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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
六章 二筋の光

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二筋の光

こちらで、6章は終わりとなります。

ようやく終盤に差し掛かっております。


長々とした駄作ではありますが、

よければ、最後まで楽しんで頂けると幸いです!


 件の絵画のせいでついつい本題を忘れていたが、二人が、私の趣味たるネクロアートを見てみたいと言ったことで、こんなことになったのだ。


 だが、最初に提案してきた柊が、もうどうでも良さそうな様子である。


 拒否されたり、全否定されたりすることは辛いが、こうして興味が無さそうだというのも…。


 冬原が複雑な感情に頭を悩ませていると、綺羅星が肩を寄せたまま言った。


「貴方は、どの絵が一番好きなのかしら?」


 こちらを気遣っての言葉だったかもしれないが、やはり、自分の好きなものに関して聞かれるというのは、胸が踊ってしまうものだ。


 冬原は、綺羅星に喜んでいるというのを悟られるのは癪だったため、無言のままで、最後の頁を開いて指差した。綺羅星は指先を目で追うと、ふっと儚く微笑んで見せる。


「あら、私そっくりの絵ね」

「べ、別に変な意味じゃないから」


「分かっているわ。何となく嬉しくなったのよ、ねぇ…、どの辺が好き?」


「え、え・・とね、この透き通るような月の光も、死を連想させる萎んだゴムボートも素敵だけど、やっぱりこの人魚の瞳が…凄く、綺麗なの。月光を吸って、死んでいる人魚とは思えないほどに輝くエメラルドの瞳、それを囲む灰色の円環…。こんなふうに、繊細な配色と、濃淡を表現できる人間がいるなんて――」


 チッと、大きい舌打ちの音が耳を打って、冬原はハッと我に返った。


 恥ずかしい、こんなにも饒舌に語ってしまった。

 次から次へと言葉があふれてきて、止まらなくなってしまったのだ。

 まさかこんなにも、自分の好きなことについて語るのが楽しいとは、思いもよらなかった。


 バツの悪い顔をして、綺羅星の顔を見上げる。すると、彼女はほんのりと顔を赤らめ、口元に手を当てて表情を隠していた。


 どうやら舌打ちしたのは綺羅星ではなく、柊のようだ。


「あのねぇ、よそでやってくれない?ほんと、イラつく…」


「な、何が?」


 熱く語られたことが、そんなにも嫌だったのだろうか。

 冬原が不安になっていると、綺羅星が、両手を頬の横で揃え、いっそう紅潮した顔で眩しく笑った。


「だって、ねぇ?」

「チッ、うるさい。うるさいのよ…」


 それから綺羅星は、自分の片目をつむった。もう片方の瞳に手をかざす。


「ここに貴方の好きな、エメラルドの宝石みたいな瞳があるわ。絵ではなくて、実物を堪能してみてはいかがかしら?」


 指の隙間から漏れる翠の光が、私を突き刺す。


「い、いや、ほんと、そういうのいいから」

「遠慮しなくていいのよ?」と綺羅星が体をさらに近づける。


「ち、近いよ…綺羅星さん」


「あら、つれないわねぇ」と綺羅星がわざとらしく落胆するフリをして、体を離した。


 二人の会話を鬱陶しそうに話を聞いていた柊は、虫を払うような仕草で、手を顔の前で横に振ってから、無愛想な顔で本題に戻る。


「とにかく、冬原の不安なんて、こんな程度のもんだってことよ」


「…どういう意味」綺羅星の冗談に緩んでいた神経が、一瞬で固くなる。


「理解されないとか、無駄だとか、何だか不幸ぶって口にしていたけど、アンタの不幸なんて、こんなものなのよ」


「…っ!」キッと柊を睨みつける。


「何よ」

「何も…、何も知らないくせに」


「はっ、知らないわ。そもそも、知っていることがそんなに大事なの?」

「分からないなら、口出ししないでよ…!」


「…私は」と柊は、視線をさっと綺羅星に目を向けてから、彼女とアイコンタクトを行うように見つめ合った。


 どういう意図だったのかは不明だが、綺羅星は芝居がかったふうに、両の掌を上に向けてため息を吐き、二人に背を向けた。


「私は、私はね、まあ、アンタのこと、好きよ。へ、変な意味じゃなくてよ?理由なんかないけれど、気に入っているわ。それこそ、アンタの趣味が何だろうと、その程度じゃ変わらないくらいには…ね」


 柊の言葉は多少捻くれていたものの、彼女なりの想いが込められていたことだけは間違いなかった。


 自分でも、らしくもないことを言っていると自覚があるのだろう。

 彼女はそっぽを向いて歯切れの悪い口調で話していたのだが、その横顔には、気恥ずかしさで朱が差していた。


「柊」思わず、彼女の名前が言の葉になって口からこぼれ落ちる。


「周りの言葉なんか…気にしちゃ負けよ?冬原」


 どうしよう。

 こんなにも真っすぐ自分を受け入れようとするなんて、思いもしなかった。

 きっと、柊の言葉は本心だ。

 アレを見たうえで、本気で私を受け止めようとしているのだ。


 どうしてなのだろうか、何のためにこんな自分を?


