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愛玩奴隷も楽じゃない!  作者: 猪口レタス
二章 ハンナの牢獄
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09 破綻

09 破綻



「巡回中に不審者は見かけなかったかしら」

「特にそういった人物は誰も見てませんよ。よく知りませんが、あの女奴隷が勝手に逃げたんじゃないですかね」

「さっきから態度が悪いわよ。これはレベッカさんの失態でもあるんだから、もう少し協力的になってくれないと困るわ」


 時刻は十一時。ノースハーツ邸の一階にて、リゼットは使用人を詰問していた。リゼットは彼女にそれほど大きな責任がないことを理解していたが、焦燥感から言葉は自然と厳しくなっていく。

 貧乏くじを引かされたレベッカは、心の中で悪態を吐きながら壁に寄りかかった。リゼットはそれに呆れ果て、目が痛くなるほど強く彼女を睨みつける。


「もういいわ。とにかく、レーナさんを探して頂戴」


 激昂しそうになる自分を落ち着けて、リゼットは場所を移動する。これ以上の説教に意味がないことは、彼女も理解していた。

 ——リゼット・ノースハーツは、動揺していた。

 目覚めれば毎朝そこにいるお気に入りの奴隷は消えていて、信頼する従者も見当たらない。浴室、食堂、書庫、執務室。思い当たる部屋のすべてがもぬけの殻だった。

 片方が見当たらないだけなら、たまたま入れ違いになったと納得することもできた。しかし、元からナーバスだったリゼットは、そんな考えにすら到達できずに取り乱す。


「レーナさん。いるなら返事をして!」


 リゼットは掠れた声で、買い取ったばかりの奴隷の名を呼んだ。もうすでに、四周も彼女は屋敷を徘徊している。

 周囲の使用人達は非常事態だと察したが、どうせすぐに解決するだろうと、主人に近寄ろうともしない。主人を宥めるのは仕事熱心な人に任せた方がいいと、皆が身をもって知っていた。


「リゼットお嬢様、どうか致しましたか。力になれることなら、僕が協力しますよ」


 彼女らが思った通り、異常に気がついた仕事熱心な使用人———シリルがリゼットに駆け寄っていく。それを見て安心した使用人達は、各々の仕事を再開した。


「レーナさんがいないのよ。毎朝、必ず起きたらそこにいたのに………食堂にも、浴室にもいないのよ」

「ああ、レーナ様なら早朝に庭でランニングをしている姿を見ましたよ。きっと、興が乗ってしまったのでしょう。すぐに戻ってくるでしょうから、安心してください」

「でも、こんなこと今までなかったわ。ハンナもいないなんて、おかしいじゃない」

「なら、お二人でお喋りでもしているのかもしれませんね」


 シリルはリゼットを抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩く。そして落ち着いたタイミングを見計らって立ち上がらせ、ゆっくりと彼女を彼女の部屋へと連れて行った。

 シリルは世話焼きな性分だったが、そうでない者にとってはこの仕事は中々に厳しい。リゼットを誰も助けないあの空間を叱れるほど、シリルは強かではなかった。


「ご、ごめんなさい。また迷惑をかけてしまったわ………私は、駄目ね。駄目、駄目」


 歳下の血縁者に慰められているという事実が、リゼットを罪悪感で苦しめる。その結果余計に狼狽えるのだから、負の循環だった。


(これは、一時間コースかな。ああもう、チーフは何やってんだか)


 主人の肩を摩りながらシリルは思った。彼にもやるべき仕事があったが、だからといって主人を見捨てては本末転倒だ。シリルは手を替え品を替えて主人を励ましながら、ハンナの帰りを待った。

 

「遅くなって申し訳ございません、お嬢様。訳あって、妹様の介護を行なっていたのです。妹様の部屋から物音がしたので何かと思えば、ベッドから落ちていたんですよ。どうやら寝返りを打ったようで………まだどうなるかはわかりませんが、症状が回復する日も近いかもしれません」


 ハンナが姿を現したのは、それから三十分経ってからのことだった。 

 ひとしきりの作業を終わらせたハンナだったが、執務室にリゼットがおらず、浴室を利用した形跡もない。そこからハンナはリゼットの状態を推測し、ノックもせずにリゼットの私室へと足を踏み入れたのだ。

