19 お家に帰る遠足です
19 お家に帰る遠足です
御者さんは荷馬車を整理すると、すぐに馬を走らせた。元よりノースハーツで行商の予定があったらしく、果実の木箱が私と同乗している。
そんな商品達と見違うほどに、私の荷物は大量だった。食料品だけでもうバックはパンパンだし、衣服のかさばり具合も酷い。こんなことなら、利便性のあるバッグをレベッカにもう一個ねだるべきだったな。
「カエルのポーチなんて可愛らしいのう」
「あ、このセンスをわかってくれるんですかお兄さん。見る目ありますね」
私に同行してくれているのは、今年で65になるベテランの御者さんだ。彼は行商人をやりながら人運びもやっているマルチタスクマンで、こうして急な仕事を任されるのも珍しくないらしい。
「お嬢さん、ご主人様に置いていかれちまったそうじゃないか。儂の片親も奴隷だったからの、苦労はよくわかる」
どうやらレベッカは、まともな言い訳を用意してくれていたようだ。また門前の衛兵に捕まったら、次こそは死が待っている。
「お嬢さん、金は持ってるかい。飯代くらいは渡してやってもいいぞ」
「いやー、できればこのままノースハーツ屋敷まで行きたいんですよね。一日野宿することになるかもしれないんですけど、大丈夫ですか」
「元よりそのつもりじゃ。儂が言っているのは、食料の心配じゃよ」
私はこんもり膨れたバッグを叩いてみせた。御者さんは苦笑いだ。
「………見栄を張っていないならそれでいい。本当に、お金には困っていないんじゃよな」
「はい。公爵様はお金持ちですからね」
目下の相手には、人間貸しを作りたがるものだ。こういう厚意は受け取っておくのが得なのだが、ここまでモノが揃っていると恩を着せられている感じになってしまう。ここは欲張らずに、断っておこう。
「そろそろ市門につく。その箱の中に隠れておきなさい」
御者さんの言われた通りに、私は空の木箱に身を隠す。このまま検査を抜けるつもりらしい。
日差しも眩しかったことだし、少し仮眠を取ろうかな。
「あれ」
木箱の中に、一丁のピストルが転がっている。見たところ弾は入っていないが、この重さから考えると本物だろう。
(盗むのは………ダメでしょ、それは)
私は永遠に奴隷だ。一回でも法に触れた行動をしたら殺されてしまうし、一線は超えないようにしないといけない。
私は持ち上げたピストルをそのまま箱の底に置いて、ひっそり息を潜めた。
「質問なんじゃがお嬢さん。本当は、捨てられたんじゃないのかい」
「違いますよ。本当に、私がうっかりしていただけです。情けないことですね」
「大事な奴隷なら、こんな街に置いていかないと思うんじゃがね。追い返されるなんてことには、ならないでおくれよ」
御者さんは鈍い疑念を刺してくる。日が経ってしまっている以上、否定できないのが辛かった。
屋敷は今、どうなっているんだろうか。このままリゼットに事情を説明したとしても、外での生活に失敗して逃げ帰ってきただけだと思われる可能性が高い。実行犯がリゼットの側近であるなら尚更だ。
こればっかりは、今日までの自分がリゼットに与えてきたものを信じるしかない。
「よし止まれ。身分証を確認する」
馬車揺れが止まって、じっと息を潜めた。荷台の確認でもされたら、私は一巻の終わりだ。あとは御者さんの腕前に期待するしかない。
「衛兵さん。少し大事な話があるんだが、構わないかい」
「なんだ、手短に話せ」
御者さんが衛兵を呼びつけると、馬車ががたんと揺れた。おそらく御者席から飛び降りたのだろう。
「———が、荷馬車の中にいるんじゃ」
足音が消えた方向に耳を寄せると、御者さんの呟きが僅かに聞こえてくる。私について話しているのだろうか。何故?
