13 蒙昧
13 蒙昧
ハンナが任期を終えるまで、あと三ヶ月余りとなった。最近は妹の仕事を手伝っているようで、会える時間はどんどん減っている。話すことができるのは、無理を言ってお風呂に誘ったときだけだ。
——トントントン。
「いいわよ!入ってきて」
ノックが聞こえた瞬間に、私はベッドから飛び起きた。ハンナに会いたくて走って扉の前までいくと、苛立った表情の妹と視線が合う。
「なんだ。結構元気してるじゃないですか」
シルビアは分厚い本を片手に、ズカズカと私の部屋へ入り込んできた。我が物顔で妹はソファに腰を下ろし、指差し命令して私を向かいの席に座らせる。
「ハンナさんが姉さんが心配だってうるさいんですよ。毎日毎日毎日です。これだとまるで私が非情なやつみたいになってしまいます」
「ハンナに言われて来たのね」
「違いますよ。私は姉さんを自主的に叱咤激励しにきたんです。いつまでも引きこもってないで、私みたいに仕事しろってね」
シルビアはふんぞり返りながら、私を嘲笑した。
「ハンナさんは私の親友ですからね、少しは助けてあげたいという気持ちもあるんですよ。成長した姿を見せて、少しは安心させてあげなさい」
まるで私の方がハンナと仲がいいと言わんばかりに、シルビアは言葉を並べていく。そして手に持った分厚い本を机の上に叩きつけた。
「超優秀な妹からの、おすすめの教材です。一応次期領主なんですから、勉強しなさい」
題目は、“奴隷制度の黎明”………歴史書なのか法律書なのかはわからないが、妹が好きそうな本だなと思った。
「奴隷はいいですよ。大人数を自由に動かせますし、その労働に対価を払う必要もありません。美しいことこの上ありませんね!凡ゆる労働者は、彼らを見習うべきです」
「でも無理矢理働かせてるんでしょ」
「人は労働からは逃れられません。使えるものは、使うのが効率的ですよ」
目を輝かせながら、シルビアは大きく手を掲げた。
奴隷制というのは、正直言って好きじゃない。ハンナみたいな良い子でも、理不尽に殴られたり蹴られたりするから。そもそも私は労働なんてしていないので、もう矛盾しているとしか思えなかった。
「役割は変えられません。私達は人の上に立ち、空の仕組みを解体しなければならない」
高く上方を指差しているが、その先にあるのは天井だ。空の仕組みがどうとか言われても、あんまりしっくりこない。
「ハンナさんに頼れるところを見せてあげてくださいよ。そして、私のように気高くなってください」
しっくりこないまま、肩を掴まれた。机から身を乗り出して、おでこがくっつきそうになるくらいに。
お父様とは別方向の圧力を感じて、思わず目を逸らす。
「今日のところは帰ってあげます。私はとーっても忙しいので」
ずっと俯いていたら、いつの間にか妹はいなくなっていた。
あの子のことは、どうにも苦手だ。私よりずっと頑張っているのは知っているが、考え方がお父様と似ていて好きになれない。
ハンナと仲がいいのも、とても嫌だった。
「私だって、親友よ。シルビアよりも、もっともっと深い間柄なんだから」
いなくなった妹に文句をぶつけて、ソファに横になる。それから渡された本を仕方なく手に取った。
つまらない内容だ。奴隷制度が国に与えた功績を延々と書き連ねるばかりで、どうにも盛り上がりに欠ける。下世話な話も混じっているものだから、私は気分が悪くなって読むのをやめた。
ほんの少し妹には悪いが、これで勉強しろというのは無理強いが過ぎる。
「三ヶ月くらいは、言われなくてもしゃんとするわよ」
私だって、ハンナに不要な心配をされたいわけじゃない。気を引きたいという気持ちは勿論あるが、それでも有終の美を飾りたかった。
「三ヶ月………」
三ヶ月なんて一瞬だ。最近は段々と涼しくなってきたし、冬なんてすぐにくる。
ゾッと震える肩を抑えつけて、決心が揺らぐ前に私は部屋を飛び出した。とにかく、行動しているという実感が欲しかった。
「少し、書庫を借りるわね」
お父様と鉢合わせないようにしながら、一階の書庫へと忍び込む。歴史ある書物が収められているだけあって、ここの警備は厳重だ。
私なら顔パスが通じるが、それでも警備に話を通す必要があった。
「どうぞご自由にお使いください、お嬢様。………おいレベッカ、付き添ってやれ」
この屋敷の使用人の八割は女で構成されているが、債務奴隷の一部には男も混じっている。なんだか存在が粗暴に見えるので、私は彼らが嫌いだった。
首輪つきの男は私を書庫に通してくれたが、用心深いのか警護をつけられてしまった。まあ別に、如何わしいものを見たりはしないから構わないけどもね。ついてくるのも、女の子だし。
