04 チーフメイドがやってきた
04 チーフメイドがやってきた
「さーいしょーはぐー」
相手にペースを掴まれないように、先に掛け声を上げる。ペースはゆっくり。これがきっと、私の運命の分け目となるだろう。
「じゃんけんぽい!」
いきなり早まった掛け声にチーフは肩をびくつかせて、咄嗟に手を開いた。私はそこで彼女の手を見切り、すかさずチョキの手を作る。
「私の勝ちですね」
これこそ私の必勝技、後出しじゃんけんだ。相手の手を見切り、若さ故の反応速度でそれを殴り殺す。いかがわしい王様ジャンケンによって極められたこの技は、指摘したくてもできない程度のタイムロスしか起こさない。連続して使えばバレてしまうが、一発目ならまず文句は言われない、禁断の技なのだ。
ちなみに、他人に後出しを指摘されたことは、一度だってない。流石、私だ。
「あの、いきなりカウントを早めないでくれませんか」
「あはは。つい気合を入れ過ぎてしまいました、すみません。これからは気をつけるので、負けたからって文句言うのはやめてくださいね」
「レーナさん、もしかして私に喧嘩売ってるんですか。殴りますよグーで、腹に」
「じゃあ私はパーでビンタするしかありませんね」
「………折檻が嫌なら、発言には気をつけることですね」
チーフはエプロンを外しながら、不服を訴える。ここで後出しを指摘してこないあたり、カモフラージュ用の掛け声も上手く機能したみたいだ。これなら、あと二回は後出しを使える。
エプロンを外したチーフは、ワンピースを着こなした令嬢にしか見えなかった。ロストラバースのコスプレメイド服と違って、いい生地を使っている。私が必死こいて手に入れた修道服と同じくらい上等だ。
「言っておきますが、私はレーナさんよりも二回分有利です。一回勝った程度で——」
「じゃんけんぽい!」
チーフがぶつくさ言っている間に、私は戦いの火蓋を切った。私はパーでチーフはグー。またしても私の勝ちだ。
チーフは髪留めを解いて、小さいメイドに向かって無言で投げた。チーフの長髪がさっと広がって、夜風にただ靡く。
「知ってますか。集中していない時にじゃんけんをすると、グーの手が出る確率が上がるんです。手を開く必要のない、一番楽な手だからですね」
「………ちゃんと、考えて戦っているんですね。少し見直しました。でも、レーナさんだけが掛け声役をするというのは、フェアじゃありません。次の二回は私のタイミングで始めますが、構いませんね」
「いいですよ」
連続勝利を怪しまれないための発言だったが、裏目に出たかもしれない。こっちで掛け声を出さないと、後出しの精度がどうしても落ちてしまう。勝ち過ぎて不貞腐れても困るし、次の二回は勝負を見送ろう。
「最初はぐー。じゃんけんぽん」
抑揚のない声に間が抜けてしまうが、それでも何か手を出さなければならない。適当にグーの手を繰り出すと、チーフはチョキで応戦してきた。
また、私の勝ちである。
「あなた、イカサマとかしてませんか」
チーフは訝しげに呟いたが、今回は何もやっていない。負けが込んできたからって、言いがかりはやめて欲しいな。
「私はさっき、リゼット様に八対三で敗北しました。確率論で言えば、私はチーフさんよりも五回分有利だったんですよ。三連勝なんて、おかしな話じゃありません」
「ふふっ、確率論とは大きくでましたね。私が三連敗する確率も考慮してくれると助かるのですが」
苛立った様子で、チーフはトントンと机を叩く。そして四回ほど机を叩いたところでハッと顔を上げ、首元のリボンを取り外した。
「リボンがないと、息がしやすくていいですね。でもまあ、次は負けませんし見逃しませんよ」
困った。ここでイカサマを疑われると、私の後出しがバレる可能性が出てきてしまう。これでチーフの服の枚数は私に追いついてしまったし、これじゃあ場をコントロールできない。
「さいしょはパー!私の勝ちですね、あはははは!」
私が流れのままに握り拳を作ると、チーフはしたりしたり顔で笑い始める。カバみたいに大きく口を開きながら頭をシェイクする姿は、まるで狂人だ。
しまった、私が強すぎてチーフの頭がおかしくなってしまった。
「ち、チーフ………流石にそれは」