また、がたんと馬車が揺れる。足音が、すぐ側まで迫っていた。
「そこのお前、出ろ」
心臓がひっくり返ったみたいだった。顔を上げると、二人組の衛兵が私を睨んでいる。
「あ………」
放心していると、冷たくて硬いものを頭に押し付けられる。長細い、老人の杖みたいな形をした銃だった。
あと数センチ指先が動くだけで、私の頭は吹き飛ばされるのだろう。それは、あんまりじゃないか、なぁ。
「き、気持ちいいことは得意ですよ、私」
焦りのせいか、変なことを口走ってしまった。
が、しかし私にできることといったらそれくらい。案外悪い提案じゃないんじゃないか。
そう、いつものように上目遣いで………
「何を言っているんだお前」
頭をぶん殴られた。甲高い耳鳴りが延々と響いていて、焦点が定まらない。
「次に馬鹿げたことを口にしたら殺す。両手を上げて立ち上がれ」
殺す?今、私を殺すって言ったのか?
怒声にびくついてしまって、足が踊っている。無理に立とうとしたものだから、私はすっ転んだ。
「すみません、今、今立ち上がるので」
慌てて謝罪したが、衛兵はあらぬ方向に目をやっていた。視線の先には、一丁のピストルが転がっている。
「それで脅されたんじゃ!儂が老人だからって舐めてかかって、この儂を!」
御者が私を指差し叫ぶ。しわくちゃの雑巾みたいな顔面から、汚れた液体が滲んでいた。
「違います、箱に最初から入っていたんです!」
「しらを切るつもりか売女め。なんでも顔で解決できると思うんじゃないぞ」
口こそ悪いが、御者は衛兵の背に隠れていて見窄らしい。だからこそ、こいつが意思を持って私を騙しているのだとわかった。
「話は役所で聞く。それまで変な気を起こすんじゃないぞ」
手枷を嵌められ、肩をどつかれ立たされたる。歩いた先にあったのは、市門に内在する石造りの部屋だった。天井は低く窓の一つもないので、まるで牢屋に入れられたみたいだ。
「それで、君はどうして違法に領地を抜けようとしたんだい」
無精髭の男が、足を組んで座っている。頬はやや赤く、こうして目の前に座っているだけで酒の臭いが漂ってきた。
物腰は低く、顔つきも柔らかい。それでもペンと紙は構えているので、真面目に尋問する気はあるらしい。
「親切なご対応、ありがとうございます」
まずはお礼を述べる。私みたいな可愛い女の子に感謝されたら、大抵の男は即堕ちだ。謝罪ならこれから何度もする羽目になるし、会話のレパートリーも温存しなければならない。
隣の衛兵は銃を構えているし、気分を損ねるわけにはいかなかった。
「私は見ての通り犯罪奴隷で、ノースハーツの公爵様の所有物です。訳あってこの街に来ることになったのですが、帰る手立てがなくなってしまったので、こういった手段をとってしまいました。申し訳ございません」
訝しげに無精髭は眉を顰めた。
馬鹿正直に話すべきか、言い訳を口にするべきか、どちらにしても自ら足を運ぶのは望み薄だ。それならば、この役所からノースハーツまで情報を届けてもらうしかない。
(いや、チーフが間に挟まるんだったら、それも意味がないのか)
十中八九揉み消されるし、たとえ届いたとしても悪いように吹き込まれてしまう。そもそも脱走した一匹の奴隷を、リゼットが受け入れてくれるのだろうか。
「君さ、昨日の夕方にこの街に来たんだよね」
書類をペラペラ捲りながら、無精髭は尋ねてきた。まったく気がつかなかったが、手首の番号を確認されていたらしい。
「君はレベッカという人物の奴隷だと記録されているんだが、彼女は何処にいるんだい。正直に教えてくれ」
眼差しは真剣そのものなのに、この無精髭からは温厚そうな印象を覚える。きっと、酒焼けした声のせいだろう。
「何処にいるのかは知らないんです。私は彼女の奴隷だと嘘をついて勝手に入り込んでしまったので………」
レベッカはまだ、この街にいるはずだ。下手なことをぶっこいたら、不正がバレて二人で墓場行きになる。役所にレベッカが呼び出される状況になるのは、非常に避けたい。
