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凛々しく在る、きみは(後)

 目の前に、突如現れた藍色。落ち着いた黒緑色のスーツに身を包み――何故スーツなのかは分からないが――ともかく、自分よりも年上だろう、というくらいの大きさの男性が自らのことを己が今の今まで育てていた花だと名乗った。驚きは疑惑に勝てず、「何言ってんだ!?」と少女マエルは無意識にその青年と距離を取る。

 思わず立ち上がり謎の構えを向けると、相手はさもやれやれといった感じでため息をつき髪を掻き上げた。どういう訳か彼の髪型は左右非対称で、マエルと同じように右側だけが少し伸びている。グラシヘレラは滑らかな動作で立ち上がると、透き通るような声で話す。

「驚くのも無理はありませんが、さすがにここまでとは想像していませんでした。あなたならすぐに察してくれるかと思ったのですが……」

「んな、どーいうこったよ!オマエ、オマエがあのグラシヘレラだっていうのか!?だってオマエ、じゃあ、なんで人間になんかなれるんだ!?」

 ――マエルには時折不思議な幻覚が見えることがある。『恩恵』がもたらす能力の一種で、植物たちと意思疎通ができる他に人の姿形が見える場合があるのだ。人、といっても植物によってそれは様々で、上半身だけはもちろんのこと、全身像がくっきりと現れるということは滅多に無かった。所詮植物である故にまともな人間の姿をした幻覚は存在しなかった。もしも彼女が想像力豊かな人間だったらまた話は別だったかもしれない。

 ……が、グラシヘレラはそれとも違った。頭の先からつま先まではっきり、それはもう実体化しているかのようなリアルさがある。そして他の植物と決定的に違うのは、元の花が消えているということ。すなわち、この花は何の因果か()()()実体化してしまったのだ。こんなことは今までに体験したことがない。マエルはパニック寸前の思考を落ち着かせるためにもう一度花畑の中にストンと座り込んだ。

 グラシヘレラは右手でそっと眼鏡の位置を直し、少しずつ語り始める。ここから何千万キロも離れた遥か遠くの地で行われていた新たなユリの開発。様々な科学技術を詰め込み、人間と同じ思考を持った花の誕生。無論それらは禁忌だとされ計画は全て隠滅、残された球根は焼却処分の末にその存在を無かったことにされたはずだった。

 しかし、計画者の中にはどうしても研究の結果を見たいと望んだ者がいた。彼は僅かに隠し持っていたその球根を海外宛に輸送した。……その花が、秘密裏に行われていた『緊急処置』のせいで「特殊な薬品を使わなければ開花することができない」という事実を知らずに。






「俺たちは普通のユリ科と同様に育てられても花を咲かせることはできません。彼はそれを知らなかった。元より数の少なかった俺たちはさらに数を減らしていき、あの花屋に入荷された球根のほぼ全ては買い取られましたが、結局蕾をつけた奴はいません。もちろん、花も」

「……仲間は皆死んだってことか」

「おそらく。俺たちは一定期間花を咲かせることがなければそのまま土に還ります。無かったことになるんです。……本能が、きっとそうさせている」

 ほんの一瞬だけ、どこか遠くを見つめて悲しそうな光を放った瑠璃色の瞳は、やがて真っ直ぐにマエルを見据えた。

「……こうして日の光の下で空気を吸うなど、本来ならばあり得なかった。それこそ奇跡でも起きない限りは。俺にとってはあなたと出会えたことが奇跡です。あなたの能力はここまで俺に影響を与えてくれた」

「……じゃあつまり、えー、オマエは元々人みたいに喋ったり、人の心を持ってたりしてて、それがさらに俺の能力のおかげで、オマエは花を咲かせられたしカンペキに人になれた、と。そういうことか??」

「完璧ではありません。制限付きです。夜、太陽が沈んだ後はこの姿にはなれないようです。寿命が削れるような感覚になるので」

 実は昨夜に一度開きかけたのですが、となんてことはないという様に話す彼を見て拍子抜けしたマエルは、そのまま後ろに倒れ込んで考えることを放棄した。世の中何が起こるか知れたもんじゃない……改めて、マエルはハァ、と乾いた息を吐いた。






