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東雲・前編

 どうもどうも。

 ぼくです。チャッピーです。


 すみません。好き放題に好きを詰め込んだ作品です。中にはこれ大丈夫なのかという表現もあるかもしれません。

 楽しんでいただければ幸いです。

 彼女寝取られた。

 びっっっくりした。

 

 ぼくが中学三年生に上がってそれなりに経った頃、平凡に生きてきたぼくは、これからも平凡に生きていこうと決めていた。

 さてさて、桜も散って若葉に変わり、春風は舞いながら我が国を越えて飛び去った。気温は上昇して湿度が増し、じめじめとし始めたと同時に色鮮やかなアジサイが顔を見せるためにがんばり出した頃である。

 中学三年生といえば受験シーズン真っ只中。公立の中学校で特別優秀というわけでもない学力のぼくだが、出来るならば今後の人生も平凡に生きていくためにそれなりの偏差値を持つ学校にお抱えいただきたい。

 そんなことを考えていたぼくは、勉学に勤しんだ。学生の本分でもあるならば、勤しまなければ怠惰である。それまではある程度の真面目を誇っていたぼくは真面目すぎる生き方にシフトして結構がんばった。背筋を伸ばして授業に精を出すのはもちろん、放課後は図書室で背筋を丸めて教科書や参考書にのめり込み、内申点を気にして学校行事の委員会にも手を上げる程のがんばりようである。

 そんなぼくのがんばりに、神様がご褒美でもあげようと粋な心で機会をくれた。

 わたしも一緒に勉強して良い?と女の子からお誘いがあったのである。

 澄ましてぼくは、良いよ別に、と答えた。

 内心ウキウキである。中学三年生、これまで彼女など出来たことは無し。ウキウキを超えて有頂天。これ春過ぎ去ったのに春始まってるわと心も下もそり返る喜びようである。

 ともに勉強をし始めた女の子は、同じクラスメイトの地味な子だった。黒髪をボサリと伸ばし、黒縁のやたらとデカいメガネをかけて、常に俯いている女の子。顔はそうやって隠そうとしているが、スタイルは非常に良いのか首から下は隠そうとしても隠せない主張具合である。

 ウキウキである。もうなんか、ウキウキっていうかバキバキである。ぼくはバキバキである。

 一緒に過ごしていると気付いた。きっかけは、女の子が勉強をしすぎて目が疲れてきたがためにメガネを外した時である。

 メガネを外し、髪が邪魔なのか手でどけようとした時にしっかりと顔が見えた。めちゃくちゃ整ってた。

 なんで隠しているのかと思ってしまう程だった。勿体無い、と素直にぼくは口からこぼれ出た。

 それを聞いた女の子は少し驚いた表情をした後に、顔が赤くなっていった。

 その日は、ぼくも女の子も特に会話をそれ以上はしなかった。でも、ぼくも女の子も指に力がいつもより入って、震えているのか字も安定しなかった。

 その翌日である。ぼくは女の子に告白された。

 真面目にがんばる姿に惹かれた。とても誠実そうな人だと思った。一緒にがんばれたらと思って始めた勉強会のような時間だったが、過ごしているうちにこの先も一緒にいたいと思ってきてしまった、と。

 アジサイが顔を出そうとがんばる時節、ぼくの人生に先に花が咲いた。


 彼氏と彼女の関係になってからも、ぼくは別に何かを特別しなかった。とにかく今は勉学に精を出す。その姿に惹かれたというのであるから、今その姿を歪めるわけにはいくまい。

 とはいえ彼女は勉学以外にもがんばってくれていた。

 まずはメガネを外した。その後に髪を綺麗に整えた。それだけで顔が見えるようになった。周りがざわつき始めた。

 ぼくは鼻高々である。あれ、ぼくの彼女なんだぜ。

 急に友達が増え始めた彼女は化粧も始めた。しかし、元の素材が良いので薄く化粧をするくらいである。それがまた評価を爆上げすることに繋がり、もはやクラスを越えて噂が立つくらいである。あれ、ぼくの彼女なんだぜ。