先輩が動揺した様子でチーフを嗜める。全裸の私を暗にからかってきた彼女だったが、これほどの横暴は見逃せなかったらしい。
「えーなんですかシリルくん。ふむふむ、チーフの私に文句がある。えー、本当ですか、信じられませんうっそー!?!?」
チーフはわざとらしく口に手を当てて、喚き散らしながら両足をバタつかせた。
なっ、なんて大人気ないんだ。
「ほーら、早く着てくださいよー。はーやーくー」
ぱんぱん手を叩きながら、チーフはにじり寄ってくる。うーん、どうしよう。
先輩は、チーフと私を交互に見ながら慌てふためいていた。先輩と結託すればチーフの暴挙は止められるだろうが、チーフとの関係をこれ以上悪くしたくない。
「えっと、レーナさん。どうするんですか」
「ルールを厳格にしなかった私の負けです。私が着ましょう」
床に置かれた靴を拾い上げて、一足だけ履いてみせる。それだけで高笑いを上げるのだから、チーフの頭は相当にぶっ飛んでしまったに違いない。
これは、私の失態だ。対等な関係になりたいと上品なことを頭の中では抜かしていたが、結局のところ私はチーフを負かせたい一心で勝負を持ちかけた。そりゃ、最後は勝たせるつもりではあったが、下着姿になるまでは脱がせようとも思っていた。
こんなしくじりは、ロストラバース就任一年目の冬以来かもしれない。リゼットに実力を認められたせいで、調子に乗りすぎてしまった。
「次の試合に行く前に、ルールをしっかりと定めておきましょう」
私は思いついた問題点を消すように、新ルールを提案していく。話し合いの結果、この野球拳に三つのルール追加された。
・掛け声を言う側は交互に入れ替わる。
・じゃんけんを始める直前に一声かけてから、“最初はぐー、じゃんけんぽい”の掛け声で開始。
・手を出すのは“ぽい”のタイミングで、それ以外は無効
公平性を期すという建前で、ルールをきっちり定めておく。何でもありの勝負になってしまえば、その先にあるのは破綻だ。殴り合いの喧嘩にでもなったら、収拾がつかなくなってしまう。
「はーっ、いいでしょう許しましょう。この私がその後出しルールを許可してあげます」
チーフは高揚しながら、肘をついて私に宣言する。偉そうに手をひらひら動かす姿は様になっていて、なんだか楽しそうだ。
よし、まずはこのテンションを維持させよう。
このチーフの話し方、テンションには私も覚えがある。年寄りのクレーマーだ。
ああいうクレーマーは対応するのが非常に面倒くさいが、揉める時間が長くなれば相手は途中で冷静になってくる。そうなると自分が恥ずかしくなって、不貞腐れて帰ってしまうのだ。そして一定期間を置いて、覚醒したように再びクレームをつけにくる。ただでさえ体液でベタつくのに、性格まで粘着質になって帰ってくるわけだ。
もしチーフが覚醒したら、私の奴隷生活は終わりだ。それだけは、避けなければ。
「では、始めましょう」
五回戦目の結果は私の敗北。私の可愛らしい左足は靴によって隠れることになった。チーフは未だ狂ったようなテンションで、キャピキャピ笑っている。
「はーい、次は私です。いきますよー。最初はぐー。じゃんけんぽ」
チーフは童女のように可愛らしくて手を挙げてから、馬鹿正直にグーを繰り出した。私が選んだのはパー。私の勝ちである。
だが………
「ん!」
いきなりチーフは大声で叫んだ。
「あーすみません。“じゃんけんぽい”って言わないといけないんでしたよね。間違えて“ぽん”と言ってしまいました。あーやっちゃったなー。これでは勝負は無効です。これからは、一緒に気をつけましょうね」
早口の言い訳は見苦しいことこの上ないが、どんな手段を使っても勝つという覚悟が感じられる。流石はノースハーツ家のチーフメイドだ。
「そんな細かいこと、どうだっていいじゃないですか」
「では、レーナさんは何のためにルールを作ったんですか。不正を防ぐ、公平性を期す、そのためでしょう?!自分勝手な都合でルールを捻じ曲げるなんて、公平な勝負とは言えません。厳格にいきましょう」
無茶苦茶や行動ではあるが、筋は通っている。どうやらこの論理を押し通すつもりらしい。
