根本明音の場合 (6)
このころは無駄な時間をすごしていたのだろうか。
でも、弟の死がきっかけで、それまで普通の家族だったのに、音を立てて崩れていくようだった。
あるとき、私の心が一番脆くなっていて、両親に向かって叫びたい言葉があった。
それは初七日の法要を行う前の日。
両親、特に母の心労が一番脆くなっていたとき、私が母に変わり、夕食の準備をしていた。
元々、料理は嫌いじゃなかったし、私も気分転換になり、母の好きだった「鯖の味噌煮」を作った。
テーブルに料理を並べ、母を呼んだ。
母ほども美味くできた自信はなかったけれど、少しは喜んでほしかった。
それなのに、母は来なかった。
それに父も。
何度も、何度も呼んだのだけれど。
様子がおかしく、リビングを離れて二人の姿を探すと、二人を和室で見つけた。
和室には仏壇があり、もちろん弟の遺影も、遺骨もあった。
二人は肩を寄せ合い、言葉を交わすわけでもなく、その遺骨をじっと眺めていた。
その背中はとても小さく見えてしまった。
本当に両親の背中なのか、とそれならば歳を取ったんだと寂しくなった。
でも、それ以上に浮かび上がる言葉。
ーー 両親が一番辛いのだから。
ーー あなたがしっかりしてあげて。
それは私を責め立てる凶器でしかない。
私が悪いんだと。
私が死んだ方がよかった?
私の存在に気づかない両親。
人形みたいに動かない背中に向かって吐き出しそうになってしまった。
どこか、子供のころに抱いていた嫉妬に似ていたのかもしれない。
親や親戚の関心が弟に向けられ、どこか蚊帳の外に出されてしまった上の子の嫉妬に。
もう子供じゃないんだから。
と、理性が働き、どうにか乱暴な言葉は喉の奥に留めてくれた。
そこで感情を剥き出しにしてしまえば、それこそ両親をより傷つけてしまうのを理解しているから。
それこそ、駄々をこねる子供なんかになってはいけない。
私が我慢しなければいけない。
皮肉でしかないが、私はこの無責任な同情に屈したのかもしれない。
苦しくても、両親を苦しめるのは、もっと嫌だから。
ずっと時間の止まっている両親に、
「ご飯できたから、冷めないうちに食べてね」
怒りと寂しさを押し殺して伝えると、私は静かに自分の部屋に戻った。
胸に秘めた思いを隠し、笑いながらご飯を食べることはできなかった。
本当は、出来たばかりの鯖の味噌煮を、ゴミ箱に捨てたかった。
やはり、私はまだ子供だったのかもしれない。
部屋に戻り、閉じた扉に凭れると、大きく溜め息をこぼした。
食欲はまったくなくなり、こんな思いをずっと秘めていかなければいけない、と覚悟しようとしていたとき、テーブルに置いていたスマホが鳴った。
重い体を動かして、スマホを手にしたときである。
私の気持ちを理解してくれる人は……。
ふと、ある子のことを思い出してしまう。
弟の恋人であった彼女のことを。
彼女は今、どんな気持ちなんだろうか。
自分と同じような気持ちで苦しんでいるのだろうか。
それならば、どんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。
そんなことを考えてしまった。