06 執務室
06 執務室
浴室からそのまま運びこまれてしまったので、私はほとんど寝巻きのような格好をしていた。リゼットは気にしないだろうが、仮にも愛玩奴隷なのだから、身綺麗にはしておきたい。
私はチーフに頼んで、上等な服を一着用意してもらった。
(うぅ、他人の臭いがする)
渡されたのはシースルーの黒いワンピースだったのだが、乾いた香水の臭いがキツい。どんな時に使われたのかとか考えると、ちょーっと背筋がぞわぞわするぜ。
しかしリゼットの母親のものなので、文句も言いづらかった。
「改めて謝罪させていただきますね。すみませんでした、チーフさん。皆さんに迷惑をかけてしまったみたいで」
「構いません。お嬢様の心配性は、いつものことですからね」
しくじった時は、謝るに限る。
幸いチーフは怒っていないみたいだが、失敗が重なると怖い。仕事仲間とは、後腐れを残さないようにしないとね。
「いやしかし、皆さん仕事熱心ですね。貴族の屋敷なのに警護が少ないなって思ったんですけど、少し呼んだだけであんなに集まるんだったら、防衛面の心配はありませんね」
「そうでもありませんよ」
「でもさっきは一瞬で駆けつけてくれたじゃないですか。緊急時の動きがしっかりしているという証拠ですね。本当に助かりました、ありがとうございます」
「いえいえ、礼を言われることではありませんよ」
ノースハーツの屋敷は広いので、少し部屋を移動するだけでもそれなりの時間がかかる。
暇な間に雑談をけしかけてみたが、チーフは中々乗っかってこない。側にいる人間とは喋り倒したい性格の私からすると、話が続かないこの状況はヤキモキしてしまう。
昨日の元気なチーフはどこに行ってしまったのやら。さっき倒れたことを根に持ってないといいが。
「リゼット様の様子はどうでしたか。結構待たせていたので、気苦労をさせていないと良いのですが」
「まぁ、心配はしているでしょうね」
質問形式にすれば話が続くかなと話題を振ってみたが、やはり一言で返されてしまった。
これは駄目かと諦めかけたとき、いきなりチーフは目を見開く。それからふつふつと、溜め込んだ不満を吐き出すように喋り始めた。
「失礼を承知でいいますがね、リゼット様は出会って一日の相手にのめり込みすぎなんですよ」
愚痴だ。しかもリゼット様大好きって雰囲気を出しまくっていたチーフが、主人の悪口を言っている。
遠回しな私への嫌味も含まれているような気がするし、どう返そうかな。まあ他人の愚痴には全肯定でいいだろう。
「私が言うのもあれですが、新入りばかりが優遇されるのは面白くないですよね」
「こらこら、お嬢様に疑念を抱いてはいけませんよ」
「すみませーん」
チーフはほくほくしながら、私の頭を小突いた。ごんと、鈍い痛みが高速でやってくる。
歩み寄ってあげたというのに、なんという仕打ちだ。
「レーナさん、お嬢様が私達を呼んだ理由ってなんだかわかりますか。のぼせた貴女に頼れるところを見せたかったからですよ」
「へー」
まだまだチーフの愚痴は止まらない。チーフは私が聞き流していることにも気づかずに、一人でベラベラと喋り続けた。
はっはっは、寛容な私が壁になって進ぜよう。
「勿論、心配性なのもあります、あるでしょうねそれは。繊細な方ですから。でも会ってその日に私室に連れ込むのはやりすぎです、レーナさんだって困ったでしょうに、困りましたよね。お嬢様も酷い人ですよ、私というものがいるのに。あ、着きました。ここが執務室です、お嬢様の私室の隣ですね。リゼットお嬢様!いまレーナさんを連れてきましたよ!」
ドンドンとチーフは部屋の扉を叩いて、リゼットの返事が聞こえた瞬間に勢いよく開ける。
うん、チーフメイド向いてないぞ君。
「あらハンナ、今日は随分と元気なのね。………それよりレーナさんに質問なのだけど、体調は良くなったかしら。初日だっていうのに昨日は夜遅くまで付き合わせて悪かったわね」
「心配をお掛けして申し訳ないです。さっきのは本当にただの立ちくらみなので、気にしないでください」
「………そう。それならよかったわ」
リゼットはホッと息をついて、それから座ったまま地面を蹴り上げる。すると、どういう構造なのか椅子はくるくる回転し始めた。
「回る椅子なんて初めて見ました。私も後で座ってみてもいいですか」
「後でと言わず、今座りなさい」
世間話のつもりだったのだが、リゼットは椅子から飛び降りて手招きをしてきた。誘われるがまま椅子に座ると、柔らかいクッションに尻が沈みそうになる。
「すごいですね、これは最早寝具で——うわっ」
私が感想を口にしようとした瞬間に、後ろに回り込んだリゼットが椅子を回し始める。しまった、ハメられた。
「わー!わー!」
「あははは!レーナさん、座り心地はどうかしら」
バターになってしまうくらいの速度で、私は回転する。あまりの速さに、突っ立ったチーフは三人に分身していた。
これは酔うやつだ!止まりたい、しかし、リゼットはとんでもなく楽しそうにしていた。流石にこの笑顔は壊したくない。それにここで飛び降りたら、またリゼットに過剰な介護をされてしまうかもしれない。
されるがままだ。これでもロストラバースナンバーツーだった私が、されるがまま。なんという屈辱。
「あの、仕事中ですよ」
チーフが息払いをすると、リゼットは一気に静かになってその手を止める。この状況に助け舟を出してくれたのは、まさかのチーフだった。
「ごめんハンナ、ちょっと楽しくなっちゃって」
