【コミカライズ化】権利を主張できるのは、義務を果たしている者だけ【24/12/6】
貴族学園の渡り廊下で、アメリア・エトワールははたと足を止めた。伯爵令嬢でまだ学生の身であるが優秀な魔法使いとして有名な彼女は、分厚い魔導書を抱えて研究室に戻る最中だ。しかし向こうに見える婚約者とそれに寄り添う可愛らしい女性を見ながら、アメリアははあとため息を吐いた。
「わたくしは知らずに、とんでもない間違いをいくつか犯していたみたい」
「……例えば?」
アメリアにそう質問したのは、ウィリアム・モンタージュだ。アメリアと同じく伯爵家の出身で、彼もいくつかの魔導書を持って彼女と同じ研究室に戻る途中だった。アメリアと同様に優秀なウィリアムもまた、まだ学生ながらその頭脳と魔法を用いて効率よくモンスター討伐を果たす魔法剣士として名を馳せている。
そして、アメリアの婚約者に寄り添う女性の婚約者でもあった。
「お勉強ばっかりして婚約者のご機嫌取りをしなかったこと、定期的なお茶会に参加せずにお友だちを作らなかったこと、流行りの舞台や娯楽本を嗜まずに会話を弾ませられなかったこと」
「それさ、僕にも刺さるんだけど」
「あら」
これらは、ウィリアムの婚約者が友人たちと笑いながら語っていたことだ。しかもわざわざアメリアの聞こえる所で聞こえるように話していたのだから性質が悪い。当時のアメリアはわざわざ敵を作りに行くそのあまりの頭の悪さに眩暈を起こしかけていたが、悪意のある笑い声は精神衛生上よくなかったのでそそくさとその場を去ることしかできなかった。
しかし婚約者の楽しげな後ろ姿を見せつけられては、あれも一理あったのだろうと納得せざるを得なかった。
「まあいいわ。この学校で学べることは大体学んだし、この前完成した設置型の結界魔法は国王陛下直々にお褒めいただいたし、薬草の保存用に開発した魔法は食物の鮮度を保つのにも有効だって王妃殿下にもお言葉をいただいたし。貴族の婚姻なんてこんなものでしょう」
「僕はまだ全くいいとは思えない」
「貴方って、彼女のこと好きだったの?」
「……分からない」
「……わたくしもよ。結婚するんだとは思っていたけれど、彼のこと好きかと聞かれても分からないの。ショックはショックだったけど、別にって感じ」
強がりでもなんでもなく、アメリアは本心からそう思っていた。婚約者の不貞は前から知っていたが、どうにかしようと焦る気持ちもなかった。貴族であるから結婚は義務だ。そこに気持ちが伴わないこともあるだろう。
そんなことよりも、今のアメリアには新しい魔法を開発したりどう運用しようと考える方が楽しかった。特にウィリアムと魔法についてああでもないこうでもないと討論している時間は、婚約者と義務のお茶会をする時間の何百倍も楽しかったのだ。
アメリアにとってウィリアムは大切な友人だが、その友人が気落ちしているなら黙っている訳にもいかない。それに自身も今後の為に動き出さなければと顔を上げた。婚約者があんなでも、人生は続くのだから。
「ねえ、じゃあ、わたくしたちもこれから間違ったことを正していかない?」
「間違いを正す?」
「そう、とりあえずお友だちを作るのよ。貴族としてのコネクションは必要だわ。……話せる話題が必要だけれど」
「……僕の従姉妹たちがアメリアが作った結界魔法について聞きたがっていたよ。あれ人どころか、害獣や虫を寄せ付けなくすることもできるんだろう」
「え、じゃあ、紹介して。わたくしの兄も兄のお友だちもウィリアムの開発した剣に魔法を付与する技術のことを知りたがっていたから紹介するわ」
ウィリアムが少しだけ微笑んだので、アメリアはほっとした。彼の気落ちしている姿をあまり長く見ていたくなかったからだ。
