根本由紀子の場合 (1)
根本由紀子の場合
私の時間はあの日に止まった。
電話口で淡々と病院から告げられたとき、正直、間違い電話をされたんだと、耳を疑わずにはいられなかった。
信じたくなんてなかった。
嘘であっていて、と車のなかでずっと願いながら病院に向かっていた。
病院が間違っているだけなんだと。
息子の持ち物を誰かが持っていて、間違えられただけ。
そんな、奇跡的なことを願いながら。
病院で息子の姿を見るまでは絶対に嘘だと信じて。
しかし、
病院に着いてベッドで眠る息子の姿に、神様、運命を恨みたくなった。
嘘ではない。
もう息子はいない。
と、神様から判決を下された変えられない非情さに。
私たち家族が何か悪いことでもしてしまったのでしょうか。
罰としてはあまりにも非情でありません。
本当に時間は止められました。
それは小説を読んでいると、しおりを挟むことで、そこで物語の時間が止まるように、私の時間は奪われてしまった。
犯人に。
私は絶対に許しません。
許せるはずがありません。
もし、私が許さなければいけないのならば、その明確な理由を教えていただきたい。
どれだけ偉い方に熱弁されたとしても、それでも私は許したくなんてありません。
正直なところ、お通夜にも葬式にも出たくありませんでした。
出てしまえば、それは息子の死を認め、別れることになるのだから。
ずっと我慢していた。
我慢をして毎日をすごすことにしていた。
それでも、時間の流れは遅いもの。
私はそんなとき、アルバムを開いていた。
そこに写される息子の姿に、涙を堪えることはできません。
写真には笑顔の息子がいます。
幼稚園のとき、小学生のとき。
まだそこに写る息子は生きているのです。
アルバムを開いている間だけは。
写真に写っていたときの息子は、一体どんな夢を描いていたのだろうか。
そのころはいろんな可能性を秘めていただろう。
息子は小学生のころ、絵を描くのが好きだった。
確か、卒業アルバムに画家になるのが夢だと書いていたのを思い出した。
でも、それが叶うことは二度とない。
その道を閉ざされてしまったのだから。
息子が大きくなるにつれ、夢の形は変わっているのかもしれないけれど、何かの目標は持っていたのでしょう。
以前、紹介された恋人の存在も、息子にしてみれば、新たな夢のなかにきっと含まれていたでしょう。
それは数年前のこと。
その日は、子供たち二人とも友人らと食事をするらしく、私たち夫婦二人だけの夕食になりました。
「なんか、寂しいな」
主人がふと呟いた。
私も「ね」と相づちを打ちましたが、そのときは笑っていました。
それは子供たちの成長の証でもあったのだと、主人とともに理解していたから。
親としては嬉しい寂しさだったのでしょう。
いずれは子供たちも自立し、こんなことが日常になる。
あのときは、そうなることをどこかで楽しみにしていたんだと思う。




