03 屋敷へようこそ
03 屋敷へようこそ
ヘーい、ロストラバースのみんな。みってるー。
私はお前たちがおっさんの相手をしている中、クソでけー屋敷のバルコニーで優雅にティーパーティをしているぜ。みんなは、お茶のお供っていったら何を思い浮かべるかな。
私はクッキーだね。君はなんだいケーキかい。それともマカロン?マドレーヌ?
ここには何と、そのどれもが集結しているぜ。三段に積まれたケーキスタンドに、色とりどりの焼き菓子が綺麗に並べられているのさ。
そして運ばれてくる、香りの強いハーブティ。うん、優雅!
馬車酔いで何も食う気が起きないが、この雰囲気は楽しみたくなってしまう。ガン見されながらもちゃもちゃマカロンを食うのはちょーっと気まずいが、茶会という響きだけで金持ちになった気分になれるぜ。
「今日は月も綺麗だし、何か遊戯をしない?」
なんだ!私はチェスが得意だぞ。
なぜならホワイトマカロンが美味いからな。はっはっは、優雅、優雅だ。
「じゃんけんってあるじゃない。ぐーがちょきに勝って、ちょきがぱーに勝って、ぱーがぐーに勝つ。三竦みってやつね」
奴隷だからって舐めすぎだ。そんなの三歳児でも知っている。
「それでね、じゃんけんをするのだけれど、負けた方はね、対価を払わないといけないの。一着一着、服を脱いで、裸になったら負けになるわ」
わお。なんて優雅な遊戯なんだ。見たところお嬢様は、私よりも数枚は多く服を羽織っている。手袋だってあるぜ。
「じゃあ、初めるわね」
「はい?」
「じゃーんけーん」
リゼットは満面の笑みで、じゃんけんの構えをとってくる。そして奴が繰り出してきたのはぐー。私はちょきだった。
——とりあえず、結果だけ書いておこう。
私は負けた。完膚なきまでに負けた。
最初にロザリオを外したのが間違いだったのかもしれない。私が勝ってもリゼットはイヤリングや手袋しか外さないので、私は一着も服を脱がせることなく敗北した。
じゃんけんの必勝法を使ってみたりしたが、この女はバレバレの後出ししてくるので負けちまったぜ。
奴隷になったとき、どんな屈辱だって耐えてみせると決心した私だったが、これは流石に向かっ腹が立つ。ロストラバースのみんなも、そう思うよな。
「このマドレーヌね、異国の茶葉が練り込まれているのよ。お茶として飲むにはクセが強すぎるけど、アクセントとしては悪くないと思わない?」
リゼットは茶菓子を指先で持って、私の口に近づけてくる。一口齧ってみると、苦味と酸味が混ざったような味がした。不味くはないが、異国風味が強すぎて好きになれない。
「はわわっ、確かに不思議な味です。どこの国の茶葉なんですか?」
「大陸の端にホルムニアという名前の国があってね………あら、客人が来たの?こんな遅くに、失礼な人ね。私はちょっと出迎えに行くから、レーナさんは少しだけ、そこで待っていて頂戴」
リゼットはメイド服の少女に耳打ちされ、そそくさとバルコニーを立ち去った。
まさか全裸のまま放置するとは。そういう癖なのだろうか。
「リゼット様は、不思議な人ですね」
寒さを紛らわせるため、この場に残った少女に私は話しかける。すると少女は僅かに微笑んだ。
「不思議でもありませんよ。このお菓子、王都では大ブームになっているそうですから」
誰がリゼットのお菓子の趣味が不思議だって言ったよ。あんた、私の格好をみて何も思わないのかい。
「お嬢様が仰っていたとおり、このお菓子にはホルムニアの茶葉が使われています。今までは大陸の端と端ということで殆ど交易がありませんでしたが——」
少女は私の怒りなんて気づく様子もなく、落ち着いた様子でお菓子の解説をしてきた。よく勉強しているようで、地理や流通の話なんかを織り交ぜながらお菓子の特徴を語っている。どうやらどうしても、このお菓子について話したかったらしい。
この子、結構な話し上手だ。まだ私の肩くらいの身長しかないのに、大人顔負けの知識量も持っている。布教とか販促とかやらせたら、いい成績を叩き出すんじゃないだろうか。
色々と興味深い話は聞けたが、一番面白かったのは、リゼット我が物顔で食べさせてきたお菓子が、実はマドレーヌではなくフィナンシェだったという話である。見た目は貝のような形をしているが、原材料や作り方はまるっきりフィナンシェだったのだ。
やってきて初日の私に主人の間違いをぶっちゃけるなんて、中々に勇気がある。それでいて馬鹿にした感じがしないのは、主人といい関係を築けているからに違いない。せっかく話す機会ができたのだから、この子とは今のうちに仲良くなっておこう。
