弱虫の本音 1
職業柄、誤解される、ということに触れがちな毎日です。
この節では、彼女らの誤解が少しは解けるようで…。
適当な晩御飯を作って、その後片付けを終えたあたりで、時刻はもう夜の九時前。
それから一人用のバスルームとは思えないぐらい手広な空間で、落ち着けない入浴を三人が順に済ますと、もう寝るのにちょうど良い時間になっていた。
さすがに日も跨いでいないので誰も寝ようとはしなかったが、一緒に何かをするわけでもなく、各々好き勝手に過ごしていた。
友達が集まってのお泊り会というのは、もっと騒がしいものかと想像していた。だが、ことこの三人においては、その限りではないようだ。
本を読んでいる自分の隣には、流れているドラマを惰性で見ているらしい柊と、無心で鋏を使って紙を切っている綺羅星がいた。
「何をしてるの?」と手持ち無沙汰になっていた柊が、不思議そうに尋ねる。
すると、綺羅星は得意げに鋏をかざして見せて、片目をつむり微笑んだ。
それから、もう片方の手に持っていた白い紙を、柊の視界に摘まむようにしてぶら下げて、注目するように促す。
柊だけではなく、本を読んでいた冬原も興味を示したことで、綺羅星は満足そうにまた口元を優雅に歪める。
白魚のような指先をかすかに動かして、その折りたたんでいた紙を広げた。
「わぁ」子どものように、素直な感動の声が漏れてしまう。
「切り絵、ねぇ」
柊は、冬原とは逆で何も思うところはなかったらしい。やがて、眼差しをテレビの画面に戻した。
興味を惹かれたままの冬原は、綺羅星に座ったまま近づいて、彼女の持つ紙を受け取る。
「雪の結晶?上手だね」
「ふふ、ありがとう。冬原にそう言ってもらえると、嬉しいわ」
晴れやかに賛辞を受け止めた綺羅星が、珍しく歳相応に感じられた。冬原も、つられて笑顔になる。
本当に嬉しかったのだな、と冬原は、掌に乗った白一色の雪の華を見て思った。
一体何に使うのかと綺羅星に尋ねたものの、曖昧に首を傾げられただけで、それらしい返答は得られなかった。おそらくは暇つぶしであろう。
彼女にも、可愛らしいところがあるものだ、と感じたところで、テレビが夜十一時のナイトニュースを流し始めた。
もうこんな時間か。そもそもどこで寝るのだろうか。
さすがに自分の部屋のように、寝るところが一つしかない、なんてことは考えにくいだろうが…。
「ねぇ、そろそろ寝る準備しない?」気になったので、少し遠回しに確認してみる。
「そうね、お布団ならそこのクローゼットの中にあるわ」
「ちょっと、私たちに準備させるの?」
ウォークインクローゼットを指差す綺羅星を、ジロリと睨みながら柊が問う。
「いやねぇ、私たち友達でしょう?そして、友達は対等。そうよね、柊さん、冬原さん?」
綺羅星は、悪寒が走りそうになるぐらい甘えた声で応じた。
「うへぇ、キモい…」言葉には出さなかったが、冬原も同意だった。
「じゃあ、私は自分の部屋で寝るから」
綺羅星は、さっきの言葉が、いかに心にもない言葉だったのかを示すと、柊の制止の声を適当にあしらって、廊下の奥へと消えていった。
二人は洗面所で歯を磨き、リビングに戻ってパジャマに着替えた。
少しだけ恥ずかしがって着替える柊が、とても幼く見える。
「綺羅星の奴…、何を考えてるのよ、もう!」
「まあ、綺羅星らしいとは思うけど」
「…アンタさぁ、前々から思ってたけど、ちょっとアイツに甘いんじゃないの?」
「え、そんなことない…よね?」
柊は一つため息を吐くと、布団をさっと敷いて、その隙間に体を滑り込ませていた。
「いや、さっきもさぁ…まあ、別にいいけど」
歯切れの悪い柊の物言いをスルーしながら、自分も彼女の真隣に布団を並べる。すると柊が、目くじらを立てて声を荒げた。
「ちょっと!もっと向こうに敷きなさいよ!」
「え、何で?」
「何でって…、お、落ち着かないでしょ」
「私は別に?」
「私が嫌なのよ!」ズバリ切り捨てられる。「え、嫌なんだ…」
悲しげな呟きを漏らす冬原の顔を見て、慌てて柊が訂正する。
「ち、違う、言い方が悪かったわ。そうじゃないから、そんな顔しないでよ…」
「うん、で、何が嫌なの?この間は、同じ布団で寝たのに」
「アンタ…今の、落ち込んでたフリなの?」
柊は、こちらの問いかけを華麗に無視した冬原を、じっと呆れたように見つめながら、ふうっ、とため息を漏らして答える。
「この間は…、布団が無かったからに決まってるでしょ」
頑なにそばで寝ようとしない柊に、ワケの分からない苛立ちが募る。それによって、こちらも無意味に意地になり、無理矢理にでも彼女の隣に布団を敷いた。
「あ、この!」
柊を無視して、淡々と就寝の準備を行う。
毛布まで綺麗に整えたところで、ようやく彼女も抵抗を諦めたようだった。
電気を常夜灯に切り替え、床に就く前に、大きな窓の前に移動して、煌めく夜景を見下ろす。
色とりどりのネオンや街灯の光が街を彩り、まとまりのない塗り絵のように、あちこちに色が散乱していた。
夜も更けたことで、道路を矢のように飛び交う車の姿もまばらになりつつある。
「綺麗ね」
いつの間にか隣に並んでいた柊が、ぼそりと呟いた。
時折、彼女が漏らす優しげな声が、私は大好きだった。
冬原は、その声に小さく頷きを返して、ぼんやりと眼下に広がる世界を眺めていた。
時間の感覚さえも止まりつつあるのではないかと思える静謐に、自分と柊の静かな呼吸の音だけが響いている。
あいにく夜空に星は見えないけれど、隣の柊がそれ以上の役割を果たしてくれている気がして、思わずその綺麗な手に指を伸ばした。
指先がちょこんと触れただけで、柊は素早く手を引っ込めながら、「ちょっと」と責めるように呟いた。
だが、冬原が聞こえるかどうか分からない程度の声で、「ダメ?」と尋ねると、小さく呻き声を上げつつ、指先をゆっくりと絡めた。