 ハンナの言い訳は白々しいことこの上なかったが、彼女を疑うものはこの場にいない。シリルもリゼットも、勝手に騙された。


「ハンナ。それはいいことだけど、緊急事態なのよ。レーナさんがいないの、誘拐されたのかもしれないわ」


 誘拐された、というのは孤独感からきた出鱈目に過ぎない。

 レーナがいない。その事実を、リゼットはなんとしても緊急のものにしたかった。


「落ち着いてくださいお嬢様。この屋敷は個人の家としては非常に大きなものですし、レーナさんも迷ってしまったのかもしれません。あの人は、わけもなくお嬢様から離れる人ではなかったではありませんか」

「なら探しに、探しに行かないといけないわ!」


 叫び散らかすリゼットは、どう考えても普通ではない。しかしハンナ達にとって、病んだリゼットの相手をするのは、もう慣れたものだった。

 安定するほど、落差は大きくなる。レーナがこの屋敷に来た時から、この結果が訪れることは必然だったのかもしれない。


「シリルくん、場所を変わって貰ってもいいですか。私のせいで不安にさせてしまったようですし、お嬢様と話がしたいんです。あと、レーナ様を探しに行ってあげてください」

「了解です。すみませんお嬢様、レーナさんを探しに行ってきますね」


 ハンナは邪魔なシリルを退けて、リゼットを抱きしめる。その抱擁に応えるように、リゼットもハンナを抱き返した。


「ごめんなさい、少し落ち着いたわ。もう、いいわよ」


 不安の理由が半分なくなったおかげで、リゼットの精神はある程度回復していた。積極的に慰めてくるハンナに気遅れして、リゼットはふと冷静になる。


「お嬢様。シリルに散々泣き縋っていたのですから、私にもそうしていいんですよ。ほら、涙が枯れるまで泣いてください。レーナさんにそんな顔は見せられないでしょう」


 ハンナはすらすらと、言葉を並べていく。ハンナの心象はヘドロのように渦巻いていたが、不思議と自分を抑えつけることができていた。


「それもそうね、ありがとうハンナ。レーナさんには、元気なところを見せないとね」


 引き合いに出したのはハンナ自身ではあったが、レーナの名前一つで立ち直るのは面白くない。引き攣る顔を誤魔化すように、ハンナはファイティングポーズを決めた。


「その意気です。そういえばお嬢様は、今日のお風呂がまだですよね。それなら久しぶりに、私がお嬢様のお手伝いを致しますよ」

「ええと、それはレーナさんに悪いから、遠慮するわ。シリルが見つけてくるまでは、ここで待っていましょう」


 リゼットは依然として重い不安を抱えていた。シリルやハンナは迷っただけだと結論付けているが、レーナの目撃情報が消えてから随分経っている。

 それなのに呑気にお風呂に入るなんて、彼女に対する裏切りだとリゼットは考えた。


「お風呂に入るのはいかがわしい行為じゃありませんよ」

「そういう意味じゃないわよ。ただ、仲間外れにするみたいで申し訳ないから」

「綺麗な姿でお迎えした方が、レーナさんも気持ちがいいはずです。あと、まだ仕事が残っているではないですか。いつまでも部屋に籠るわけにはいきませんよ」


 反論というのは体力を使う。言いたいことがないわけではなかったが、リゼットはハンナに流されるがまま浴室に移動した。


「こうして二人でお風呂に入るのは、数年ぶりですね」


 ハンナはリゼットの服を脱がしながら、優しげに呟いた。万歳をするリゼットから服を剥ぎ取って、背の伸びたその肌に触れる。


「そんなに昔じゃないわよ。今年に入ってからも、タイミングが重なったときはあったわ」

「いいえ昔です。初めから終わりまでお世話できるのは、もう本当に、気が遠くなるくらいで」


 ハンナは感極まってリゼットを強引に抱きしめた。すると彼女の目の前で、ひゃっと間抜けな声が上がる。


「失礼しました。少々、興奮してしまって」

「そう。それならいいのよ」


 リゼットは緊張を悟られぬように、ハンナに許しを与えた。

 彼女も鈍感ではない。ハンナから強い感情を向けられていることには察しがついていた。しかしまた、彼女が手を出してくるような人間ではないとも知っている。


「では、お背中をお流し致しますね」


 正面にあるのは、巨大な鏡だ。手入れがきちんとされているおかげで、水垢一つない。

 ハンナの視線は邪で、リゼットに見られていることすら気がついていなかった。しかし、誰も咎めることはない。

 ここには、二人しかいなかった。

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