「先輩は博識ですね。まさか食文化と交易にそこまで関係があったなんて思いませんでしたよ。ということは、交易が盛んになってきたこの国でも新しいお菓子が開発されるってことですかね」
私が先輩と呼んだ瞬間に、彼女の口角が上がった。
まあ、最年少の使用人だろうし、あまり人を仕切る姿も想像できない。後輩から敬われた経験なんてほとんどないはずだ。
年齢差もあるわけだし、もっとフレンドリーになっていいかもしれない。
「僕はそう思います。現にこのフィナンシェだって文化融合の賜物ですからね。今はまだ材料が集まっているところで、ちゃんと調理されるのはここからなんじゃないでしょうか」
「ふふっ、先輩は本当にスイーツが好きなんですね。すごく、楽しそうです」
「数少ない趣味ですから」
目を輝かせる先輩に、素直な感想を述べておく。
料理関連の趣味はなんだかんだ言って男受けがいい。相手に自分の女子力をアピールできるし、そもそも趣味というのはあるだけで話題になる。没頭するもののない私からすると、彼女のような人は憧れの対象だ。
この年齢でここまで口達者なら、私よりもワンランク上の男たらしになれるかもしれない。
「流石にちょっと寒いですねー」
ずっと全裸でいるのはキツい。もうリゼットがいなくなってから一時間くらい経つし、これ以上待たされたら風邪をひいてしまう。お腹壊したらどうしてくれるんだ。
「なら、代わりのお茶をお淹れ致しますね」
「もー先輩、もしかして私のことからかってません?それ絶対冷めてますよ」
「失敬。新しいお茶を淹れてきますね」
先輩は軽く礼をして、ティーポットを持ち上げる。
こいつ、私の全裸をないものにする気か。全裸の女がバルコニーで茶を啜ってるんだぞ、なんか言えよ。我、130万の裸体ぞ。
「お腹いっぱいなので大丈夫です。お茶を飲んでも、肌寒いものは肌寒いですからね」
ちょっと手を広げて、先輩に身体を見せびらかす。先輩は顔を背けることもせずに、上から下を確認してため息をついた。
「見てください星が綺麗ですよ、レーナさん」
先輩は夜空を指差して、露骨に話題を逸らす。いや、話にすらならなかったがとにかく私の裸体から視線を外した。
気を遣っているのかしらないが、これは最早、馬鹿にしていると言ってもいいんじゃないかな。
(うーん、仲良くなれたからいいのか?)
ロストラバースで働いていたときは、面倒な客に当たることは日常茶飯事だった。小娘に多少辱められたところで、私は一々気を悪くしたりしない。それよりも、今この屋敷が置かれている状況の方が私は気がかりだった。
まずは、ノースハーツ家の跡継ぎの話だ。馬車酔いしながらだったので細部は聞けなかったが、この屋敷が置かれている状況はリゼットから教えてもらえた。
私は長男か別の血縁者が爵位を継いだとばかり思っていたが、ノースハーツの爵位はリゼットが引き継いだらしい。なんでも、前公爵が離婚や不祥事で身を持ち崩しながらに死んでしまったから、継承権を保有する人間が彼女しかいなかったのだとか。なまじ低齢の公爵に前例があったため、国王も表立った反対をすることもできずに叙爵させたらしい。
しかし新公爵はただの少女。流石に領地を任せるのは早すぎると、国王は元からリゼットとの婚約関係にあった第三王子をノースハーツに派遣した。
第三王子は最初の一ヶ月は真面目に仕事をしていたようだが、ある時から彼はリゼットの方針に逆らうようになったらしい。そして屋敷内の多くの奴隷を無理矢理解放し、領地を持たない男爵子爵達を公爵家の金で勝手に雇ったそうだ。
それからリゼットに反抗する手段がないと見るや否や、第三王子はノースハーツ商会の事業に介入するようになった。その結果商会の重鎮が独立を宣言し、経営権がノースハーツ家から離れるという本末転倒な結果になったらしい。
焦ったリゼットは後手になりつつ第三王子の婚約者の座を妹に押し付けたが、それでも状況は変わらない。そこでリゼットは商会と結託して裁判を起こし、第三王子を屋敷から追放したことでようやく経営権を取り戻せた………というのが今日までの流れだ。
ちなみに王国議会はこの裁判の真っ最中に行なわれたらしく、リゼットは裁判の翌日に奴隷法の成立を見て血反吐を吐いたらしい。
「危ういなぁ」
