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坂本の思い

 


 この空の下のどこかに、隆也はいるのだろう。しかし、どこにいるのか。


「どうした。空ばかり見上げて」


 掛けられた言葉に、サラは視線を戻した。

 ラムザスが肩口の聖符を巻き直しながら、水汲み場に腰を下ろす。


「何でもない。それより、傷の具合はどうだ」

「良くなった。この聖符も最後の付け替えだ」


 聖符の上から服を羽織り、

「我もここまでの日が掛かった。隆也はまだ完治は出来ていないだろうな」 

ラムザスが呟く。


 そうだ、治療に使う聖符は描かれた符によってその治癒力も変わってくる。

 精緻なものほどルクスを集め、その分価格も高い。

 ラムザスも印綬の一人ゆえそれほどの聖符を持っているが、隆也を保護した者はどうなのだろう。

 これほどの聖符を持っているのか、持っていてもそれを使うのか。


「レイムは、隆也も外西に向かっていると言っている。怪我の治療をしながらかもしれんが、それを信じるしかない」

「そうだな」

「我も隆也のことは気に入っている。この次は必ず守ってみせる。いや、隆也だけでなくあの者もな」


 そのラムザスの視線を追った先に、壁を背に膝を抱え込む少年が見えた。

 通りでは騎士たちが馬房の側で馬にエサを与え、街道駅の雑夫たちが荷物を運んでいる。


 その慌ただしい出発の準備の中を進むと、

「隆也は生きていると言ったはずだ。元気を出せ」

坂本の横で同じように背中を壁に預けた。


「そうだね、隆也には早く会いたい」

「もう少しだ」


 自分に言い聞かせるように言う。


「だけど、あいつも怪我をしていたよ」

「心配するな。誰かが治療してくれたとの話だ」

「あいつは我慢強いから、どんなに痛くても。苦しくても、我慢しているから」


 何かを思い出したように、坂本の身体が震える。

 そう、隆也もこんな風に震えていた。それでも妖獣に向かって立っていた。


「そうか、隆也は我慢強いか」

「隆也は両親を事故で亡くしてから、祖父さんと暮らしているけど、あの祖父さんとは血は繋がっていないんだ。お祖母さんが病気の時に、祖父さんは財産目当てで勝手に籍を入れたらしい」


 お祖父さんか、確かに家で高齢の男を見た。


「隆也の親父さんが、お祖母さんが亡くなった後で、遺産を手切れ金代わりに家を追い出したらしいけれど、祖父さんは籍は抜かなかったと聞いたよ。それで、両親が亡くなった後に後見人として戻ってきたんだ」

「隆也の面倒を見てくれるのだろう」

「違うよ。事故の保険金が数千万円も出るから、そのお金目当てだ。それに、隆也が住んでいたマンションも売れるから。隆也は食事を抜かれ、よく身体に痣を作っていた。それでも、先生にも俺たちにも言わずに笑っているんだ」

「だったら、おまえが守ってやればいいのじゃないか」

「そうしたかったよ。でも、勇気がなかった。いや、今も勇気はない。あの祖父さんは酒癖が悪くて、文句を言おうものなら手も付けられないくらいに暴れ出す。隆也はそれがあるから、俺たちに気を使わせないように、祖父さんに意見させないように、気丈に笑っていたんだ」


 膝を抱え込んだ肩が、小さく震えている。


「俺はこう見えても、三人の中で一番気が小さいんだ。嫌なことを押し付けられても断れないくらいに、臆病だったんだ」


 呟くように言う。


「一番気が強いのが、藤沢だった。幼稚園の時に隆也に言われたんだ。お互い真似をしてみたらと、そうすれば藤沢は慎重になれるし、俺は人から嫌なことを押し付けられなくなるからと。今思えば、四つか五つの幼稚園児の言うことじゃないよな」