 ぼくは何も心配していなかった。彼女は真面目で、ぼくも真面目。付き合ってから一ヶ月、ぼくは最高の気分である。絶対受験も成功させたるわい。高校生になったら本格的にデートした上にぼくは大人の階段だって登っちゃうことになるだろう。

 ぼくは鼻歌を口ずさみながら日々を過ごすのが日課になっていた。

 彼女には女の子以外の友達も出来始めた。公立中学校といえば、まぁ学力なんてピンからキリまで様々である。彼女に近付く輩に、先生から評価の良くないヤツも現れ始めた。

 でも、ぼくは何も心配していなかった。彼女は真面目で、ぼくも真面目なのだ。つーか人の彼女に普通に下心ありで近付くやつってやばいもんな。考えてみてよ、そんなヤツと一緒になった場合、絶対後々も同じようなことするじゃん。浮気されるのが目に見えているわけじゃん。彼女が真面目なのにそんなヤツに惹かれるはずがねーわ。

 とか思ってたら、夏休み前にぼくの彼女寝取られてた。

 びっっっくりした。

 ぼくの携帯に一枚の画像が送られてきた。

 笑いながらピースしてる裸の肉体全身がバキバキの同級生と締まるところは引き締めて出すべきところ上限超えてるプリプリの彼女が裸でピースしとった。

 信じられなくて一回携帯落とした。拾った。もう一回写真見た。信じられなくて一回携帯投げた。

 マジかよってなった。こういう時、どんな顔すればいいかわからないの。

 ぼくは彼女に問い詰めた。一体どうしたんだ、と。脅されたのか、と。人質とか弱みとか握られたんならそれはそれとして全部洗いざらい警察でも親でもなんでも話をして助けを求めないと解決にすら繋がらないからがんばろうよ、と。ぼくも出来る限り力になってみせるから、と。

 そんなのは無いと一蹴された。強がりだと思ったけど彼女は話してくれない。じゃあ強がりかどうかわからん。これどうするのが正解なんだ一体。

 最終的に彼女が話した内容は、ぼくが一切手出しせず、色々相談に乗ってくれているうちになんかそういう雰囲気になってきてなんかそういう事をしてみたらなんかめちゃくちゃ良かったとかいうクソみたいな内容だった。

 アホか!

 それぼくへの配慮どうなっとんねん!

 筋肉とかすごくて、男性らしさを感じたの。彼ね、少し強引なんだけど本当は優しくて。あと、柔道やっているらしくて、寝技……すごかった。ぽ。

 ぽじゃねーわ。アホか。

 泣いた。

 彼女の前では、ほえぇえそういうこともあるんだねぇ、とかわけわからんこと言った。帰って速攻でマジ泣きした。

 アジサイが枯れてこれから夏休みに入る。

 ぼくは捨てられて、これから彼女、いや元彼女は寝取り野郎とくんずほぐれつした後に勉強しなきゃとか言って、そんなの大丈夫だってとかいうアホ丸出しの会話をするのだろうかとか考えていると涙が止まらなかった。ぼくが勉学に精を出す間にアイツら文字通りの精を出しとるだろうかとか思ったら涙止まるわけなかった。昨今の若者の性の乱れヤバすぎだろちくしょうめ。

 ぼくは癒しを求めた。彼女がいなくなったのだから今まで寝落ちもちもちしていた時間を有効活用出来るはずだ。流石に全ての時間を勉強に回せる胆力、ぼくにはない。心壊れちゃうよ。

 まず漫画に手を出した。全然内容が入ってこない。

 アニメに手を出した。全然内容が入ってこない。

 違うのだ。もっとこう、無心になれるようなものが良い。

 YouTubeをサーフィンしていると、一つの動画に目が止まった。いわゆるVtuberというやつが、かなり前に発売していた初音ミクフィットボクシングというゲームを実況していたのである。

 何故目に止まったのかというと、ボクササイズのせいでちょっとえっちな声になっていたからである。

 寝取られたからといってぼくの性欲が消えたわけではない。そこは盛んな中学三年生。身体も心も正直である。あのアホ二人は正直すぎると思うので納得は出来ないが、中学三年生ってそんなものである。

 ぼくはその動画を見た時に立ち上がった。いやこれは文字通りちゃんと身体全体で立ち上がっていた。

 これや!ぼくん求めてたのこれや!

