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第四章 書かれた小説B

No.4

 彼は救出され、病院に連れて行かれた。四角いまま、ベッドの上に置いておかれた。

 沢山の人間に話しかけられた。沢山の薬を飲まされた。沢山の手術を受けた。

 しかし、全ての感覚が無くなれば他人と良好な関係が築ける。彼は幸せに過ごした。


 《四つん這いの人間は私と目が合うと言った。

……此処は寒いだろう。私の家に来なさい。

……ありがとう。そうさせてもらうよ。あなたとは気が合いそうだ。

……そうだろう。私には君の求めるものがある。

 四つん這いの人と私は歩きながら話をした。彼は聡明な人で、私の意見を尊重してくれた。私には話の合う友人がいないので、非常に嬉しく心良かった。

……俺の求めるものとは何だろう。

……しっかりした足場であり、信仰だろう。

……そうかもしれないな。

……兎角、今は信じられるものが無い。宗教しかり、哲学しかり、科学しかり、人間しかり。

……そうかもしれない。

……信じるものが無い人間は辛いよ。君も人間を辞めたらいいんだ。

……え? どうやって辞めるんだ。人間って辞めたり、辞めなかったりできるのか?

……出来る、簡単だよ。まあ骨がいるけどな。自分に従わない事だ。ことに身体に耳を傾けてはいけない。自分の頭脳を信じる事だ。ことに知識は重要だ。本も沢山読むといい。頭が良くなるからな。体は使わない方がいい。疲れるからな。出来るだけ自分からは動かない方がいい。危険だからな。出来るだけ人と関わらない方がいい。重たくなるからな。出来るだけ話さない方がいい。敵を作るからな。

……そうすると俺なんかはかなり人間では無いじゃないか。

 私は可笑しかったので、笑った。

……そうなのか? 今のは冗談だから気にしなくていい。

 そのうち四つん這いの人の家に着いた。小さなアパートの二階だった。中に入る。家具が一つも置いてなかった。そして畳は腐っていて三十センチくらいの穴が空いている。

 彼は私の為に食事を用意してくれた。水と透明なビニール袋に入った食料。給食センターの残りを貰ってきたそうだ。彼は手を使わずに食べる。この人物は不思議だ。

……あなたは犬の様に生きたいのですか?

……そうかもな。少し違うが、私は私の人生に何も与えない事を志している。

……それが生きる目的ですか?

……分らない。生きる目的は無い。私はただ享受する。人生を。人生には何も与えない。それだけだ。

……何故人生に何も与えないのですか?

……これは一つの証明だ。私は証明してみせる。

……何を証明するのですか?

……この世界は無いという事、人間は無いという事。

……あなたは変わった人ですよ。それで証明と言ったって、それは誰が分るのですか? まさか世界は無いのに、誰に向かって証明しているのですか?

……自分にだ。自分という概念だ。

……自分というのは概念ですか? その概念は有りますか?

……無いかもしれない。本当は無い方がいい。

……あなたは何も無い世界を望んでいますね。

……そうだ。全て無ければ良い。

……そうですね。全て無ければいいなあ。

 私と四つん這いの人は気の向くまま話をした。久しぶりに楽しい時間だった。

 そしてドアが開いた。影が入って来た。影は迷わず、四つん這いの人間の首を絞めた。彼はかなり抵抗したが、しばらくして力尽きた。

 影は私の方を向き、ゆっくりと私の首に手をかけた。私はこうなる事を知っていたので、前もってポケットに入れてあったカッターを取り出し影の腕を刺した。

 私の腕に裂け目が出来た。私の腕から血が流れた。

 私は黒々とした影を見つめて言った。

……俺は詩人だ。ここで一つの詩を朗読しよう。

 『俺は俺で

  俺は俺ではない

  俺は俺の子供で

  俺は俺の親ではない

  俺は親を殺し

  親は俺を殺す

  俺は子供を殺し

  子供は俺を殺す

  俺は俺を殺し

  俺も俺を殺す

  俺は全てを殺し

  全ては俺を殺す

  そしてお前も俺を殺す』

 最終的に全てはそうなるだろう。他に何も言う事は無い。

……そうか。俺には言う事が有る。お前には無いはずだ。何故ならもう終わりだから。少しずつ近づいているだろう。それは私の努力の御陰だろう。お前は何処に行きたいんだ?

……もし俺が行くなら、誰も行った事の無い場所に行くだろう。

……人間が行ける場所はもう無い。何処へ行っても意味は無い。

……では、誰かの上に住むだろう。

……色々な建物が在るだろう。色々な部屋が在るだろう。色々な言葉が在るだろう。色々な形で溢れているだろう。流れ出しているだろう。お前は押し潰されるだろう。

……俺は自分の意識を殺し、蘇らせ、傷つけ、癒し、折り曲げ、貫き、分裂させ、統合する事が出来る。

……そんな事は余りにも簡単だ。全ての事は簡単すぎる。頭を悩ませる事はこの生には無い。そうだろう?

 影は私より雄弁に語る。

 段々首を絞める力が強くなる。このまま相手の首を切ってしまおうか?》


 小さい頃、夜中に玄関で私が靴を履こうとしていた。心配した母が何をしているのと尋ねると、私は、家に帰ると言った。これは夢遊病の話だ。だが私は家に帰らないといけない。


                          『立方体と影』終わり



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