ここで言いくるめることは不可能じゃないが、私の目的は勝利ではない。しかしまだ勝負は5回以上も残っているので、私が劣勢になり続けるのも問題だった。
ゲームってのは、やっぱり楽しくないとね。
「ルールを悪用するのも問題だと思いますよ。あの、シリル先輩はどう思いますか」
こういうときは、先輩に助けてもらうのが一番だ。ただ観戦するだけなんて、私は認めんぞ。
「ぼ、僕ですか。えっ、えーっと」
いきなり名前を呼ばれたせいか、先輩は吃りながら狼狽えている。その姿を見かねたチーフは、圧をかけるように言葉を放った。
「悪用ではありませんよシリルくん。私は自らの失態を自白し、公平性のあるルールを保護したのです。ジャッジがルールを軽視するなんて、あっあてはならないでしょう」
「知らない内にジャッジにされてしまった!」
先輩はびゃっと叫んで大きく後退る。素っ頓狂に声を荒げる先輩は、ちょっとだけ面白かった。
「はーやーくージャッジしてくださいよ」
「ぬぬぬ………」
「はぁ、わかりましたよチーフさん。今回は無効にします」
とはいえ先輩に嫌われては元も子もない。可哀想なことになる前に、私は議論を切り上げた。
「これって次の掛け声は誰がやるんですか」
「掛け声は交互に入れ替わると決めたでしょう。次は、私ですよ」
「そうですねールールは守るべきです」
拳を握りしめて、チーフを睨む。チーフは悔しがる私が面白いようで、愉悦の表情を浮かべた。
「ではいきます。最初はグー、じゃんけんぽ」
七回戦目も、私の敗北だった。だが、チーフに倣って念の為、私も同じことをやってみる。
「ん」
これで、じゃんけんは無効になるはずだ。
「ちょっとシリルくん。ジャッジ、ジャッジをお願いします。これって明らかに恣意的ですよね」
「ええっとチーフ。少し落ち着い」
「レーナさんはこれまで、じゃんけんぽいと叫んでいました。ただの一度の例外もなくです」
痛いところを突いてくるなぁ。
確かに、これまで私は一貫して“じゃんけんぽい”と言ってきた。ここで言い方を変えるのは、恣意的であると指摘されても仕方がない。
「適当言わないで下さいよ。シリル先輩が困っているじゃないですか。私がぽいとだけ言っていたと証明する手立てなんてないんですから、言い出しっぺとして責任をとって下さい」
「そ、そうですよチーフ」
「いいや、言っていました。なぜなら!このじゃんけん無効ルールを提案したのはレーナさんだからですよ。私はそのルールに従ったのみ!レーナさんが言い方を間違えるなんて、ありえないんですよ!」
あまりの剣幕に、近くの木々から野鳥が飛び立っていく。
「ちっ、わかりました。私の負けで構いません。ですがこれ以上、じゃんけんの無効ルールで揉めるのは馬鹿馬鹿しいです。細かい文言は気にしない、そういうルールでいきましょう。ジャッジはシリル先輩にお願いするということでお願いします」
「いいですよ。私が認めてあげます」
私は靴を脱いでから、右靴下をゆっくりと太ももまで引き上げていく。残る私の服は左靴下、ブラジャー、パンツ、ドレスのみ。対するチーフは、二対の靴下と靴、それに加えてブラジャーとパンツとワンピースが残っている。
崖っぷちだが、好都合。このまま接待してあげようじゃないか。
「下り坂」
「え?」
「レーナさん、貴女は勝負の下り坂にいます。転がり始めて、もう止まれない」
チーフはそう言葉を漏らすと、徐に服を脱ぎ始める。まずは両足の靴そして。
「私が屁理屈で勝ったと思われるのは癪ですからね」
ワンピースを、勢いよく脱いだ。
「さあ、始めましょう。今の私は神に味方されています。運試しです!」
胸を張ってチーフは拳を掲げる。
これはもう、相当に頭がきてしまっているようだ。
「最初はグー!」
チーフが手を振り下ろすと、たちまちに風が吹き荒れる。その力強さに、私は龍を見た。
「じゃんけんぽいっ!」
やってくるチョキ。私はそれに合わせて、すかさずパーの手を出した。
しかし、結果は——
「私の負けですか」
「はっ、な、なな」
チーフの手はグー。何故か、私は勝ってしまっていた。
まさか、後出し?
私の後出しに、後出しを返してきたのか?
私が目視できないほどのスピードで?