最終学年になってから、お勉強ばかりだったアメリアとウィリアムは精力的にコネクションを広げようと活動した。初めは身内から、そこから友人を紹介してもらって、またそこから友人を。元々学内にいた数少ない友人たちとも多くの時間を共有し、様々な考え方やそれぞれが持つ知識を学んだ。その姿勢が評価されたのか、いつの間にか彼らの周りには自然と人が集まるようになっていた。
それでも、二人は研究室に籠る時間だけは確保していた。まだ学生である彼らに、仕事の依頼をする人がいるからだ。しかもその筆頭が国王なので、反抗もできなければする必要もなかった。
「お勉強ばかりしていた頃は遊んでる暇なんてないって思ってたけど、ドレスやお化粧やスイーツのことを話すのも悪くはないって最近思うの」
「僕も、紳士の集まりってつまらない話ばかりだと思っていたけど、ボードゲームとか経済の話とかは面白いよ」
「……でもやっぱり貴方と魔法陣作っているのが一番楽しいわ」
「これはもう趣味の域だからなあ……」
そう、仕事と言えど二人にとっては趣味の範囲だった。それだけ二人は優秀で、少し愚直だった。彼ら程度の能力を持つ人はこの国にはほかにも複数いるが、それでも黙々と仕事をするのが好きな人ばかりではない。文句も言わずにむしろ楽しんで魔法を開発していく若い二人は、国王を筆頭に可愛がられていたのだ。
ウィリアムが開発した魔法を試したいと言って、魔法剣片手に単身竜退治に行き見事討伐して帰ってきた時には自身の両親より先に国王夫妻から「なんて危険なことをするんだ」と懇々と叱られ、王太子夫妻にも「君は自分の価値が分かっていない」と詰られたくらいだ。アメリアはウィリアムなら絶対に何とかなると確信して止めなかったので、それに対しても叱られた。要約すると「無茶しちゃ駄目」ということだったが、まるで子どもに言い聞かせるような内容に、ウィリアムとアメリアはあとで二人して笑ってしまった。
間違いを正しながら、けれど黙々とお勉強とお仕事を続けてきた二人も学生の終わりを迎えた。もう卒業式なのだ。そしてそれが終われば卒業パーティー。学園を卒業をすればお互いに結婚が決まっている。
ウィリアムはまだしも、アメリアは結婚すれば婚家に入り子を産み育てるのが最優先となる。女である身を恨んだことはないが、ウィリアムと魔法について議論できなくなると思うとそれだけが辛かった。それでもアメリアは貴族だ。民の税で生きている以上、貴族の結婚も生涯も国の繁栄のもとに決められるのは当然のことだとアメリアは理解している。
アメリアの婚約者は分かりやすい不貞行為をするような愚か者だが、それでも子どもの頃からの付き合いだ。二人くらい子どもを作ってしまえば、あとはお互い気ままに生きればいいだろう。アメリアは諦観に似た気持ちで卒業パーティーに臨んだ。
卒業パーティーのエスコートは一応婚約者に頼んだのだけれど、アメリアは当然のように断られた。しかし同じく断られたウィリアムにエスコートしてもらえたことは、きっと思い出になるだろうと心が躍ったのはアメリアだけの秘密だ。
「アメリア、君との婚約は破棄する! いつもいつもそいつと同じ部屋でいかがわしいことをしていたのは知っているんだぞ! 最終学年になって色気づいてきたかと思えば、結局はそういうことだったんだな、この阿婆擦れが!」
「?」
「ウィリアム、貴方もよ! あたくしに相手にされないからって、そんな野暮ったい女と毎日毎日! あたくしがどれだけ悲しい想いをしたと思っているの、貴方のような人とは結婚できないわ!」
「?」
会場に入るなりお互いの婚約者にそう怒鳴られた二人は、二人で顔を見合わせて疑問符を頭の上に乗せた。「何言ってるんだこいつら」と口に出さずとも、会場の全員が同じことを考えていた。中には耐え切れず、こそこそと話しだす人もいる。
