杉崎和樹の場合 (2)
本当ならばお通夜、葬式と続けて参列するつもりでいたけど、どうしても仕事の都合が悪く、お通夜にしか参列できなかった。
あいつにちゃんと会って、話をしようと考えていたのに叶わなかった。
やはり忙しそうで、足を止めるのも申しわけなくなり、話す機会は訪れなかった。
ーー 来てくれてたんだね、ありがとう。
ごめんね。話せなくて。
日付が変わろうとした夜、あいつからの連絡が届いた。
謝る必要なんてない。
逆にこちらが謝りたかった。
スマホを眺め、気の利いた言葉を送らなければいけないはずなのに、何も浮かばない。
がんばれ…… 違う。
大丈夫か…… 何が?
何度も打ち直し、
ーー 気にしないで。
ちゃんと休んで。
ほかにも何か打つべきなのに、素っ気ない言葉しか打てなかった。
あとは、明日の葬式には仕事でどうしても行けなくてごめん、と加えるだけ。
辛うじて、いつでも連絡をくれ、とだけはなんとか伝えられた。
それが正解なのかは、今になっても迷いは消えない。
葬式に参列した共通の友人から事情を聞いたのは、葬式の日の夜だった。
あいつは終始、自分たちと話しているときは悲しみや寂しさを一切見せなかったらしい。
それはこちらが懸命に平静を保とうとしているのがぎこちないほどに。
それでも、あいつが無理しているのは一目瞭然だったらしい。
無理に笑顔で対応していたらしく、だからこそ友人らも辛かったらしい。
話を聞いて、すぐにでも声を聞きたかった。
でも、スマホを眺めたとき、喉が詰まった。
なんて話せばいい?
やはり言葉が浮かばない。
迷いがあるなか話したって、迷いは伝わりそうで意味がない。
情けなかった。
結局、その日は何も連絡することはなかった。
あいつからの連絡もない。
それからずっと考えている。
どうすればいいのかを悩んでいたとき、ふと探していた。
どんな魔法の言葉があるんだろうか、と。
どれもが間違いじゃないか、と。
気がついたとき、自然と調べていた。
被害者遺族の人たちは、どんな辛さ襲われているのかを。
どう接すればいいのか、どうしてほしいのか、と。
ーー がんばれ。
最初に浮かんだ言葉。
弱っている人を励ますのに一般的な言葉だろうけど、調べて驚かずにはいられなかった。
調べてみると、その言葉が一番傷つける言葉なのかもしれない、と知った。
自分は何をすればいいのか。
はっきり言って、それはまだわからない。
調べてみると、事故が起きる前と変わらないようにしてほしい。
普通通りがいい、という意見を目にした。
それが自分にできるのか、と不安しかない。
普段通りの自分でいることができるのだろうか、怖かった。
自分の表情を見て、あいつは逆に苦しくならないだろうか。
そのぎこちなさに。