***********






「…………」

 その後の記憶は実に曖昧で、気がついたら夜になり、気がついたら寝ており、気がついたら朝になり。

「………………」

「おはようございます」

 気がついたら朝ご飯ができている。

「……ま、まさかオマエが作ったとか言うんじゃねーだろうな」

「そうですが。他に要望があれが聞きます」

 どこから生み出したのか分からない謎の花柄エプロンを付けたグラシヘレラと机の上に並べられたそれらに多くの疑問を感じながら「……大丈夫だ」と促されるまま椅子に座る。

 絶妙な焼き色のトースト、半熟を極めた黄身がつやつや光る目玉焼き。おまけに添えられたオレンジジュース。まさに完璧な、理想の朝ご飯。料理の知識は研究途中でいつの間にかついていたらしい。味の方はというとこれまた最高といったところで、まるで三ツ星シェフの料理とかいうやつみたいだ……と言ったら、彼はよく分からないという風な顔をした。

「う、うまい……オマエ自分の分は?」

「俺は……これで充分です」

 グラシヘレラはすぐそばに置いてあるペットボトルに入っていた小川の天然水を指差す。そういうところは植物なのかと一人納得するマエルに、彼は少し遠慮しがちに言った。

「人間の食べ物が食べられないわけじゃありません。ただ、必要ないというだけで。興味はありますけれど」

「そうか、じゃあほれ」

 言うが早いか、マエルは大きく千切ったパンの耳をグラシヘレラの口に突っ込んだ。最初は驚いたように目を丸くしたグラシヘレラだったが、そのうちゆっくりと咀嚼を繰り返しそれを堪能した。欠片を手に取ると不思議そうに色々な角度からじっくりと観察している。

「さくさくしている……というより、硬いですね。もっと軽いものかと思ってました」

「おー、そりゃ耳の部分だからな。こっちはもっと柔らかいぜ」

「耳……??」

 思わず彼は自身の耳をふにふにとつまんだ。首を傾げ理解不能という顔をするその様子がおかしくて、マエルはぷはっと吹き出してしまう。

「オマエ、色々変なとこあるけど面白いな!」

「……そうですか」

 グラシヘレラはニコリとも笑わず、それでもほんの少し眉を垂れて、複雑に表情を緩ませた。






『毎度毎度グラシヘレラと呼んでちゃあ長すぎて面倒だ。オマエのことはこれからグレラと呼ぼう』

 ……というマエルの安直な考えで改めて「グレラ」と名付けられたその花は、昼間は人の姿でマエルと共に街中を出歩くようになった。お陰でその期間だけ、マエルを見かけた住民達はその端麗で背高な青年と男勝りで小さな彼女との異様な関係を勝手に散々噂し合った(無論それはあっという間に誤解だろうと消えていったがそれすらもマエルは知らなかった)。マエルは彼が少しでも「気になる」と言ったことに対してはなるべく全て聞き入れ、様々なことを教えた。街を歩き、森を進み、川に入り、海を眺める。夕日の沈む山に登る時には鉢植えを持ち歩き、山を降りる時はそっと縮こまる花弁を撫でながら星空を仰いだりもした。




 遺伝子改造を施されたグラシヘレラは他の花と比べると開花期間が僅かに長く、要するに寿命も少し長いらしい。それにしたって所詮は植物、人間のそれとは雲泥の差で。

 二週間持てば優等種だと言うグレラの横顔を見ながら、マエルは何とも複雑な表情をした。……この花は、後世に残して良いものか。彼女の力があれば、もしかすればグラシヘレラ繁殖は夢でもないかもしれない。しかし、種族最後の一輪は己に背負わされた罪をどう感じているだろう。

「いつか、どこか遠い場所で皆と花を咲かせようと言っていた仲間がいました。そいつも結局、芽を出すことなく土に還りました。それでいい、それが俺たちの運命なんだと心のどこかで思いながら、……それでも一度は生まれた意味を示したかった、そんな俺も、俺の中にいたんです」

 植物として。花として。本能には抗えない、どこか感情の抜けた顔をするグレラは、人とも言えず人でないとも言えず。しかし、常識の欠落したマエルにはそれにどんな言葉をかければいいか思いつかなかったのだった。






***********






「……そういえば」

 家の外れ、森の中を少し進んだところにある秘境温泉。友人の知り合いに頼み作ってもらった秘密の場所で優雅に月明りを浴びながらマエルは一人ため息を吐く。

「どんくらい経ったかな?」

 ふと気付けばグレラと過ごして何日も経っている、ような気がする。彼は全く疲れた素振りを見せない。表情が中々変わることがないので分からないことが多かった。二週間が寿命だとかそんなようなことを言っていたようだが、それも定かではないのかもしれない。頭に乗せたオレンジ色のタオルを手に取りお湯に浮かべ、ぷくりと膨らませる。丸いそれをそっとつつくと、ぽしゅんと情けない音を出して湯に沈んだ。

