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東雲・中編

 前編も多少コメディちっくに書いていましたが、中編は比じゃないコメディちっくです。


 相変わらず好きを詰め込んでいます。

 ぼくは高校生になった。

 惨憺たる中学三年生を送ったあと、地元から離れた高校に受かったこともあってぼくは人間関係を一新出来た。

 元彼女と寝取り野郎は中学卒業する頃には別れていたのか知らないが、最後の方はぼくの前で見せつけることも無かった。

 それにしたって思い出すたび、はらわた煮えくりかえるので寝取り野郎はご満悦だろう。

 まぁその寝取り野郎とも会うことはない。中学三年生夏休み最終日からわざわざぼくに話しかけたり喧嘩ふっかけたりしてくることもなかったしな。目の前で揉みしだく煽り行為があったのは間違いないが、不機嫌に見てたらニヤニヤしてすぐどっか消えたし。

 進学先は知らないけれど、地元で静かに朽ち果ててくれれば良いと思う。ぼくはこの都会の進学校でこれから寝取り野郎より絶対にマシな人生送ってみせる。

 高校に入ってすぐ、ぼくは友達関係を一から構築しなければならないことにちょっと気が滅入っていた。あんなクソみたいな関係をリセット出来たのは良いことだが、しかして新しく一歩を踏み出すというのはやはり恐ろしいのだ。

 高校一日目といえば入学式を行ったあとに恐怖の自己紹介が始まる。当然、ぼくにもその困難は訪れた。

 みんなそれぞれに名前、出身地もしくは出身校、そして趣味とか好きなこととかを話して最後によろしくお願いしますと添えていた。

 おっと、紹介が遅れた。

 ぼくの名前は、東雲健也(しののめ けんや)

 身長は167センチで体重はまだ60キロになっていた。

 中学三年生、ぼくが喧嘩をする前は162センチで体重は52キロだった。喧嘩当時もさほど変わりはない。ムキムキの寝取り野郎は170は超えていただろうし体格もすごかったので差はえげつなかったろう。あれからぼくも思うところがあって初音ミクちゃんのトレーニングに加えて筋トレと増量に励んだ。

 体重も身長もメキメキと伸び続けている真っ盛りだったのが高一だ。

 顔はかっこよさの中にかわいさがある。ニノの顔ってめちゃくちゃイケメンなのに笑うと愛嬌あってかわいいでしょ。ぼくの顔はニノで再生してくれて構わない。本名ケンヤだけどニノと呼んでくれても間違いでは無い。

 ぼくが受かったのは都会にある進学校だが、ぼく自身が育った場所は発展途上の田舎寄りな町である。だからイモ臭い不良がいたわけだな。まぁ都会は都会でハイカラな不良がいるんだろうけど。流石に流行最先端が寝取られってことはないだろう。田舎も都会も変わらんよってことなら世の中どうかしているから粛清されてほしい。

 趣味は中学三年生の時から初音ミクフィットボクシングになってしまった。あと、筋トレ。

 復讐を改めてするつもりは全くと無くなったのだが、これからの人生でまた同じようなことが起きてほしくはない。だから結局あの喧嘩だけで辞めずに続けるどころかプラスアルファを付け加えた。

 というのが一点。

 あともう一点、ぼくはどうやら単純に鍛えることが好きになったというか、気持ち良くなっていた。

 強くなって他人に大きな態度を取るつもりはない。それはただのアホだと思う。しかし干された魚みたいな身体だったのに胸だの腕だの張られ始めるシャツを見せていくのはどうだい。気分が良いではないか。まぁ身長が急激に伸びたからシャツのサイズが合わないだけで、新日プロレスラー棚橋のように筋肉が浮き出ているわけでもないのだが、いやそれでも気分良くなるもんだよマジで。

 ……そんな感じの紹介をしてしまってぼくはこの一日目をパーフェクトコミュニケーションで乗り切れるだろうか。

 宇宙人と未来人とあとなんかよくわからんやつを求めるような美少女よりかはドン引きされることなく終えられるだろうけれど、不安が残るではないか。あれはあれで本性さらけ出してかけがえのない仲間手に入れているから良いだろうけれど、新世界の神になり損ねた天才高校生くらいに本性隠して上手く世渡り狙うのもありなのではないか。

 ぼくは迷いながら腕を組んで自分の番が来るのをもうちょっと後になれと願っていた。だが時間とは生きとし生けるもの全てに平等なようで、止まってくれることもなくぼくの前のやつの自己紹介が始まった。

 短髪黒髪、溌剌な顔付き、高身長体格良しの爽やかボーイ。

「おれは獅童空(しどう そら)!県外から来た!趣味も好きなことも漫画!それも空手漫画!漫画で空手をやっている!同志はいるか!?」

 先程まで和やかなムードに包まれながら内心友達作りの為の策略を張り巡らせようと脳を回転させていた誰もが笑うことも拍手することもやめた。

 すごいやつだ。

 漫画か空手、どちらかでよかったじゃないか。漫画好きです。空手やってます。そのどちらかでよかったじゃないか。

 同志はいるかってなんだよ。お前の自己紹介だから誰も答えてくれないんじゃないか?その質問は後で追い追いしていく方がよかったんじゃないか?

 というか漫画で空手をやっているってなんだ。


 ……待て!

 多分ぼくもあまり変わらない!

