星は、語る 2
「…あら、もう起きたの」
「お生憎さま、寝起きは良いほうなのよ」
顔色の悪い柊が、片方の手を、部屋の細い支柱に縫い留められたままの姿で、悪態を吐いていた。
首元に青黒い痣がついていることから、首を絞められたらしいことが分かる。
横たわる柊の白い太ももと同じ色をした表情を見て、突き動かされるように、冬原は彼女のそばに近寄った。
「ひ、柊!大丈夫…?」
柊の顔の近くで彼女の名前を呼ぶと、存外意識はしっかりしているらしく、「大丈夫よ」とこちらを安心させるように優しく返事をした。
それから、切れ長の瞳を一際絞ってから、鋭い声音で忠告する。
「気をつけて、あいつナイフを持っていたわ」
ナイフ、という単語を聞いた瞬間、綺羅星に背を向けているという事実に、ひやりとした恐怖を抱いた。
しかし、勢いよく振り向くも、彼女は幽鬼のように力無く佇んでいただけだ。
結局、綺羅星は何をしたいのだろうか。
初めから、私と柊を殺して描くことが、目的であったのか。
それとも、殺すことそのものが…?
いや、あるいは彼女のバックグラウンドを、誰かに聞いてもらいたかった?
違う、何かが釈然としない。
綺羅星亜莉栖という人間は、他人の縮尺定規で測り知れるものではないはずだ。
「聞いてなかったの?私が貴方を殺すことに意味なんてないのよ」
「だったら、早くこれを外しなさいよ!」
部屋の支柱に繋がれた片腕を引っ張って、手錠の鎖をガシャガシャと鳴らす柊は、気迫だけなら、綺羅星に決して負けていない。
こうして拘束されていることに関しても、柊が素直に綺羅星に押し負けたとは考えにくい。
きっと不意でも打たれ、気絶させられてここに運ばれたに違いない。
今にも鎖を引き千切りそうな獣の如き柊を、目を細めて眺めていた綺羅星は、久々に彼女らしく優雅で儚い声音で、「嫌よ」と愉快そうに答えた。
「あんたねぇ!」
綺羅星の悪魔的な微笑みに噛み付くように叫んだ彼女は、相手がゆらりと近寄ってきたことで、かすかに怯んだように首を竦めた。
それはきっと、宝物のように綺羅星の片手に握りしめてあったナイフのせいなのだろう。
夜の闇に住まう、妖しき魔女のような綺羅星。
彼女は、そのまま警戒する二人の目の前までやって来ると、おもむろに冬原に手を伸ばして、肩を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「い、いたっ…」
「や、やめなさい!冬原に触るな!」
多少の抵抗を受けながらも力任せに引き上げた綺羅星は、しつけのなっていない飼い犬のような柊を尻目に、冬原の肩に片手を置き、目をじっと覗き込んだ。
時折明滅するランタンの光が、綺羅星の長髪のグレーを、思い出したように照らす。
黒と灰が混ざりあった、薄汚れた石灰岩のような髪が、彼女の片目にかかってそのエメラルドを覆い隠す。
綺羅星が、そっと、片手に握り込んでいたナイフを冬原の手に押し付ける。
「夕陽、貴方がやるのよ」
「え、や、何」
わけも分からぬままに、自らの掌に押し込まれつつあるグリップの感触。
それに本能的な恐怖を感じつつも、暴力的とも言える手付きになっていた綺羅星に、逆らいきれない。
気がつけば、冬原の手中には銀の刃が握らされていた。
「私ではダメなの。柊を心の底から大事に思っていて、それでいて、ネクロアートの奴隷とも呼べる者でなくては、美しい屍体は作り出せないし、描けない」
「わ、私が…柊を、殺す…?」
ようやく綺羅星の意図するところが察せられる。
同時に、左手に感じる不慣れな重みの意味がはっきりと形を帯びて、自分を見つめているような気がして、冬原はごくりと生唾を呑んだ。
「それが…、私たちに近づいた理由?」
冬原の口から力無くこぼれた空虚な響きに、綺羅星は少しだけほっとした顔つきになって、深く頷いた。
「あの日、貴方たち二人を図書室で見たとき、私は思った。『なんて歪で、愛らしい二人なのだろう』と」
「歪で、愛らしい…?」
「冬原、そんな奴の話、まともに聞いてどうすんのよ!」
声を張り上げる以外の選択肢が許されていない柊は、先ほどからしきりに綺羅星を怒鳴りつけてはいるが、冬原は感覚が麻痺したかのように一切反応しなかった。
「互いに必要としている」
「あれの、どこがそう見えたの?」
「目を見れば分かるわ」
「そんな、亜莉栖の思い込みなんじゃ…」
「いいえ、周囲に諦めを抱いている貴方と、見捨てられることを恐れる彼女」
その何の証拠もない綺羅星の戯言に引きずられ、思わず、後ろを首だけで振り返り、柊の顔を見つめた。
彼女は冬原と目が合った刹那、弾かれるように顔を背け、暗い部屋の隅を注視していた。
見捨てられる…?