「…………」

「何か新しい遊びですか?」

「……おん……マザーにな……教えてもらったんだよ。ちっちぇえ頃にな」

 ざぶんと湯船に身体を沈め、まるで最初からそこにいたかのようにグレラはマエルの隣に座る。真似するように頭の上に乗せていたタオルで風船を作りぷすっとへこませ、そこで初めてマエルは突然の来訪者の方を向いた。

「……いつからいたっ!?!?」

「つい先ほどから」

「な、なにそんな()()()()()に俺の隣にいるんだよっていうかなんでここが分かった!?」

「以前教えてもらった通りに。まだ俺が蕾だった頃の話ですがそこまで前の話でもないかと。忘れましたか?」

「そ、そんなこと……あったかもしれない」

 顔を沈めぶくぶくと泡を吹くマエルを見やり、グレラも真似してぶくぶくと泡を吹いた。




「オマエ結構でかいよな。歳は人間でいうといくつくらいなんだ?」

「どうなんでしょう……深く考えたことはありませんが、恐らくマエルさんと同じくらいじゃないでしょうか?」

「ふーん……じゃああいつらと一緒かあ。最近会ってねえから分かんないけど。オマエはあいつらと比べるともっと大人みたいだな」

 腕や胸をぺたぺたとお構いなしに触るマエルを不思議そうに眺めるグレラは「くすぐったいです」と呟いた。同世代の男友達の裸体……というより男性の身体をまともに見る機会がないので単純比較はできない。が、グレラがその世代にしては他より逞しい体つきであることはマエルにも少し理解できた。

「なんかあれだ、フザーと似てるぜ。あ、俺の父ちゃんな。最後に会ったのはずーっと前だからあんまり覚えてねーんだけどさ。ふいんき?が似てるような気がする」

 タオルを絞り再度頭に乗せたマエルは夜空を見上げて懐かしい記憶に思いを馳せる。それを言うなら雰囲気ですよ、とやんわり指摘するグレラもタオルを絞り頭に乗せた。

 そこからしばらくは不思議な沈黙が辺りを包む。何か話すことは、といえばいくらでもあったかもしれない。が、二人は特に何もせず、ただゆっくり湯に浸かってそれを堪能していた。心地よい静寂を先に破ったのは、グレラが突然発した言葉だった。

「俺は、マエルさんが常人とは違うということは何となく察してはいます」

「ほお」

「ですが、どんな人間であれど、ある程度の羞恥心……なるものは持ち合わせていると思うのですが」

「んん?つまりそれはどういうことだ?」

「いえ……俺はともかく、あなたは自らの裸体を仮にも異性である俺の前に晒すことはあまり気にかけていないのか、と思っただけです」

 ……あぁ、そういうことか。マエルは変に納得しその上で自分の身体を見て、グレラを見て、特に何も?と返そうと口を開きかけた。そこで初めてマエルは『ある事』に気づき、サッと顔色を変えて叫んだ。

「……オマエ、なんでこんなとこにいるんだ!?」

「?何故って、言ったでしょう。あなたに教えられた通りに」

「違う違う!そういうことじゃねえよ!なんで!オマエなんで、こんなとこにそんな姿でいるんだよ!!」

 見上げた先には煌々と輝く満月。誰がどう見ても『夜だ』と分かるそれとマエルを交互に見比べた後、グレラは少し驚いた顔をして艶やかなまつ毛を伏せた。

「……今更ですか。いつ突っ込まれるかな、なんて、少し期待してたんですけどね」

「やめろよ!も、元に戻れよ!夜だぞ!!オマエ、夜に人になったら命が短くなるって言ったじゃねーかよ!!忘れたのか!?」

「忘れるわけないでしょう?自分のことは自分が一番理解しているつもりです」

「分かってねえじゃんか!!なんでだよ!?もうオマエと会ってからそこそこ日付が変わってる、あと少しの間しか生きられないってのに、何でだよ……!!」

「………………」




 どうして、あなたが悲しむんです?

 どうして、あなたは泣きそうなんですか?




