根本秀夫の場合 (1)
根本秀夫の場合
来年のことを言うと、鬼が笑う。
私が子供のころはよく言われたかとがある。
今の時代には、それこそ時代遅れだと笑われてしまうかもしれないが、昔はまだそんなことを言っていた。
孫はいつできるのだろうか。
来年どころか、何年先のことを想像してしまう瞬間が何度もあった。
まだ結婚をしたわけではない。
それでも数ヶ月前、息子が恋人を家に連れて来ると、そんなことを漠然と考えたことがある。
恥ずかしい話ではあるが。
私としては、息子はまだ子供だと思っていたけど、それは思いすごしなんだと、痛感するのと同時に、嬉しくもあった。
息子は真面目であるのは理解している。
だから、恋人を親に紹介するのならば、それなりのことを考えているんだと伝わった。
遠い望みを描いてはいけなかったのだろうか。
だからこそ、神様からの罰が下されたのだろうか。
それならば、なぜ私の命を奪わず、息子の命を奪ったのですか? と問いたい。
あまりにも酷すぎる、と神すらも恨みたくなった。
電話の内容を聞き終えたとき、耳を疑わずにはいられなかった。
息子が事故に遭った。
信じられないまま、私たちは急いで車を走らせた。
病院に向かう間、家族の会話はない。
助手席に座る妻はまだ話が信じられず、呆然とうつむき、娘は後部座席でずっと外を眺めていた。
途中、誰かに連絡をしていた。
こんなときに不謹慎だと思えたけど、私もそこで注意する余裕はなかった。
今思えば、無事に車の運転をしていたものだ。
私はただ、ハンドルを強く握り締めていた。
前を走る車は運転が苦手なのか、危なっかしい動きをしていた。
そこに苛立つ気にもなれなかった。やはり私は気持ち的に精一杯だったらしい。
あとで聞いた話なのだが、娘は息子の恋人に連絡をしていたらしい。
そこまで気が回ることに感心してしまった。
私はそこまで考えもしなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか?
呼ばれた病院に着き、案内されたのは病室でも診察室でもなく、霊安室。
それも、診察室が並ぶ場所からかけ離れた遠い場所。
普段、病院を訪れる人とは無縁な場所だと痛感した。
そこで変わり果てた息子と対面した。
私は悲しみよりも、憤りが強くなった。
どうして?
どうして息子はこんなことになった?
どうして息をしていない?
どうして治療をしてくれない?
どうして?
どうして?
どうして?
私たちを嘲笑うように現れる疑問符に、私はただ、息子の名前を叫ぶしかなかった。
まるで、行き場のない怒りをぶつけるように。
当然ながら、息子は私たちの呼びかけに応えることはなかった。
このとき、私は海に沈められたみたいに、息苦しかった。
なぜ、息子はこんな姿に。
私の歳ともなると、誰かの“死”に直面することは初めてではない。
私の祖父母はすでに他界しており、その葬式にも参列している。
人の死がどういうものであるかは、多少なりとも理解している節はあった。
言葉は悪いが、慣れていた。
だが、このときばかりは耐え難かった。
祖父母の場合、ある種の覚悟があったのかもしれない。
二人とも亡くなる前は入院し、歳のことを考えても、もう長くないと、そんな覚悟が。
しかし、息子は違う。
息子はまだ二十代半ば。私の半分の人生しか歩んでいない。
まだまだ、これからいろんなことを、と思うと悔しくてならなかった。
そもそも、息子、長女である娘の死に際に、私は立ち会うことはないとさえ、考えていたのだから。
代われるものなら、代わりたかった。
それでも、息子は目覚めることはなかった。