 

「いないなら仕方ないな……」

 獅童はやれやれと嘆息吐きながら座った。

 すごいなコイツ。自分の方が常識人みたいな雰囲気出している。バケモンだ。

 じ、じゃあ次の人ー、と担任が引き気味に声を出す。あれはおそらく、ちょっと面倒そうな生徒が入ってきてしまったかもしれないという気持ちと、これから学校生活大丈夫なのかなという心配だろうか。本人は全然大丈夫そうだぞ。

 ぼくはガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

 ……うーん、先に失敗してくれているやつがいるととてもやりやすいな。

 それからもう一つ。

 ぼくは案外、負けず嫌いな部分があるのかもしれない。

「……東雲健也です。出身は電車で一時間ちょっとの田舎者。趣味も好きなことも、初音ミクフィットボクシングと筋トレです」

 言って、座り直した。

 やべぇ、心臓バクバク。澄まし顔しているけれど心臓バクバク。飛び出そう。

 目の前には目をキラキラさせてこちらを見つめる空手漫画バカ(多分)。

 獅童はぼくに向けて右手を差し出した。

「同志よ!!!」

 アホだコイツ。

「……まぁな!!!」

 ぼくは差し出された右手をガッチリ掴んで握手した。


 それから獅童とは非常に仲が良くなった。

 格闘技を真面目にやっている者は、確実に誰かに教わっているのだが、ぼくと獅童の場合は教科書がゲームと漫画である。

 実際に動きや疑問点がある場合には天下のYouTubeで動画を探す。解説動画が無料で手に入るなんて今の時代はなんて優秀なのだろう。

 二人して休憩時間も放課後もおすすめの漫画や動画で大いに盛り上がった。

「それでさ、格闘漫画ではボクサーってかませにされがちじゃん。でもぼくは思うんだよ。上半身はパンチに全振り、下半身は機動力に全振り。役割がしっかりしていて、付随にパリィやスウェーもあるだろ?確立されているじゃないか」

「まぁ待て。空手だって同様ステップは踏めるし、ドッシリ構えて戦うことも出来る。打撃に特化していてこれも確立されてるんだって。あらゆることに対処可能だ。どちらも完璧に使えてこそ最強の格闘技なんだって」

「そんな小池徹平のかわいさと山田孝之の男らしさ合わせたみたいな言い方してもダメ。どちらもは手に入れられないの」

「山田孝之は若い頃かわいいだろうが!!!」

「ウォーターボーイズ時代の山田孝之を出すのは反則だろうが!!!」

 時には言い合いになるくらい一瞬で仲が良くなった。

 そんなこんなで三週間も過ぎると、部活に入るかどうか、どの部活に入るかを決めるよう催促され始めた。

 ぼくにとってはどうでもよかった。ぼくは初音ミクフィットボクシングをやりたいのである。もう新しいダウンロードコンテンツを常に待っている状態だが、別に新しいのがなくても楽しいし。初音ミクちゃんはいつも笑顔でぼくのことを待ってくれている。放課後、学校で出来るわけじゃないのなら早く家に帰りたい。

 が、家に帰るまで一時間。いつも帰るのが遅くなるし家に帰ってしまうとなんだかんだ次の日のことを考えて休みたくもなる。そういう点では、部活って少しうらやましいなと思ってしまう。

「獅童はやっぱり、空手部に入るのか?」

「いや入らない」

「えっ、入んねーの?」

 意外だった。空手好きなのに入らないのか。

「おれは空手漫画が好きで空手漫画の真似をして強くなる。本格的に空手やった方が再現率は高くなるだろうけど、別に最強目指しているわけじゃないし、空手部とは目的も過程すらも違うかな」

「なんか頭良さそうなしゃべりしやがって」

「おまえと同じ学力のはずなんだけど?お金で裏入学したわけじゃないんだわ。おれだって入試突破してここ来てんだわ」

「じゃあぼくと一緒で帰宅部になるのか」

「んー……それなんだけどよ、どうせなら部活作らね?」

 これまた意外なお誘いだった。

「ぼくとか?なんの部活をするんだよ。ぼくは家で初音ミクちゃんが待っているんだぞ」

「お前のその愛がなぜそこまで深いのかは知らないが、おれたちには共通する点がある。創作物でも人は強くなれるということを証明するのだ」

「ぼくが放課後どっかで初音ミクフィットボクシングをやり、お前は空手漫画の技でも実践するのか」

「あと一人と顧問がいないと部活として成り立たないな」

「なるほど、あと一人ぼくらみたいに変な方法で強くなろうとするヤツを見つけ、それに賛同してくれる教師を見つけるのか」

「マネージャーでも可」

「いるわけない。ぼくは帰りを待つ初音ミクちゃんの元に走らねば」

 見てろよー!と意気込む獅童は青春に目を輝かせているようだった。


「見つけたぞ」

「あなたが初音ミクフィットボクシングでWBOのベルトを目指している変人?」

「だれがじゃい」

 昼休み、獅童が女の子を連れてきた。どうやら昨日言っていた事は本気だったらしい。

 それにしても、女の子とは驚いた。

 黒髪ストレートで長さはミドル。細身だが服の上から上下ともにふっくらしていることが確認出来る。顔も整いスタイル良しでさぞやモテることだろう。

 そんな女の子だが、何かの漫画やゲームに影響されて強さを求め始めた者なのだろうか。

「君、獅童の話ちゃんと聞いた?獅童のやろうとしていることはぼくがWBOのベルトを目指すよりも荒唐無稽な事だよ」

「君じゃなくて、わたしの名前は藤堂凛(とうどう りん)よ。同じ学年、隣のクラス。よろしく。あと、絶対ベルト取るよりかは簡単でしょ。世界ってそんなになめていいものじゃない」

 ズバズバ言う子のようだな。

「常識人であることはわかったが、何をしているんだ」

「おれは空手だ!」

「はいはいすごいすごい。藤堂さんの好きな格闘技は?」

「わたしは特に無いわね」

 ……マネージャー枠か?

「わたしは、映画が好きなのよ」

「映画?」

「アクション映画よ!ボクシングなら外せないのはロッキーかしら!?空手ならベストキッド!?なんでも来い!」

 ホァー!と言いながらグリコのようなポーズをし始めた。

 な、なんだコイツ。

 全然常識人じゃなかった!