「殴れ」
言い訳の途中なのに、衛兵に頭を銃で殴られた。緩い肉片の喪失感と共に、生温い体液が床を汚している。ぐるぐるぐるぐる、目が回る。
「拇印まで押されているのに、縁がないってのは無理があるだろ。嘘は良くないぞー、嘘は」
無精髭に髪の毛を掴まれ、釣られた魚みたいに私は持ち上げられた。なにやら歯を見せて笑っているが、人語を話しているようには思えなかった。
「あとジェイク、女の頭を殴るな。やるなら腹だ」
手をばっと離されて、私は顎から地面にぶつかった。身体が熱く、痛みはどこかに消えている。思考が定まっていないことを自覚できた。
「いいか、お前には真実以外を口にする権利なんてないんだ。脱走したのか、密売に協力していたのか、それだけを言えばいい」
男が何かをぼやいている。奴隷の私が、商売なんてできるわけがないじゃないか。銃を鈍器と勘違いしているみたいだし、低脳なのかもしれない。
しかし考えがまとまらないのは、私も変わらなかった。
「私は、密売なんてしてないし、逃げてもない」
「じゃあ、なんだっていうんだお前は」
男がどなる。あそこにあるのは、苛立ちだ。こういう相手には、どうすればいいんだっけか。
(なんだ、私って何もないじゃん)
屋敷に帰りたい。
リゼットには掴みどころがないと思っていたけれど、今思い返してみれば………結構、顔に出る人だった。私がなにかすれば狙い通りの反応をくれるし、いつも子供っぽくて、予想できない行動をとってくる。
「私は、私は!リゼット様の、恋人ですよ。そう、頼まれたので」
付き合ってくれと言われたんだ。私を一から全部評価してくれたのは、あの人だけだ。
「帰らないと、いけないんです」
段々と、痛みを思い出してきた。冗談抜きに死んでしまうかもしれない。
そうしたら、あの人は悲しむんだろうか。
腹部を銃先で刺されて、口からも血が飛び出る。人間の臓器はこんなにも脆いのかと、驚愕だった。
「人の所有物に、何してくれてんだ」
役所の扉が、ノックもなしに開かれる。女の影が近づいてきて、私の手を握った。
「リゼット様………?」
「ちげーよ、私だよ」
苛立ち混じりの声色だった。この特徴のある顔立ちは、彼女以外に見たことがない。
「レベッカですか」
「ああ」
レベッカは伸びた赤毛を揺らしながら、堂々と佇んでいる。反対に無精髭は、腰を下ろしたまま気怠げに溜息をついた。
「拇印のチェックは?」
「済ませて来たからここにいるんだ。それで、人様の奴隷に何を………」
「この女は違法出領の現行犯だ。例え殺してしまっていたとしても、文句を言われる筋合いはないな。むしろ私達は、監督不行き届きで君を追求する立場にある」
酒気が抜けてきたのか、無精髭の言葉運びは滑らかだった。レベッカは私を背負いあげると、無精髭を荒々しく睨む。
「それじゃ、罰金でも払えばいいのかい」
「君に違法性はなさそうだし、このまま彼女は解放さ。ただ、彼女を捕まえた老人には報労金を払っておいた方がいい」
すっかり忘れていたが、私は御者の虚言のせいで尋問を受ける羽目になっていた。どうやら私は、あの老人の小金稼ぎのために殴られていたらしい。
ムカつく奴だ。
「………老人が、どうしたって」
「だから、彼女を捕まえた善意の協力者がいる。苛立つ気持ちはわかるが、あの老人はプロの法律屋だ。諦めて金を払うことだな」
レベッカは眉間に青筋を浮かべていたが、途中で諦めたように踵を返した。見送られることもなく役所の外へ踏み出すと、高い太陽に頭が焼かれる。風が強かった。
「すまないな」
「いえ、助かりました」
恨み言を言って然るべき相手なんだが、命を助けられてしまうと、怒りの感情も失せてしまう。頭に上る血がないせいかもしれない。
いつまでも肩を支えられるのも癪で、レベッカの前を歩いた。
「いやぁ、はじめましてお嬢さん。とりあえずお話ししようじゃないか」
