灯火
「滝沢さん」
突然背後から名前を呼ばれ、俺は飛び上るように振り返った。
そこには顔を青くさせた母親がいた。
「一体どうなってるんですか」
「わかりません。さっきまで楽しそうに話していたんです。それが突然咳が止まらなくなって」
母親は今にも泣きそうな顔で俺に縋り付いた。
「沙希、もう」
母親は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
慌ただしかった廊下は途端に静かになり、集中治療室のランプだけが今の状況を知らせていた。
「突然、先程まで元気だったのに・・・」
俺は嫌な予感がして集中治療室をじっと睨みつけた。
それから何時間が経ったことか、廊下の照明はすっかり暗くなり、音も聞こえなくなった。
恐らく面会時間が過ぎたのだろう。
いや、もしかすると消灯時間も過ぎたかもしれない。
腕につけている時計を見ればすぐにわかることだが、今の俺にはその動作をする気力さえ残っていなかった。
「扉が開いた!」
ランプはまだつけられたままだが、中から坂上が出てきた。
それに入れ替わるようにして滝沢よりも年配の医者が部屋に入って行った。
「坂上さん」
坂上は疲れ切った顔で俺を見つめた。
「どういうことだ。俺と仲良くなった沙希ちゃんがいつか犯人を告げると恐れたか。
そのためにただでさえ短い命を削るようなまねをしたのか!
何をした? 注射か? 薬か? 沙希ちゃんに何をした」
俺の叫び声は静かなフロアに大きく響いた。
隣で項垂れていた母親も驚いたようにこちらを見つめている。
坂上はしばらく無言で俺を見つめた後で、溜息か吐息かつかぬ息を吐き出した。
「いい加減にしてくれますか。刑事のねじまがった考えで物事を当てはめるのはやめてください。
以前も申し上げましたが私は医者です。患者の命を救うのが私の仕事なんです。
それを奪う真似などするものか。俺だって驚いているんだ。
すっかり元気になった沙希ちゃんが突然こんなことになってショックでたまらない。
それを私のせいにしてほしくありませんね。
だから言ったじゃないですか。患者にあまり無理をかけないでくださいと」
坂上は先程変わった医者の気が散ってはいけないと考えたのか、声を潜めるようにしていた。
しかし怒りを抑えていることはすぐにわかった。
坂上は肩を震わせながら言葉だけを荒げた。
「いったいどういうことだ」
もう何がなんだかわからくなった。
坂上は本当に犯人ではない。
そんな気がしてきた。
ならば何故沙希は坂上を犯人だと言ったのか。
まさか医者に恨みなど持つはずがない。
俺は出会った時から今までの沙希の言葉を思い返していた。
「沙希はあなたが来てくれることを本当に喜んでいました。
ですが、あなたに悪いことをしているとも言っていました。
それが何かは私にも教えてくれませんでした」
沙希が俺に悪いことを?
集中治療室のランプが消えたのは、午前三時になる頃だった。
坂上と交代した医者は母親だけを呼び出した。
俺は沙希について病室に戻った。
看護師は俺には何も言わず静かに病室を出て行った。
沙希は眠ったままだ。
沙希の眠っている顔を見るのははじめてだ。
穏やかだ。
沙希の顔をこんな風にじっと見るのもはじめてだ。
とても綺麗な顔をしている。
本来ならば青春を謳歌している年だ。
「沙希、すまなかった。お前に負担をかけていたのは俺だったんだな。
そうか、本当は犯人を見ていなかったのだな。
だから悪いことをしたと言っていたのだな。
そうだな、刑事がおしかけて怖かったよな。
悪かった。俺は」
俺が病室を出ようとした時だった。
今しがたまで眠っていた沙希が俺の腕を掴んだ。
「違うの」
蚊の鳴くような声が俺の鼓膜を震わせた。