「中国拳法か!!!」

 獅童が正対の構えを取った。

 やめろやめろ。盛り上がろうとするな。

「イップマンは何回観たかわからないわ!ドニー・イェンの方ね!」

「詠春拳か!中国拳法、琉球空手は密接な関係にあるからな。おれの持つ空の心に通ずるものがあったんだよこの娘さんには。どうだよ健也!凛は最高の仲間だぜ!」

 進学校ともなると数多くの生徒が集まることになる。やはり変わったやつもそれなりに入学してしまうということか。それにしても元気すぎるだろ。

 そしてグリコ似のポーズがカマキリを模したものだとするならばそれは蟷螂拳。たしかにイップマンの劇中にそれを扱う師範は出てきているが何故そのポーズをチョイスした。

「藤堂さんは別に格闘技の真似をするとかはないんだろ?やっぱりぼくたちとは違うんじゃないか」

「甘いわね。わたしの憧れ度合いは半端じゃないわ。ガチガチのアクション映画、トランスポーターの時のジェイソン・ステイサムからアメコミヒーローモノのキャプテンアメリカ:ウィンターソルジャー時のクリス・エヴァンスまで幅広く真似しているのよ」

 軍隊格闘技に総合や柔術、パルクールのようなアクロバットまで織り交ぜられるということか。ボクシングや空手の映画も例に出していたし、扱える武術は数多くの何でもあり一人多国籍格闘家か?

 ……バケモノじゃねーか!

「バケモノじゃねーか!まさか格闘技以外にも精通しているのか藤堂さん!」

「ドラゴンボールの気も鬼滅の呼吸も呪術も出来るわね!」

「「Woooow!ジャパニーズ・サムライ!」」

「わたしってば天才!」

 そこらへんは漫画が……いや、たしかにアニメ映画にもなっていたか。

 ノリノリで獅童と一緒に褒めてあげたらクルクル舞い出した。

 なるほど、ちゃんとアホの系譜だったようだな!

 あとコイツめちゃくちゃ嘘つきだわ!どこまで身体動かせるかも怪しくなってきたぞ!

「天才すぎる藤堂さんがパーティに加わったのは良いとして、最大の関門である顧問の問題は解決していないぞ」

「それに関しては凛を見つけるよりも先に解決している」

「話が早すぎるようだな獅童」

「空手には刻み突きがあるからな。場合によっては最速パンチと名高いジャブとも同速だ」

「まったく理由にはなっていないと思うけれど、流石ね獅童くん」

「ありがとう」

 真顔になって背中で語るように仁王立ちし始めたアホは置いておいて、顧問候補の教師は一体どんな人なのだろうか。

 今度こそまともだったら良いなとぼくは思った。


「どうも、小説が大好きな国語教師、芥川直木(あくたがわ なおき)です」

「なんてわかりやすく小説が好きそうな名前だ」

 この国語教師、歳はもう三十歳に近く、ボサボサの黒髪に大きな丸メガネをかけ、袴姿をしているわかりやすい文学人という装いをしている。普通はスーツ姿をしているだろうに、この教師はこの格好をやめない。静かで絵になる雰囲気を醸し出しているので一部の女子に人気があるらしい。しかし大多数からは不思議ちゃんとして見られている。

「先生、顧問を引き受けてくれるんですか?」

 ぼくが質問すると、芥川先生はアゴをすりすりとさすった。

「私も君たちと同じく赴任してきたばかりでね、まだ持っている部活が無いんだ。とはいえ、前任の国語教師の部活を引き継ぐ話があるから無理に受ける必要ないんだよねぇ。君たちに名前だけ貸す形になっちゃうだろうし。でも君たち、危ないことしようとしているでしょ?名前だけ貸すのもどうかなぁって」

 なんかべらべらしゃべりだした。

「待ってください先生!おれたちのやりたいことをちゃんと聞いてくれていなかったんですか!」

「創作物でやっていることが実際現実で出来るのかの検証でしょ。そういうのは空想科学読本で勉強しなさい」

「違うわ!創作物で実際に最強を目指す話よ!」

「んん〜夢物語ぃ!!!」

 先生は突然机の上に立ち上がってバンザイした。

 言うのが遅れてしまったが、ここは職員室である。

 芥川先生の突然の奇行にぼくたちだけではなく他の先生の視線も集まった。

 舞い上がるプリントたちはまるで紙吹雪のようだ。

「私の言ったこととどこが違ったのかね?」

 バンザイしながら顔をこちらに向けてそう質問された。

 机から降りなくていいのか先生。絶対に怒られると思うが。

「芥川先生!生徒の前での行儀悪い行動はやめなさい!」

 ほら言わんこっちゃない。教頭が雷落としておられるぞ。

「だまらっしゃい!固定概念こそが芸術の一番の天敵!常なる奇行はいずれ独創性と個性を生み出します!いやでも待てよ、恋愛小説なんて源氏物語が、いや竹取物語からすでにあるではないですか。五人の阿呆が四苦八苦する様子なんかラブコメとも逆ハーレムとも何とでも解釈出来ます。なんなら竹取物語は異星人襲来の話でもあります。昨今では王道になりつつある転生物やチート系も神話で腐るほどありますからね。それでは今までに見た事無い独創性ってなんでしょう。固定概念となってしまう基本的なことからちょっとばかし尖っちゃうのがむしろ独創的を生み出す最短の道?」

 なんかべらべらしゃべりだした。

「一応言うならば、ぼくらがやろうとしているのはフィクションの再現ではなく有効活用を目的とした探求ですかね」

「物はいいようですね」

「世の中そうして回されてます」

「グッド。先生、言葉遊びは大好きです。模倣から洗練するから人は成長します。かといって模倣に頼りすぎては劣化だけの結果。なるほど、なるほど。君たちのやる事もある意味私の持論に沿っていますね」

 どうかな。それはちょっと何とも言えないと思う。

 創作物の動きを現実で出来る範囲で、かつ現実でより効果的に行えるように調整し、活かそうというのは先生の言う事に近いかもしれないが。

「先生!おれの空手はいつか忍空すら再現します!」

「先生!わたしはいつか鉛筆あれば三人はやれる実力を手に入れるわ!」

 おい、再現の話は避けただろうが。いらんこと言うな。

「しかし危ないことをするならば常に保護者に当たれる人が側にいないといけません。つまりは顧問になる私。君たちは私がいないと様々な練習が出来ないことになります。普通のスポーツとは危険度合いが違いますからね」

 ……結構、協力的になってきたか?