 ぼくはSwitchと初音ミクフィットボクシングを求めて近くのゲーム屋に飛び込んだ。


 夏休みに入った。

 夏休みに入る前は最悪だった。夏休みまで残り一週間というところでぼくは彼女を寝取られた。甘酸っぱい夏休み味わえないからか結構本気で落ち込んでいたけれど、最悪だったのはそこじゃない。

 見せつけるように寝取り野郎と彼女がぼくの視界に映るのが腹立った。あれは確実に、ぼくに見えるようにしていてそれをプレイとして楽しんでいやがった。

 他の同級生はというと、同情のような目を向けるのが半分、あとは惨めだねーと嘲る目を向けるのが半分である。こんなのいじめじゃねーか。

 そんな地獄の一週間を血涙流しながらぼくは過ごしていた。過ごしながらぼくは色々と準備していた。

 これまでの生活は変えられない。もう平凡な生活を目指すとかちょっと気力は湧かないけれど、だからといってこの先を棒に振ったら本当に敗北である。勉強は続けた。授業は真面目に、放課後は図書室で勉強だ。

 日が落ちてからは帰り道にショッピングモールへ寄った。

 一週間、ゲームに必要な物であったり、運動するための服であったり色々見て回った。ぼくは形から入るタイプだ。こういうの買うために本気で悩むのはかなり好きな方だ。

 お金はそれなりに飛んでいき、懐は寂しくなった。

 彼女だけじゃなくてお年玉とお小遣いとお貯金も消えた。ゆるせねぇ。

 万全の状態で夏休みに入ったぼくは、夏休み一日目から初音ミクフィットボクシングを起動した。

 このゲーム、全世界のオタクたちが慕う歌姫、初音ミクちゃんがトレーナーとなってボクササイズを教えてくれるのである。曲に合わせてパンチを打つ。

 なんかの漫画で読んだが、ボクシングってリズム感良いと結構役立つらしい。じゃあわりと理に適っているのだろうか。

 初音ミクちゃんが最初から丁寧に教えてくれる。まずはストレッチ。なるほど、身体を動かす前に身体を起こす。運動効率が良くなるのだ。そして簡単にジャブとストレートの打ち方を教えてくれた。

 左手前半身になってから、身体の前へ両腕を上げる。左手拳は前からアゴを守るように、右手拳は横からアゴを守るように。これが基本の構え。常に手は下ろさない。脇を締めて気を付ける。

 左手拳を内側にひねりながら、素早く前に打つ。拳の高さは想定相手のアゴ。打ったら即座に戻す。また基本の構え。

 これが左ジャブ。

 後方に下げている片足をつま先からひねりつつ、連動して腰を回す動きから入り、右手拳を内側にねじりながら身体全体で打つ。打ったら即座に戻す。また基本の構え。

 これが右ストレート。

 体勢を左右入れ替えると右ジャブ、左ストレートになる。

 まずは最初のこの二つ。ワンツー、ジャブジャブストレート、始まりの始まりから初音ミクちゃんは丁寧に教えてくれた。

 ぼくは部活に所属していなかったし、運動だってこれまでやってきたわけではない。身長は急激に伸び始めたが、元々細身だったこともあって縦に引き伸ばされた紐のような身体である。