「レーナさん、あなた、私を舐めていますね。後出しをしようとするなんて………私の!精神的勝利を!阻もうというなんて!」
「何のことだか、わかりかねます」
まさか、最初からバレていたのか。後出しを使って勝ったことを、最初から見抜いていた?あり得ないあり得ない。私はこの後出しを一度だって指摘されたことがないんだ。
最初の一発に気が付いた素振りなんて、まったくなかったはずなのに。イカサマを見抜かれただけじゃなく、接待もバレたのは致命的だ。
まずい、汗が止まらない。吐き気もする。
なんだ………このざまは。
「はっはーっ!レーナさんのやりたいことはお見通しですよ。わざと負けることで私を不愉快にさせたいのでしょう?させませんよいけません。貴女にはみっともなく足掻いてもらいますから」
食ってきた茶菓子を吐き出す寸前、チーフの言葉を聞いて吐瀉物を引っ込める。
どうやら、チーフが私の後出しに気がついたのは、今回かららしい。それは初めの三連勝の後出しに気づかれたことも意味しているが、あくまで私の目的はチーフと対等になること。
そもそも勝ちにがめついところを見せても問題ないのだ。
わざと負けるところをバレたのはまずかったが、勘違いしてくれたのだから問題はない。だから私がやるべきなのは、じゃんけんで負けて気持ちよくさせることだけだ。
「バレてしまったのなら仕方ありませんね。チーフさんの運試しに付き合ってあげましょう」
私はロザリオを握りしめて、チーフに宣言する。チーフはそんな私を横目で見ながら、靴下を脱いで放り投げた。
「ではいきます。最初はグー」
その掛け声と同時に私達は拳を握りしめ、一気に跳躍する。
「じゃんけんぽい!」
その瞬間、私達の手は風よりも速く動いた。私がパーを出すとチーフはチョキを出し、私がグーに手を変えるとチーフは手を開く。
無言の攻防は永遠にも感じたが、着地した瞬間にすべては決着した。
私の手はパー。そしてチーフの手は………
「グーです。私の勝ちですね」
そのまま、私は敗北した。チーフの風格に、自然と足がすくむ。
「下着とブラジャー、どっちがない方がエッチに見えるんでしょうかね」
「知りませんよそんなの。ブラジャーつけとけばいいんじゃないですか。型崩れしますよ」
早まる鼓動を止められない。息抜きついでに雑談を持ちかけてみたが、チーフは興味なさげだった。
しかし、チーフはわかってないな。手で股間を隠すより胸を腕で隠した方が、恥ずかしそうに見えるからウケがいいんだぞ。
「パンツ履きまーす」
私は、パンツを履いた。紐パンだ。
そしてそこまでやって気がついたのだが、私はまだ左靴下を履いていない。身につける順番を間違えてしまったぜ。
「天邪鬼で可愛いですねぇ。すぐに全部着るんですから、意味なんてなくなるのに」
「チーフさんの意見なんて関係ありません。あなたが何と言おうと、私はパンツを履きましたよ」
「どうでもいいです。あ、シリルくん。人格矯正用のメイド服を用意して下さい。彼女はこれからみっちり私が扱くので」
「わかりました」
シリル先輩はチーフの言う通りに、出入り口へ向かっていく。その途中で思い出したように引き返して、手に持ったチーフの服を床に綺麗に置いた。
それから私にそっと近づいて、耳元で囁く。
「この勝負、勝った方がいいですよ」
私がリアクションを取るより先に、先輩はこの場を去っていった。ただの応援のはずなのに、屋敷の先輩たる彼女に言われてしまうと血の気が引いてしまう。
チーフの扱きとは、一体どんな内容なんだ。人格矯正という響きからして、私にまともな未来が待っている気がしない。
「じゃあいきまーす!最初はグー!」
後出しにおいて一番出しづらい手はチョキだ。つまり、着地する寸前で相手がチョキを出さざるを得ない状態を作り出した方が勝ちになる。
チーフの瞬発力と思考力はすこぶる高い。ここで私が思考停止すれば、勝手にチーフは勝ってくれるだろう。だが、私は本当にそれでいいのだろうか。
額から溢れた汗が、頬を伝った。
「じゃんけんぽい!」
いつの間にか、私達は飛んでいた。チーフは目を見開いて拳に視線を移す。彼女の貪欲な勝利への渇望が、そこにはあった。
私達の手の形はまるでルーレットゲームのように入れ替わり、私の手はグー、チーフはチョキで止まる。
だが、そこで終わる私じゃない。
「はあああ!」
雄叫びをあげながら、頭を大きく振った。その瞬間、私の汗の飛沫がチーフの眼球目掛けて飛んでいく。
「ぐはぁっ!」
私の目潰しを食らって大きく仰反るチーフ。ただでは負けまいとチーフはグーに手を変えたが、そんな苦し紛れの技に私が負けるはずがなかった。
「私の、勝ちですよ。チーフさん」
