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やがて、冬の雪がとけたら  作者: an-coromochi
一章 降り来る、星
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冬と、蝶と、星と 3

 初め柊は、綺羅星のことを、無口で何を考えているか分からないが、とにもかくにも自分を装飾する道具としては、申し分ないと評価していた。しかし、先ほどの彼女の発言から、その評価は180度変わった。


 不気味な女だ。


 周囲のことなど、どうでも良さそうにしているのに、実際は良く観察しているようだ。


 私の表情、あるいは言葉のどこからあのように判断したのかは不明だが、確実に私の内面を見透かしている。


 下手にボロを出すと、私の地位まで脅かされかねない。


 チロリと唇を舐めると、柊は話の続きをした。といっても、こちらから案内する必要のある施設は紹介したので、ここから先は彼女の希望があれば案内すればいいだけである。


 早々にこの場を切り上げたかった柊は、これ以上、自分の内側を覗かれないように注意を払いながら口を開いた。


「これで大体の場所は説明したけれど、まだ何か知りたいことはあるかしら?」


 綺羅星は変わらず淡々と「いいえ」と呟くと、唐突に目線を合わせて、ほんの少しだけ口元を歪めた。


「貴方も、早く私から離れたいでしょうから」


「…そんなことないわ」


 つい苛立ちに眼尻を吊り上げてしまったが、すぐに元の表情に戻して、あくまで親切なクラスメイトを装う。


「希望があれば遠慮なく言って頂戴?喜んで案内するわ」


「本当にそうかしら」


 廊下に、他の生徒の姿はほとんど見受けられなかったが、立ち止まった二人の横を通り過ぎる者は数名いた。


 生徒たちは、二人を横目で観察しながら、ひそひそと語らいながら離れていく。


 その光景が何度か続くと、流石の柊も、徐々に苛立ちを隠せなくなっていく。


「あの、私、何か綺羅星さんに嫌われるようなことしたかしら?」


「ごめんなさい、そういうつもりは無かったの」


 何だ、意外に素直に謝れるではないか、と柊が思えたのもほんの一瞬で、綺羅星は私の強張った顔を真っすぐ見つめてから喉を震わせた。そして、その一言がまた彼女のプライドを刺激するものであった。


「私は貴方がどんな人間でも興味ないわ。言いふらしたりしないから、そんなに怯えた顔をしないで」


 …怯える、私が?