「え、馬鹿なの?」
「ええ、馬鹿なんだと思うわ」
「あの二人さ、自分たちの方が先に出来てたくせにここでこんな騒ぎ起こすとか正気か?」
「学生気分が抜けてないんじゃないかな。そうじゃなきゃ、国王夫妻から覚えも目出度い才女と竜殺しまで果たした魔法剣士に対してあんなことを言うなんて……」
「お互い家同士の約束だからって、二人が黙認していたから成り立っていた婚約だったのに」
「馬鹿だよなあ、一生安泰な結婚相手だったのに……」
「でもあの二人にはいいんじゃない? だってよっぽどあっちの方がお似合いよ」
「そうだよな、お互いに」
明らかに馬鹿にされているというのに、二人の婚約者たちは興奮してそれらが聞こえていないようだった。そもそもどうして卒業パーティーでこんなことを言い出したのだろう。馬鹿だとは知っていたけれどここまでとは、とアメリアは引き続き絶句していた。
そんな混沌とした中で、ウィリアムが一歩前に出る。
「婚約の破棄は了承するとして、いくつか反論があるがいいか。まず、ジェイコブ・プランタン」
「反論なんて――」
「ああ、お前の了解は必要ない。僕が一方的に話すから黙って聞いていろ」
ぴり、と空気に魔力が放出される。出所はウィリアムだ。在学中も趣味で多くのモンスター討伐をしてきた彼は、既に国立騎士団でも一目置かれる存在なのだった。何の特技もないアメリアの婚約者、ジェイコブを黙らせるくらいなんてこともないのだ。
「まず“いかがわしい”というのは、“本当かどうかが疑わしい”または“下品、風紀上よくない”とされることだ。僕とアメリアが学園や王宮の研究室に籠って行っていたのは、学会に発表する魔法論文の作成であったり国王陛下直々の依頼で魔法陣を描き上げていたりであるので、それには該当しない」
「男女が二人きりで部屋に籠っている時点で――!」
「僕たちは不用意に二人きりになることなどなかった。常に扉は開け放たれていたし、学園では学園の使用人が王宮では王宮の使用人が常に傍にいた。その上、部屋には先生方や王宮の魔法使いたちも出入りしていた。次に最終学年になってアメリアが“色気づいた”だったか。それは本来“性的なことに興味を持ち始める”ことを指す。そういった意味で、アメリアが色気づいたという事実はない」
「ちょっと?」
さすがに聞き捨てならなくて、アメリアはウィリアムの裾を掴んだ。ウィリアムは一瞬アメリアを振り返って少し笑ったが、また前を向く。
「ない。着飾ることに興味を持ったのは、僕の従姉妹やその友人たちがそういった方面の楽しさをアメリアに教えたからだ。よって、これも該当しない。最後に“阿婆擦れ”だったか、これが一番に当てはまらない。阿婆擦れとは“悪く人ずれしていて、厚かましいこと”を指す、昔は男女共に使われた人を侮辱する為の言葉だ。昨今は主に男性関係がだらしない女性に対して用いられるが……。そもそも性に目覚めてもいないアメリアが阿婆擦れられる要因が一欠けらすらない、つまりこれも完全に否定ができる」
「言い方、言い方よ、ウィリアム。さすがにもっと言いようというものがあるわ」
「しかし事実だ。そしてこの説明が一番に早く分かりやすい」
訂正する必要などないと言わんばかりのウィリアムに、アメリアは眉間の皺を濃くしたが彼は気にしていないようだった。
「……まあ、同じ学園に通いながら婚約者のクラスも覚えられないような頭の足りてない男には、理解できない内容だったかもしれないが」
「なっなっ……!」
ジェイコブは顔を真っ赤にして、口をぱくぱくとさせた。きっと何かを言い返したいのだろうけれど、彼の感情に頭が追い付いていないらしい。その様子をウィリアムは鼻で笑うが、それを遮る人がいた。
