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愛玩奴隷も楽じゃない!  作者: 猪口レタス
二章 ハンナの牢獄
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21 ハンナの牢獄

21 ハンナの牢獄


 チーフはシリル先輩の部屋で一旦軟禁されることになった。私が休憩室と思っていたあの部屋は、先輩の私室だったらしい。

 ちなみに私はあれから、労われることすらなく放置されている。上の空だったリゼットが先輩に捕まってしまったのだ。なんでも明日までが期限の仕事があるらしい。本当なら傷心中のリゼットを慰めに行きたかったが、偉い人は忙しくて困ってしまうね。

 リゼットからはまだ、ことの仔細を聞けていない。尋ねれば説明くらいはしてくれるはずだが、愛玩奴隷という立場でリゼットの痴情をつつきたくはなかった。


「失礼します」


 形だけのノックをして、私は先輩の部屋に足を踏み入れた。

 ふと、目線が合う。チーフは手枷と足枷をされた状態で、椅子に縄で縛り付けられている。私がされていたものよりも、厳重な拘束だった。


「チーフ、少しいいですか」


 私が呼ぶと、チーフは身じろいだ。

 彼女はきっと役職を解かれるだろうし、軽くない罰則も下されるだろう。でも、私にとってチーフはチーフだった。


「拷問なら、ご自由になさってください。見ての通り、私は完敗してしまいましたからね」

「じゃあお嬢様との馴れ初めとか聞いてもいいですか。お嬢様に直接尋ねるのは失礼ですからね」

「………生憎ながら、昔話の趣味はないんです」


 私はこの人のせいで死にかけた。頭も殴られたし、日課のストレッチを三日も休まされてしまっている。でも、それだけだ。結果的に私は生きているし、チーフはしくじって血塗れになっている。

 因果応報と言えばそうなのだが、私だって褒められた人生は送ってこなかった。だから、不必要に責め立てるつもりはない。寧ろ、大きなことを成し遂げようとしたことを尊敬してしまうくらいだ。


「それでも聞きますよ。仕事なので」


 チーフが、リゼットにとって大きな存在であったことは間違いない。それが欠けることが正と負のどちらのベクトルに向かうのかは、私はわからなかった。


「結局、奴隷は奴隷ですね。貴女も、私も」


 真剣に見据えていたら、チーフは裂傷した唇から言葉を吐き捨てた。私はプライドを持って愛玩奴隷に準じていたが、昨日今日の出来事を思い返すと、この発言も否定できない。少し前までの自分なら、一緒にしないでくれと心の中で毒づけたのに。


「チーフさんは違うじゃないですか。首輪も刺青もないんですから」

「私達の異なるところなんて、信念の向く先くらいですよ。犬にも食わせられない奴隷の卑しさからは、死んでも逃れられないんです」


 諦念。静止。そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。外に出て、街を見て、私は身体を売る以外の稼ぎ方を考えなかった。都合の良いことが続いていい気になっていたが、結局私は一介の娼婦に過ぎなかったわけだ。