「その点は大丈夫です。ぼくはゲーム、獅童は漫画、藤堂さんは映画。動きの再現はシャドーで行い、当然危険になる可能性のあるものは先生に事前に連絡して練習の可否を確認します。練習する前にも作品名は必ず伝えます。対人で練習する際は先生の立ち合いがある時のみ。細かい点はもっと詰めないといけませんが、大方はこれでなんとかなりませんか?」

「既に考えていたかのような回答ですね、東雲くん」

 芥川先生がぶつぶつ話長いから考える時間あっただけだよ。

「ブラボー。悪知恵が働くようです。実に良い。東雲くんが部長で、獅童くん……よりかは藤堂さんが副部長ですね。どっこいどっこいですが。わかりました、引き受けます。でも赴任したばかりの私に迷惑はかけないように。頼みますよ東雲くん。部室等はまた連絡します」

 芥川先生はそう言ってからやっと机を降りて椅子に座った。散乱しているプリント類を拾う気配は、無いな……。

 ぼくたちの会話がひと段落という空気が流れ、それを察した教頭が顔を真っ赤にしながら早足で寄ってきた。

 芥川先生の周りに落ちているプリントがまたふわりと浮くほどである。

「芥川先生!まずは生徒の安全について言及しなさい!迷惑をかけないようにとは何ですか!あとプリントを拾いなさい!何故拾わないのですか!それでも指導者ですか!」

「反面教師という言葉もありますよ、教頭先生」

「それを実践するバカがどこにいますか!昨今のモンスターペアレントとPTAはもはや暴徒と化しています!あなただけではなく我々全員の首が飛びますよ!」

 その言い方はどうなんでしょう、教頭先生。

「ショッピングモールでよく見る幼い子どもに怒る親の物真似披露してくださいよ教頭先生」

「だからやめろって言ってんの!」

「ふぅう〜!世の中あべこべ〜!」

 教師って大変なんだなぁ。

 ぼくたちはつらい中戦い続ける大人たちを置いて職員室を後にした。


 それから次の日。

 昼休み、芥川先生に呼ばれたので職員室へ行くと、部設立の決定を言い渡され、部室の鍵も手渡された。旧校舎という文化部関係が一箇所に押し込められている棟の一室だ。

 ぼくは行ったことがないが先生からは、かなり広い部屋を貰ったので三人ならば十分動きながら鍛錬も出来るだろうとのことだった。

 今日のところは放課後に、部室の清掃と鍛錬の為の設備準備、そして部活名を決めるように言われた。

 終始落ち着いた様子だった。これは逆反面教師ですわ。

 次の日に部を設立させられるってどういうことなんだろう。学校を脅せるくらいの弱みを握っている説までぼくの中で浮上した。

 とりあえず部室をゲット。部活の許しもゲット。

 青春は止まること知らずだ。


 ○


「お掃除するわよ!」

 クイックルワイパーをマイクのように見立ててアイドルポーズを決める藤堂さん。

「かなりホコリっぽいぞ。ずっとほったらかしにされていたのかこれは」

 ホコリを払うように顔の前で手をパタパタと扇ぎ、次第に早くなって捌きと受けの動きに入り、どんどん型にもっていこうとしている獅童。ホコリ舞うからやめてくれ。

「窓開けよう。それから、物も全部出しちゃおうか。広く使える方がありがたいし」

 ぼくは言いながら窓に近付こうとする。ただ、思ったよりぐちゃぐちゃに物が散乱しているので上手く近付けない。

 閉め切った窓、ホコリがつきすぎて元の色がわかりにくいカーテン、机や引き出し台が立ってたり倒れたり、おそらく処分するかどうかの物はとりあえずでこの一室に押し込められていたのであろう。

 体良く掃除を任されただけじゃないだろうな、まったく。

 とはいえ仕方ないか。

 ぼくたちが授業を受けている新校舎はとても綺麗に掃除されている。ぼくたちではなく業者を雇って清掃されているのだ。快適な学校生活は集中力を高め、学力向上に繋がるとされている。

 新校舎だけで講義場所は足りるし、専門教科に関しても対応出来るように設計されている。旧校舎は一部を残して壊し、部室棟として使われるようになった。

 うちの高校、運動部はそれなりに力を入れようとしているのか優遇される事が多い。新校舎の余っている部屋は全て運動部に取られた。中には二室、三室ともらっている部活もあり、運動部で新校舎は満杯にされた。

 残った文化部は、離れの旧校舎を利用していればいいじゃないという感じである。旧校舎は設備もある程度取っ払われているので不便極まりない。おかげでうちの高校はわざわざ文化部に入るようなやつがいない。運動部の方が内申点は良いし、文化部に所属するくらいなら帰宅部になっていた方が拘束されることもないし下手に評価されることもないしで安心なのである。

 でも、楽しそうなんだよな、コイツら。

 もしかしたら、豊かな人生ってものに必要なピースなのかもと思ってしまった。

 だから、ぼくはちょっとだけ一緒に行動しようと考えたのだ。

「ぼくたち以外にある文化部は、吹奏楽部と美術部と文芸部と天文部だけだ。大きく枠組みされた部活しかないわりに、それでも人数は少ない。旧校舎三階の音楽室を吹奏楽部が、そして二階は美術部と文芸部、最後に屋上と荷物置きの為に幾つかの教室を使っているのが天文部だ。屋上、三階、二階の半分はその四つが使っていて、一階は場所に余裕があるはずの運動部に備品置きとして独占されている。残りの二階半分はぼくらにくれるかと思いきや、与えられたのは今のところこの一室だけだ。ある程度防音されているとはいえ、吹奏楽部の音はバカでかいし、集中力のいる美術部と文芸部は困ったもんだろうな。帰って勉強しろって感じが透けて見える。だけど、この一室は好き放題して良いと芥川先生から言われているから、どれだけ暴れたって壊さない限りは怒られないだろう。掃除にも気合いが入るってもんだ」