柊のように、全てを持った人間が、誰に見捨てられるのだ?
知力も、体力も、コミュニケーション能力もルックスも…。
全てを兼ね備えている彼女が、他人から不必要だと拒絶される可能性など無きに等しい。
綺羅星が言い間違いしたのだと思ったが、それは違うと彼女は否定した。
柊が、私たちには言えない何かを抱えているのは知っていた。
だが、私と同じで、ずっと誰かが隣にいて、肯定せずとも否定もせずにいてくれれば、きっと苦しくなくなって、いつかは笑いながら話してくれると信じていた。
それも、まやかし?
私が信じたいだけの、都合の良い、幻…。
「夕陽、彼女が何を恐れているのか、分かる?」
その一言に、大人しくなっていた柊が、突然金切り声を上げた。
「綺羅星ぃ!あ、アンタ、約束したじゃないの!」
「あらぁ?約束なんてしたかしら?」
「あ、アンタ…、どこまで人間が腐っているのよ…!」
相手を嘲るように告げた綺羅星に、顔を真っ赤に染めた柊が射殺すような視線を送る。だが、蚊帳の外に追いやられていた冬原が、「約束って、何?」と尋ねたことで、途端に顔色を変えて、綺羅星と冬原の顔を何度も見比べた。
亜莉栖は、知っているんだ。
理由の分からない苛立ちが、胸の中で渦巻く。それを他人事のように感じながら、柊のほうを再び見つめる。
すると彼女は、怯えたような目つきで、かすかにその瞳を潤ませ、あろうことか、綺羅星に懇願を始めた。
「お、お願い、待って、やめて、もう、殺すなら、それでいいから。だから、コイツにだけは言わないで…」
「ひ、柊・・?何で…」
「あら、どうしようかしら。折角、可愛くお願いが出来ているのに申し訳ないんだけど…。どうするかは、夕陽が決めることだから…ね?」
何で、そんなに嬉しそうなんだ。
柊が、悲しそうにしているのに…!
そうだ、いいわけがないだろう。
柊が死んで良いわけ、ないだろうに。
柊の、あまりにも深刻で悲壮な祈りに何も感じないわけでもなかったが、それでも、彼女が死ぬようなことになるよりマシだと判断して、冬原は綺羅星のほうを真っ直ぐ向いた。
「分からない、教えて」
「冬原ぁ!」
冬原の問いかけに満足したようににっこりと微笑んだ彼女は、コインの表と裏が、突然にひっくり返ったように無感情な面持ちになると、ゆっくりと口を開いた。
「…貴方が悪いのよ、弱虫さん?」
そんな無情ともいえる綺羅星の宣告を耳にして、ついに柊は涙を流し始めた。
柊が、泣くほどの秘密…。
一瞬、耳が痛くなるほどの静寂が過ぎ去った後、綺羅星は、砂糖菓子でも舐めるようにねっとりと、そして甘やかしたような口調で語った。
「柊は、恋愛的な意味で、貴方のことが好きなのよ」
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