 正直、ただのジャブとストレートだけで結構疲れる。

 リズムよく前後に体重移動もしなければならない。普通に息が上がる。

 運動部のやつらって、ゼハゼハ言いながら走り回っているけれどあれすごいことなんだな。

 パンチを打つ時は全力を心掛けた。強くなることが目標なのだ。目標の先は当然、ムキムキの寝取り野郎への復讐である。

 初音ミクちゃんが優しく笑顔で勇気付けてくれる。単純作業のジャブとストレート。内容が頭に入ってこないとかそういうのはない。ただひたすらに打つ、戻す、打つ、戻す。これなら下手に理屈をこねくり回さないので怒り心頭のぼくにも出来る。

 気持ちが良いし、裏切ることのない初音ミクちゃんが笑顔でもう少しだよと言ってくれるのでがんばれる。

 最初のチュートリアルを終える頃にはさらに色々と動きを仕込まれた。

 フック、アッパー、ガード、ダッキング、一つ一つの動きを懇切丁寧に説明してくれる優しくてかわいいトレーナー。

 何故ぼくは現実に希望を抱こうとしていたのだ。ここに天使がいてくれたではないか。

 そんなことすら思いながらぼくは汗を流し続けた。

 汗を流したら勉強だ。学校の勉強、受験のための勉強ではあるが、頭を柔らかくすることは来るべき復讐に使えると思っていた。無駄になるはずがない。知識は力になる。頭の回転速度や脳内のシナプス強化は運動能力にも直結するはず。ぼくは勉強を疎かにはしなかった。

 勉強の集中が切れ始めたら初音ミクちゃんに会いに行く。肉体的に疲労すれば頭を使うために机へ向かう。一生体力を削り続ける地獄のようなアホ全開行為で限界が来たら倒れるように眠る。

 毎日続けた。夏休みなのに休むことなく毎日続けた。

 続けていると、枯れ枝のような身体に変化が訪れた。ぽっこりと腕に筋肉がつき始めたのである。背中やお腹にも筋が浮き始めた。

 筋トレをしているわけではないが、毎日毎日アホみたいに全力で打ち続けリズムを刻むぼくの身体は、低負荷ながらも筋肉が伸縮を繰り返し、どうやら成長しているようだった。

 おお、鏡の前でマッスルポーズを決めてしまう理由が今ならわかる。ナルシストと言われても仕方あるまい。これは日々の楽しみにしてしまう中毒性があった。

 セルジオ・オリバのポーズをした。まだまだ細いから同じポーズをしているのに全く別のポージングにすら見えてくる。新たに日課として加わった。

 ひたすらにパンチを打ち続けたぼくは自信に満ち溢れていた。そろそろ音を置き去りにするのではなかろうかとすら思えてきた。でも愛してるぜこれまでの全てにとは言えない。全然憎いわ寝取り野郎。

 そうしてぼくは初音ミクちゃんに叱咤激励されながら鍛えられた。初音ミクちゃんはいつだってぼくの味方だった。フォーエバー初音ミクちゃん、君はぼくの最高のトレーナー。

 夏休みに終わりが見え始めた。復讐の炎は消えるどころか燃え盛る一方である。強くなるたびに復讐の時を願わずにはいられなかった。

 ぼくは彼女、いや元彼女に携帯でメッセージを送った。

 夏休み最終日に会えないかな。どうしてももう一度話したいんだ。

 夜の八時くらいに送信した。返信があったのは深夜二時くらいだった。夜中まで一体なにをしていたというのだろうか。変に妄想が働いてちょっとモヤッとしたのでぼくはジャブジャブストレートフックアッパージャブストレートのコンビネーションパンチで落ち着きを取り戻した。危なかった。初音ミクちゃんありがとう。

