根本秀夫の場合 (4)
不安定な日々をすごしていたある日。
その日も、私はどこか空虚感に襲われながら、仏壇に向かい合っていた。
隣には同じように力の抜けた妻が座り、仏壇の遺影をじっと眺めている。
何かを話しかけることはなかった。
話しかける気力すら失っていた。
そのまま何時間もの間、仏壇の前に座ってしまいそうになっていたときである。
どこかからか、誰かの話しかけたような錯覚に襲われた。
私は空耳だとしばらく無視をしていたけれど、ふとしたとき、鼻にちょっとした匂いを感じ取った。
どこか腹を刺激する匂い。
私は思い出したように立ち上がった。
どれだけ悲しみに包まれていても、空腹には適いませんでした。
空腹を刺激した匂いに誘われ、リビングに向かってみると、私は胸を痛めた。
リビングのテーブルには、私たち家族、三人の夕食が用意されていた。
メインのおかずは鯖の味噌煮。
綺麗に並べられた食事に、先ほど空耳だったと感じていたものが、蘇っていた。
ご飯、できたから食べて。
妻の焦燥ぶりは、私より酷かった。
だから妻が作ったわけではない。
妻はずっと私の横で遺影を眺めていたのだから。
娘である。
落ち込んでいた私たちに気を遣い、料理を作ってくれたらしい。
よく考えれば、鯖の味噌煮は妻の好物であったのを思い出した。
おかずの入った器に手を触れたとき、胸が詰まってしまう。
料理はすでに冷めてしまっていたのである。
湯気はなく、鯖の味噌も少し固くなってしまっていた。
どれだけの時間が経ってしまっていたのだろうか。
覚えてはいないけど、普段、夕食は夜の七時ごろに食べていたのだけれど、もう八時を回っていた。
それだけの間、私たちは放ってしまっていた。
娘も一口も食べておらず、部屋に戻っており、食事が寂しく並んでいた。
娘はこの煮つけをどんな思いで作ってくれていたのだろうか。
私は何も考えていなかったことに、恥ずかしくなってしまった。
大事な息子を喪った喪失感は、計り知れないのだけれど、私には余裕がなかった。
それは反省しなければいけない。
娘のことを頼りすぎていた。悪く言えば、軽視してしまっていた。
息子が死んだ日から、私たち夫婦は、娘を頼り切ってしまっていたのです。