第三章 地下世界と立方体
No.3
苦しみを認めず、
死を認めず、
運命を認めず、
信仰を認めず、
真なるものを認めず、
大地を認めず、
人間的なものを認めない。
全ては、人間には係わりの無い事だ。物事はただ存在しているだけだ。力が働いているだけだ。ただ、動いているだけだ。人間が、居たという事も無いだろう。全てを認めないなら人間でもない。
ドアを開けると、廊下が少し続いていて、その先に下に続く階段がある。
彼はそのまま歩き、階段を降りる。階段は長く、電灯も、一つ一つの距離があり、光は弱く、暗かった。
階段を幾つか降りる度に、少しずつ、彼の足は四角く欠けていった。六センチの立方体。階段を降りきった時、彼の足の殆んどが欠けていた。
先に延びる廊下を歩く。左右の揺れは益々酷くなり、真っ直ぐ歩けない様だった。
右にドアがある。彼は開けて中に入り、用を足す。トイレだった。彼の陰部が欠ける。
廊下を歩く。
右にドアがある。彼は開けて中に入る。
部屋の中に太陽が在った。
「この部屋に入ったからには全てを肯定しなさい」
太陽は言った。彼は無言で、左右を見た。何処も光が反射して眩しかった。彼は目を細めた。それに暑い。
「あなたがいる限り、私は肯定する事が出来ない。ことにあなたは私達の存在を左右するものだ。統べるものだ。そのあなたに、私は『私は肯定する』とはとても言えない」
「何故あなたが全てを肯定しなければならないか分りますか?」
彼は部屋から出ようとして、後ろを向いた。ドアが無かった。
「この部屋に入ったからには全てを肯定しなさい」
彼は壁まで歩いていった。そして隅まで行って座り込んだ。
部屋は熱かった。もう何だっていい。取りあえずここを出たい。彼は口を開く。
「あなたが言う事は何かおかしい。ただ、私は此処を出たい。それだけの為にいわゆる『全て』というものを肯定する事にしたい」
太陽は無言であった。
「私にはよく理解出来ない。『全て』とは何の事だ。肯定とは何の事だ。私には許せない事がある」
「許せない事とは何ですか?」
「さあ? 私には分らない。忘れた。ただ、許せない人間が一人いたら、『全てを肯定』は無理なのではないですか?」
「全ては織り込まれていくのです。あなたが考える必要はない」
「考えないで、どんな事が分りますか? 『肯定』とは何ですか? 思想、哲学、知恵ですか? 教えてもらえれば、覚えます。熱い。出してくれ」
室内はどんどん熱くなる。
「なんだか、これはギャグですね。自動筆記の宗教本みたいだ。馬鹿馬鹿しい。出来ないものは出来ない。私は今まで、その様な人を見た事が無い。そんな人間何処にいる?」
汗を手で拭いながら話す。
「くそっ、熱いな。何故出来ないか? その必要が無いからですよ。全てを肯定する、またはしようとする人間は殺される。そんなのは当たり前だ。だから誰もやらない」
立ち上がって歩き回る。
「早く出してくれ。熱い。くそっ、体が」
また少しずつ彼の体は欠けていった。
「早く出せ!」
「よろしい。私の話を聞きなさい。あなたは、あまり私を信用していませんね。あなたの体が無くなるのは何故だか分りますか?」
「早く出せ!」
「私の話を聞きなさい」
「早く出せ!」
「あなたの言う事は分ります」
「早く出せ!」
太陽は話す事を止めた。ドアが現れ、開いた。彼は一目散に廊下に出た。ドアを閉めた。
彼は廊下を歩く。廊下に女の子が立っている。女の子と目が合う。
女の子は丸い物を持っていた。彼は言った。
「僕の体は欠けています。それを僕の欠けた部分に入れたい」
彼は丸い物を四角く欠けた所に入れた。何度か試す。しっくりこなかったので、返した。
女の子は悲しそうな顔をした。
彼はそのまま進む。胸が欠ける。
廊下を歩く。廊下に敵が立っている。敵と目が合う。
敵は武器を持っていた。彼は言った。
「僕は今、大変弱っています。僕はあなたと話し合いたい」
彼は敵と話し合った。何度か意見を交換する。和解する事が出来なかったので、殴った。敵は倒れた。
彼はそのまま進む。腕が欠ける。
私は良く分からない。彼はこの様な人間だっただろうか? ただ、彼は進む度に体が無くなる。進まなくても無くなる。これはこの小説の決まりである。彼には守ってもらう。
左にドアがある。彼は開けて中に入る。
暗い部屋だ。明かりが何も無い。
「何で俺はこんな人間なんだ」
暗闇が言う。
「決まりを守らないからだ」
「守ってきた。守り過ぎたぐらいだ」
「それでは、此処に来る訳が無い」