 プログラム上では与えられなかった、それでも少し芽生え始めていたかもしれない気持ち。完全に理解はできず……でもこの不思議な感情を受け入れることは、できた。

 グレラの肩を掴み今にも泣き出しそうに顔を歪ませるマエルの頬を両手で優しく包んだその花は、とても優しげで、儚げな口調で告げる。

「いいんです。むしろ、短くなっているのが分かるからこそ、これでいいと思っています。元はと言えば無いにも等しかった命です。この数日、この世界で生きているという貴重な体験が出来ただけでも無限の価値がある」

 自分とは明らかに違う男の手、骨張っているのに何とも繊細な指先は、そっと頬の水滴をすくい取る。眼鏡の奥に佇む瑠璃色の輝きはどこまでも澄んでいてとても美しいものだった。

「見切りがつきました。多くみて、せいぜい半日といったところです。一日持てば奇跡でしょう。最後の夜くらいは無茶をしてみたかったので。……我儘をどうか許してください。あなたへの恩は、死してなお消えることは無いでしょう」

 強く言い切り、そっと額を合わせるグレラ。ここまで近くに男の顔がくることはマエルが生きてきた中でも中々に稀なので、どうしたらいいか分からずただ困惑して太眉をへにょりと下げることしかできない。小さく動かす唇から出てくるのは、何とも寂しげな音色だけ。

「……オマエの生き方に文句つけるほど、俺は馬鹿じゃない。オマエがそういうなら、それでいい。しょうがねえな。楽しかったけどな、オマエと一緒にいるの。暇にならなかったからな」

「……俺も、です。俺は、所詮植物です。完全な人間になるなんて無理だった。あなたを見てると、なんて素敵な生き物なんだろう、って思います。俺たちにはない感情を、あなたはたくさん持っていた。それを身近でたくさん見られたし触れることができた。とても、幸せでした」






 黄金に煌めく満月の元、藍色の光球がふわふわと漂い辺り一面にあの甘酸っぱい香りが舞う。幻想的な光景に水の流れる音が混ざり、さながら極楽浄土かとも思えるようなその場所で、彼はただ「忘れたくないな」と悲しげに呟く。次にマエルが目を開いたときにはその人の姿はなく、そばの茂みには小さな藍色のグラシヘレラが弱弱しく、そっと身を横たえているだけだった。






***********






 その後、グラシヘレラとマエルがどうなったかというと――

 端的に言うと、グレラは翌日の昼過ぎ頃にそっと花弁を縮ませて蕾のようにしぼみ、やがて土の中へ還っていった。マエルはそれを見届けその土を花畑の一角に混ぜて、森で拾った木の棒を立てて小さなお墓を作っていた。

 ……彼女はいつかそのことを忘れてしまう。もしかしたら「その人」についてはおぼろげに記憶に残るかもしれないが、「その植物」の存在は無意識にでも忘れてしまうだろう。この世界では、『グラシヘレラ』という植物を知る者は誰もいない。マエルも、あの花屋の店主も、グレラの生みの親たちでさえも。でもそれはきっと、グラシヘレラ自身が望んでいたことかもしれない。

 しかしマエルは完全に花がしぼむ前、一番最後に彼と話した会話の内容だけは、何故かいつになっても記憶の片隅から離れないでいるんだ……そう言って時々彼女の数少ない友人たちに語るのだ。






***********






『ところで、突然話は飛ぶのですが』

「なんだ飛ぶって。羽でも生えてる話なのか?」

『中々に高度なジョークですね。いや、大したことではないのですが……マエルさん、あなたは感情をたくさん持っていて素敵だ、という話を昨夜したと思います」

「おお、そんなこともあったような……それがどうした?」

『ただ一つだけよく分からないことあります。聞いたことはありますしどういうものなのか独学で学んだこともありますが、実際にそれをあなたから感じ取ることが出来なかった。あなたには「恋愛感情」というものは存在していないのですか?』

「…………ハァ?何言ってんだオマエ。なんだそりゃ。なんかの呪文か?」

『……そうか、本当にそういう事を知らないのか……稀にいるとは聞いたけど、本当にいるものだとは思わなかった……』

「何ぼそぼそ言ってんだよぉー、なんか文句あんのかー?」

『いえ、何でも。……俺がもし生まれ変わった時には、是非マエルさんにそれを教えてあげられるような人間になれたらな、って言ったんですよ』






「どういう意味だったんだろうなぁ。うーん。よくわかんねえや」

 そう言って彼女は、今日も花畑に水をまきながら不思議そうに首を傾げている。











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