「やめて、ジェイコブ様に酷いこと言わないで!」
「君にもだ、エヴィ・パピヨン」
「な、何よ……!」
ウィリアムは、自身の婚約者であるエヴィに冷たい視線を投げた。エヴィは怯んだが、何故か強気だ。どうしてそんなに強気な態度をとれるのかアメリアには不思議で仕方なかった。エヴィは何故か自分のお気に入り以外の人を見下す傾向があり、一度見下した人は自分より成績が上位でも所作が美しいと評判になってもずっと「あの子は子どもの頃、転んで泣き喚いていたことがあって……」などとわざわざ昔の話をしては顰蹙を買っていたらしいが、それもアメリアには理解できなかった。
「君に対しても反論がある。“野暮ったい”とは“洗練されていない、あかぬけない”などを指すが、これは見て分からないか。今夜のアメリアのドレスは王妃殿下から賜った最新のデザインのもので、ヘアメイクから全て殿下のお抱え侍女がおこなった。素人目に見ても美しい。これを見て野暮ったいとは無理がある。そう思ってしまったのなら、君の審美眼がおかしい」
「そんなの今夜だけじゃない!」
「そんな訳がないだろう。少なくとも常に厚化粧の君とは雲泥の差がある。やはり審美眼を磨いた方がいい」
アメリアがエヴィについて考えている間に、ウィリアムはエヴィを追及し続けていた。少しぼんやりとしていたアメリアは何故か自分を引き合いに出されたことに抗議しようとするも、ウィリアムがまた話し始めるのでそれはできなかった。
「あと“君に相手にされなかったから”だったか? そうだな、学園に入学した頃、僕は君の言動にきちんと傷ついていた。“ジェイコブ様は優しくて格好いい”“ジェイコブ様は女性の扱いを分かっている”“貴方と話していてもつまらない”……。よく覚えているよ」
「だ、だからって……」
「だが、もうどうでもいい」
「え?」
「君と話していてつまらないのは僕も同じだ。君は見目がいいだけの男の捕まえ方は知っていても、魔法学は勿論、歴史や古典、経済学や領地経営、その他の全ての学問の知識が浅くて話が通じないことが多々だった。君もつまらなくて、僕もつまらない。そんな二人が話す必要なんてあるのか?」
静寂が会場を走った。ひどく遠回しな言い方だが、つまりウィリアムは「馬鹿と話しても無駄」と言っているのだ。あまりの言い様に口を押さえる者もいれば、笑いを堪えられない者もいる。エヴィはさっきのジェイコブと同じように顔を真っ赤にさせて、けれど言い返した。
「それでもあたくしたちは婚約者だったわ!」
「だから?」
「だ、だからっ、だから貴方はあたくしのことを、大事にしなくちゃいけなくて……」
「二年生になる前にはその男と関係があったのに?」
「!?」
「さすがにさ、知らない訳ないだろう。何で知らないと思っていたんだ。そんな奴をどうして大事にする義理があるんだ。馬鹿じゃないのか、いや、馬鹿だったな……」
いっそ憐れんででもいるようにウィリアムはそう呟いた。アメリアは視線を泳がせる。ウィリアムの言っていることはいちいち正論のようであるが、それでも言い方が酷すぎるのだ。まるで頭のいい人間の傲慢のように聞こえる。
もういっそ「違います」とアメリアは叫んでしまいたかった。ここで言うところの“馬鹿”というのは、こちらのことを何も考えずに暴走し続け人を傷つけても何とも思わない愚か者のことで、決して知能指数とかテストの点数の高さのことを言っているのではないのです、と。
誤解は早めに解かなければならない。アメリアはこの騒動が終わり次第すぐに方々に手紙を書こうと決意した。「誤解なんです」と。
「で、華々しく婚約破棄宣言をしてくれたところであれなんだけれど、我々の婚約は学園卒業と同時に解消される予定だったんだ。さすがに君たちじゃあ僕らにつりあわないからと国王夫妻が介入をしてくださってね」
