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愛玩奴隷も楽じゃない!  作者: 猪口レタス
二章 ハンナの牢獄
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20 無価値な日々の終わり

20 無価値な日々のおわり


 毎日ランニングで屋敷を巡回していた甲斐があってか、私は顔パスで中に入ることを許された。とりあえず愛想を振りまいておくのは大事だね。

 そのまま地下の瓦礫の撤去作業をしていたシリル先輩と合流し、事情を説明。ひっそり逃げようとしていたレベッカを引き止めて、入浴中のリゼットを突撃した。

 その状況を一行で説明するならこうだ。

 リゼット様がチーフに押し倒されてる!


「地獄の底から這い上がってきましたよ、お嬢様」


 いまいち状況が飲み込めないので、とりあえず決めポーズをしてみせる。二人揃って間抜け顔を浮かべているのが、なんだか楽しかった。


「レーナさん!生き———」


 リゼットは起き上がって私の方へ走ろうとしたが、チーフはそれを許さなかった。チーフに手刀を落とされて、そのまま頭から転倒する。


「勝手に行かないでください」


 チーフはそう呟き、リゼットを浴室の隅に投げ飛ばした。リゼットには動き出す気配すら一切なく、ぐでんと伸びている。


「どうして、こうなるのでしょうか。はぁ」


 ため息をつきながら、チーフはふらついている。しかし私は知っていた。この動きから繰り出されるその技を、この身で受けていた。

 すぐに助けに行きたかったが、そのためには立ちはだかるチーフをどうにかしなければならない。だから私は、隣の女傑に視線を送る。


「私がリゼット様を助けにいきます。レベッカにチーフの相手、お願いしてもいいですか」


 ここまでレベッカは私に着いてきてくれたが、彼女に私を助ける義理はない。一朝一夕で救ってもらえるとは、私も思っていなかった。

 でも、殴り合いで私が勝てないのは目に見えている。だから今日までの自分と、レベッカを信じるしかなかった。


「友達なんだろ?私達」


 当然のように、レベッカは微笑んだ。それが幾ばくか嬉しかった。


「僕にも、やらせてください」


 シリル先輩は今にも飛び掛からんという形相だったが、踏み出すより先にレベッカに引き止められる。


「適材適所というものですよ。シリル様」


 初めて聞く、レベッカの真面目な敬語だった。僅かに私は驚愕したが、ぐるぐる肩を回す粗暴さはよく知る彼女のままだ。


「失望しました。あなたのことは評価していたのですよ」


 チーフは手を開いて前方に突き出し、腰を下ろして半身に構えを取っている。すり足でにじり寄ってくる彼女の瞳には、僅かな殺意があった。


「チーフに期待されてたなんて、光栄だな」


 チーフの瞳の先にあるのは、私でも先輩でもなくレベッカだ。非戦闘員の私達を殴り倒すつもりは、まだないらしい。


「ようチーフ。まあここは仲良く———」


 ピリついた空気感をほぐすように、のんびりレベッカは両腕を広げた。彼女はのろのろと歩き始め、4歩ほど進んだところで浴室に到達する。

 汚れた靴が地面に触れたその瞬間、チーフの身体がぶれた。


「うぐっ」


 一体いつ移動したのか、チーフはレベッカの脇腹に蹴りを入れていた。レベッカは吹っ飛ばされ、ぶつかった壁に地割れしたみたいな日々が入る。

 倒れ込んだレベッカにチーフは瞬時に近寄ったが、二度目の蹴りが命中することはなかった。

 レベッカは間一髪で蹴りを躱し、その脚を掴んで転ばせる。そのまま首を掴んで絞技をかけようとするが、チーフは勢いよく起き上がって頭突きを食らわせた。

 互いの額から、血が滲んでいる。

 二撃目が飛んできそうになり、レベッカは一度バックステップで距離をとった。


「ハンナちゃんさ、素手だと私に負けっぱなしだったよな」


 ポキポキと手を鳴らしながら、レベッカは挑発する。チーフは好戦的に、レベッカの元へ飛んだ。

 大振りの拳が、チーフの右腕から放たれる。レベッカがそれを受け止めようと腕をクロスさせると、チーフは手を引っ込めて左手でレベッカの服を掴んだ。

 左手で服を掴まれたまま、レベッカは右脚を持ち上げられる。見ればわかる、柔術だ。

 彼女は大きくバランスを崩したが、無理矢理手を振り払って転がり逃げる。その先には、気絶したリゼットが転がっていた。


「おっと、動かない的発見。ビーチフラッグは得意だぜ私」

「———お嬢様っ!」


 レベッカは何をとち狂ったのか、リゼットに拳を向ける。それにチーフは動揺し、庇うようにリゼットの前に飛び出した。


「靴のままでよかったぜ」


 チーフはレベッカの攻撃を受け流したが、その結果レベッカの拳は鏡面にぶつかった。ひび割れたガラスは大きく飛び散り、地面を埋め尽くしていく。

 屋敷に着いてから着替えもしなかった私達と違って、チーフは裸足だ。となれば何が起こるのか、わからない奴はいない。

 チーフの足元に、赤い液体が広がっていた。


「意外と、頭が切れるじゃないですか」


 チーフはリゼットをガラス片から庇いながら、拳を繰り出した。しかし、悪い足場でリゼットを守りながら戦うこの戦況は、チーフが圧倒的に不利だ。

 故にチーフは、壁を蹴った。壁を蹴って身体を浮かし、レベッカの頭上に踵を落としにかかる。

 それを左手で、レベッカは受け止める。チーフはこっちまで放り投げられてきて、私の目の前で静止した。


(殴られ———)