リゼットは第三王子を屋敷から追放したことを誇らしげに話していたが、それは彼女を補佐する文官がこの場にいないことも示している。今は商会の役人達が協力してくれているそうだが、商会の役人も第三王子と似たり寄ったりの悪党という可能性も否定できない。
なんなら、今まさに傀儡にされている最中なのかもなと心配になるくらいだ。
「あの、レーナさん。いつまで裸でいるつもりなんですか。今日は夜風も強いですし、風邪をひいてしまいますよ」
足を組みながら夜景を眺めていると、背後から別のメイドが顔を覗かせてくる。茶髪を短く纏めていて、先輩よりも大人の品格があった。
おお、一時間も経ってやっと私の状態に気が付いたか。そうだよ、私は全裸なんだ。先輩もがっかりしてないで、私に励ましの声をかけてくれ。
「命令もなく服を着るのは、リゼット様に無礼かと思いまして」
私は大人なメイドさんに向けてはにかんでみる。せっかく指摘してくれたところ悪いが、私は服を着るつもりがなかった。
私は奴隷、リゼットは主人。それは私たちの関係を定める絶対的な境界だ。あの人は私が無礼を働いても気にしないだろうが、忠節を尽くそうという姿は見せておいた方がいい。
上手くいけば、私がリゼットに逆らう気がないことと、私が胸に一物を抱えていないことを印象づけられるはずだ。全裸イチャイチャの法則も使えるし、ここで服を着るのはもったいない。
「お嬢様はそんなことで怒りませんよ。寧ろこのまま裸でいさせたら、なんで服を着せてあげなかったのよって私が怒られてしまいます。もしもの時は私が責任を取りますから、何か羽織ったください」
「お気遣いありがとうございます。ただ、私も私なりに忠節を示したいという気持ちがあるんです。もう少し、このままでいさせてください」
「だめです、着てください。これでも私はこの屋敷でチーフメイドをやっているんです。上下関係をしっかり守りたいなら、私の言うことも聞いてくれないと困ってしまいます」
チーフメイドはムッとした顔をして、私が脱いだ服をこっちに押しつけてくる。
困ったなぁ。この人、多分いい人だ。私が何を言ったところで、無理矢理服を着させてくるような気概がある。
ただ、これでも私は指名率ナンバーツーの女。中年からの指名率なら、娼館でもトップを誇っていた。これくらいの相手、どうとでも捌いてやろうじゃないか。
「わかりました。じゃあ、風邪をひかないように一着だけ服を着ようと思います」
「はぁ、強情な子ですね。仕方がありません、今日は新人の顔を立てるということで、それで許してあげます」
チーフはため息をつきながら、ポンと私の膝にドレスを置いた。
「すみません、私がつけていたロザリオを知りませんか」
「えーっと、これかな。どうぞ」
「ありがとうございます」
チーフは服の山からロザリオを拾い上げて、特に疑問を抱くこともなく私に手渡した。私はそれをそのまま首にぶら下げて、目の前に置かれているマカロンを口にする。
酔いも覚めてきたし、もう少し貰ってしまおう。2、3個菓子が減ったところで、リゼットは気が付かないさ。はっはっは。
「あの、食べる前に服を着てください」
「着ていますよ、ほら」
私は首にかけたロザリオを指差してみせる。
「それは服とは呼びません。ただのアクセサリーです」
「先程の野球拳はご覧になりましたか。リゼット様は、このロザリオを服として数えました。それならば、私がこれを服として数えても問題がないはずです」
私の言った屁理屈に、チーフはあからさまに顔を顰めた。それからすぐに無表情になって、呆れや怒り、そんな感情が顔に浮かんでくる。
忙しい人だ。感情を殺すのが苦手なんだろう。
「なんのつもりですか」
「あなたが気分を害する行為であることは、私も自覚しています。しかし、奴隷の私が屋敷での立場を固めるためには、リゼット様から評価をいただく必要があるのです」
チーフが親切で服を着ろと言っているのなら、私の言葉にも多少は寄り添ってくれるだろう。たとえ否定する以外の選択ができない性格だとしても、それを言い包めるのが私だ。
私は今から、リゼットに陶酔する可哀想な奴隷になる。弱者という無敵の矛は、道徳心の高そうなチーフには抜群に効くはずだ。
「私はまだ、リゼット様と出会ってから半日もたっていません。私という存在をまだリゼット様は正しく認識していません。これから私がリゼット様にお仕えできるかどうかは、今日という日にかかっていると言っていいです」
反論させないように、言葉を途切れさせることなく一方的に展開する。