「待って。僕らって、もしかしてわたくしも?」
さすがに黙っていられず、アメリアはまたウィリアムの裾を引っ張った。
「うん」
「聞いてないわ」
「言ってないから。あとで話すよ」
「……まあ、いいけど」
よくはないけれど、ウィリアムがあとで話すというのならそういうことなのだ。ここでどんなに怒ったり問い詰めたりしたところで、ウィリアムはここでは話さないとアメリアは知っている。なら、彼の言う「あとで」を待った方が効率がいいに決まっているのだ。
アメリアが無理矢理に納得したところで、やっとジェイコブも抗議ができる程には回復したらしい。興奮したままではあるが、エヴィを自分の後ろに下がらせていきり立っている。
「ま、待て、どういうことだ!?」
「どういうことも何も、お前たちの思い通りになるよということだよ。ただし、解消が破棄になればそれ相応の賠償は必要だ」
「そうだ、賠償! お前たちには僕たちの尊厳を傷つけた慰謝料を請求するからな!」
「好きにするといい、こちらも請求をする」
「はあ!?」
「はあ……。頭が悪いにも程がある。いや、これは頭の悪さが問題なのではないな。自己中心性の極みと視界の狭さ、認知の歪み、しかしこの常識のなさは教育の敗北だろうな」
「さっきから何をぶつぶつと言ってんだ……! ぎゃあっ!」
興奮状態のジェイコブは、何を思ったのか拳を振り上げてウィリアムに向かってきたのだ。そして腕を掴まれ軽々と投げ飛ばされて、しかもそのまま肩を押さえられている。そしてまた会場の皆の思いが一つとなった。「あーあ」だ。
「お前たちの不貞行為は、学生の身分であったから見逃されていたんだ。貴族の中には愛人を持つ人も少なくないが、それはまず本来の夫もしくは妻を最優先とした場合にのみ暗黙の了解で許されることだ。我々貴族が、お前らのように欲に忠実に生きていい訳がないだろうが。それから、どうして竜殺しに成功した僕に勝てると思った? 甚だ疑問だ」
「いっだたたた、は、放してくれ……っ」
ウィリアムは単身で竜殺しをするような人である。普段は物静かで図書館で本でも読んでいそうな雰囲気だが、それを知らぬ者など少なくともこの学園にはいない。魔法を上手く使っているので肉体派と言える程に筋骨隆々ではないが、それでも冒険者並みの体つきだ。式典用のレイピアしか持ったことのないジェイコブがどうこうできる相手ではない。
ジェイコブがあまりにも痛い痛いと騒ぐので、ウィリアムはやっと走ってきた警備たちに向かってジェイコブを投げつけた。
「いかがわしいことをしていたのは、お前たちだろうが。捏造の後出しじゃんけんで勝てると思うな。慰謝料を請求するのは好きにやればいいが、それが認められるだなんて馬鹿げた望みは捨てることだな。まあ、お前たちは今からそれぞれの実家で処分を受けるのだろうから、それから今後の人生を考えることだな」
ジェイコブとエヴィは元気にぎゃんぎゃんと騒ぎながらも、警備たちに連れて行かれた。会場は暫くざわついたが、国王夫妻からの卒業祝いである甘いワインが配られるとすぐに落ち着きを取り戻す。平静を装うのも貴族の嗜みである。それに今配られたこのワインは、王族が飲むために作られるワイン葡萄をその年の卒業生たちの為に僅かに分けて、ごくごく弱いアルコールのものをわざわざ作っているものなのだ。この国の貴族に生まれた者だけが一生に一度だけ飲める特別なワインは、成人を祝う大切なものであるのだ。
特別なワインを貰い、ウィリアムとアメリアはテラスに出ていた。さすがに視線が痛かった。
「わたくし、ほとんど話せなかったわ……」
「君、とろいからなぁ……」
「悪口はよくないと思うのよ」
「それは確かにそうなんだが」
