内山絢音の場合 (6)
驚いたのは、この日の帰りです。
彼の家から最寄りの駅までは、歩いて十分ほどの距離でした。
行きは歩いて来たのですが、私が帰ろうとしたとき、お姉さんが
「車で送るよ」
と言ってくださいました。
私は近いので構いません、と断ったのですけど、「大丈夫」とのことだったので、お言葉に甘えさせてもらいました。
その車中で、お姉さんは弱音を吐かれました。
それまで毅然と振る舞っているように見えていたので、正直驚いたのです。
お姉さんは今は落ち着いているけれど、精神的に参っていたときもあったとおっしゃっていたした。
これは私の勝手な思いすごしなのかもしれませんが、気持ち的に参られていた両親を支えながらも、彼のことも受け入れなければいけない辛さに、疲れていたように思いました。
その思いを吐露したくなり、私を誘ってくださったのかもしれません。
恋人と弟。
立場が違えど、苦しまれていたのかもしれません。
そうしたなかで、信号が赤になったとき、ハンドルをギュッと握り、胸にある様々な感情をどうすればいいのか悩んでいる、と相談されました。
このときのお姉さんの横顔は、家で見た明るさはなく、とても寂しそうでした。
やはり私と似ているように受け取ってしまいました。
このとき、私は言いました。
私の行っていることを。
こうして、自分の思いや気持ちを何かの形として書き残していると。
誰かに相談をしたいのですが、友人らにこの気持ちを伝え、どこか腫れ物に晒されるような態度を取られるのは怖い。
だから、誰かに見せるわけでもないのですが、手紙や手記のような形で思いを言葉にして書いていますと。
周りから見れば、奇妙な行為であるのは痛感してしまい、照れ隠しで笑いましたが、お姉さんは「そう」とだけ呟かれました。
それ以降、そのことには触れませんでした。
それでも、話し込んでいたためか、結局、三駅ほど進んだ駅まで送っていただきました。
駅のロータリーに着き、別れ際でした。
「今日はありがとね」
運転席からお礼を言われ、私も「ありがとうございました」と扉を閉めました。
ロータリーを出て行く車を見送っていたとき、私の心が急に締めつけられる痛みに苦しくなりました。
車が見えなくなるまで、見届けたあと、駅の改札口に向かおうとしたとき、またしても体が震えそうな寂しさに襲われました。
これまで何度となく「ありがとう」と言われたことがありましたが、今日ほど胸に重くのしかかることはありませんでした。
急に不安になってしまったのです。
私はいつまで彼の家族とつき合ってもらえるのだろうか、と。
変な疑念が取りついてしまいました。
お姉さんは今になってもよく来てくれた、という意味でお礼を言ったんじゃないか、と疑心暗鬼になったのです。
それは家を出るとき、お母さんからかけられた言葉もそうでした。
「無理しないでね」
申しわけなさそうに言うお母さん。
最初、私は落ち込まないようにして、という意味で受け取っていたのですが、離れていく車を見送っていると、怖くなってしまいます。
もしかすれば、「無理して私たち家族に気を遣わなくていい」という意味ではないだろうか、と。
もう私とは関わりたくないのだろうか、と歪んだ捉え方をしてしまう気持ちがありました。
もちろん、お二人とも私を気遣っての言葉なのは重々承知しています。
だからこそ、苦しくなって不安になるのです。
私はまだ彼と結婚したわけではありません。
でも、その予感はしていました。
ですけど、私はいつまで彼の家族と繋がっていられるのかはわかりません。
私としては、まだ繋がっていたいです。
できるなら“家族”として。
でも、それは私のワガママなのかはわかりません。
それならば、いつまでなのでしょうか。
裁判が終わるまで?
一周忌が終わるまで?
私にそんな線引きなんてできません。
なぜなら、私のなかで彼の存在はまったく消えていないのだから。
気持ちだって完全に落ち着いてなんていません。
でも、彼の家族がそれを望まれていないのならば、私も考えないといけないのでしょうか。
わかりません。
それでもこうして私の気持ちを書き続けている間は、ずっと繋がっていたいと思っています。
そんなことを考えながら歩いていたとき、私はまた少し泣いていました。
この思いはワガママでしょうか?
了
この作品は、事故死した者の周りの人たちの気持ちを描こうとしました。
ただ、今回はより身近で繋がりの強い者だけにしました。
そして、“死”を正面から書こうと思いました。
タイトルは形だけの励ましや言葉は逆に傷つけるだけなんじゃないかな、と考えて、少し皮肉を込めたタイトルにしました。
この作品を読んでいただき、本当にありがとうございました。




