第一話 カイとジエフ
丘の上に聳え立つ巨大な一本の大木、それに寄生するかのように作られた家、そこに暮らすものが二名。
まだ年若い黒髪の少年カイと元冒険家兼歴史学者のジエフ=ロベルスター。
カイは毎日のようにジエフに冒険に出てみたいと懇願していた。
まだ早いと止めるジエフ。このことが原因で毎日のように喧嘩が起きているのだった。
そして今日の喧嘩は一段とすごいものであった。
「黙ってろよ、俺の人生だ。あんたにとやかく言われる筋合いはない」
まだ年若い男の子の元気な声が広大な森に響き渡る。今は何と絶賛反抗期中だ。
「落ち着け、この馬鹿頑固青二才が」
年季の入った低い声がカイを宥めるように言った。しかし、これがどうしたことか、どうやら逆効果だったらしい。火に油を注いでしまったようだ。
「バカは余計だ、このクソジジイ」
「誰がクソジジイじゃ!頭でも冷やしてこい、この豆粒小僧が」
その言葉と共に大きな拳骨がとんできた。
"POKONNNN"大きな音が鳴った。ビックリした鳥たちが一斉に丘に逆方向に飛んでいく。
「もういい、こんな家出て行ってやる」
"バン"とドアを開け、少年は家を飛び出した。
家がある丘を下るとそこにはもう森がある。普段遊んでいる森なので大体のことは分かる。
(何でわかってくれねぇんだよ)
そう思いながら必死に森を駆け抜けていく。もう戻らない、もう戻らない、そう自分に言い聞かせながら森を駆ける。"もう戻らない"心でそう思うたびに足の回転が速くなる、スピードを上げる。まるで家から逃げるかのように。
家のドアは豪快に開いたままになっていた。
「馬鹿頑固青二才が」
右手の握ったこぶしからは湯気が出ていた。ジエフはその右手の湯気を払い長椅子に深く寄りかかった。"ふー"と大きなため息をつき左胸のところから半分に折られシミのついた古い写真を取り出す。
「お前ならどうするかのぉ」
ジエフは今子育ての過酷さに打ちのめされそうになっていた。
あれからカイはだいぶん走っていた。だがまだ森を抜けることができていない。もう知らないところまできた。
(おかしい、もう森を抜けてもいいはずなのに)
家は町外れの丘の上にあり、丘周りは森に囲まれている。森を南に抜けていくと町に出る。しかし、北に行くと永遠といってもいいほど長く続く森があり、獣も多く住んでいる。そのためジエフからは耳が酸っぱくなるほど北の森に入るなと言われてきた。
(南の森に入ったはずなのに)
カイは確かに南の森に入った。先週の嵐の影響で森が荒れており、道に迷ってしまったのだ。だがしかしこれはまずい。迷っただけならまだしもここは確かに北の森だ。
どうするかと思い急いだ足を止め、木に寄り掛かかり座った。体力の消耗が一番まずい。
どうするかと考えていると、ガサゴソと音がした。そのとたん ボォーアー という大きな叫び声とともに近くの木が倒れた。その声に身の毛がよだった。それはここにいてはいけないもの、いるはずがないもの、モントレアバフの声だった。体長3mにも及ぶ大型の狸だ。例年モントレアバフはこの時期活動期間ではない。
(先週の嵐の影響か)
そう思う間に襲い掛かってくる。何とか逃げようとするが、疲労と恐怖からか足がもつれて動けない。
もう終わりだと死を悟ったその時聞き覚えのある声がぼんやりと聞こえた。
「ここにおったか」
そこにはジエフがいた。カイは一瞬思考が停止した。それはなぜこんなところにジエフがいるのか、どうやってこんな大森林の中自分を見つけることができたのかなど聞きたいことがたくさんあったからだ。
後ろからモントレアバフが迫ってきていた。
「ジジイ後ろ」
「わかっとる任せとけ」
そういうと、後ろを向きバフに向かって突きをした。一秒の沈黙の後バフが勢いよく飛ばされた。
驚きのあまり言葉が出なかった。やることなすこと驚きの連続でカイは理解が追い付いていなかった。
「帰るぞカイ」
それと同時にカイは勢いよく担がれた。180センチを超える大きな体が今日は一段と大きく感じた。ジエフは迷いのない足取りで家のある方向に歩いていく。
それからしばらくの間沈黙が続いた。ジエフはカイに特に問うことはなかった。
沈黙を破ったのはカイだった。先ほど気になったことを聞いてみた。
「どうやってオレを見つけたんだよ」
するとジエフはやっと口を開いた。
「たまたま足跡が残っておっての、先日の嵐の影響じゃろう、土が多少まだぬかるんでおったからじゃの、不幸中の幸いじゃ」
話はあまり長続きしなかった。そしてまた沈黙が続いた。
家のある丘が見えてきたころ今度はジエフが口を開いた。
「カイ、おまえはなぜそんなに急ぐように冒険に出たいんじゃ」
カイは黙ったままだったが少し恥ずかしそうに答えた。
「あんたみたいに....なりたいから」
「じいちゃん、昔してくれた話おぼえてる?じいちゃんの冒険譚、オレはそれに憧れて世界を見てみたい、冒険してみたいって心から思えたんだ」
「俺もじいちゃんに聞かせてやりたいんだよ自分の冒険譚を」
「だから急がなきゃ、あんたにその話を聞かせることができない」
カイは心に一人しまっていた思いを全部吐き出した。
ジエフからは柔らかい笑いがこぼれた。