少なくとも「とろい」は悪口だ、いい意味はない。それでも悪口の自覚があったのかと、アメリアは僅かに驚きながらウィリアムを見つめた。ウィリアムは少し居心地悪そうに首を掻く。
「それに、あんな奴とあまり話をさせたくなかった」
「一応、彼はわたくしの婚約者なのだけれど」
「もう破棄されている」
「それは卒業と同時にって、しかも解消って……」
「卒業証書を貰った時点で僕らは卒業している。破棄も解消も結果が同一なら誤差だろう。こちらに有利になるように手続きを怠るつもりはないが、つまりは同じことだ」
「ウィリアムってたまにすごく強引よね」
強引というか勝手というか。竜退治に行く時もそうだった。アメリアは大丈夫だと確信していたからわざわざ止めなかったが、止めたところで聞かないだろうことも知っていた。少し意外だったが、ウィリアムはやると決めたらそれに向かって一直線になるタイプなのだ。きっとアメリアが流行のドレスや化粧などの慣れない知識を仕入れている最中に一人でテキパキと婚約解消に向けて動いていたのだろう。教えてくれたら手伝ったのにと、アメリアは口を尖らせた。
貴族の結婚は、家同士の約束事だ。だからアメリアは特に反抗も反発もしなかった。そういうものだと思っていたから。けれど、ウィリアムは違ったのだろう。まあ始めから浮気するのが決まっている人と結婚するのもリスクが高い。じゃあついでに相手の男の婚約も解消させてしまおうとするところはすごいが、いろいろな考え方があるものだとアメリアは頷いた。
「……それで、僕と君が新たに婚約をする訳なんだけれど」
「それも初耳なんだけれど?」
「今、言った」
アメリアは心底吃驚して、目を丸くした。家格やお互いの置かれている状況からもおかしな話ではないけれど、新しい婚約なんて何も聞いていなかったのだ。けれどウィリアムが言うからにはそれは本当のことで、つまり彼はアメリアと婚約しなおす為に奔走していたことになる。アメリアはまだ一口しかワインを飲んでいないのに、ぶわりと体中が熱くなる感覚を覚えた。
「その……。僕は、アメリアが好きなんだ、多分」
「多分?」
「気持ちなんて証明ができないものの説明は難しい。君といると落ち着くし楽しい。けど君が笑うと心拍が上がるし、僕以外に笑いかけていると腹が立つ。……手を繋ぎたいし、エスコートもしたいし、抱きしめたいし、キスもしたい」
「……」
「総合的に考えて、これは恋なんだと思う。……もし、君が僕のこと好きになれなくても大事にすると誓うから、結婚は僕としてほしいんだ」
ウィリアムは顔を真っ赤にして、多少詰まりながらもそう言い切った。くらくらしそうになりながら、アメリアも何とか口を開く。
「ウィリアム、わたくしもまだ好きとかよく分からないのだけれど、多分そこはね。愛しているから、結婚してくださいって言うだけでいいと思うわ。小説とか舞台では、大体そうだもの……」
「そ、そうしたら頷いてくれるのか?」
もう言葉に出来なくて、アメリアは小さく頷く。ウィリアムが跪き、アメリアの言った通りの台詞を紡いでもう一度頷いた時、近くに潜んでいた友人たちが「おめでとう!」と叫びだすまで、そう時間はかからなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければブックマーク・評価などしていただけると、とても励みになります。よろしくお願いいたします。
久しぶりの短編でした。婚約破棄ものは読んでいると書きたくなりますね。
24/12/6発売「したたかでこそ真の令嬢ですわ! アンソロジーコミック」にて、キヨミ屋様にコミカライズしていただきました。すごく可愛く描いていただきましたので、読んでいただけると幸いです。