「お嬢様が謝る必要はございませんよ。私はレーナさんに怒っているので」
「うぇ、うぷ、な、なんで!」
「大丈夫。ハンナは優しいから、謝れば許してくれるわ」
「リゼット様まで?!」
仕方なく、足をふらつかせながらチーフに平謝りする。理不尽だ。
「はい、これから私は仕事に取り掛かるわ。ひとまずレーナさんは、そこのソファで可愛くしていてね。目の保養になるから」
仕切り直すように、リゼットは私に命令を下した。可愛くしていろなんて、私は見せ物か何かなのだろうか………いや、見せ物か。
とりあえずソファに腰を下ろしたが、こっちの椅子はあの回転椅子よりも質感が硬い。ほんの数分しか座っていないのに、もう私の尻はこんなものでは満足できなくなってしまっていた。
(いつまで放置するつもりだ………)
可愛くしてろと言われてから数十分。チーフもリゼットも書類の整理に集中していて、とてもじゃないが話しかけられる雰囲気ではない。
「あの、リゼット様は今、何の作業をしているんですか」
耐えきれなくなって、リゼットに話しかける。
すると彼女は、ペタペタトントンと印鑑を押すのをやめて、暫くぶりに顔を上げた。
「解放奴隷に居住許可証を出してるのよ。身分証があれば、税の回収を確実なものにできるでしょう。レーナさんも子供のとき、たくさんの書類に自分の名前と拇印を記録したんじゃないかしら」
「あー。やりました」
そういえば幼い頃、教会で書類を書かされたことがあった。あのときは疑問にも思わなかったが、徴税用の書類だったのは驚きだ。
古い居住許可証は故郷に置いてきてしまったが、私が解放奴隷になったらノースハーツで再発行することになるのだろうか。
「ちなみに、私の証明書って今どうなってるんですかね」
「もうないわよ。レーナさんは犯罪奴隷だから、居住許可証が破棄されてるもの。二本線が引かれてるから、市民にすることもできないわ」
「そ、そうですか」
刹那、背筋が凍った。解放されたいと望んでいたわけでもないのに、市民になれないとノースハーツ公爵から明言されると血の気が引く。
犯罪者なのだから当然のことなのかもしれないけれど、それでも………
「つまりは私と死ぬまで一緒ってこと。辛い仕事をさせる可能性はあるけど、退屈させるつもりはないわ。大船に乗った気持ちでいなさい」
リゼットはうきうきとした喜色を隠しもしなかった。
確かに私は、よっぽどのことがなければ一生をここで過ごすことになる。不安材料はあるが、元よりそれを望んでここに来たはずだ。
「お父様はどうしようもないクズだったけど、仕事はできたのよねー。ノースハーツが発案した書類の管理方法なのよこれ」
リゼットは手元の書類をひらひらと揺らして、私に自慢した。始まったうんちくは止まるところを知らず、私はただひたすらに相槌を打ち続ける。たまに機嫌をとって、それ以外のときは笑った。
結局のところ、私の生活というのは勝ち取るものではない。気が済むまで愛を与えられ続ける、それが私の生き方になる。
依然変わりなく問題はない。私はリゼットに、とても気に入られている。
「あの、リゼット様。私を買い取ったとき、私はどういう名前で登録されていたんですか」
「名前が書類上で記されることはないわね。管理番号さえわかれば、性別も年齢も判別できるもの」
自分を安心させるための質問が、私にとどめを刺した。
きっと私は自分のことを、取り返しがつく失敗をしただけの人間だと思っていたのだろう。でも違った。私は取り返しがつかないどころか、人間ですらなかったわけだ。
笑えてくるね。
「だから私を、レーナと呼ぶんですね」
気づけば、そんな言葉を私は漏らしていた。
「もしかして、本名じゃないの?レーナさんが希望するなら——」
「いいんです!リゼット様に買い取られたのは、レーナである私ですから。変に昔のことを思い出すのも、嫌ですからね」
リゼットの気遣いを、食うように否定する。
これ以上、この話を続けたくなかった。
「………驚いたわ。レーナさんも、悲しんだりするのね」
重くなった空気感を誤魔化すように、リゼットは微笑んだ。それから両腕を大きく広げて、わさわさと動かし始める。
「ほら、ハグしてあげる」
慰めのつもりなのだろう。他人と密着するのは、正直なところ飽き飽きだった。けれど断るわけにもいかないので、諦めてリゼットの元まで足を運ぶ。
「ありがとうございます」
おざなりな感謝を述べて、私はリゼットの腹に顔を埋めた。私にできる抵抗というのは、所詮はその程度だ。
そのままハグをしたら、きっとリゼットはこっそりと身体を弄ってくる。私はそれが嫌だった。
「あの、レーナさん。お嬢様の仕事の邪魔は控えてくださいませんか」
忘れていたが、この部屋にはチーフもいる。私達がくっちゃべっている間、ずっと彼女は黙々と部屋の隅で書類整理を手伝っていた。
座っているだけの私に妨害されてしまったら、文句の一つくらいは言いたくなるだろう。
「いいじゃないハンナ。たまに休むくらい、許してあげないといけないわ」
リゼットは私の頭を腹に乗せたまま、書類整理を再開する。そろそろ私もソファに戻りたかったが、涙を漏らしてしまいそうで動くにも動けなかった。
「どうしようもなくなってしまうことって、誰にでもあるのよ」
こんな人に頭を撫でられる自分が、みっともなくて死にたくなった。
メモ
レーナは金髪ボブ
リゼットは黒髪ロング
チーフは茶髪ポニーテール
シリル先輩は黒髪ショート