表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
七章 ルビコン川の先に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/74

星空の住まう場所へ 1

 歩く振動で下がったマフラーを、ぐっと口元まで持ち上げ、冷たい空気を直接吸わないで済むようにする。


 このマフラーは、実家から持ってきた数少ない持ち物の一つだ。

 父が、自分たちの元から離れる日に贈ってくれたもの。

 父が帰ってこないなんて、ちっとも考えていなかった自分は、喜々としてそのプレゼントを受け取り、首に巻いたものだった。


 知らない、とは幸せなこともある。知らない間は、少なくとも平穏でいられる。


 12月も一週間が経ち、もうしばらくしたら年の瀬だ。その直前には、生徒会選挙がある。


 隣を不機嫌そうに歩く柊にとっては、一大イベントであろう。とはいっても、まともな対抗馬が存在していないため、実質、消化試合のような状況だとは耳にしている。


 だからといって、いちいち付き合ってくれなくても良かったのに。


 冬原は、自分を仲間外れにしていた(当人にその気はなくても)柊への、当てつけのつもりで綺羅星の提案を承諾した。


 それなのに、柊が食い下がってきて、結局彼女も綺羅星の家に遊びに行くことになった。しかも、話が膨れ上がって、泊まりに行くことになったのだが…。


 黙ったまま、柊の端正な横顔を盗み見ていると、ばったり柊と目が合ってしまった。背けるのも何だか負けた気がするので、珍しく冬原も意固地になって、見つめ続ける。


「何よ」


 以前は、条件反射で謝罪させられていた一言だったが、今はそうそう簡単にはいかない。


「別に」


 そもそも、悪いのは彼女なのだ。


 自分にも、綺羅星のことを話してくれたって、良かったのではないか。


 さらに、これはただの憶測なのだが、冬原の目からは、二人は互いの秘密を共有しているように見えた。


 綺羅星側も、柊の秘密を知っている。

 何かが私にそう感じさせていた。


 校門近くで待ち合わせしていた二人は、綺羅星に教えられていた住所を携帯のアプリで検索しながら、大通りに沿って歩いていた。


 驚いたことに、マップ情報が示している建物は、この辺りでも一番豪華なマンションで、しかも、彼女の部屋番号から考えると、かなりの高層階に住んでいるようだった。


 そのときは、つい仲睦まじく顔を近づけて一つの携帯を覗き込み、口々に驚きの声を上げていたのだが、お互い微妙に不貞腐れていたのを思い出して、急に余所余所しくなった。


 やっぱり、意地なんだとそのとき思った。下らない意地だが、なぜだかそれが大事に思える。


 そして、ようやく近くまでやってきたところで、いよいよその不満を口に出してしまったというわけだ。


「へぇ、最近はいよいよ可愛くなくなったわね。昔の従順な冬原さんと違って」


 嫌味を言わせると、柊は世界一なのではないか。


「別に、可愛くなくていいけど」

「…随分、生意気になったわね」


「柊は相変わらずだね、悪役でも目指してるのかなって、時々思う」

「はぁ?」


「な、なに」

「私は次期生徒会長よ。生徒と教師からの信頼が厚いの。分かる?」


「うわぁ、いよいよ小者臭い…」呆れたように肩を竦めて見せる。


「何ですって?」

「そもそも、本当に何で柊まで来たの」


 素朴な疑問を感じて、冬原は面倒くさがりながら尋ねる。


 その問いを受けた柊は、顔を反対に向けながら、ぶつぶつと何事かを呟いていた。

 彼女らしくもない、情けない態度に腹の虫が騒ぎ、つい嫌味な言い方をしてしまう。


「…そんなに小さい声じゃ、聞こえないんだけど」


 すぐそばの道を大型トラックが通ったのを切っ掛けに、群雀が一斉に寒空を飛び去っていく。


 一羽一羽が固まって、一つの生命体のように、宙を縦横無尽に踊っている姿が、とても誇り高く見えた。


 自分が憧れていた、『自由』そのものだからだろうか。

 …二人のおかげで、その生き方に一歩近づいた気がする。


 そんなふうに一ヶ月前のことを思い出しているときは、どうしても、あの夕方のことが脳裏に浮かんだ。


 私の頭を泣きながら撫でてくれた、本当の優しい柊の姿。


 その姿を脳裏に描き出してしまったら、柊へのつまらない反抗心は、冬の風に吹かれ、塵と共に消え失せていた。


 謝らなくては、と思いつつもどうにも口が動かない。


 さて、どうしたものかと頭を悩ませていると、柊が、「あのさぁ」とマフラーに顔を埋めて言った。


「アンタ、綺羅星と二人きりになるって、怖くないの?」

「え、あ、それは…」


「お、襲われるかもしれないのよ…?」

「お、襲う!?」


「そうよ、アンタみたいな弱々しい奴は、すぐに危ない目に遭うのよ?だから、ほら、付いて行ってあげるの!」


 鼻息荒くそう告げた柊。何を怒っているんだろう、と不思議に思えたが、朱の差した表情から、照れ隠しなのだと分かった。


「柊、心配してくれてたんだ…」


 彼女の、黒曜石のような光を放つ瞳と視線が交差する。


 その瞬間、弾けるように柊の頬が真紅に染まり、再び彼女は目を逸らした。だが、冬原が小さく柊の名前を呼ぶと、少し遅れてから、もう一度、朱に染まったままでこちらを向いた。


 二つの暗闇が溶け合って、真冬の空気の狭間にたゆたう。


 目が反らせなくなる不可思議な引力に導かれ、気がつけば冬原は、白い手袋が守っている彼女の片手を握っていた。


 手袋越しに伝わるはずのない熱を感じて、自分の顔にも熱が集まっていくのが分かった。


 柊は困ったように視線をあちこちに散らしながら、非常に早い速度で瞬きを繰り返している。


 それでも、時折思い出したかのように、自分の目を見つめ返してくれるのが、たまらなく嬉しかった。


 今なら、言える気がした。


「ありがとう、あの日も、今日も」

「な、何よ、急に」


「ううん、今言わなくちゃいけない気がして」


 ついに顔を完全に逸してしまった柊の横顔を見つめていると、自然と息を呑むような感動に突き動かされてしまう。


 朱が差すことで、いっそう引き立てられる肌の美しさ。

 整った顔立ちの中でも一際目を引く、切れ長の黒曜石。

 12月の風にも、その血色の良さを奪えない、薄桃色の唇。


 綺羅星とは、また違う種類の美しさに、呼吸をすることも忘れて魅入っていると、柊がぽつんと呟いた。


「いつまでこっち向いてるのよ。マンション、見えてきたわよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