議論を始めさせないというのは、相手を説得するテクニックの一つだ。後腐れは残るが、口を開かせなければ弱論でも強弁できる。
「リゼット様は素晴らしい方ですから、私が寒がったり、風邪を引いたりすることを嫌うかもしれません。ですが、そんな方だからこそ私は忠義を示したい。愛して欲しい!私は今日ここで、美味しいものを食べました。今までにないくらいに。私はリゼット様に、人としての価値を評価されました。私は奴隷なのに!」
叫ぶように声を漏らす。嘘泣きや辛そうな表情は、私が娼館に配属されてから真っ先に覚えた技術だった。初見の相手は、間違いなく騙し抜ける。
「だから、見逃して欲しいんです。仮にリゼット様からチーフさんが責任を追求されたとしたら、私が止めます。責任は必ず取ります。だから、私が後悔がしないように、私が正しいと思う行動をさせてください。お願いします」
深く、チーフに頭を下げる。ここまで言ったら、お人好しを煮詰めたようなチーフも流石に引き下がるだろう。
勿論、私はリゼットのことを素晴らしいなんて思っていないし、責任も取るつもりなんてない。それでも実際に起きた出来事から発想を伸ばしているので、説得力はそれなりにあるはずだ。
今までの話を聞く限り、チーフのリゼットへの評価は高い。チーフに抜擢されているのだから、相互的な信頼も築かれているはずだ。
ならばこの発言はほぼ間違いなく、チーフからリゼットへ伝えられる。点数稼ぎなら、こっちの方が効果的かもしれない。
「かっ、感動、致しました。レーナさんは、可憐で美しい心を持っているのですね」
おーっと、泣くなよチーフ。化粧が崩れちまうぜ。
大の大人がぼろぼろと泣いていると、こっちの胸にも罪悪感が湧いてしまう。かつて私は思っていたはずだ、娼婦を泣かせるような客は死んだ方がいいと。それなのに女の子を泣かせる立場になってしまうのは、私も不本意だった。
「ですが、私はチーフ。お嬢様のために最適な選択を取る義務があります。レーナさんの覚悟が決まっていたとしても、お嬢様に心労を与えるわけにはいきません。あなたの愛はただの独善。お嬢様に信頼されるようなメイドに育ててあげますから、言うことを聞いてください」
涙目で声を枯らしながら、すごい剣幕で私を見つめてくる。こいつ引き下がんねぇな。
そもそも私は密偵役として買われたので、メイドとしての仕事を任されるかどうかもわからない。親睦を深めることに損はないが、リゼットに気に入られる前に明確な上下関係ができるのは避けたいところだ。使用人にいびられる生活なんて最悪だからね。
頭を下げて雑談でもすれば、それなりに仲良くはなれるだろう。だが、せっかく仲良くなるなら、さっきの先輩と私みたいな関係を目指したい。
「私は引き下がるつもりはありませんよ」
ここは、もう少し引っ張ってみよう。
私は広義の上での友達を持ってはいないが、狭義の上——やるだけの友達なら馬鹿みたいに作ってきた。その経験に従うなら、口喧嘩は関係を発展させるためのいい手になってくれるはずだ。
彼女はいわゆる激情家だ。すぐ怒るしすぐ泣く。どれだけ感情を理性で押さえつけても、有り余ったエネルギーがすぐに溢れ出てしまうという性格をしているわけだ。
言葉で誘導するのは容易いはずだろう、レーナ。
「それなら無理矢理着せてしまいます。こちらの人数は私とシリルくんで二人ですから、勝てるとは思わないでくださいね」
チーフは、弁えろと言いたげだった。
まずいな。手が出る喧嘩は泥沼になる。早いところ反論するか引き下がらないと、私は終わりだ。
しかし、私が全裸でいることの正当性なんてそんなにない。いくら理論武装しても、常識的な正義が向こうにある時点で、勝負になったら即敗北だ。口喧嘩にすらならないのなら、チーフに従うのが合理的なように思える。
だが、その選択肢は選びたくなかった。
正直服を着るくらいなんてことはないが、ここで折れたら格好がつかない。これから王子を籠絡しようという奴がメイドに言い負かされるなんて、笑い話もいいところだ。
なら、私はどうするのか。上手く議題を逸らせば言いくるめられるかもしれないが、これ以上チーフをヒートアップさせたくない。
………いや、逆に考えるべきか。仲良くなりたいなら、盛り上げた方がいいのだと。
「チーフさん。私達が争って怪我でもしたら、それこそリゼット様に迷惑をかけてしまいます」
「レーナさんが諦めてくれるなら、そんな心配はすぐになくなりますよ」
