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綺麗事なんかキレイじゃない  作者: ひろゆき
3/26

 内山絢音の場合 (3)

 強く印象に残っているのは、彼の姿でした。

 ベッドに横たわる彼は全身に渡り、包帯が巻かれていました。

 極端に言ってしまえば、映画などで見るミイラが眠っているみたいに。

 実際には顔の半分ほどは肌が見えていたのですが、眠っているのが彼なのか、疑いたくなるほどでした。

 以前に遊びに行こうとしたとき、寝癖で少し跳ねた髪を引っ張り、「ダサッ」と怒ったことがありました。

 このときも、どこか「ダサッ」と罵りたい気持ちがあったのですけど、吐息すらない彼に、言葉は奪われてしまいました。

 それなのに、“死”という実感は正直ありませんでした。

 大怪我をしていても、そこでただ眠っているだけ。

 ただそれだけだと。



 私は彼の顔を眺めても、何も言葉をかけることはありませんでした。

「絢音さん」

 ベッドのそばで立ち竦む私に、お姉さんは声をかけてくれ、背中に手を回してくれました。

 もしかすれば、私はその場に倒れ込んでしまいそうなほど、頼りない立ち方をしていたのかもしれません。

 しかし、私は「すいません」と頭を下げると部屋の隅に下がり、ご家族に場所を譲りました。

 何がなんなのかわからなかったのです。

 ただ呆然と壁に凭れ、眺めているだけで。



 霊安室に訪れたとき、扉を隔てただけの部屋であっても、異質な空気が漂っているのは瞬時に肌が感じ取りました。

 しかし、映画やドラマなどに見られる、騒然とした場面はありませんでした。

 お母さんが彼に寄り添い、獣の咆哮みたくわめき声が部屋に充満していると思っていました。

 私情ではあるのですが、私が学生のころ、父方の祖母が亡くなったときのことです。

 父が眠りに就いた祖母に、「お母さんっ」とまるで幼稚園児が泣き叫んだことがあったのです。 

 そこでは周りの親族を気にせず寄り添っていたことがありました。

 父はどちらかと言えば、厳格で、人前ではあまり涙を見せる人物ではなかったのですけど、その光景は子供だった私には強く目蓋の奥に焼きつけられました。

 だからか、勝手にそんな光景が広がっているんだ、と想像していたのです。

 しかし、実際には静かにお母さんが彼の頭を優しく撫でているだけでした。

 赤ん坊を宥めるように。

 もちろん、皆さん平然とされていたわけではありません。

 私にはまだ戸惑っている様子に見えました。

 まだ現実にまよっているような、そんな印象でした。

 私はお姉さんから連絡を受け、ここに来るまで時間がかかったので、もうそうした場面は終わっていたのかもしれません。

 あるいは皆さん、やはり私に気を遣ってくださっていたのかもしれません。

 だとすれば、私が一番薄情だったのかもしれません。

 恋人が亡くなったのに、目の前で眠っているのに、私は涙の一つも流れることがなかったのですから。



 霊安室は思いのほか静かでした。

 お母さんは膝を着いて立ち、包帯の巻かれた彼の頭を優しく撫で、隣でお父さんがじっと彼のことを眺めていました。

 ただじっと。

 ベッドを挟んだ向かいにお姉さんがおられました。

 私の印象からして、お姉さんが三人のなかで一番冷静にされている様子に見えました。

 私の勝手な考えですが、ご両親の前だからこそ、そう振る舞っていたのかな、と思いました。

 動揺しながらも、気丈に私に声をかけていただき、私を彼の元へと場所を譲ってくださいました。

 それなのに、私はベッドのそばに歩み寄ることはできませんでした。

 不思議でした。

 悲しかったです。

 苦しかったです。

 すぐにでも、彼のそばに近づきたかったです。

 それでも、心のどこかで“遠慮”がありました。

 近づいてはいけないんだ、とそんな雰囲気がそこにはありました。

 私は“家族”じゃない、と。

 そんな後ろめたさをどうしても払拭することができません。

 だからこそ、お姉さんの厚意に首を小さく振っていました。

 壁に凭れ、じっと彼の家族を眺めるしかありませんでした。



 私自身、不思議なことなのですが、自分が置かれている立場を、どこか俯瞰的に取られていた思いが少なからずありました。

 本当に私は薄情なのかもしれません。

 彼はすでに命を落としているのに、まだどこかで夢である、と信じたい気持ちがあったのでしょうか。

 私にもわかりません。

 やはり、私だけがどこか空間を切り取られたみたいに、また違った孤独感に襲われていました。


 私はまだ他人であると。


 それが何よりも辛かったのかもしれません。

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