 長かった。一カ月と一週間ちょっと。

 ぼくは拳を固く握り締めた。


「話ってなに?こんなところで……」

 ぼくの目の前で元彼女がやけにしおらしくもじもじくねくねしながら言った。

 ぼくが待ち合わせ場所に指定したのは夜七時の地元でも知る人ぞ知るな人気の無い廃墟である。人気の無い、とは二重の意味がある。周りが暗すぎるわけでもなく特別散らかっているわけでもなく怖さの度合いは微妙で、廃墟近くには人がいないものの少しばかり歩いたところに交番と消防署があるのでオカルト好きからも不良からも嫌厭されていた。怖さ的にも集まる場所的にも優れた場所が他にもあるのだ。

 結果として穴場になっているのがこの廃墟だ。それを知る地元生まれ地元育ちのワルに憧れる不良たちでも本当に大事な取引(笑)をする時くらいにしか利用しない場所にもなっている。

「電話じゃダメだったの?」

「直接話し合いたかったんだよ。ぼくは君がやっぱり、アイツに脅されて最初はイヤイヤやらされたんだって、そう思って……」

 まぁそれは実際そう思っているんだけど。

 流石に相談乗ってくれたからホイホイ着いて行ってどっか流れで連れ込まれちゃったはわかるけど、そのまま行為にまで及ぶかね普通。及ぶのかな。及ぶとしたらどうかしてるとしか思えん。

 ぼくは元彼女のことを普通だと思っている。少なくとも頭がおかしい人だとは思っていない。浮気をするのは頭おかしいことだと思っているけれどそれは置いておきまして。

 そんな普通の元彼女が、メッセージや電話で用件を終えずにここにノコノコやってくるだろうか。ぼくは寝取られた挙句煽られている身である。恨まれていて当然と考えるべきだ。つまり今、元彼女の中でぼくは何をされるかわからない要注意人物にランクインしているはず。

 となると当然、備えているはずだ。何かがあった時、問題を乗り切れるように。

「もう話せることもないよ」

「そんなことない。ぼくは君の、君の本当の気持ちを知りたいんだ」

 ぼくが言うと、元彼女の後ろからクツクツと笑いを堪える声が聞こえてきた。元彼女の後方、二階に続く階段のとても暗い場所。

 目を向けると、暗闇から口元を抑えてプルプル震えながらムキムキの寝取り野郎が現れた。

「ど、どうしてお前がいるんだ」

 ぼくが言うと、ついに寝取り野郎は頭と腹を抱えて大声で笑い出した。夜に響かせて、この町全体に聞かせようとしているようだった。

「そりゃお前!大事な『彼女』が危ない目に遭わされるかもって思ったらそばにいるもんだろ!バカだなお前!」

 ブワハハハと海賊みたいに大仰な笑い方をして寝取り野郎は超楽しそう。それを見て、ぼくは俯いた。

「おいおいお前本当にバカだな!腹いてぇわ!お前めちゃくちゃ面白いじゃん!友達になろうぜ!お前に女が近付くたびにオレに紹介してくれよ!紹介しなくても手出すけど!おーい、俯くなって!」

 ぼくは俯いたままだった。

 顔を上げなかったのは、上げられなかったから。

 だって、わかってたもんね。今ぼくはほくそ笑んでいる。

 そりゃそうだよな。こいつらわざわざ学校でぼくに見えるようにくっついて上も下も揉んでたんだし、そりゃぼくから呼び出されたらぼくをいじる材料増えたって喜び勇んでスキップしながらここに来るだろ。

「おいおい、泣いてねーか?大丈夫か?」

 何も警戒することなく、寝取り野郎はぼくに近付いてくる。

 もう少し、あと少し。

 ……今!

 ぼくは急速に前進して寝取り野郎の鳩尾目掛けて右アッパーをぶち込んだ。その右アッパーは綺麗に入った。

 後方に位置する右足から腰にかけてねじり、肘を固定させた右手拳を上方に、地面から空へと爆発させる。

 初音ミクちゃん、君から教わったアッパーが寝取り野郎の身体にめり込んだぞ!

「ガハッ……!」

 寝取り野郎は堪え切れず短く息を吐きながら後退した。

 効いている!ぼくより体格も良く、ぼくより筋肉の厚みは二倍もあるが効いている!

