後、どこかへ行ってしまったようだ。
力を使ったのならすぐにわかるので、徒歩なのだろうか。だとすると、未だこの山の中にいる可能性は高い。すぐにでもここから離れなければ。
「待ってろ、すぐ解放してやる」
よく見ると、彼女の顔には傷がつけられていて、血が流れている。
頬を伝った血は顎から落ちて、服や床にその跡を残していた。
ズボンのポケットに入れておいたハンカチを取り出して、そっと拭ってやる。 一兎は少し顔をゆがませたが、声を上げることはなかった。血の流れが治まってきたので、彼女の裏へ回り込み、縄を解き始める。
「言葉さん。一人で来たんですか?」
作業中の僕に、一兎から質問が飛んできた。そりゃあ聞きたいことはたくさんあるだろう。
その声はまだ若干震えているが、だいぶ落ち着いてきているようだ。
「いや、鹿女と一緒だよ」
安心させるような声で応える。
「菊秋さんですか! 他にはいないんですか?」
彼女の名前を出した途端、少し声が弾んだ。この二人はそんなに仲が良かっただろうか。
「ああ、僕たちだけだよ。だから奴が帰ってくる前にとっとと逃げよう」
縄を解き終わり、一兎を支えながら立ち上がらせようとする。
しかし、左手と後ろのポールが手錠で繋がれていた。入り口の門の南京錠は、老朽化していたので壊すことができたが、これは真新しいもののようで、簡単にはいかないだろう。
ポールの方は、小屋に備え付けられているものというより、地面に刺さっているもののようで、抜くことも壊すことも出来ないようだ。
なんでこんなものがここにあるんだよ。
「一兎、大丈夫か?」
気を遣うように声をかける。
「もちろんです。舐めないでくださいよっ」
そうは言ってくれるが、やはり強がりだろう。まったく、ここでも衣隠さんの力が必要になるなんて。
しかしどうする。もう一度連絡してここへ来てもらうか。しかしどれくらいの時間がかかるかわからないし、そもそも電話が繋がるかさえ怪しい。
ここは山小屋だ、何か手錠を壊すか、鎖の部分を切れるようなものはないだろうか。
と、その前に。
「なぁ、あいつは、天狗はどこへいったかわからないか?」
今度は奴のことを話題にした途端、身体を震わせた。
こんなことをしでかした奴のことを、いきなり聞くのは不謹慎だったか。
配慮が足りなかったか。
「すまん、今のは答えなくていい」
「いえ、大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」
そう言って彼女は笑顔を見せた。
中学生にしてここまで出来るか。やっぱりすごい子だな。
「とは言っても、アイツは普通にそのドアから出ていったので、その先は……ごめんなさい」
「いや、お前はずっと縛られていたんだもんな。気にするな。ちなみに、それはどれくらい前のことか覚えているか?」
「あ、それなら、えっと……二十分くらい前、ですかね」
二十分。今から二十分前と言えば、ちょうどこの小屋を見つけたくらいだろうか。
僕たちに見つかる前にここを離れた?
ちょうどギリギリのタイミングで?
嫌な予感がする。すぐにでもここから出なきゃ。そして鳴鹿と合流を。
「ひッ――」
隣にいる一兎から声が聞こえた。おびえたようなその声に、反応して彼女の方を見る。
一兎は別の方向を見ていた。入口の方を。
そこに立っている一人の人外を。
「よぉ、待ちくたびれたぜ」