「媚びへつらう以外のやり方ができないんですよ。それでしか、生きていくことができないので」


 嫌な共感だった。

 頷いてしまいたくなって、そこでお前は違うだろと言いたくなった。


「チーフさんは充分リゼット様に大切にされていたはずです。信頼を無碍にする必要はなかったんじゃないですか」


 チーフは答えない。雑談なんて滅多にしない間柄だったが、出会ったときはこうではなかったずだ。もっと彼女は、フランクだった。


「もっと上手いやり方があったと思いますよ。すこし話し合うだけで、案外解決したんじゃないですかね」


 チーフの行動は、終始中途半端だった。レベッカに私を任せたこととか、拇印を無理矢理収集しなかったこととか、最初から銃で応戦しなかったこととか。

 その理由はなんとなく想像はつく。良心の呵責か、怖気ついたか。どちらにしろ覚えのある感情だった。


「本当にレーナさんは、恋を知らないんですね」


 チーフの足枷から高い音が鳴って、椅子が少し揺れる。私は彼女に、楽しそうに嘲笑されていた。こんな顔を見るのは初日以来だ。

 出会ったときもそうだったが、私達はこうやって嫌味を言い合うくらいが丁度よかったのかもしれない。


「少なくとも、行動を起こしたことに意味はありました。今はとても、晴れやかな気分なんです」


 口ではそう言っているが、チーフはまったく幸せそうではない。あるのは暗鬱な絶望のみだ。


「チーフ。納得は大事ですけど、そうやって死ぬのは損ですよ」


 私にはチーフが、死人に見えた。もう人生やり尽くしたって顔だ。

 確かに一度失った信頼は取り戻せないし、チャンスは何度も巡ってはこない。でも、人生は死ぬまで続く。その時まで、彼女は腐り続けるのだろうか。

 私も、そうなるのだろうか。


「果てしない徒労のみが恐しいのです。私にとって、貴女のいる日々は地獄でした」

「地獄なんて買い被りすぎですよ。まあ、小悪魔系だって言われることはありましたが」


 両ほっぺに人差し指をくっつけてみせる。少し前まで修道女見習いをやっていた身ではあるが、繕うことが私の本質だった。

 悪魔と思われるのなら、それはきっと光栄なことであるはずだ。


「傲慢ですね」

「ポジティブに生きたいだけです」


 他人ではなく、自己のみに変遷を求めてきた。それはきっと、大きな力だ。ちょっと嫌なことが続いてびびってしまったが、その事実は変わらない。そのはずだ。


「愛情を手段としか思っていない。それでは貴女も、愛に殺されてしまいますよ」


 チーフの頭は重く、ホタルブクロみたいに垂れ下がっていた。出血のせいか、今にも気絶しそうだ。


「誰も死んでませんよ。私もチーフも、リゼット様も」


 チーフの髪が揺れる。僅かだが、思うところがあったらしい。


「………確かにそうですね。忠義なんて本当は、どうでもよかったのかもしれません」


 二人きりだったので、溜息すら私の耳に入ってくる。チーフの肩は一定のテンポで、肺の動きに合わせるように上下していた。


「報われたかった」


 前のめりに倒れかけて、チーフは力強く起き上がる。だらしなく口を開くものだから、唾液が服に溢れていた。


「まあ、嫌ですよね。後から来た私みたいな娼婦に、全部取られちゃうのは」


 私はきっと、どこまでも奴隷だ。肉体も精神も、ずっと何かに縛られている。チーフもそうだったんだろうか。

 自嘲してみせると、チーフに睨まれる。髪をとめていたホワイトブリムが外れて、彼女の後毛が垂れた。


「私の完敗だと言ったでしょう。私に勝ったレーナさんは、大したことない人間だったんですか。せめて、勝ち誇ってくださいよ」


 縋りつくようだった。今まで色んな人間を相手取ってきたが、こんなに辛そうに求められるのは初めてだ。胸が、ぴりりと痺れた。


「———はっはーっ負け犬めっ!私の絶対的勝利ですっ」


 お望みの通り、私は尊大に威張り散らかしてみせる。私はずっと誇りを持って生きてきたはずだ。謙遜なんて似合わない。


「いいですねノリが良くて。その調子で精々、お嬢様を喜ばせてあげてください。そうしたら少しは、人生に意味を持てますから」

「何言ってるんですか。あんな風に叱ってくれる家族がいるなら、それだけで生きる意味があるじゃないですか」


 彼女には先輩がいる。歳の差は親子ほどもあるし、ルックスも性格もまったく似ていない。それでも、先輩はチーフの生存を願っていた。

 家族がいる。それだけで充分恵まれていると、私は思ってしまう。


「………今更ですね」


 懐かしむようだった。まるでもう手遅れだと言っているみたいだ。

 だから、半死人のチーフにデコピンを喰らわせてやった。


「これで勘弁してあげます。私は、取り返しのつかないことが嫌いなので」


 溜まった鬱憤をすべて込めても、私の力はか弱いままだった。チーフは仰反ることもなく、上の空に私の手のひらを傍観している。


「チーフにも、救いがあるといいですね」


 もうあんまり、彼女のことは嫌いではない。当事者だというのに、判官贔屓してしまっていた。

 これ以上情が移ってはいけないので、回れ右して地面を踏んだ。


「もう、チーフではありませんよ」


 部屋を出ようというときに、今更の指摘をされた。いいじゃないか、チーフ呼びでも。


「ああそれと」 


 振り返らずに部屋を抜けようとしたが、チーフは言葉を付け足してくる。無視して帰るのも違う気がして、一度立ち止まった。


「………信仰はとても役に立つものです。あまり、気負いすぎないでくださいね」

「信じてないので無問題です」


 そういえばマクシムから貰ったロザリオは、ずっと付けっぱなしだった。私は信心深くないし、こんなプレゼントに拘りもない。嫌なやつの顔を思い出してしまったので、さっさと部屋を出た。

 うーん、すっごいモヤモヤする。忘れ物をしたときのような、漠然とした胸騒ぎだ。


(あっ、そういえば)


 胸騒ぎの理由を思い出して、くるりとUターンする。もう夜中だし、私も寝たくなる頃合いだった。


「おやすみなさい。じゃんけん、楽しかったですよ」


 頭だけ覗かせて、チーフに挨拶した。縛られたまま眠るのは、相当に疲れるってことを知るといい。

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