 坂本は気分を落ち着けるように息をつくと、続けた。


「あれから、藤沢と俺は意識して互いの性格を替えるようにしたんだ。隆也の言った通りだったよ」


 まだ、気持ちの整理は出来ていないようだ。

 隆也のことを思い返しているのだろうが、脈略なく、思い返されるのをそのまま口にしている。

 こういう時は、否定をせずにただ聞いてやるのが良い。

 口にすることで、気持ちの整理も出来てくるだろう。


「仲が良かったのだな」

「そうだよ。隆也とはケンカをしたことがないよ。あいつは、俺がどんなことを言ってもそうだねって、笑っていたから。ケンカにならなかっただけだけどな」


 坂本が顔を上げた。


「いつも思っていた。あいつにはかなわないって。」

「だったら、元気な姿で会わないといけないな」

「そうなんだけどさ、隆也の腕の中で藤沢の笑っている顔が忘れられない。本当に怒った隆也の顔が忘れられない。俺だけが、ただびっくりして腰を抜かしていた。俺だけが、一緒にいてやれなかった」

「おまえまで怪我をすれば、隆也がどれだけ悲しむか分らない」

「だけど、俺はいつも隆也に護られているばかりだ。あいつの力になっていないんだ」

「そんなことはないさ。隆也もおまえに会うために、外西へ急いでいるはずだ。その力になっている」

「俺を心配することが、力になるか。何だか情けないな」

「お前たちは、あの平和な世界からこの世界に来たのだ。戦えないのも、怖いのも、当たり前だ。恥じることではない」

「だけど、隆也は立ち向かった」


 坂本の言葉にサラは何も言えなくなる。

 隆也は立ち向かった。確かに、そうだ。

 妖獣にもラミエルにも叶わないと知りながら尚、立ち向かう。


 借り物のルクスで、剣技もない。そんなことが続けば命が幾つあっても足りはしない。

 しかし、それは同時にあの者の純粋さの表れでもあった。

 心が魅かれ、気になってしまうのは、隆也の中に穢れのない輝きを見たように思えたからか。


「俺はね」


 坂本がため息のように口を開いた。


「食堂で隆也を置いて離れた時、サラさんが隆也の肩を叩き、話をしているのを階段から見たんだ。羨ましかった」


 あの酔った時か。

 だいぶ隆也のことを叩いた記憶はかすかにあるが。何が羨ましいのか。


「ああいうのが、本当の友人なのだろうなと、仲間なのだろうなと。隆也は俺たちに文句を言いもしない。柔らかい笑顔で包み込んでしまう」

「それは、文句言う必要がなかったのだろう」


 サラは横を向いた。

 思い出した。あの純粋さに覇気がないと感じ、天下国家を考えない姿勢に文句を言ったのだ。

 そして、それに言い返すことは普通のことだろう。

 とても羨ましがられることではない。端から見れば、いや正直に言えば、絡んだようなものだ。


「隆也は翌朝大変だったと言っていたけど、楽しそうだった」

「どうしてだ。最後はいい加減にしろとか言っていたぞ」

「それを言えるからだよ。俺も藤沢も、考えや行動はとても隆也にはかなわない。隆也はやっと同等か、それ以上の人と話せたんだ。心の底では楽しかったんだと思う」

「おまえたちの世界は、こことは比べ物にならないくらいの人がいるではないか。そうなれば、隆也以上の者など溢れるほどいるはずだ」

「サラさん、サラさんはまだ隆也の底が見えていないのだね。政治にしても経済にしても、同じニュースを見ても、視点やその裏を読み取る力が違うんだ。隆也がそこから導き出したものは、全てが本当になる」


 それは、おまえたちが読み取る力がないのでは、口に出さずに思う。


「ニュースでは、偉い学者も出て解説するけれど、それよりも正確なんだ。本人は逆を言っただけだと言うけど、見る方向が違うんだ」


 坂本が顔を向けた。


「サラさんもゆっくりと隆也と話せば、それが分るよ。隆也はいい加減だけど、言ったことは本当にするから」


 確信したような言い方だ。

 修士に過ぎず、世界も狭い彼らにはそう思えてしまうのだろう。

 確かに隆也はバカではない。だが、坂本が思うほどの賢さもない。彼の言葉が当てはまるのは、智の印綬を持つシルフだけだろう。


「分った。隆也と合流すれば、ゆっくりと話をしよう。そろそろ出発だ、馬車の清掃も終えたから準備した方が良い」


 背を向け、通りへ足を進める。

 隆也は必ず助け出す。

 背を向けたまま、高く手を上げた。


読んで頂きありがとうございます。

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