 私が死を覚悟した瞬間、レベッカがチーフの頭をぶん殴った。速い。目で追えない。

 しかし頭を揺らされても、動じることなくチーフは反撃する。レベッカは胴体をがっちりホールドされ、頭から地面に叩きつけられた。


「すごい………」


 けど感心している場合でもない。レベッカがやられてしまった。

 私はリゼットのところまで駆け出し、ガラスの山から速攻で拾い上げる。美味しいところだけ掻っ攫うのが、私のやり方だ。

 二人でさっさと逃げて、門番達に援軍を求めよう。こんなことになるなら、屋敷まで引き連れてくればよかったぜ。

 振り向けば、レベッカがチーフに蹴りを入れていた。戦況が、巡るめく変わっている。

 チーフは後退りながら攻撃を受け流しているが、さっきから反撃できていない。チーフの両手の指は、レベッカの猛攻によって真逆にへし折れていた。

 チーフが更衣室の壁にぶつかり、レベッカにぶん殴られる。そこからは技術もクソもない、速くて強いだけの拳が打ち込まれるのみだった。防ぐ腕が粉々に砕かれて、チーフは吐血した。


「ふぅーっ、勝ったぞレーナ」

「ありがとうございます!お礼は必ず」

「いらねーよ」


 レベッカはチーフの腹を踏みつけて、拳を掲げてきた。しかし彼女も限界が近かったようで、よろよろ壁際まで歩いてもたれかかる。シリル先輩はその状況を確認するとすぐに、この場所を後にした。

 人を呼びに行ったのか、拘束具を取りに行ったのか。どちらにしろ、一時的に私とリゼットは二人きりになった。


「おはようございます、お嬢様」


 抱き寄せたリゼットが、私の胸の中で身じろぎしている。まだ意識がはっきりしていないようで、変な虫でも見つけたみたいに瞬いていた。


「レーナさん」

「はい、レーナさんです」


 肩を強く抱きしめられた。鼻水をずるずる垂らしながら、私の背中をさわさわしてくる。

 なーんか、すっごい懐かしい気分だ。まだ三日しか経ってないのに、こっちまで泣きそうになる。


「はいどうぞ」


 いつまでも主人を裸でいさせるわけにもいかないので、一旦リゼットの抱擁を解いて私のローブを着せた。

 あんまり良い匂いもしないだろうに、リゼットは鼻を近づけては離すを繰り返している。ブレーメン反応だろうか。

 なんかいいな、こういうの。


「まだです」


 リゼットからの愛を再確認していると、血だらけのチーフが地面を這ってやってくる。這いずるその指すら、あらぬ方向に曲がっていた。

 それでも近づいてくるのは、執念と呼ぶ他ない。


「私を選んでくださいよ、お嬢様。いつものように、連れ出してあげますから」


 リゼットの瞳が揺らいでいる。手を握ってみても、彼女の視線は戻ってこない。


「私にはまだ果たすべき使命があるわ。何より、レーナさんを愛しているの」

「私は、私はどうなんですか?私は!」


 耳をつんざくような叫びにも、リゼットは怯まなかった。親が子を諭すときのように、真正面に向き合っている。


「すぐにと約束はできないけど、必ず責任は取るわ。ハンナが安心できるように———」

「今すぐに取ってください!一番じゃないといやですっ!やだやだやだ!」


 諭すような表情に迫られ、チーフは退行した。喚き散らして号泣し、みっともなくリゼットに縋る。


「待ってた、信じてた、頑張ったのに!」


 まるで癇癪を起こす子供だった。さっきまでレベッカと殴り合いの喧嘩をしていたとは思えない。


「これだと私、馬鹿みたいじゃないですか」


 震える手で、チーフは自らの腰元に手を突っ込んだ。

 取り出したのは、銃だ。一丁の、真っ黒なピストル。


「まっ———」


 リゼットが手を伸ばしたが、遠すぎる。人が今ひとり死のうとしているのだと、私は漠然と思った。

 チーフはすぐにピストルを咥え込んで、へし折れた指をトリガーにかける。あまりにも自然な動きだったから、止めようという考えにすら至らなかった。

 銃声が、浴室に響き渡る。


「何やってんですか、義姉さん」


 走って飛び込んできた先輩に、チーフは頭を蹴られた。銃口が口腔から外れて、弾はどこにも当たらずに消えている。

 リロードする前に、銃を取り上げられた。

 床にへたっているせいで、ここからではチーフの表情は確認できない。そしてまた、先輩の顔もここからでは見えなかった。


「お嬢様の幸せこそ、僕達の唯一の幸せなんでしょう?」


 先輩が呟くと、チーフはわずかに起き上がった。のそりと、老婆のように。

 そして何かを言いかけて、やめる。


「ははは………はは」


 チーフは笑った。抵抗もなければ言葉もなく、声が枯れ果てても笑っている。レベッカが手枷を持ってくると、チーフは先輩に引き摺られてどこかに消えた。

 そこにはもう、チーフとしての威厳はない。まるで廃人のようだった。あんなになるまで、リゼットことが好きだったのだろうか。

 リゼットはほとんど喋らないので、浴室に音がない。こうやって私にくっついてくれるのも、素直に喜べなかった。

そろそろ二章終わります

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