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やがて、冬の雪がとけたら  作者: an-coromochi
一章 降り来る、星
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冬と、蝶と、星と 1

相手を傷つけるという行為は、


自分を傷つけているか、

自分の品格を傷つけている、


と私は思います。

 それから一日がいつもどおりに、いや、休み時間や掃除の時間は、微妙にぎこちない空気が流れていたものの、どんなコンタクトにも徹底して、綺羅星が興味の無さそうな態度を崩そうとしなかったことで、結局、変化のない時間がすぎた。


 そうして帰りのホームルームも終わり、冬原は柊に呼び止められる前に、急いで荷物を鞄の中に詰め込んだ。


 自分でも、まるで山火事を予知した小動物のような慌てぶりだと自覚しつつも、決して周囲に、というか柊に内心を悟られぬよう、手早く作業を終え、席を立った。


 だが、教室の出口に向かう際に、ちらりと柊の席を横目で確認したところ、すでに柊の姿はなかった。


 そういえば、転校生の学校案内をしなくちゃいけないと言っていた。

 綺羅星の席に視線を移すと、案の定、彼女の姿も霧のように消えていた。


 冬原はほっと一息ついて胸をなでおろすと、折角彼女に怯えずに放課後を過ごせるのだから、図書室にでも寄って帰ろうと考え、足の向く先を昇降口から、上階にある図書室へと変えた。


 当然、二人の姿が図書室にあったら、気づかれないうちに踵を返して学校を出るつもりだ。


 冬原は、二人組の背中を見かける度にビクビクしていたのだが、よくよく頭を使えば、柊と綺羅星は目立つ二人だ。


 両者とも背が高いし、スラリとしていて、明らかに目立つ。

 そのうえ、綺羅星の髪の色は、遠目から見ても間違いなく彼女だと分かるはずだ。


 あまり周囲に気を配らなくても大丈夫そうだ、と冬原は苦い笑みを噛み殺して、俯いたまま歩いた。


 完全に、負け犬根性が染み付いてしまっている。


 誰かに怯えて暮らすことを抵抗なく受け入れてしまった時点で、冬原は、自分を生まれついての負け犬だと認めてしまっている気がした。


 図書室の前まで移動すると、さっと周囲を見渡し、そろりと扉を開いて中の様子を窺う。


 室内に利用者はほとんどおらず、自習をしている者が数名と、こんこんと読書に耽っている生徒が数名というだけだ。


 静けさの中にかすかに漂う本の臭い。

 神聖な静謐に包まれている。

 読書の場とは、こうでなければならない。


 興味を惹かれる本がないか、と腰の高さ程の本棚に近づいて探したのだが、自分のアンテナに引っかかる一冊はない。


 受付の係の生徒に申し出れば、読む者の少ない文学小説や、古書が納めてある別室に入れてもらえる。


 だが、私にとって他人に話しかけるという行為自体が、大きく面倒を被るものだ。

 その面倒さと、新たな本との出会いを天秤にかけた結果、冬原は後者を選ぶことにした。


 そもそも、こんなときでもなければ、図書室に行こう、という気力そのものが湧かないのだ。


 基本的に毎日放課後は柊に呼び出されてしまうので、次にこういった機会がいつあるかも、分かったものではない。


 彼女の圧力から、完全に解き放たれている日でなければ、良い本との出会いも見込めない。


 冬原は小さく一人で頷くと、受付に足を運び、係の者に古書の並べてある部屋の鍵を借りられるよう許可を求めた。


 彼女の声が小さすぎたことで、目的達成にかかる時間は長かったが、何とか鍵は借りられた。


 黒縁の眼鏡を掛けた受付の生徒は、「古書の貸し出しは一冊だけですよ」と丁寧に伝えてくれる。


 前に何度か鍵を借りたときも、とても気持ちの良い対応をしてくれたことを覚えていたので、最低限の礼儀として、可能な限り明るい笑顔とトーンでお礼を告げた。


 借りた鍵を使って、奥の扉を開くと、古書の臭いが強くなった。


 この部屋には窓もなく、古い本の臭いも相まって、陰鬱な空気感で満ちていたものの、日陰者の冬原は、こういう場所のほうがかえって居心地の良さを感じてしまう。


 十分近く、自分の背丈の倍以上ある本棚の前をさまよっているうちに、何冊かの候補が彼女の中で挙がったが、未だに一冊に絞れずにいた。


 怪奇小説もいいが、純文学も捨てがたい。


 さて、どうするか、と頭を悩ませていたら、不意に、一つしかない扉がノックされる音が、他に逃げ場のない密室に響いた。


 受付の生徒が、中々出てこない私を不思議に思っているのかもしれない。

 冬原は、先ほど出した声と同質のもので、「はい、どうぞ」と優しく返事をした。


 しかし、扉の隙間から見えた顔を見て、冬原は息を詰まらせた。


 隙間からこちらの顔を確認した女は、一瞬だけ鈍く瞳をきらめかせた後、背後を振り返って、「ありがとう、ちょっと冬原さんと転校生のことで話し合うことがあるから、場所を借りるわね」とにこやかに告げ、後ろ手に扉を閉めた。


「ひ、柊さん、あの、転校生の学校案内は・・・」と冬原が、怯えた顔を取り繕う余裕もないまま尋ねた。


 柊はそれを無視して、ぐんぐんこちらに近づいてくる。


 表の人間を気にしてか、足音の鳴らない歩き方をしていたものの、その表情はまさに、暴君が矮小(わいしょう)な民衆をねじ伏せんとするかのようだ。


 柊の鉛色の瞳に、自分の姿が映ったのを視認した瞬間、半分程度は予想していた衝撃が、頬を走って、身体が強く横方向に仰け反った。


「・・・っ」


 声にならない声を上げて、冬原は遅れてやって来た痛みに歯を食いしばり耐える。


 どうして彼女がここにいる。

 学校案内はもう終わってしまったのか。

 いや、そんなことはもうどうでもいい。

 今は、いつも以上に気が立っている彼女を、少しでも宥めるのが先だ。


「ひ、柊さん、どうかした?」


 まるで、叩かれたことなどなかったふうに、冬原は微笑んで尋ねる。


 しかし、一見すると余裕があるように見えるその表情が、尚更気に障ったのか、彼女は眉間に皺を寄せて、再び冬原を平手打ちする。


 密閉された室内に反響する乾いた音が、自分の身体が打たれたことで鳴っている音だとは、にわかに信じられなかった。


 だが、最初に打たれたのとは、逆側の頬が熱を持って鋭く痛み始めたことで、確かな現実なのだと思い知らされてしまう。


 荒い息遣いで、自分を射るような視線を送り続ける柊を見て、どうして早く家に帰らなかったのか、冬原は深く後悔した。


 そもそも、何故自分が校舎に残っていることに気がついたのか。

 しかも、この場所だって、当て推量で来たわけではあるまい。


 三度目は何も言わずとも叩かれた。


 普段とは違って、自制の効いていない暴力を受けた冬原の身体は、ついに、立っているのも馬鹿らしいと言わんばかりに、横倒しで床に転がった。


 痛い。

 いつもの何倍も痛い。

 やっぱり、今まではかなり手加減をしていたのだ。


 倒れた自分を見下ろす柊の瞳には、依然として、何かに対する飢えと、諦めきったようなくすんだ色だけが映り込んでいる。


 だが、それが彼女自身のものなのか、その瞳に反射した、自らの姿なのか分からないまま、振り上げられた柊の長い足を、冬原はぼんやりと見つめていた。

 



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