 綺羅星の感情の宿っていない瞳に、ゆらりと、自分を嘲るような色が混じったような気がした。


 柊は両手で拳を握り、口の中で何かを磨り潰すように歯ぎしりをした。


 二人の佇んだ廊下の窓から、冷ややかな秋の風が流れ込んで来たものの、頭に血が上った柊を、冷静にさせるほどのものではない。


 どうして私が、こんな女に怯える必要があるのか。

 この身の程知らずの転校生は、一体何を言っている。

 多少見た目が派手だからといって、こんな奴の好きなように言われてやる理由はない。


 柊が怒りに身を任せて言葉をぶつけようとした刹那、同じ時間が流れているとは思えないぐらいスムーズな動きで、綺羅星は彼女の唇に人差し指を押し当てた。


 柊は身体を静止させて、その理由の分からない行動に目を白黒させていた。


 綺羅星は、すっと瞳だけで周囲の人間が二人の様子を窺っていることを柊に伝えた。


「今日はありがとう、とても分かりやすかったわ」


 ほんの少しだけ頬を緩めて柊を見据えた彼女は、身体をぐっと近づけて、互いの距離を圧縮してから、柊にだけ聞こえる声で囁く。


「私は、貴方の積み上げてきたモノを壊すつもりはないわ」

「な、あ――」


 アンタ、と口にしようとした矢先、再度彼女の細く、しなやかな指が唇に添えられた。


「口は災いの元よ」


 周囲が二人の様子をどう捉えたのかは分からなかったが、かけられた声の多くは、二人の仲の良さを冷やかすような言葉であった。


 普段なら周囲の愚かさに辟易するところなのだが、今の柊にはそんな余裕は一切なかった。


 彼女の頭の中は、綺羅星によってもたらされた怒りによる熱と、同様に、彼女が植え付けていった恐怖による寒気が、ミックスされて生まれたもので一杯になっていた。


 教室へと遠ざかっていく綺羅星の背中が消える。すると、彼女に関わったことで生まれていたストレスが、むくりと鎌首をもたげた。


 今すぐに、この苛立ちを自分の中から追放したい。今すぐにだ。


 その格好の相手が、もう帰路についてしまっていることに気がついて、いっそう腹が立つ。


 自分も教室へ戻って荷物を手にした柊は、疲労感から、今日は生徒会をサボって帰ってしまおうと決めた。


 いつも必要以上に真面目に活動しているのだ、こんな日くらいは許されるだろう。


 階下に降りて昇降口へと向かう。


 誰かに見咎められることはないだろうが、少しだけ人目を気にして、縮こまった動作になってしまう。


 下駄箱で自分の靴と上履きを履き替えていると、ふと、自分のスペースの一つ下の空間に、地味なローファーが綺麗に揃えて置いてあるのが目に入った。


「まだいる…」と思わず独り言が漏れてしまって慌てて周囲を見渡す。


 微妙に時間の経った放課後の昇降口には、誰の気配もない。


 アイツは、どこで暇を潰しているのだろう。

 胸の中の苛々を、彼女にぶつけることが出来たら、さぞ気分がいいに違いない。


 柊は、彼女の行きそうなところを脳内でいくつかピックアップし、可能性が高いところを虱潰しに探そうと考えて、一度手にした靴を、再度元あった場所に戻した。


 人気の減った廊下をぐんぐん進み、一目散に図書室へと向かう。


 読書好きな彼女なら、時間があるときは本でも探しているかもしれない、と踏んだのだ。


 受付の黒縁メガネの生徒に声をかけて、彼女を見ていないか尋ねる。


 すると幸運なことに、彼女は二十分ぐらい前から、別室に一人入ったまま出てきていない、とのことだった。


 本棚の列を、追い越すような足取りで進んで、件の扉をノックする。


 すると中から、普段とは違うトーンの冬原の声が聞こえてきた。

 優しく、丁寧で明るい響き。


 自分以外には、こんな声を聞かせるのか、と胸の奥がジリリと疼く。


 覗き込めるぐらいの隙間を開けて、中の様子を窺う。


 まさか自分が来るとは、想像もしていなかったのだろう。冬原の瞳は、強い怯えの色に染まり言葉を失っている。


 上品な笑顔を受付のほうへと向けて、お礼と、この部屋を借りる旨を告げ、後ろ手に扉を閉める。


「ひ、柊さん、あの、転校生の学校案内は…」と彼女が呟くが、その一言が、数十分前の綺羅星とのやり取りを思い出させて、柊を苛立たせる。


 極力足音を立てずに、一気に冬原へと近づく。

 先ほどの鬱憤を込めて、彼女の小さな顔を平手打ちする。


 小気味のいい音が、密閉された部屋に木霊するのを耳の奥で聞きながら、少しだけ自分の気持ちが落ち着いていくのを感じて、ふぅっと一息吐いた。


 だが、怯えて謝罪だけを口にしていればいいものを、その柔らかそうな桜色の唇が開かれ、こちらを慰めるような、気遣うような言葉を、微笑みと共に向けてきた。


 それがあまりにも不用意に、柊の逆鱗を刺激して、冬原は反対側の頬を思い切り打たれることになった。


 さっきは彼女を痛めつけるだけで、自分の中の不満が勢いよく燃え尽きていくのを感じていたのだが、今回はどうにもならなかった。


 むしろ、未だ消えない冬原の相手を気遣うような表情は、柊の怒りの炎に油を注ぎ込んでいく。


 彼女の頭の中には、『興味がない』、『怯えないで』と囁く綺羅星の声が延々と反響していた。


 綺羅星への怒りも際限なく湧くが、古い本独特の臭い、目の前で、自分と同じように両足で立って、同じようにこちらを見据えている冬原も忌々しい。


 渾身の力で、冬原の横顔を引っ叩く。


 柊には、冬原が横倒しになっていく様子がとてもスローモーションに映り、何故だかそれが、とても鮮明に脳裏に刻みついた。


 倒れた彼女の瞳の中に、死者のように冷めた瞳の女が映っている。


 自分はこんな顔をしているのか、と目を凝らしたが、よくよく覗き込んでみると、それは自分ではなく、自分の瞳に反射した冬原のようにも見えた。


 自分が倒れているのか、見下してているのかが、分からなくなる。


 脳内に発生した幻覚を打ち払うため、冬原の脇腹目掛けて思い切り足を振り上げ、抉り込むように蹴り上げた。


 それは、開かれるはずのないこの部屋の扉が音を立てたのと、同時であった。


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