 畳み掛けるぞ!

 もはやぼくには寝取り野郎しか目に映らない。集中力も研ぎ澄まされていた。万全の状態、不意打ちも完璧。これで勝てなきゃ次は無い!

 ぼくは寝取り野郎を追うように前進した。コンビネーションパンチを食らわしてやる。しこたま殴って泣いて謝ってもぶちのめしてやる。容赦はしない。

 彼女を寝取られて、それを取り返そうとは思わない。だけど、ぼくがあの日与えられた絶望だけは返してやる。

 あの日、ぼくから奪われた幸せに笑う自分だけは返してもらうぞ。

 ぼくが前進してジャブから始まるコンビネーションを繰り出そうとすると、寝取り野郎はすぐさま姿勢を正して手を広げた。

 ……コイツ場馴れしすぎでは!?

 ぼくは警戒した。良いように言えば警戒した。内心は少しびびったのだ。ぼくの渾身を食らわされてもコイツはすぐに戦闘態勢に入った。コイツのやっているのは柔道。少し調べてみて知っている。結構大きな道場に通っていて、しかも成績を残しているらしい。横暴な態度はいただけないが、実力があるために大概のやつらはコイツの行いを見て見ぬフリで過ごしているそうだ。

 実力者、その情報がぼくの中にあったためにぼくは前進をやめてしまった。

 距離を取り、ステップを踏む。基本の構えは崩さない。

 相手は逆にステップを踏まずつま先に力を込めて自然体。

「てめぇ、ボクシング習ったのか?」

 寝取り野郎が息を整えながら質問してきた。

 答える義理はない。が、隙が欲しい。

「こっそり練習したんだよ。痛かった?」

 ぼくが不敵に言うと、寝取り野郎はふぅーと深く息を吐き切った。大丈夫だ。確実にダメージは与えられた。ぼくのパンチは通じる。

 隙だ。隙が欲しい。何かで気を逸らさないと。周りに物は落ちているけれど、それを拾いに行く間に掴まれるか。柔道って、掴まれてからどれくらいの時間で投げられるのだろう。投げられたら一発でもきっと終わりだ。掴まれるわけにはいかない。靴でも脱いだ後に蹴り投げるか。それとも元彼女を挟むように移動して……いや、だいぶ後ろで隠れている。アレは利用出来そうにない。

 どうする。

「アウトボクシングかよ?もやしらしい発想だぜ」

 寝取り野郎は息を整えるとスッと前進してきた。

 地面と足が擦れる音がする。一瞬間すぎてわかりにくかった。すり足で、体重移動が上手ければここまでわかりにくく距離を詰められるものなのか!

「くっ!」

 ぼくは苦し紛れに左ジャブを放った。初音ミクちゃんから教わった基本中の基本。最速で、最も練習させられたパンチ。威力は無いが

「チッ」

 顔面に当たった。綺麗にど真ん中。

 なるほど。人間なんだから、たとえ軽いパンチでも顔に当てられると怯む。ダメージは無いだろうが、これは使える!

 ジャブを制する者、世界を制すとはよく言ったものだ。

 ジャブだ。ぼくはジャブを起点に強いパンチを打ち続けるしかない。顔に当てれば怯むんだ。顔、顔を狙え。実際ぼくが想定相手に打ち込んでいたのはいつだって顔だった。

 寝取り野郎はまたも距離を詰めようとしてくる。さらに、寝取り野郎は右腕を大きく後ろに振って殴りかかろうとしている。

 バカの一つ覚えめ。ジャブからストレート、そしてフックだ!食らえ!

 ぼくは大振りになる右腕が飛んでくる前に左ジャブを放った。

 また綺麗に顔面に当たる。すると相手の動きが止まる。

 ここ!まずはストレート!その顔面陥没させてやる!