私の手のひらは、満開のひまわりよりも美しく咲いていた。チーフは忌々しげに私を睨んだが、すぐに落ち着いて残った靴下を脱ぐ。
これで、互いに残りは二着。お互いに、崖っぷちだった。
「ふはっ、はははは」
「いきなり笑って、どうしたんですか」
「いやぁ、ギャンブルっていいなあと思いまして」
「楽しんで頂けたなら、私も幸いです」
嘘をついているようには見えなかった。本当に、この野球拳を楽しんでいるらしい。
「あらあらスカしちゃってー。レーナさんもそうなんでしょう?」
口元を押さえると、私の口角は上がっていた。ここまでの心理戦の影響か、表情筋がじんじんと痛みを発している。
「ふふっ、バレてしまいましたか」
完全に図星で、言い返すこともできない。途中で吐きそうになったりもしたが、確かに私はずっとこの戦いを楽しんでいた。
もしかしたら、これまでの人生の中で一番楽しいと感じているかもしれない。
(まじか………今までの人生、野球拳以下か)
そう思うと涙の一つでも零したくなる。
「では、次の勝負といきましょう」
「はい」
全力勝負を繰り返した私達の間には、奇妙な友情が生まれていた。もはや勝負の結果がどう転ぼうと、私達の仲が険悪になることはないだろう。
だからこそ、私は勝たなければならなかった。
「「最初はグー!」」
三度目の跳躍。私達はルールすら忘れて、互いに叫んでいた。
「「じゃんけん!」」
そして拳を振りかざした瞬間——
「あー!ハンナが裸になってるー!」
乱入者が現れた。
帰ってきたリゼットは、肩をすくめる先輩を引き連れてここまでやってくる。
「あら、お嬢様。お早いお帰りですね」
「そうでもないわよ。バロンのやつ、こんな夜遅くに訪ねてきたくせに一時間半も文句を垂れてきたんだから。あんなのはカスよカス。ハゲだし」
「まあまあ、部下をそんな風に非難してはいけませんよ」
「事実だからいいのよ。それよりハンナ、私を差し置いて二人で楽しそうなことやっているじゃない」
「えっ、あ、あー」
チーフが何を言い訳しようと、ノリノリで野球拳をやっていた事実は変わりない。冷や汗だらだらのチーフは、さっきまで私が戦っていた相手と同一人物とは思えなかった。
「ハンナ先輩が、私の緊張を解そうと歓迎会を開いてくれたんですよ。まあ、野球拳を持ちかけたのは私なんですけどね」
「そうなのね。初日のうちに仲良くなるなんて、やっぱりレーナさんには才能があるわ」
「勿体無いお言葉です」
助け舟を出してあげると、チーフはそっと胸を撫で下ろした。リゼットも私の行動に肯定的だし、まあ良しとしよう。
「そうだ!私も一緒に——」
リゼットはポンと手を叩いてチーフに近寄ったが、何かを察したのかすぐに口を閉じる。何かと思い視線を移すと、驚くほどに顔を顰めたチーフがそこにいた。
間違いなく、使用人が主人に向けていい表情ではない。
「うーん、もしかしてお邪魔だったかしら。もう夜も遅いし、先に部屋に帰るわね」
流石に空気を読んだようで、リゼットはバツが悪そうに笑って、私の尻を撫でた。
「私の部屋は三階の最奥にあるから、落ち着いたら来てね。私、夜這いに憧れがあるのよ」
「かしこまりました」
「なんか妖艶なお姉さんぽい感じでお願い」
「ええと、ちょっと失礼なことしますね。………あらあら、こんな感じでいいかしら〜」
頬を押さえながら妖艶な雰囲気を出してみると、リゼットは満足気に親指を突き立てる。それから私の尻を撫でて、シリル先輩と一緒に部屋を出て行ってしまった。こいつエッチなことやりたいだけなんじゃないだろうか。
「行ってしまいましたね」
また、チーフと私の二人きりだ。
「どうしますかチーフさん。続き、やりますか」
「えっ、あー。いいです。今回は引き分けにしましょう」
さっきまで盛り上がっていたのが嘘みたいに気まずい。夜風がやけに冷たく感じて、私達はお互いに自分の服を羽織った。
「そうですね………あっ、身体を拭くものとかってありますか。せっかく時間ができたなら、身綺麗にしておきたいです」
「それなら一階の浴室を使って構いませんよ。今は使用人の入浴時間なので、まだ湯も温かいはずです」
「わかりました、ありがとうございます。使用人に浴室の使用を許すなんて、リゼット様は優しいですね」
「そうでしょうそうでしょう」
何故か誇らし気なチーフを横目で流して、私はバルコニーから室内に戻る。
「レーナさん」
「なんでしょうか」
その去り際に、私はチーフから名前を呼ばれた。
「この決着は、何処かでつけましょう。野球拳以外で」
腕まくりして笑う彼女は、空気感をはぐらかすようでお茶目だった。しかしその瞳からは僅かな闘争心も感じられて、適当な呟きではないこともわかる。
「はい、勿論です」
だから力強く握手した。
互いに良き同僚、良きライバルになれるように。