 私の半分を構築している両親でさえ否定した自分を受け入れることに、一体、何のメリットがあるのだろうか。


 不意に、脇腹に何かが当たった。その勢いで柊のほうに体が傾く。


 力の掛かったほうを見ると、目をつむったままの綺羅星が、眠るように倒れ込んできていた。


 それに気を取られていると、ぐっと何かに頭を抱き寄せられ、冬原は混乱し激しく瞬きをした。


 私の体を両手で包むようにして抱き込む柊を、下から見上げる。彼女は、悲哀に満ちた瞳をキラリと滲ませていた。


 その眼差しが憐憫を感じているのは、果たして私なのだろうか…。それだけではない気がする。

 それほどまでに彼女の瞳は暗く、美しい光を放っていた。


「私は、私たちはアンタのそばにいるわ。だから、な、泣くんじゃないわよ」


 私は、泣いている、のだろうか。


 確かに、滲んだ景色の向こう側に、柊の困ったような顔が浮かんで見える。


 まつ毛の先に付着した涙が、雨の過ぎた後に残る水の玉のように輝いていた。


 筆舌に尽くしがたい感情が胸の奥で狼煙を上げて、その美しい煙が、私の全身を軸にしてとぐろを巻く。


 泣いていることを自覚した刹那、口の端から抑えようのない嗚咽が漏れ始める。


 解き放つ術と場所の分からないままの感情を、涙に込めて。


 中身の分からない、箱の中身が、今、一条の、いや、二条の光に照らされて輝き出す。


 この空間にあふれる、ありとあらゆるものに乱反射した光が、すすり泣く声の木霊している室内の塵を、綺麗な雪へと変貌させる。


 柊の背に、ぎゅっとしがみつくように手を回した冬原は、幼子のように体を揺らし、喉を震わせて声を発しようとしたが、渦巻く感情がそれを邪魔していた。


「私は、私は」

「うん」

「私、病気じゃない、よ」

「ええ、分かってる」

「お母さん」

「うん」

「私は、どこもおかしくないんだよ…」

「分かっているわ」


 柊は、そう言って優しく手を動かして、冬原の小さな頭を繰り返し撫でる。母が娘を慈しむように。


 母の言葉が蘇る。

 玄関先で告げられた、母の言葉。


『アンタは、病気なんだから。一人で落ち着ける場所で、養生しなさい』


 自分と母の間にある、血縁の赤い糸を断ち切る。そんなふうな、玄関の扉が閉まる音も、同時にフラッシュバックしてきて、止めどない激情が体の隅々を駆ける。


 抑え込まなくちゃ。

 いや、これでいい、いっそ楽になろう。

 全てを吐き出して、空っぽになろう。


 そうして、空になった器に新しい血潮を注ぎ入れよう。

 そしてそれを鋳型に流し込んで、新たな私を鋳造するのだ。


 生きていくためか、生まれ変わるためか…。

 よく分からないまま、私は彼女の甘ったるい香気を貪るように、柊の体に強く顔を押し当てた。


 私の嘆きと呻きに、しきりに頷く柊の声がとても暖かい。

 徐々に、彼女の声にも嗚咽が混じり始めた。私は、柊も泣いているのだと悟った。


 分かっている、彼女にも、口にできない苦しみがあるのだ。


「ひ、柊、柊…」


 これは私の問題であり、そして彼女との問題でもあった気がして、自然と何度も、柊の名前を呼んでしまう。


 噛みしめる彼女の名前が、母に傷つけられた心のひび割れに注ぎ込まれ、パテの役割を果たす。


 私は病気じゃない、ただ、生きてきただけだ。


 誰もがするように、好きなものを愛でて、それを繰り返し求めただけ。


 それの、何が悪かったのだろうか、


 私は、周囲が私にしたように、人の大事なものを否定したりはしなかった。


 それでも私を苦しめる『常識』という名の檻は、一体誰を守り、誰を傷つけるために作られたのだろう…。


 絶え間なく涙をこぼし続ける二人の隣で、綺羅星だけが死んだように瞳を閉じ、横たわっていた。ただ、その口元には、ほんの少しだけ歪んだ微笑みが浮かんでいた。

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