 ぼくは全身全霊で右ストレートを放った。

「いってぇええ!?」

 右ストレートが炸裂し、悲鳴のような声が上がった。

 ぼくの。

「いってぇ!なんで!?」

 ぼくはステップで大きく後退する。自分の右手拳を確認すると、なんともなってはいないがたしかに、激しい痛みが内側からズクンズクンと脈打つように訴えていた。

 拳が握れない程に痛い。

 もしかして、骨がイッた?なんで?別に寝取り野郎は何も仕込んでいない。綺麗に顔面の正中、鼻にぶち込めた。寝取り野郎は鼻血をボトボト落としながらこちらをジッと見つめて自然体。

 なんで自然やねん!

 なんで攻撃した側のぼくが右手を抑えて退がっている!?

「……あー、なるほどな。お前、そういうことか」

 鼻から口に血がたまり、しゃべりにくそうに、しかし何かを納得したように寝取り野郎は呟いた。

 何がなるほどだよ!右手いてぇ!

 寝取り野郎はスッとまた前進する。

 やばい!右手が使えない!左ジャブ、左ストレート、左フック、左アッパー。左だけでやれるか!?ぼくに勝てるか!?

 どの道ジャブだ。まずはジャブで起点を作るしかない。ジャブで怯んだところにそのまま連続のフックで……!

 そう思いながら左ジャブを放った。

「バカの一つ覚えかよ?もう慣れたわ」

 慣れたって、鼻血出してる顔面に拳叩き込まれてなんでコイツはぼくを睨み続けることが出来るんだ!

 ジャブから拳を素早く戻した。急いでフックだ。ガードされても良いから強い一撃を入れて動きを止めさせないと終わる。だがぼくが左手拳を戻した瞬間、ぼくのシャツの襟首を掴まれ、垂らしていた右腕を取られた。

 まずい、なんとか、逃げないと。

 それを考えている時にはぼくの身体は地面から離れていた。

 本当に、一瞬だった。

 柔道家はどうやら、ただの素人相手なら掴んだ瞬間には投げることが出来るらしい。

 ぼくにもし体重があったのなら、ぼくにもう少し重心移動の心得があったなら、ぼくにもっと筋肉があって体幹を鍛えていたのなら、ぼくにもし投げられるような経験があったなら、少しばかりの抵抗も可能だっただろう。

 だがぼくには、一カ月と一週間ちょっとしかなかった。元々知識も無かった。鍛えられるものなど限られていた、と思う。

 空中にいた時間など数瞬も無い。だというのにぼくの頭の中では言葉がぐるぐると巡った。走馬灯とは、このようにして起きる現象なのだろう。

 ぼくは肩から落とされた。思いっきり左肩から落とされた。肩から思いっきり落とされたということは、思いっきりでなければ頭からでも落とせたということだ。

「がぁああああ!」

 身体の中でバキンと音がした。肩の近くだった。ぼくは痛みに耐え切れずに叫んだ。

 頭から落とされていたら、固い地面のせいで死んでいたかもしれない。情けをかけられて、ぼくは命を拾った。

 拾わされた。

「……鎖骨、折れたな。お前もうなんも出来ねーよ。息するのすらいてーだろ」

「うっ、がっ、あがっ」

 痛い。

 とてつもなく、痛い。

「お前さー、ボクシングを習ったわけじゃなかったんだな。どうせボクササイズの動画でも見て真似たんだろ」

 痛すぎて答えられない。だが、当たらずも遠からず。ぼくは初音ミクちゃんのフィットボクシングでパンチを学んだ。あれはたしかに、ボクササイズだ。全力で打ち込んでいたからこそ多少のトレーニングにはなっていたが、本来はダイエット目的の代物である。