市門を避けるように、老人が荷車を停車させていた。柔かに手を振ってくるあたり、相当な度胸がある。
「お前、騙しやがったな」
「かっかっか。儂みたいな守銭奴のおかげで、この街の治安は守られておるんじゃぞ。嬢ちゃんのような法破りが国中に溢れたら、王国に訪れるのは破滅じゃ」
レベッカの剣幕に怯むことなく、老人は開き直った。胸ぐらを掴まれ首を締め上げられても、依然として余裕気だ。
「ここは門前じゃぞ、騒ぎになれば必ず捕まる。解放奴隷のお主が裁判でまともに戦えるなんて思わぬ方がいいぞ。これも社会勉強と思って、さっさと金を払うことじゃな」
日中ということもあって、人通りは多い。こうして老人を締め上げているレベッカは、もう既に注目の的になっていた。
「たった千フィリアも払えないなんて、随分と貧乏さんなんじゃな。今なら儂が金を貸してやらんこともないぞ!」
大袈裟に老人が宣言すると、遠くの衛兵がこちらに視線を向けてくる。仕方なしにレベッカは手を離し、胸元から丸まった千フィリア札を取り出した。
「それでいいんじゃよ。ほれ拇印を押し給え。じゃあ、儂は次の街に行くとするわい」
老人は自分の持つ書類に拇印が押されたことを確認すると、元気よく馬車の御者席に飛び乗った。
「待て、レーナの荷物はどこにやった」
そこで、思い出したようにレベッカが呟く。
老人は構わず馬を走らせようとしたが、レベッカの巨体はそれを許さなかった。手綱を握りしめて、老人の前に立ちはだかっている。
「そんなものなかった気がするのぉ。儂の商品に興味があるなら、安く売って」
レベッカは衛兵が余所見していることを確認すると、老人に勢いよく拳を打ち込んだ。老人は唾を吐いてへたり込むと痙攣し、すぐに動かなくなった。
それから老人を荷車に運び込むと、私の買った服と食料品を持って戻ってくる。ゾッとするほど、小慣れた手つきだった。
「さっさと移動するぞ。どうせすぐ目覚める」
「死んでませんよね」
「死んでると嬉しいな」
レベッカはおざなりに吐き捨てる。
本当に、生きているんだろうか。拳一発で死ぬことなんてまずないだろうが、ああやって一撃でダウンするところを目撃すると不安になってしまう。ちょっと………いや、かなりスッキリしたことは否めないが心配だった。
しかし、私には老人の命よりも気になることがある。
「どうして戻って来てくれたんですか」
パスポートを作りに行ってから、まだ数時間しか経っていない。直接亡命するものだとばかり思っていたから、戻ってきたのは意外という他なかった。
もしかして、私を気にかけてくれたのだろうか。
「役所で下手うってな。解放奴隷になっても、意外と不自由するみたいだ」
レベッカは自らの右手首を眺めている。私の知らないところで、トラブルが起きたのかもしれない。
「酷い怪我だな。今日は休んだ方が………」
「家に帰らないといけません。リゼット様を、待たせているので」
レベッカから大きめの帽子を受け取って、傷を隠すように深く被る。まだ意識がおぼつかないが、やるべきことだけは理解していた。
「それなら最後まで送ってくよ」
レベッカは近くの馬宿から馬を回収すると、さっと荷物を馬の腰元に括り付けた。
「しかし、家か」
ふらついていたせいで、私は先に馬に乗せられた。身体を片腕で支えられながら、ゆったりとした速度で馬が歩き出す。
「そんなもんだよな」
市門の列にたどり着くと、レベッカは突然言葉を発した。驚いて顔を見上げると、レベッカは口元を緩ませる。
「独り言」
そう呟いてから、レベッカは衛兵の持つ書類に拇印を押した。
領地の外では大根の収穫が行われていて、奴隷達が布一枚で働かされている。太陽は燦々と私達を照らしていて、弱い風が吹いていた。
すれ違った首輪つきの男は、汗を流しながら大根を背負って歩いている。伸びた髭に土が絡まっていて、乾いた地面みたいに肌は黄色い。
街の中では見かけることもなかったが、この世界は奴隷で溢れていた。私もレベッカも、ただの奴隷だった。