「レベッカさん、そこの地政学の本を取って貰ってもいいかしら」
奴隷の管理は、そもそも商会が主軸にやっていることだ。ハンナに頼れるところを見せたいんだったら、奴隷制度以外の勉強だって同じだ。
レベッカが持って来てくれた本を吟味しながら、少しづつ内容を吟味していく。
「ねぇレベッカさん、ノースハーツのいいところって何かしら」
一瞬で活字を読むのに飽きてしまって、私はレベッカに雑談を持ちかけた。私はそもそも、真面目に勉強だけをするつもりで来たわけではない。ハンナ以外の友達を作る、それも一つの目標にしていた。
レベッカの手首の刺青を見る限り、終身奴隷であるのは間違いないだろう。彼女はややエラの張った顔をしていて、王国の人間にしては唇が厚い。だから何だって話だけど、こういう外から来た人とは私も仲良くなりたかった。
「すぐには思いつきませんね、申し訳ございません」
「まぁ、そんなものよね」
住んでいる場所の素晴らしさなんて、早々意識するものではない。こんな職場で働いていたら、この領を好きになることも難しいはずだ。
別の話題………もっと為になる話をしよう。
「ねぇレベッカさん、領主ってどういう仕事をしているのかしら」
「奴隷を増やしたり減らしたりしてるんじゃないですか」
ハンナとは別ベクトルの、おざなりな言い方だった。これでも雇い主の娘だし、仲良く会話することに抵抗があるのかもしれない。
「それはノースハーツの話でしょ?ほら、領主って何してるのかイマイチわからないじゃない」
「旦那様にお聞きしたら良いのでは?」
確かに正論だが、無茶を言わないで欲しい。お父様と会話なんてしても殴られて終わりだ。
でもそういう話で同情を引くなんて、本末転倒でしかない。ここはまた、話題転換といこう。
「ねぇ、レベッカさん」
「本を読みたいなら、さっさと読んでください」
彼女の名前を呼んだ途端に、私はお叱りを受けてしまった。用意させるだけ用意させて、そのまま読まないなんて失礼だったかもしれない。
そもそも、彼女は仕事中だ。
「私、友達があんまりいないのよ。だから少し、話がしたいなって。迷惑かもしれないけど、何でもいいからお話ししない?」
それでも勇気を出して提案する。理由をつけるのは簡単だったが、一回の挑戦もしないのは逃げだと感じた。
「いいですよ。友人の有無なら、私も持ち合わせがありませんから」
鈍い笑顔で、レベッカは承諾してくれた。
しかもわざわざ、私に友達がいないことを教えてくれている。これなら、上手くいくかもしれない。
「そ、それなら私と!」
レベッカの腰元を引っ張って、大きく口を開く。あとは、お願いするだけだった。「友達になってください」って。
「みんな死んだので」
レベッカ笑顔がどんどん、引き攣っていく。
「え?」
「先の戦争で負けてしまいましたからね。私は運が良かったので屋敷で働けていますが、まあ、他で生きている友人なんてもう誰もいませんよ」
瞳の奥から、怒りを覗かせていた。
その視線の先にあるのは、私だ。ここには私しかいない。
「ノースハーツは、狡賢さで有名じゃないですか。連れ去って犯して、脅して殺して。私が逆らえないのを知ってるんですよ。ねぇ、お嬢様」
閉じた脇がじんわり湿っていた。
あっそうか。レベッカは、お前のせいだって私に言ってるんだ。
「はい、お話しは終わりです」
レベッカは手を叩いて、それきり黙り込くった。本を読もうなんて気分ではなくなってしまっていたが、今更帰るなんてできるわけがない。
私は本を汗で濡らして、ただ時が過ぎるのを待つ。窓から差す光が、深くなっていた。
「ハンナ………」
走って、ハンナに会いに行った。屋敷は奴隷ばかりだし、お父様にも蹴られてしまったが、もうなんだっていい。とにかく話がしたかった。
「はぁ、助言のやり損でしたか」
偉そうなシルビアを押し退けて、ハンナに縋りつく。しばらく彼女は慌てふためいていたが、途中で踏ん切りがついたようで、私を脇から持ち上げる。
びしょびしょだから、今は触れられたくなかった。
「少々、席を外させていただきます」
「構いませんよ。お父様に捕まらないようにしてくださいね」
シルビアは書類整理をしながら、ひらひらと手を振っている。余裕そうで羨ましい。
「ハンナ………ちょっといいかしら」
私はいつの間にかおんぶされていた。情けないことなのに、こうやって背負われると安心してしまう。
「なんですかぁ」
いつも通りの、間延びした声。こうやって気軽な態度を取ってくるのは、信頼されている証のように思えた。彼女だから安心して相談できる。