「わしはそんな早くこっくり逝かんわい」
そしてジエフは大きな声で笑い始めた。
「面白いこと言うの、じゃがわしもお前にはこの大きな世界をしっかり見てほしいと思っとる」
カイは驚きの顔をしていた。今までジエフが自分に冒険させたくないからだと思っていたからだ。
「だがそのためにはいろんなことを知っておかなけりゃならん」
「わしはお前よりも長く生きておるし、お前よりも冒険をしてきた。じゃから、世の中の楽しさも知っているし、危険さも知っておる」
「だからお前は本をたくさん読むんじゃ、今は蓄えの時期じゃ」
その後もジエフは冒険に出るために必要な事、生きていくために必要な事、そして人間として大切なことををカイに教えた。
ジエフが思い出話を語り始めてしばらくたった時にカイが眠りに落ちていることに気づいた。それは何年ぶりに見ただろうか喜びと安心感に満ちた寝顔だった。
そしてそれからというものカイは家にある本をある分だけ読み漁っていった。
読んだ本が10000冊にも達し、家にある本のほとんどを読んで三年半が経とうとしていた。
カイは背が伸び髪型も変わり声も少し低くなった。一方ジエフは筋肉が落ち、背も少し縮み白髪も多くなった。
「カイよ、お前の夢は変わらんか」
カイは本を読みながら軽く答える。
「変わらねーよ、そのためにこう毎日本を読んできたんだ」
「そうか、ならお前が出発するのもそう遠くはないな」
ジエフはどこか寂しそうで嬉しそうにほほ笑みながら長椅子に座ろうとしたときにゴホゴホと音の低い危ない咳をし、床に膝をついて座り込んでしまった。
本を閉じ心配そうに近寄るカイを大丈夫だとあしらい、カイから離れたところに座った。咳をした際に口を押さえた右手を開くとそこには血反吐がついていた。カイに知られないようにふきんでぬぐい平然を装った。
さらに半年が過ぎついにカイは家にある本をすべて読破した。そしてついに出発する日の前日になった。
「必要なものはそろえたか」
「うん、大体そろったと思う」
少し離れた別の部屋からジエフが聞いた。
しばらくしてばたんと音がし、ガッシャンと食器が割れる音がした。嫌な予感がし、カイは急いでジエフのいる部屋に向かった。
すると床にはジエフが倒れていた。
「おい、じいちゃん。大丈夫かよ。目様せよ」
口元に顔を近づけて息をしているか確認したが息をしていない、だが心臓は動いている。カイは自分にできるあらゆる処置を施し、呼吸は何とかするようになった。
しかし、意識が戻らない。
「医者呼んでくるから、頑張ってくれ」
そういうとカイは勢いよく家を飛び出し町へ向かう。家から町までは最短でも往復6時間はかかる。
カイは休むこともなく走り続け何とか4時間で医者を連れてくることができた。
医者は何度も聴診器をジエフにあて慎重に診察をした。2,3分考え込む。そして首を横に振った。
ジエフ=ロベルスター 享年66
早すぎる死であった。
カイはジエフを大木の根元に埋め、ジエフ=ロベルスターと彫った岩を置き自分なりの墓を作った。
それからというものカイは冒険に出ることはなく、家に引きこもるようになってしまった。夢見ていた冒険のことは忘れ、ジエフとの思い出を思い出すばかり。だが、思い出せば思い出すほど苦しくなる。カイにとってジエフとはかけがえのない存在であり、親のようなものだったのだ。
出発予定日から四週間が経ち、ジエフの部屋を掃除しているときだった。机の引き出しから一枚の紙が出てきた。
その紙にはこう書いてあった。
これを読んでいるのはわしが死んだときじゃろうな。
だから、お前に謝らないといけないことがある。約束を守れずすまん。
わしも聞きたかったのう、お前の冒険譚。残念じゃ。
さて、おまえはどんな冒険がしたい?
お前の憧れた世界、それを今に見に行くことを忘れてはおらんじゃろうな。
どうせこの手紙を見ているということはうだうだして家に引きこもっているということじゃろう。
前を向け。俯いていてもそこにお前の望んだ世界はない。見えるのは悲しみに打ちのめされた自分だけじゃ。
お前の良さはいつもまっすぐで純粋で優しいところじゃ。だからそれを大切生きてくれ。
それとこの手紙の入っていた棚の中にもう一枚紙がある。旅に出たらまずはそこへ迎え。きっと助けになってくれるじゃろうて。
最後に一つだけお願いがある。家に火をつけてくれ。盛大にな。これがわしの最初で最後のわがままじゃ。許してくれの。
わしはいつでもお前のそばにいる。
自慢の息子 カイへ お前の父 ジエフ=ロベルスターより
(全部お見通しか)
懐かしさを感じ笑顔になった。それなのになぜが涙がぽろぽろと零れ落ちた。
気持ちが変わらないようにカイはその日のうちに出発することにした。
言われた通りに家に火をつけ出発した。夕暮れ、だんだんと暗くなる世界に大きな光がぽつんと灯った。
火を背にして歩きだした。火のぱちぱちと燃える音がまるで拍手をしているかのように、火の光が自分のこれから進んでいく道を示しているかのように感じた。
「いってきます」
その言葉を残してカイは旅に出るのだった。
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