「………暴力沙汰になるのは、チーフさんだって望まないでしょう。ですからその前に、まずは勝負をしませんか。健全でイカサマのできない、単純な勝負を」
演出的に格好いいので、軽くロザリオを握りしめる。神なんて大して信じていないので、祈る相手は勿論私だ。
負けず嫌いを拗らせたって碌な結果にはならないが、私の性格がこうである以上、やられ続けるなんて我慢できなかった。
「あまりムキにならないで下さいよレーナさん。まるで子供みたいです」
「平和的解決をしようと言っているだけですよ。賭け事と暴力だったら、賭け事の方が些かマシでしょう。チーフさんは負けるのが嫌いなんですね」
「ああなるほど、そうやって煽って自分のペースに持ち込もうって魂胆ですね。………はぁ、仕方がありません。私は優しいので、特別に話だけは聞いてあげてもいいですよ」
神妙な顔をしながら、チーフは私の向かいの席に座った。まだ何も説明していないのに、随分とやる気満々だ。
負けず嫌いという点なら、チーフも私も変わらない。だから、私の提案には乗ってくるという自信があった。
「野球拳の逆、じゃんけんをして私は負けるたびに一枚服を着る、というのはどうでしょうか。こうなったきっかけが野球拳なんですから、勝負内容としては適切なはずです」
「なるほど。つまりレーナさんが全ての服を着るまで、私がじゃんけんで勝ち続ければいいということですね」
「そうなります」
勝っても負けても損がない。我ながら完璧なルールだ。絶対に私が勝てるゲームとも呼べるかもしれない。
ただ、もし私のルールに穴があれば、チーフは大義名分を持ってこれを蹴ることができる。そうなればチーフが別の勝負を持ちかけてくる可能性があるし、痺れを切らして強硬手段をとってくるかもしれない。どちらにせよ私は、チーフの口をこじ開けてでも勝負を呑み込ませる必要があった。
「ふむふむ。ちなみに、私が負けたらどうなるのでしょうか」
「私が勝ったら、そうですね………チーフさんにも一枚脱いでもらいましょうか。チーフさんの着る服がゼロになったらお終いです」
「あら、そんなことでいいんですか?罰ゲームになっていないようにも思えますが」
「脱いでいったら、誰だって恥ずかしくなりますよ。一応、降参もありにしましょう。降参したら、服を着ても大丈夫というルールでいきます」
悩むフリをして、耐えられる程度の罰則を追加する。
そもそもこの勝負、チーフには碌なメリットがない。しかし反面、デメリットも存在しない。それならばリスクと逃げ道を同時に用意して、やらないという選択肢を消し去ってしまえばいいだけだ。
バーゲンセールが世に溢れ返っているように、人は損失に弱い。いらない商品を安いからと買ってしまうのは、人間は利益よりも安心を求めているからだ。どんどんリスクを減らしていけば、それだけで相手は安心してくれる。
「まぁ、いいでしょう。服の枚数は、私の方が三枚も多いですからね」
チーフは溜息を吐きながら、不本意そうに承諾する。しかし口角は上がっているので、彼女が乗り気なのは明白だった。
「これで、そのロザリオ分のハンデはなしです。フェアにいきましょう」
チーフは頭のホワイトブリムを取り外して、小さい方のメイドにひょいと放り投げた。律儀にも、自分からアドバンテージを捨ててくれるらしい。
私の服は合計八枚。それよりも三枚多いということは、チーフが着脱できる服はあと十枚あるということになる。
単純な数字だけでみたら状況は悪いが、私はロストラバースで延々とおっさんの雑学を聞き続けてきた。ギャンブルと確率の話なら、こちらが優位に立てるはずだ。それに、じゃんけんならば私も必殺技を使うことができる。
ここからは私の独壇場。いい感じに脱がせてから、気持ちよく勝たせてあげようじゃないか。
さあさあ、仲良く野球拳だ。
「施しに礼は言いませんよ。では、正々堂々と野球拳を始めましょうか」
私達は互いに拳を握りしめ、片腕を大きく天に掲げる。震えそうになる夜風が吹き抜けて、緊張で首に汗が伝う。最早私には、この肌寒さがどこから来るものなのかわからなかった。
日常回があと数話続きます
余談(ガバガバ雑世界設定)
ホルムニアは大陸の東端にありますが、西の海洋を経由するならそう遠い土地ではありません。海賊行為が横行していて通り辛いので、行き来のときは大陸を横断するのがベターとなっています。一般に離れた土地という認識があるのは、最適な航路が開拓されていないことにあります。