「音楽に合わせて鍛える方法もあるわ。考え方によっては良い場所じゃない」

「バレエダンサーとは戦うな、と空手では言い伝えがあるほどだ。音楽は恐ろしい」

「ぼく自身も、初音ミクちゃんのフィットボクシングに人生を救われたようなものだからな。音楽は偉大だと思う。音楽に合わせて戦える環境も悪くはないかもな。まぁ、毎回一曲丸々演奏してくれればの話だがな」

 ぼくは物をよけて、やっと窓に辿り着き、開け放った。

 暖かな日が差し込んで、風がふわりと入り込む。ホコリが舞いはしたものの、ホコリくささは一気に晴れていく。

「ぼくはここに初音ミクフィットボクシングを持ち込み、イヤホンしながらやるから聴く機会はなさそうだけどね」

「え?わたし映画観たいんだけど。あんたそれテレビに繋がないわよね」

「はぁああ!?大画面でやりたいんだけどぼくは!モニターなんていくつも用意出来ないぞ!」

「携帯の小さい画面で映画観るの好きじゃないのよ!わたしに譲って!」

「おれは漫画だから話に入れないな!さみしい!」

 ほぼ言い合いになりながら、掃除は始まった。

 まず部室にある物を全てひっくり返すかのごとく外に放り出した。放り出して粗大ゴミ用のところにぶち込んできた。後は多分学校側が処分してくれるだろう。物をなくした後は天井から床まではた叩き雑巾掛けと汗水たらして汚れを取った。

 雑巾掛けは修行感があって楽しかった。

 教室一つを丸々使えるとなると、結構広い。激しく運動出来そうだ。

「わたしが思うに、掃除中にやりがちなのと言えばホウキを使った杖術ね」

「あー、言えてるかも。獅童なら机割ったり椅子を割ったりとか?」

「おれをなんだと思っている。椅子を使ったディップスや机を使った懸垂しか思い浮かばん」

「待って?今、掃除中にやりがちな話で進んでたはずよね?」

 意外とさっくりと終わった。

 さて、次だ。

 芥川先生からテレビモニターはもらっている。めちゃくちゃ大きいやつをくれた。どこから手に入れてきたのかを聞くと、教頭先生の教頭先生用個室にあるやつをもらってきたそうだ。

 昨日の説教の様子から見て二人の相性は間違いなく最悪だったと思うのだが、一体どのような交渉がなされたのだろうか。あの感じで逆に仲良いのだろうか。

 壁際中央にモニターをドドンと置く。その手前にササッとスペースを確保しておく。

「あら、わたしのディスクプレイヤー置く場所作ってくれてるのね、ありがとう」

「ん?……そうだよぉ」

 ぼくはニコニコしながら藤堂さんに返答した。もちろん嘘だ。これはぼくのSwitchを設置するために決まっているだろう。

 その後に部室の隅っこに冷蔵庫を置いた。上冷蔵庫下冷凍庫の二段構え。シンプルで高そうには見えない物だが、そもそも冷蔵庫を設置出来ること自体おかしい。その事について芥川先生に聞いてみたところ、教頭先生の教頭先生用個室にあるやつをもらってきたそうだ。流石にそれはおかしいと思い教頭先生に直接話をしに行くと、生徒の輝かしい未来は私達が守らねばなりませんと重すぎるよくわからない返答をされた。

 他に何か必要な物はあるかいと芥川先生がやたらとニタニタしながら言ってきたことに恐怖を覚えたぼくは、これ以上教頭先生から奪わせるわけにはいかないと正義感に駆られてしまい「もういいです。大人しくしていてください」と言ってしまった。いつかぼくは他人から奪い続けるあの先生と戦う時がくるかもしれない。

 思っていたよりも手が付けられていないゴミ溜めだったせいで掃除に時間がかかってしまったし、教頭先生のところからテレビモニターと冷蔵庫を移動するという大仕事のせいでもう夕方になってしまった。少しもすれば天文部たちが屋上で騒ぎ出すのではなかろうか。

 ちなみに新校舎から旧校舎まではそれなりに距離がある。もちろん荷物運びはぼくと獅童の二人で協力してやるしかない。すると藤堂さんが余りになるわけだが、ぼくと獅童が指と腕が千切れそうになってハフハフ言いながら物を運んでいる横で、だらしなーいだの、せっかくだから中腰意識しなさーいだの、荷物を持っている腕に上から圧力をかけるとどうなると思う?正解はこうよだの、クソみたいな邪魔をするだけのクソに成り下がっていた。

 ぼくはいつか藤堂さんが最高潮に楽しみにしている映画のネタバレをしてやろうと心に決めた。獅童はシンプルに……すぞ、……すぞ、と呟き続けていた。

 そんなこんなで部室の清掃と設備は整った。

 最後は、ぼくたちの部活の名前だ。

「何にしようか」

「エクスペンダブルズ」

「いやだわぼくたち何を目指しているんだよ」

「修羅の門だな」

「空手家ならさらに踏み込んで神武館を推すべきだろうが」

「そこまでネタを理解されるとおれには思えない」

「あんたたち、なんの話してるの……?」

 ぼくたちはあーでもないこーでもないと部活名を話し合った。夕焼けから黒いカーテンを落とされるまではなんだかんだと早い。やがて上の階でドタバタと走り回る音が聞こえ始めた。恐らく天文部のオクジーとバデーニが異端審問官に嗅ぎ付けられた為に頑張っているところなのだろう。