「パンチは鋭かったぜ。喧嘩もやったことないだろうに、やけに良かった。この一カ月くらい、それこそめちゃくちゃがんばったんだろうな。おれに勝つために。だけどよ」

 寝取り野郎は血を口からベチャッと吐き出して、その後にニヤッと笑った。

「打たれ弱すぎ。それから、知識も無い。ボクシングを習ったのなら、普通はグローブやテーピングがなぜ必要なのか教えられる。漫画とかじゃ素手で殴ってるけど、全力でそんなことしてりゃ拳は痛めるし手首もイカれる。額で受けられたら確実にな。そんな危険性も知らずに顔面狙っただろ。おかしいと思ったんだよ。拳も手首も鍛えるなんて短期間じゃ無理だしな。シャドーだけじゃ本当の意味で強くなれねーよ。おれはこれでも毎日乱取りしてるんだぜ。わかる?わかりやすくいうなら組み手。柔道なんだから殴られるわけじゃねーけど、相手の体勢崩す為に全身ぶつけることなんて普通だし、投げられたら受け身ありでも畳みに思いっきり叩きつけられてんの。ある程度は痛みに慣れてんだよ。でもお前はそういうのもしてないだろ」

 顔面じゃなくて、他のところを狙うべきだったのか。いや、そもそもトレーニングの仕方が、優先順位が間違っていたのか。

 足らないものが、多すぎたのか。

「まぁ、よくやったよ。鼻折れてると思うわ、これ。喧嘩だからこのままボコボコにしてやってもいいけど、鎖骨折れて動けないみたいだし……おい、ヤるぞ」

 寝取り野郎は、ぼくから視線を外して元彼女の方を向いた。

 なんだ。何をやるつもりだ。

「えっ、ここで?」

 元彼女も、驚いたような声を出した。

「最初からそのつもりで話してたろ?お前もめちゃくちゃ興奮するぜ。おれ、もう興奮してるからよ。今日は激しく、ヤる」

 寝取り野郎は、本当に楽しみにしているように言った。

 それを聞いて、元彼女も顔を歪ませた。

 喜んでいた。

 ぼくは、それからの一部始終を目に焼き付けられるように見せられた。目の前で、忘れられないように。

 全てが終わってから一人になったぼくは、痛みに耐えて少しずつ、少しずつ動いて立ち上がり、少しずつ、少しずつ病院へと向かった。

 左鎖骨は綺麗に割れていて、綺麗すぎて普通よりもすぐに治ると診断された。右手拳もヒビが入っていたくらいで砕けているわけでもなかった。

 病院にも親にも、転んだだけだと無理やり話を終わらせた。

 そんなはずがないと言われても押し通した。顔や身体を殴られていなかったから嘘を付きやすかった。

 悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。


 夏休み明けの学校に登校した時、別にいじめられることはなかった。ぼくは左腕を包帯で吊っていて、右手も包帯でぐるぐるだったがちょっかいをかけられずに済んだ。寝取り野郎は相も変わらずぼくの前で元彼女とくっついて見せつけていたが顔面に大きくガーゼとテープを貼り付けていた。鼻が折れていたらしい。

 どうやら、ぼくが復讐のために準備した上に真正面から喧嘩をしてボロ負けしたものの、鼻を折るくらい躊躇なく顔面をぶん殴れる狂人と認識されたようで、手を出したら後々が面倒だと判断されたらしい。

 半分は同情の目、半分はやべーやつだから近寄るなという目を向けられた。

 ぼくは別にもう復讐するつもりはなかった。

 完膚なきまでに負けたのだ。用意をして不意打ちをして負けたのに今さらどうこうするのは情けない。戦いを挑んだ上で奪われたのならばもう仕方がない。今から武器を準備して後ろから殴りかかって何を得る。満足感すら得られない。

 寝取り野郎は寝取り野郎で、正式に喧嘩を買ってぼくをぶっ飛ばした。というかぶん投げた。もう何も言えない。

 ぼくは苦い想いを胸に、中学を卒業した。

 地元から通学で一時間もかかる進学校に無事に合格した。


 心に溜まった黒は、幾つ夜を越えようとも薄れてくれない。

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