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天嵐の龍  作者: 誇張蘭
第一章 兎攫いの狗
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はじまり

 物語の幕を開けるにあたっての自己紹介は省かせていただこう。これは決して大仰な話なんかではないのだから。ちっぽけな世界のちっぽけな人間同士のいざこざ。

 鹿の、駱駝の、鬼の、兎の、蛇の、蜃の、

鯉の、鷹の、虎の、牛の――龍のお話。



「おい、クッキー」

 妙なあだ名で呼ぶなというか喋るな。せっかく厳かな雰囲気で始めたというのに、なんだかゆるい感じになってしまったではないか。

「なあ、今度は何描いてんの?」

しつこい奴だと、首を九十度左に回転させる。隣に座るは友人A。黒い髪の毛をワックスでツンツンに立てて、リングのネックレスを首から下げている。そして、なんとなくイケメンだと言えなくもない顔立ちだ。

「授業中だぞ、私語は慎め友人A」

「クッキーよぉ、友人Aはやめてくれって。俺の名前は有陣英であってどこぞのモブじゃないんだから」

「それならお前もクッキーはやめろ。大学生にもなってメルヘンチックなあだ名は勘弁してほしい」

この準イケメン君は僕が大学に入ってからの友人。ちなみに現在は数学の講義で、壇上の教授が僕の人生にまったくもって必要ないであろう公式の証明を、せっせと板書している最中である。

「んで、さっきの質問の答えは……と」

英が僕のノートを横から覗き込んできた。これ以上なく無防備なので頸動脈に一発ぶち込んでやろうかとも思ったが、漫画などでよくある首筋に手刀を入れて気絶させるアレ、どうやら現実的ではないらしい。やられた側はただただ痛いだけだとか。この際それでもいいか……。

 「お、また新しい子だな。なんてやつ?」

「『白衣の悪魔 ドクサツちゃん』のメインヒロイン」

顔を上げた英の質問に今度は答えてやる。

 講義中だからって真面目にノートを取ると思ったら大間違いで、必要がないと思ったところはバンバン切り捨てていくスタイルなのだ。そして切った時間でやっていたことが、お絵かきである。今期のアニメの中でもおすすめの一作、そのメインヒロインのお絵かき。ちなみに原作は漫画だ。

「なんとも危なっかしいタイトルだな。そんなの放送して大丈夫なのか?」

「別名は破壊の悪魔ドクサツちゃん」

こうなるともう、ただの悪魔としか思えないのだが、公式設定である。

「ドクサツちゃんなのに破壊なのかよ。どこをどう破壊してんだ」

「ありとあらゆる薬品を使って、相手の精神を内部から粉々にしてるんだよ。またの名を黒衣の悪魔ドクサツちゃんだ」

こっちは冗談。

「タイトル変わってんじゃねぇか」

ナイスツッコミ。


講義中であるにもかかわらずこんな会話をしていていいのかとお思いかもしれないが、大学なんてこんなものである。

僕は大抵講義室の窓側後ろから一つ前を陣取っていて、ノートをとるか小説を読むか絵を描くかの三者択一を迫られている。一番後ろでないのは、プリントを回収するのが面倒だから。それともう一つ、この大講義室と呼ばれる部屋は黒板から遠ざかるほど高くなるという構造になっている。教壇を要とした扇状で教授は学生を見上げる形になり、そしてその後方に座ることで部屋全体を見渡すことができる。この俯瞰的な視点が好きだからあらゆる講義でこの位置を選んでいた。ちなみに他の学生も似たようなもので、ほとんどが室内の半分より後ろに座っている。一番前の席で教授と顔を突き合わせながら勉強するような酔狂な奴は、一人いるかいないかである。

 そして隣に座る英が真面目に講義を受けるわけもなく、こちらもいつも通りスマートフォンのゲームに熱中していた。

 僕のスマホは大抵マナーモードにしてあるので、連絡が来ても気づかないことが多いんだよな。

 英は小さい画面に指を滑らせ一喜一憂しつつも、こう呟く。

「なんかさ、思い描いていた大学生活とは全然違うよな」

教授の証明が終わり、例題へと移ったので問題を解くふりしてペンを走らせる。

「お前がどんな理想を掲げていたかはわからないけれど、僕も似たようなもんだ」

 この大学に入学してから、既に半年が過ぎていた。

 季節は秋。月に神無し。

 凄惨な夏休みを終えた僕は大学の後期へと進んでいた。一年生の半分を大学生として過ごしてきたが確かに高校時代に想像していたものとは別物である。

 大学生とは、新しい友人と、さして厳しくもないサークル活動に勤しみ、時に酒を飲み、時に補導され(悪い例)友情が恋に発展するようなキラキラした生き物だと思っていた。

 思っていた。

「どのみち僕には高すぎる理想だったか」

高校時代だって似たようなものだったのだ。

 仕事の都合で親が海外に行かないし、クラスの男女比は見事に五十:五十。部活は簡単に作れないし、朝起こしに来る幼馴染もいない。異能力には目覚めるが、生徒会は特に大きいことはせず、屋上へなんて行けもしない。お兄ちゃんっ子の妹もいなければ、転校生もやってこない。髪の色は全員が黒で、メガネっ子はメガネを外しても美人にはならない。当然、僕はいつの間にかハーレムにはならないし、教師のセリフは「で、あるからして」のあとも延々続く。そんな生活を送ってきていたのに、いざ大学生になったからと言って劇的に変わるわけがなかった。