「ぼくたちも星でも見に行ってみるか?」

「その流れ、王道なら星の名前から部活名を取ることになるわね」

「ロマンティックだな健也は」

「わざわざネイティブに発音するとはお前こそロマンチックだな獅童よ」

 ついつい軽口を飛ばし合うために話が一切と進まない。

「もう面倒だからぼくは文芸部・改とかで良いかもしれないと思っている」

「いやよ。それだと映画要素が少ないわ」

「それを言ったらぼくの初音ミクちゃん要素は入る余地が無い。良いのか、初音ミク愛好部という主張をしても良いのか」

「じゃあ一字ずつ取ろう」

 獅童はそういうと、どこから取り出したのかメモ帳を手に持ち、サラサラとそこにボールペンで書き始めた。

「空映音部。どうだ!」

「何をする部活かわからず、語呂も良くなくて最悪だ!絶妙にダサい!」

「でもそこが良いわね!」

 こうしてぼくたちの部活名は決まった。おそらく名乗ることは二度とないだろうという名前で決定した。


 ○


 それからは毎日を部活で過ごした。

 部活名に関しては芥川先生が「なんという適当な名前。いっそあばばばばとかの方が良いのでは」という案をいただいたが却下した。

 初音ミクフィットボクシングでモニターを独占することは叶わなかった。ぼくがいそいそとSwitchを持ってきたらすでに映画を観るためのディスクプレイヤーを設置されていた。それをどけてからSwitchを設置すると藤堂さんがブチ切れた。間に割って入った獅童から交代制を提案されたのでお互い日替わりで使うよう妥協した。

 ぼくは初音ミクフィットボクシングを出来る時はずっとやっているし、藤堂さんが映画を観る時は三人で一緒に観る。

 獅童の空手漫画コレクションは日に日に部室に持ち込まれるので本棚を貰ってきてあげた。教頭から。

「あんたたちって、意外と筋トレもするのね」

「空手の理想は一撃必殺。その為には筋トレも必要だ。でも連撃のがかっこいいからそれも練習する!」

「ぼくは昔色々あって身体を鍛える重要性を学んだからだな。伝説のボクサーが生み出したマイクタイソン・プッシュアップは偉大だ」

「おかげで汗くさい。あんたたちもうちょっとフレグランスな汗をかくようにしなさい」

「ちゃんと漢のフレグランスだ」

「きっしょ。そういう意味じゃないわよ。ソープ的なふわりと香る汗よ」

「それが可能なのはハミングやレノアを普段からがぶ飲みしている猛者だけだ」

 ぼくと獅童は答えながら筋トレに勤しんだ。

「逆に藤堂さんは映画を観るばかりでまったく劇中の動きを真似しないな」

「だが凛は運動神経でいえばおそらくこの中で一番良いぞ」

 マジ?

「凛は学年でも上位の成績を取っている。運動部員を差し置いてな」

「わたしは天才だからね。まぁあんたたちみたいに一芸に秀でているわけじゃないけれど」

「ただのアホだと思ってた」

「失礼ね!誰がアホよ!ていうかあんたたちやたらとムキムキになっていくじゃない。なに目指してるのよ」

「それは筋トレしている時に言われたくないランキング毎回上位に入ってくる質問だな」

「良いから答えなさいよ」

「おれは最強を目指している。どの空手漫画のキャラクターもそう言っているからな」

「ぼくはなにかあった時になにかが出来るようにだな」

 えっ、かっこいい……。と二人が反応する。

「それパクって良いかしら」

「良いけど……」

「まるで主人公だったな」

「恥ずかしくなってきた。言わなきゃよかった」

 こんな感じで毎日を過ごしていた。


 高校一年生になって、初めての夏休みが近付いてきた。

 ぼくの身長は伸び続けて今や170を超えて172センチ。体重は65になっていた。まだまだ足りない。ぼくはまだまだ強くなりたい。

「健也は身長も伸びたし体重も増え続けているな。随分とパンチは鋭いのに、まだ上を目指すのか?」

「うーん、ボクシングって、というか格闘技って随分と細かく体重別に階級を作っているだろ?一キロ体重が違えばパンチ力は何キロも変わる。筋量がグラム違うだけで破壊力はびっくりするくらい変わるんだよ。強いパンチと機動力、そのどちらももっと手に入れたい」

「まぁ、東雲くんってまだまだ細いものね。なにか目標ってあるの?」

「……だれになりたいとかはないけど、こういうやつを倒せるくらいには、ってのはあるよ」

 ぼくの言葉に、獅童がほうと息をついた。

 倒したい、という点を意外と思ったらしい。

「なんだ、喧嘩でもしたいヤツがいるのか?」

「いや、今はそんなつもりがない。だけど、昔ちょっと痛い目を見てね。今のぼくでも、ソイツにはきっと勝てない」

「なんかやってた人なの?」

「柔道」

 今度は藤堂さんがへぇーと反応した。

「柔道って、投げないとでしょ?東雲くんなら、投げられる前に殴り倒せそうじゃない。相手ドウェインジョンソンレベルにムキムキだったの?」

「そこまでじゃないけど、かなりムキムキだったよ。ていうかそのレベルだったらぼくは今生きてない。当時のぼくは身長も低くて筋力は全くとなかった。今のぼくよりも、ソイツは身長が高くて筋肉もある。経験値だって、きっと。だから勝てない」

「凛が言ったように、投げられる前に殴り倒すことは今なら出来るんじゃないか?」

「無理だな。殴られながら掴みにきたら終わる。柔道家は強いってのは実証済み。鍛えてない人間なら一撃でも、鍛えている人間って考えているよりタフなんだよ。毎回アゴや目に打ち込めるなら別だけど、側頭部なんて面部分ですら当てるのは動きつつ守られてるから至難。そう考えると点なんて絶対無理。獅童は出来るか?」