「俺が反省したら満足か? 価値の転換でもしろと。馬鹿馬鹿しい。脅迫だ」
「脅迫ではない。これは決まりだ。全てはその様になる」
「そんな決まりは理解出来ない。それは俺の知る所ではない。誰が作ったのかも知らない」
「人間には人間の決まりがある」
「まあ、法とか道とか神とかあるだろうよ。俺が知ったことか! 人間同士の決まりだけで沢山だ」
「全ては決まった様になる」
「決まっているなら、俺が此処に来ることも決まっていたか?」
「決まっていた」
「訳が分からない。さっきは俺が決まりを守っていないから来たと言った。決まりを守っていないから来たという事が決まっていたとはどういう事だ? ここに来たとは決まりを守っていたという事ではないのか?」
「契約とは一人の人間に於いて命と同じ重さである」
「それは何の事だ? 契約とは何だ?」
「それは人間自身が知っている事だ」
「俺はその契約を守ってないと?」
「それは命を支払うことによって分かる」
「俺はそんな契約した覚えは無いし、自分の命を支払うつもりもない」
「疑問を持つことは出来る。意見を提出する事も出来る。契約は絶対だ」
「この世に絶対は無い。絶対的なものも無い」
「お前は此処で死ぬ。これは契約したとおりだ。それはその様になる」
「そんなもの分かる訳無い。そんなものがあるから、人間が小さくなってしまうんだ」
「人間を小さくするのは、人間同士の決まりだけだ」
「もしそんな決まりや、契約があるなら、人間なんて無いも同然ではないか?」
「全てはその様になる」
「そんな事あってたまるか!」
彼はしばらく何か呟いた後、ドアを開けて廊下に出た。体がまた欠けていっている事に気づいていない様だった。
廊下を歩く。彼の体は原型を留めない程に欠けていた。もう殆んど体は無い。
廊下は行き止まりだ。彼の目の前にはドアがある。彼は開けて中に入る。
部屋の中には公園があった。滑り台や、ブランコ、砂場などが在り、静かだった。
壁や床が青く、部屋は広かった。彼は歩いて先に進み、滑り台に上った。
部屋の端まで、かなりの距離がある。奥の方に岩が並んでいるのが見えた。
彼はその岩のある場所に引き込まれる様に、移動した。彼の右の頭上に赤い点が現れた。彼の左の頭上に青い点が現れた。
その二つの点は、みるみる膨れ上がり、彼を押し潰さんばかりに、部屋中に広がった。
その二つの星は火星と木星であった。
火星が言う。
「借りたものは返せ」
木星が言う。
「借りたものは返せ」
「俺は何も借りてない。返すものも無い」
彼は逃げるように、火星と木星の脇を通り抜ける。その先に、より巨大な火星と木星が在った。
巨大な火星が言う
「倍にして返せ」
巨大な木星が言う
「大きな物を返せ」
欠ける。もう人間には見えない。何かの塊である。
「僕は何も無い。僕は何処に在る。私は僕ではない。俺は私ではない」
彼は転がり先に進む。頭上に月が在る。目の前には巨大な岩が並んでいる。
月は彼に話しかける。
「気が狂いそうだろう? 興奮するだろう? チカチカするだろう? 頭が痛むだろう?」
月は三角形の光を出し、彼に浴びせる。彼は吐いた。
彼は言った。
「これは何処に在る。物は物では無い。世界は部屋では無い。基盤は此処ではない。これは死ではない」
三角の光が、頭の中で暴れる。彼はまた、吐いた。
岩の間を通り進む。また巨大な岩が並んでいる。岩の間をまた通る。また巨大な岩が並んでいる。また通る。
岩達は声を揃えて、彼の周囲から言葉を浴びせかける。
「終に来た。
対面する時が来た。
上下、左右、前後、全てに対して。
話した事を、感じた事を、考えた事を、
後悔させるもの。
自分の声、他人の力、物の思考。
身体に於ける殺意。
それらは、四角くまとまり、終わるべき」
彼はゆっくりと動いた。
岩に囲まれた中に、四角い箱がある。
彼はその箱を開ける。中には六センチ四方の肉が無数に入っていた。六センチの立方体。
それは彼の体だった。その上に一枚の写真が載っていた。
彼はしばらくそれを見ていた。見覚えのある写真だ。彼の幼い頃の写真であった。
「これは俺だ。でも俺は此処ではない。だが私だ。私は私でいたくない。僕だ。僕は連続していない。己だ。己は思考しないが故にない。これは誰でもない。この人は何処にもいない」
彼はもと来た道を、延々と辿り、図書室のドアの前に来た。
もう何者でも無い物は、ドアを開けて、部屋に転がって入り、動かなくなった。
欠けていく。最後に小さな立方体だけが残った。
此処に世界が完成した。これは素晴らしい事だ。