「大学生ってだけで何かしらのイベントが発生するわけじゃないんだな。自分から行動しないとだめってことか。クッキーはサークルとかバイトとかやらないの?」

「ふむぅ……。サークルはなんか今更な感じがするしな。もう新入生同士のグループとかできてそうだろ? そこに入るのはハードルが高い。そんでバイトは――必要がない」

「でた。このボンボンが。なんだっけ、家賃も学費も全部親に払ってもらってるのか?」

「まぁ……な」

英がやれやれとばかりに首を振る。

「お前、俺がどれだけ苦労しているのかわかってるのか? 学費はまだしも、家賃に光熱費、食費と携帯料金。奨学金と日々のバイトで何とかやりくりしているんだからな」

そういう人の話を聞くと正直胸が痛まないでもないが、もらえるものはもらっておかないと後々後悔することになる。過去に経験があるので、それはハッキリと言える。

「してたんだな、バイト。それなのに出会いとかないのか?」

「そういうバイトじゃぁないんだよ。むさくるしい男どもと汗を垂れ流すやつだ」

なるほど、詳しくは聞かないでおこう。このままではこいつの愚痴に、延々付き合うことになってしまう。

適当に話を流しているうちに講義が終わったので、諸々を鞄にしまい席を立とうとする。と、そこで一人の女子学生と目が合った。講義室の一番前に座っていた学生だ。その子は何を思ったか机と机の間にある階段を上り、僕の目の前までやってきた。

九鬼くきくん。また講義中に余計なことをしていたの? 学生の本分は勉学に励むこと。貴方が自分の家で何をしようと勝手だけれど、せめて講義中は真面目に取り組みなさい」

堅っ。わざわざそんなことを言いにやってきたのかよコイツ。

「前期の単位は落としていないし、その成績もそれなりだ。文句を言われる筋合いはないね。大体お前に迷惑はかけてないだろ」

「単位さえとれればいいというその姿勢が駄目なのよ。それに“それなり”の成績で納得も満足もしないでほしいわね。どうせ二日前くらいから詰め込んだ知識でナントカ乗り越えて、その二日後にはきれいさっぱり忘れているのでしょう? そんなことではいずれ失敗するわ。貴方は大学生活で何を学んできたの、と社会に出た途端呆れられてしまう様子が目に浮かぶわね。そしてその、迷惑をかけていないから関係ないみたいな言葉はやめて。私は貴方の将来を憂いて忠告しているの。実際のところ、十分に迷惑を被っているわ。さっきの時間だって貴方がまた真面目に講義を受けていないのではと考えるだけで、心配と憂鬱と不安に心がやられてしまいそうだったのよ。まったく、貴方みたいな人がああいうセリフを言うのよね。えーっと……そうそう、“死にはしないんだから”みたいなコト。小中学生がよく使うでしょ、母親からお風呂に入りなさいと言われて、別にお風呂に入らなくたって死にゃしないんだからいいだろ、って。なによそれ。死ぬことがこの世のあらゆる事象において、最も苦痛で最も耐えがたいことだとでも思っているのかしら。死よりも辛いことなんてたくさんあるのに。例えば――――」

くどい。長い。しつこい。セリフが百文字を超えたあたりで僕は講義室を出ていた。やっと今日の講義が全部終わったのに、何故あいつに長々説教されなければいけないのか。

 あいつ。

毎回一番前の席に座り、教授の言葉を細大漏らさず聞こうという姿勢で臨む姿はまさに優等生である。

 彼女は本名を鳴鹿菊秋なるかきくあきという。

 一応幼馴染ということになるのだろうか、幼いころからの知り合いではある。昔から何かと説教をしてくるが、最近はさらにそれが増しているような気がする。前はあんなに喋るようなやつではなかったはずだが。英はキックーと呼んでおり、クッキーとキックーで妙なセットにされていた。一時期は付き合っているのだろと散々問い詰められたが、決してそんなことはない。

そんなことはできない。

 身長は平均的で(体重は不明)、見てくれはまあまあである。若干目が吊り上がっているような気もするがそのあたりはご愛嬌だろう。肩までの黒髪で前髪が邪魔にならないようピンでとめている。

それは幼いころに僕が誕生日プレセントであげたものだった。

 しかしここで、もしかしてあいつ僕のこと好きなんじゃ。なんて今は考えたりしない(過去にはある)なぜなら、単純に鳴鹿のやつはそういうタイプではないからだ。ただそこに使いやすそうなピンがあるから使う、それだけが理由だろう。

「世の中そんなに甘くはないよな」

その呟きは小さく、隣を歩く英には届かない。

「さって、帰るかぁ!」

大きく伸びをしながらそう言ってきた。間延びした声は疲れている様子を如実に伝えてくる。

 こいつ、特にノートを取ったり問題を解いたりはしていないはずだけれど。

「そうだな。とっとと帰りますか」

帰って、ご飯を食って、明日のレポートをやって、お風呂に入って、テレビ見たりゲームやったりして、寝よう。

 これが大学生の生活。如何に自分が普通から外れていようとも、普通らしい生活に身を置いて生きていく。そして願わくは、このままで生涯を終えたい。

 そう思った。そう願った。

 しかしそんなわけがなかった。

 物語が何の山場もなく終わりを迎えるなどありえなかった。

 彼が一人暮らしの部屋に帰宅し、就寝したころ。

 このとき既に、物語は始まっていて。

 コトは済まされていた。


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