「そりゃ無理だ」

「そもそも打撃だけのぼくたちが投げ極め有りのヤツを相手にするのはめちゃくちゃキツい。柔道家の武器は投げでも、殴る蹴るが極端に苦手なヤツなんてそうそういないよ」

 汗を拭く。拭く手が震えていることに気付く。

 これは怒りか、それとも思い出した恐怖か……。

「東雲くんにそこまで言わせるなんて、よっぽどインパクトが強かったのね」

「……インパクトは強すぎたな」

「へぇー、面白そう。わたし、会ってみたいかも」

「ぜっっったいやめといた方がいい。藤堂さんだったら確実に気に入られちゃうね」

「イケメンだった?」

「ああ、かっこよかったよ。死んでほしいね。むかついてきた。獅童、組み手しようか」

「先生の立ち合い無いからダメだろ」

「くっそー!腹立ってきたー!!!」

 ぼくたちは先生立ち合いのもと、防具有りで寸止めを意識していたら組み手を許されている。寸止めと言っても実際はそうそう上手く寸止め出来るわけではないので名ばかりである。ぼくはこの組み手が非常に好きだった。

 痛いのは最悪だが、打たれ弱さを克服出来る。これもあのクソ野郎から学んだからだ。

 ぼくは目の前にあの野郎がいると想定してその顔面と鳩尾と脇腹に思いっきりパンチを繰り出した。ジャブとストレートとフックとアッパーをぶち込んでぼくの脳内で血しぶき舞うまで打ち込んだ。

 腹が立つ!!!

 去年の夏休みは最悪の結果に終わった。夏休みに入る前、去年も今と同じく最高の気持ちだったのに。

 最高の人脈を築けたはずなのに、あの野郎が台無しにしていったんだ。今年こそはきっと、最高の気持ちのままで夏休みを終えたい。


 取り戻したい。

 ぼく自身を。


 ○


 夏休みに入る前、ぼくたち三人はたまには遊ぼうという話になった。まぁいつも映画を観たりくだらない話をしながらトレーニングしたりしていたので遊んでいると言えるのだが、それとは違ってショッピングにでも行こうと藤堂さんに誘われたのだ。

 ぼくとしてはトレーニングウェアが欲しかったし、獅童も漫画を買い漁りたいようだったので快諾した。

 待ち合わせ時間は昼の一時。

 ぼくは三十分前には着いていた。早く来すぎたかと思い、喫茶店に入ろうかとも思ったが時間がとても微妙だ。ぼくはその場で待つことにした。

 汗が滝のように出る。ボディシートを持っていてよかった。でもやばい。汗の量がすごすぎて拭いているのか伸ばしているだけかもはやわからん。

 待ち合わせの時間ちょうどに藤堂さんが到着した。

 普段見慣れていた制服姿とはやはり雰囲気が違い、私服は結構ピッタリとした服装でおめかしもしていた。灰色のピッタリ半袖シャツに紺色のピッタリデニム。スタイルの良さが際立っている。

「どこ見てるかなんて視線でわかるわよ」

「逆にさぁ、そういう服着といてそれ言うのズルくない?」

 胸元に手を当ててジト目で睨む藤堂さんに、ぼくは腰に手を当てながら返した。

 だったらダボンダボンのビッグサイズLLセットで来たら良いじゃないか。

「獅童くんは遅刻かしら?」

「聞いてみよう」

 ぼくは獅童にメッセージを送った。

 

『もう着いてるけど、どうかした?』

『すまん、今アナコンダと戦っている』

 

「うんこ中だってさ」

「わたしレディよ。もうちょっと綺麗に言ってよ」

「デュシャンの泉で休憩中らしい」

「わっかりにくいわ」


『まだ遅くなりそう?』

『困った。トイレットペーパー以外流せないと張り紙があるからアナコンダがうねり続けている』

『アホめ』


「獅童はもうダメそうだ」

「じゃあ先にどっか行きましょうよ」

 ぼくと藤堂さんは携帯の画面を落として近くのショッピングモールへ足を向けた。


 ショッピングモールでの意図せず始まったデートはすごく楽しかった。

 ぼくは藤堂さんに結構物を言える。傷付けるようなことは言わないが、気兼ねなく話せるのですごく楽。藤堂さん自身もぼくにズケズケ言ってくるので二人の空気は明るい。

「やっぱりピッタリしている服の方がかっこいいんじゃない?」

「藤堂さんってピッタリ好きだね。やっぱりムキムキが好きなの?」

「女性の引き締まった肉体も、男性の盛り上がった筋肉も好きよ。アクション映画を楽しむなら激しい動きや派手な演出だけじゃなく、地道に鍛え上げた肉体にも目を向けるべきよ」

「例えば?」

「イントゥザブルーのジェシカ・アルバ」

「キルショットのレイチェル・クック好きそうだなぁ」

「顔面も肉体も最高すぎるでしょ」

「男性では?」

「選べないわ」

「結構色々俳優の名前聞いたから大体予想はつくけどね」

 ぼくはピッチリ出来るアンダーアーマーのトレーニングウェアを手に取って身体に当てた。

「東雲くんにはまだまだ興奮出来ないかなぁ」

「マイケル・B・ジョーダン超えるっちゅうねん。シノノメ、チャンプを継ぐ男するっちゅうねん」

「本当にあの肉体になれたら告白するわ」

 こんな感じでぼくたちは会話を楽しんだ。


「獅童はいつになったら来るんだろうな」

 流石にトイレも終わって泣きながらショッピングモールを駆け巡っているところだろうと思ったぼくは、携帯で改めて獅童にメッセージを送ろうとした。

 その時、肩にポンと手を置かれた。

 やっと来たのかと思ってぼくは振り返る。

「よっ」

 そこには、かつての寝取り野郎が満面の笑みで立っていた。

 は?なんでコイツがここにいる?