「ノースハーツに恨みのある人って、どれくらいいるのかしら」
シルビアは奴隷制を過度に肯定しているけれど、あの考えが一般的じゃないことは私でもわかる。レベッカのように私を恨んでいる人は、この国ね何人もいるはずだ。
「ノースハーツのマンハントには数世紀の歴史がありますからね。きっと領地一つ分以上の人が、この家に憎しみを向けていると思いますよ」
「やっぱり、そうよね」
「でもでも、私がリゼット様に向ける愛情の方が大きいですよぅ」
慌てて誤魔化すハンナは、馬鹿っぽくて可愛かった。でも、今の私が欲しいのは事実だけだ。変な慰めをされたら、また不安になってしまう。
「そもそもですが、お嬢様に責任なんてありませんよ。行動を起こしているのは、お嬢様ではないでしょう?」
「でも、私もノースハーツなのよ」
「なら結婚すればいいんです。こんな家とは縁を切って、エレンサラー家に来てくださいよ。みんな歓迎しますよ」
結婚。その単語を聞くだけで心が怯えた。
私は公爵家の娘だから、いつかは結婚して子供を作る必要がある。けれど私は、男とまぐわって子供を作るなんて考えたくもなかった。
いや、作るだけならまだいい。男を愛さなければならなくないなんて、不快でたまらない。しかもそいつと一生一緒だ。無理だよ、どう考えたって。
「私は、ハンナが好きなのよ」
「おやおや甘えちゃって、もー可愛いなー。でも弟は馬鹿真面目で優しいですよ。なんたって賭博が嫌いなのに金を貸してくれますからね」
ハンナの弟は、きっとハンナに似ていい子なんだろう。でもこれは、私の根源的な心の問題だ。いくら良い人でも、絶対に立ち行かなくなる。
私は男性の見た目が嫌いで、臭いが嫌いで、存在に耐えられない。まるで頭が受け付けてくれないのだ。
「嫌だ。ハンナと結婚する」
「へへ、私もお嬢様が相手だったら気が楽だなぁ」
告白は、初めてじゃない。何回も何回も、今年に入ってからは頻繁に口にしていた。
「誤魔化さないで欲しいの。駄目なら駄目って言ってくれないと、期待してしまうわ」
困らせたくないから、今まで深く話を掘り下げてこなかった。しかし、私はもう既におんぶまでされている。ここまでされて何も伝えないのは、一番の逃げだと思った。
いやらしく選択を委ね続けるのは、もう辞めだ。
「同性婚は重罪です。世継ぎを作れないなら、結婚の意味がありません」
「形式的な話をしたいわけじゃないの。愛さえあれば、夫婦になれるわ」
「女性同士でそういった関係を築くのは、神の意思に背きます。形式に拘っているのはお嬢様ですよ。もっと別の形の愛が、この世界にはあるはずです」
普段はふしだらなくせに、ハンナは急に信心深いことを語り始める。それが理不尽で仕方なくて、私は久しぶりにハンナへ怒りを向けた。
「なにそれ。私のこの思いが悪だって、神様は言っているのかしら」
「違いますよ、お嬢様。お嬢様はただ、愛情を知らなすぎただけなんです。この屋敷から飛び出して新しい世界を見つめれば、考えも変わりますよ」
ハンナからしたら、私の感情は気の迷いでしかないらしい。そんなわけないじゃないか。
私が正しいかどうかより、ハンナが私をどう思っているのかを教えて欲しかった。
「そんな言い方、酷いわよ」
ハンナはまた、黙った。
いつまでも運ばれているのも違うような気がして、一度言って下ろしてもらう。ハンナと一緒にいて息が詰まるのは、初めてだった。
「私だって、ずっとお側にいたいんです」
私の部屋の前で、ハンナはそう呟いた。このままシルビアのところに返そうと思っていたけれど、気が変わってしまってハンナを招き入れる。
「私もずっと一緒がいいわ」
ハンナだけが、私の心の支えだ。彼女がいなくなったら、いよいよ私は一人になる。
だから離れたくないし、恋人にもなりたかった。
「心配なので、もう一度お聞きしますね。私がいなくなっても、平気ですか」
平気じゃない。もしハンナと会えなくなったら、私はきっと首を吊るだろう。でも、ここで追い縋って………それで解決する問題でもなかった。
「平気じゃないけど、でも、大丈夫よ。さっきは我儘言ってしまったけれど、私もハンナの弟さんとは話がしてみたいわ」
「それはよかったです。残りの時間で、たくさん思い出を作りましょうね」
きっと、これでいい。
これでいいはずなのに、嬉しそうなハンナを見ると胸がざわついた。
「一つ、いいかしら」
どくんどくんと、心臓が高鳴っている。
悪いことをしようとしたとき、人の心の中に天使と悪魔が現れるという。私は今、確かに天使の声を聞いた。
「ここにいる間だけ、恋人になって欲しいの」
天使は私に、やれと囁いた。