 ぼくは身体が凍ったように動かなくなり、口を金魚のようにパクパクと開閉した。

「ひっさしぶりだな〜!こんなところで会うなんて奇遇じゃん。おっと、今もしかしてデート中〜?」

 ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべながら、ぼくから目を逸らして藤堂さんを舐めるように上から下へと値踏みした。

 ビキッとぼくの頭の中で音が鳴る。眉間と鼻に痙攣する感覚があった。血管が表皮に浮き出る感覚があった。

 この野郎、あの頃から何も変わっていない。

「君、かわいいね〜。オレさ、コイツの友達。コイツと気が合う人ってオレとも仲良くなれること多くてさ〜、類は友を呼ぶってやつかもね。よろしく!」

 ……だれが、だれと、友達だと?

「……そうなの?東雲くん」

「違う」

 ぼくはキッパリと答えた。

 その瞬間、ぼくの肩に置かれた手に力が込もり始めた。

「……ははっ。そんな冷たいこと言うなよ。オレたちって、もうちょっとで『兄弟』になれたはずだろ?まっ、オレが辛抱出来ずにその機会無くしちゃったけど、よ?」

 ミシミシと力が次第に強くなっていく。流石は柔道をやっていただけある。指の力が異常に強い。

 今も続けているのだろうか?

「なんでここにいるんだ」

「地元じゃ遊ぶところねーんだよ。マジでたまたま買い物に来たら、お前がまたかわいい子連れていたから話しかけただけ。お前ってなんでそんなに変な縁があるんだろうな?」

「クソ野郎との腐れ縁が無ければ最高だったんだけどな」

「言うねぇ。また痛い目あわせてやろうか?」

「不意打ちで既に掴まれてるからやられちまうかもな。真正面からやり合うのが怖かったんだろ?」

「お前に?オレが?昔、不意を突いてきたのはテメェだろ。今度こそ本気で投げてやろうか」

「あぁー!!!」

 火花が見えるほど睨み合うぼくらに、甲高い声が突然飛んできた。

 二人してびっくりしながら声の方を見ると、藤堂さんが口元を手で押さえて目を丸くしていた。

「東雲くんが言ってたムキムキ!」

「……は?」

 寝取り野郎が間抜けな声を出した。ぼくは声こそ出さなかったが、同じ言葉を心の中で発していた。

「たしかにイケメン!しかも結構わたし好みのムキムキね!」

 バチバチの喧嘩に発展しそうなのにそういうこと言うのはどうかと思う。君はぼくの味方なのだろうか藤堂さんよ。

「……ははっ。オレのこと良いと思ってくれるなら嬉しいな〜。名前なんていうの?」

 ぼくの肩に乗せていた手の力が緩まる。

 ……今なら顔面入れれるな。入れちゃおっかなー。

「わたしは藤堂凛よ」

「凛ちゃんね。かわいいのにかっこよさもあるじゃん。良い名前だね」

「あら、ありがとう」

 出たよ。コイツ人に取り入るの上手いんだよな。藤堂さんは正直ポンコツ感あるしチョロいのでかわいいとは言われ慣れている。しかし、かっこいいと言われると微妙にうれしそうな反応をする。多分コイツは今ので見抜いたはずだ。ここから上手いこと褒めつつ、だけど自分の価値を押し上げるように会話していくぞ。それを自分の欲求を満たすためだけにしか利用しないんだ。マジで嫌いだわコイツ。

 ……そして、それに乗せられる人もぼくは嫌いだ。

「連絡先交換しない?」

「それはしないわ」

 ん?

「……凛ちゃん?」

「わたし、結構理想高いの。見た目はタイプでも性格がダメなら友達にすらなりたくないわ」

 なんか、すごいこと言ってない?

「えーっと、オレは性格悪いって今バカにされてる?」

「してる。わたしはね、東雲くんが良いやつだってもう知ってるの。東雲くんは、無闇に敵意を抱く人じゃないわ。たまに言動はキツいけどね。その東雲くんがここまで敵視しているなら、わたしの中であなたは超危険人物よ。友達にはなりたくないわね」

 めちゃくちゃ言ってるー!?

 藤堂さん、自分よりも一回り大きい血気盛んな男に正面切ってめちゃくちゃ言ってる!

 確かに因縁あるヤツが存在するという話はこの前したけれど、それが目の前の男とは限らないし、実際何があったかもぼくは話していない。なのにめちゃくちゃ言ってくれてる!

「……ははっ。じゃ、友達って関係はすっ飛ばそうかな」

「はぁ?」

 下卑た笑みを浮かべながら言う寝取り野郎に、今度はキツい目線で藤堂さんが返す。ぼくの肩に乗っていた手は完全に力がなくなり、そして離れた。

「また近々会おうよ。オレ、黒井音弥(くろい おとや)。よろしくね〜」

 寝取り野郎は、ひらひらと手を振りながらその場を去っていった。

 シーンとしていた周りから、やがて少しばかりの喧騒に戻る。そういや、往来の真ん中だったな。随分と目立つ行動をしてしまった。

 それよりも、近々また会うだと?

 一体、どうやって?

「やぁっと見つけたぁあ!」

「うおっ!」

 突然後ろからガバッとなにかが乗っかってきた。この声、この暑苦しさ、今度こそ間違いなく獅童だ。多分涙みたいな水滴がぼくの後頭部にザブザブ降ってきているので間違いなく獅童だ。

「どこ行ってたんだよぉおお!どっか行くなら連絡してくれよぉおお!なんでどっちもどんだけ連絡しても無視すんだよぉおお!」

「えぇい、離れろ!うんこくせぇ!」

「ちゃんと拭いたわボケぇ!!!」

 ギャーギャー騒ぎ始めたぼくと獅童の様子を見て、藤堂さんが吹き出し、笑い始めた。

 ぼくは気付いていた。そりゃそうだ。真正面から言えるあの胆力はすごい。でも、当然に怖かったはず。

 今も少し、足が震えていることにぼくは気付いていた。


 ……情けない。これは、ぼくのせいだ。

 どうやら、今年の夏休みも忙しくなりそうだ。

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